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白い壁  作者: カモラス
1/53

1 コンビニ


    1



 女の子が一瞬ゆで上げた蛸のように顔を真っ赤にする。

 スイートピーみたいな可憐な笑みが、徐々に影を帯びていく。童顔で長い黒

髪。睫毛がもう信じられないぐらいに長く、肌は真白い陶器みたいである。

 どこやらミロのヴィナスに似ているし、むしろそれよりも天使に近いとでも

誇張するべきか。そんな美少女が、どういう経緯かはさっぱりわからないが、

コンビニでエロ本を買っているのを、店員から未成年でしょ、と指摘を受け

た。後ろ手をつき、ずるずると後ずりながら、イヤイヤをするように首を振

る。目立つ容貌であり、しかも学生服である。ただいるだけでも存在感は強

い。小さくて、痩せているし、おどおど、してるのもマイナスに働いた。

 小さな高校である。

 剰余な、不可解な、優秀な、何と言うか不治の病な、美少女と、植物のよう

な俺が隣り合わせているのも変な巡り合わせだ。

 他者に対する感情移入など皆無。そのはずだ。

 でも、俺はカウンターの前にしゃりしゃり出る。

 ある日テレビの画面に大写しになったアイドルと隣り合っているような、気

恥ずかしさを一瞬覚えた。

 「あの、すみません、これ、罰ゲームなんです。」

 と、俺は間に割って入って言った。髪金髪、百八十五センチ。

 目の前には三十代、いい歳したオッサンである。

 業務なんていい加減な口実だ。

 「すみませんけど、売ってもらえませんか?」

 ずい、と千円札を出した。コワモテの顔が、この時ばかりは役に立った。

 店員の耳元でボソリと囁く。キラーボイス、と言われる。店員の顔色が変わる。

 「・・・あんまりしつこいと、四六時中ヤクザうろつかせるぞ。」


 

    *



 クラス一どころか学校一の美少女に恩を着せようというつもりはまったくなか

った。むしろ、エロ本をどういうわけだか購入せねばならない彼女を不憫に思っ

た。殺風景な荒野の中にいるぐらいの違和感を覚えた。

 まあただこっちだって、コンビニ弁当を買って家に帰らねば、弟が餓死する。

 それは言いすぎだったけど、時間の無駄は嫌いだ。


 「・・・あの、三枝さん。」


 柄にもないことをやって、コンビニを出た時には、すっかり彼女は感謝しきって

いた。でも、それに舞い上がれるほど、斜めや横道を歩いていない。すれた人生経

験は大切だ。美少女を見ても、何だこいつ、と思えてくる。

 明るい愛くるしい少女の姿、面差しも、心の中までは侵入してこない・・。

 無糖コーヒーに甘さやミルクを期待できない、当たり前だ、入っていない。


 「私のこと、わかりますか、クラスメートの、深尾・・・・。」


 「あ、クラスメートだったね、でも名前呼ばないでくれる? 

 ―――変だから。じゃ、また。」


 ポカンとしている彼女を置いてけぼりにする。傑作な顔をしていた。

 ざまあみろ、とさえ思った。でもクラスメートなんて、外で会えば、かえって

おりあいのつきにくい間柄である。ひとりはあくまで無表情に、もうひとりは万

感の思いを胸に秘めて、いつまでも・・。


 彼女の口から声は出てこなかったが、唇が絶え間なく動いていた。

 とぼとぼ、と帰路を辿る。夕陽が眩しかった、ぽつらぽつらと町の明かりがとも

っていく。目の焦点を合わせないままやぶにらみになる、いつもの夕方・・。


 エロ本買えないのなら、深夜の自動販売機で買えよ、とか思いながら。


 

    *



 でも次の日から彼女は俺に挨拶をするようになった。

 校門で待ち合わせでもしているのか、と最初は思った。

 これは全国の男子高校生にとって憧れのシチュエーションだろう。

 ゆっくりと幕が上がっていく・・。

 穏やかな微笑みを浮かべたまま、磁石にでも吸い寄せられたように俺のほうに歩

み寄ってきた。カメラも絵になるのか重点的に迫る・・。

 何度もその名を心の中で呼んだ。

 さっきまでの激しい痛みが急に引いたことが不思議だった――。

 俺の目の前でぴたりと立ち止まり、彼女はまっすぐ俺の眼を見つめてくる。

 いつ見ても静かに落ち着いた雰囲気を保っている、聡明そうな美少女は、白い歯

を見せた。眼の下に隈があり、吊り眼の俺に。怒濤に波濤に激動のてんやわんや。

 綺麗な桜色の薄い唇――。


 「・・・三枝さん、おはよう。もう十回目ですよ。」


 ピキッ、と血管が脈打つ。

 眉間に皺が寄る。瞳に浮かぶ傲慢な色・・・。

 教室が、氷点下になる。俺の悪評といえば、そこまでいっている。

 複雑な計算式を駆使しながら、完璧に答えが間違っている某SF作家の答案用紙

みたいに。何か鳥のようなものが窓ガラスにぶっつかる音がして、甘えた仔猫に似

た声が聞こえた。


 「――うるせえんだよ、この豚が!」


 

    *



 別に、気にしない。

 というか、気にしなくなった。

 初めて好きになった女に告白をしたら、顔がこわいと言われて、そんなこと

考えられないと言われた。親がイギリス人で、髪は地毛だ、金色と黒が混じっ

ているが、教師には説明してる。でも、周囲はそういうのをまともに取り扱っ

てはくれない。

 一度、同級生を殴ったことがあって、それも悪名に尾鰭がついたみたいなとこ

ろもある。俺の中学生活は最悪で、高校生活も期待はしていなかったけど、同

じ学校出身の奴があることないことを言って、まあ、最悪だった。

 学校というのは甘酸っぱい恋愛模様の場所じゃなくて、バトルフィールド。

 同じ制服を着た無彩色の集団の中で、弱肉強食。適者生存。

 小学校の時はもうちょっとまともだったんだけど。

 ニュース番組を別にすればテレビをまず見ないし、美少女タレントやアイド

ルに興味も持たない。そんな奴が、今更、同級生の顔色を見ようなんていう気

持ちは起きない。でも、彼女は別に何も気にせずに、こう言ったものである。

 昨日のあのおどおどした態度は何だったのかとさえ思うぐらいだ。


 「三枝さん、今日暇ですか?」



    *



 「――三枝さん、ハーフなんですよね。みんな、不良だっていうから、てっ

きりそうなのかなあ、と思ったけど、先生も知ってました。」


 職員室にも行ったのか、こいつ、と思う。

 俺が行ったら、喧嘩でもしに来たのかと思われるのにえらい違いだ。

 「そうか。」

 教室でやたらと話しかけてるのを無視しまくったのに、相変わらず喋ってく

る。昼食の時も、無理矢理横に座ってきた。

 こんな美少女に、こんなに接近されるのは、情けないが、生まれて初めてだ。

 怒っているのか、照れているのか、時々はわからなくなった。

 なんだか、うまく言えないけれど、料理まで、スープに魚が浮んだ台湾料理

みたいになる。


 「コーヒー牛乳と、焼きそばパンっていいな。今度あたしもそうしよう。」

 「・・・・・・・・・」


 無視。もう完璧に、無視。

 彼女の友達が、もうやめておきなよ、と言ってもしゃべりかけてくる始末で

ある。放課後になって帰る時分になると、怒る気持ちのどこかしらに横柄さの

申し訳なさがあって、会話のキャッチボールぐらいはしてやろうと思った。

 もうさすがに愛想をつかしただろうと思っているのに、まだしてくるので、

俺の方が折れた。それに、クラスメートが、誘拐されるぞ、みたいなことも言

っていて・・。さすがにそこまでするつもりはない、という気持ちを表に出し

ておきたいという・・・。


 「――本当は優しい人なんですよね。」


  赤いネオン管が折れ曲がり、頭上でにじむように光っている。

 夕方は、昼から夜へと顔を変える時間帯だ。老人がショーウィンドの中で歩

いていると、ガラス箱入りのミイラを連想する。

 若鹿のように伸びやかな手足はその対比にあたる――。

 彼女は自転車を押しながら、俺についてくる・・。

 ちぎれ雲が凄まじい勢いでついてくるみたいな、と思う。


 「優しくはない。」


 「――でも、昨日、助けてくれました。」


 「たまたまだ・・。弟は飯に遅れると、一日口をきいてくれないんだ。」


 これは本当である。両親が忙しい時は、コンビニ弁当や、弁当屋なんかで買

うが、いつもは、母親が時間をきっちり守るからだ。小学生だけど、塾とか、

友達遊びとかがあって、根が几帳面だから、そういう態度もわかる。


 「それに――たかだか、ああいう本ぐらいで、

 ・・拘束されるのもあれだろうと思った。」


 「――あれ、何だったと思いますか?」


 「罰ゲームかな、と思った。」


 「実はあれ、根性だめしだったんです。」


 どうしてそんなことをするのかさっぱりわからなかったけど、

 そんなものかな、と思った。いや別にそれ自体はそんなにおかしな光景じゃ

ない。人それぞれの悩みなんてわからないものだ。

 上辺だし、空っぽだし、中身がないし・・。

 明るい階段が口を開けていた。

 問答は必要なことを応答するような緊密さで拍子よく運んだ。事態の把握の

方が先決だ。


 「・・・でも、三枝さんを見て、私、考え違いをしていたんだって気づいた

んです。私、三枝さんのことが好きです。」


 藪から棒だった。

 真横を自転車がちりんちりん、と走り抜けていった。


 「うん、なるほど――意味がわからない・・」


 頭どこか打ったのか、と思う。奥行きも知れぬその声と、よどみなく流れる

言葉。大袈裟なジェスチャー。でも驚くほど表情が豊かだということがわかる。

 変な顔もチャーミングに見えてくるから、不思議なものである。


 「意味わかりますよ! どうしてですか、告白してるんですよ、告白!」


 「お前、もっと、いい男を選べよ。俺じゃないだろ、他の奴にしろ。」


 ぷいっと顔を背けて、何だこいつわけわかんねえことを言いやがんな、と思っ

ていると、


 「・・・ちゃんとこっち見て話して下さいよ! 断るなら断る、でしょ!」


 ガツン、ときた。

 ジロッと睨むと、ニコッと微笑んでくる。本当に調子が狂う。

 他の女だったらこうするだけで、逃げ出していきそうなのに。


 「・・・・・・あたし、ずっと、周囲から守られてばかりで、わかるでしょ、

息苦しくて、でも、三枝さんは全然そういうところがなくて、いいリハビリに

なるんじゃないかなあ、と思ったんです。」


 「――犬としてろ。」

 

 「犬はしゃべりませんよ!」


 「・・・・・・・じゃあ、百歩譲って、付き合って何するんだ。」


 「デートします。」


 はっ、と俺は鼻で笑った。不敵に笑った。


 「お生憎様だったな、俺はデートなんか出来ない男だ。

 この数年間の内に、甘ったれたイロコイなんかに一切興味がなくなった。」


 「いいですよ、それで。」

 

 こいつ、何がしたいんだ、と本当に思えてくる。

 大胆な恰好でリードギターを弾きまくっているみたいな、奴なのに――。

 住む世界が違う、価値観が違う・・・。

 しかし、実に意味深な目つきでこちらを見ていた。上目使いの潤んだ眼・・。

 さぞやクラスメートたちの胸をときめかせたことだろう。

 俺にはまったくきかないけど――。


 「―――私も、馬鹿なことを言ってるなとはわかってるんです。

 でも、コンビニで助けてもらった時に・・運命を感じたんです!」


 

    *



 「運命を感じた、へーっ・・・・・・・。」


 俺は、感心した。野次馬的な興味本位の態度が、興奮する。

 色々な意味でインパクトがあった。目が点になった。

 本当にこいつ、アホだな、と思う。

 ありえないぐらいのアホだな、と思う。

 その美貌と相まって神々しいまでに馬鹿らしかった。

 でも、瞬間、意地悪な興味が湧いた。

 羞恥の箇所をさらに深く掘り下げようとでもするみたいに――。


 「――じゃあ、付き合ってみる?」


 「いいんですか?」


 「――いつ愛想をつかすか、見ててやるよ。」



    *



 夜になって、教えたメルアドに向かってメールが届いた。

 家族以外から届いたことがない、携帯に。液晶画面に目を落としながら、

 一瞬ちょっと神々しいんじゃないかな、と思えて、一分くらい見入ってし

まった。でも、こんなのは一種のギャグなんだと自分に言い聞かせた。

 恋をしていてサマになる奴もいれば、まったく手におえないぐらい向いて

いない奴もいる。


 ――でも、あのアホのせいで、ちょっとだけ夜が明るい・・。


 絵文字満載、キャピキャピした文体。自分のことを中心に考える喋り方。

 どこをどうとっても、異世界の住人からのメッセージのようにしか思えな

かった。けれど、何のためらいもなく、厚意と信頼感をしめしてくれている。

 俺は窓を開いて、何の変哲もない屋根を見、空を見上げ、月を見た。


 あんな奴もいるんだな、と思った――。


 救おうと願う人が現れ、そこに語られるべき物語が生まれる。

 思いがけない美少女の出現は世界が急に明るくなったような興奮を覚えさ

せた。でも人生はそんな風には出来ていないんだ、とか、そんなことを思っ

たりした。心の傷はそんな簡単に癒えたりはしない・・。

 それに表面的な幸福を一枚めくると、黒々とした深淵が見えるものだ。

 本気になるなよ、と思った。薄青い死斑を浮かべ、甘臭い屍臭をはなち

出す、自分。

 本気になったら後は失恋するだけだぞ、とクラい気持ちになった。

 でも考えてみれば中高通じてようやく来た、春だったけれど・・。


 大幅な時間のロスを深く反省しつつ、一度大きく伸びをした。

 時が満てば一人前の大人になっていく。

 絵を描かなければ、と俺は思った。






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