陸
「思い出した…」
目の前の、色褪せた着物の狐面の子ども。
「前は、あんなに着物も綺麗だったのにね」
狐面の子どもは、気にするなというように首を横に振る。
美琴は涙が溢れそうになるのを、ぐっと堪え、狐面の子どもを見つめた。
泣いたらまた、この優しい神様を心配させてしまう。
父は、母は、悠斗は、いないのだ。
あの日、事故で亡くなった。
それが事実であり、真実。
そして、答えを悟る。
一緒に暮らしていた家族たちは、神様の見せた、優しい嘘。
旅行ができなかったのも、家族が遠出を嫌がったのも、全ては神社の近くにいなければならなかったため。
「そっか。ずっと、私に夢を見せてくれてたんだ」
長い間、夢の世界を彷徨っていたのだ。
限りなく現実に近い、でも、美琴にとっては桃源郷のような世界。
「神社のおじいちゃんが亡くなったから、あなたの力が弱まったのね」
それは、確信に近かった。
こくり、と狐面の子どもが肯定するように頷く。
信仰心が人一倍強い人だった。
朝のお勤めは毎日欠かさず、境内も祠も、ぜんぶぜんぶ綺麗にしていた。
そのおじいちゃんが亡くなって、神様は力を失い、この世界は崩れ始めた。
真実の片鱗が顔を覗かせたのだ。
目の前に、浮き上がるように、父と、母と、弟の姿が狐面の子どもの後ろに現れる。
3人とも狐面を被り、その表情を見ることは出来ない。
美琴はその姿に目の奥が熱くなるのを感じた。
「ごめんなさい、酷いこと言って、ごめんなさい。怖がって、ごめんなさい。私に、優しくしてくれてたのに、真実を見て、怖がって、ごめんなさい」
ふるふる、と狐面の子どもが首を横に振る。
泣かないで、泣かないで。
「…あなた、そればっかり」
そうだ、私を泣かせまいと、頑張ってくれたのだ。
美琴は溢れ出す涙を手の甲で拭い取る。
「ありがとう、でも、もう大丈夫。私は、帰るよ。どんなに困難でも、本当の場所に帰る」
じっと狐面の子どもが美琴を見つめる。
しばらく同じ様子のままだったが、やがて諦めたように小さく頷いた。
「その千歳飴、大事にしてくれてるの、すごく嬉しい」
そう告げれば、狐面の子どもは大事そうに千歳飴の袋を抱きかかえた。
美琴は、一歩前に踏み出す。
「ありがとう、あなたのこと忘れない。また、お参りにくるね」
こくり、と頷いた狐面の子どもは、まっすぐに美琴の向く先を指し示す。
きっと、帰りの道なのだろう。
「お父さん、お母さん、悠斗、さようなら」
真っ暗な視界が開ける。
狐面の子どもが指差す方向には、見慣れた道が月明かりに照らされ輝いていた。