伍
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
歌が聞こえる。
不思議な声。
少年のような、少女のような、男性のような、女性のような。
曖昧ではっきりとしない声音だったが、それでも恐怖は抱かなかった。
「だれ…?」
真っ暗だった。
そこには、何もなかった。
ただただ、暗闇が広がっていた。
泣かないで、泣かないで。
声がする。
あぁ、あの夢と同じ声。
「誰なの?」
ふと、顔を上げる。
そこには狐面を被った子どもがいた。
真っ白の面に、赤色で隈取がされており、その両耳の下には飾り紐が垂れ下がっている。
色褪せた黄土色の着物に、その手には何故か千歳飴の袋を持っていた。
「あなた…?」
見覚えがあった。
確かに、その子どもを美琴は知っていた。
そうだ、あれは、確か。
◆
「うぇっ…ひっく…」
ぐずぐずと鼻を垂らして、美琴は手に持った千歳飴の袋を祠の前に供える。
賽銭箱すら置いていない、小さな祠。
その祠の奥には狐を模した石像が祀ってある。
2度手を叩き、ぐっと目をつむって祈りを捧げた。
「ち…千歳飴あげるから…ママと、パパと、ゆうとを返してください…うぅ…」
そして、その足で振り返り、一目散に真っ暗な神社の1本道へと走る。
一刻も早く、家に帰りたい。
(ここで、神社のおじいちゃんと待っててね)
そう言った祖母との約束を破り、おじいちゃんの家を飛び出してきたのだ。
履きなれないぽっくりが、足の指に食い込む痛さ。
日が落ちてしまったせいで、容赦なく冷え込む寒さ。
手がかじかみ、カチカチと歯が鳴る。
(息子は無事なのか?!)
(いんや、奥さんと悠斗くんも…その…即死だと…)
(そんな…っ!)
(車の横っ腹に突っ込まれたらしい。そのまま壁に挟まれて…って話だ)
嘘だと思った。
悪い冗談なのだと。
悠斗の具合が悪くて、結局、晴れ姿を見に来れなくなった両親がついた、嘘なのだと。
真っ暗な細い道は、一歩間違えれば、麓まで真っ逆さまだ。
明かりも無いのに進むのは、無謀にもほどがある。
けれども、美琴は止まれなかった。
一刻でも早く家に辿り着ければ、そこでは家族が待っていてくれるような気がしたのだ。
泣かないで、泣かないで。
「だ…だれ…っ?」
声が聞こえた。
少年のような、少女のような、男性のような、女性のような。
顔をあげると、暗闇の道の先、ぼうっと光る面が浮かんでいる。
お化けかとも思ったが、よく見れば、同じくらいの年の子どもが、じっとそこに佇んでいた。
上質な絹で織られたであろう、つややかな黄土色の着物に、狐の面を被った妙な姿。
泣かないで、泣かないで。
「うぅ…だ、だってぇ」
面を被っているせいか、目の前の子どもが言葉を発しているのかは不明だ。
けれども、間違いなくその子の声だと美琴には分かった。
「ママとパパと、ゆうとがぁ…」
ぐずぐずと鼻をすする。
狐面の子どもは手招きをする。
けれど、美琴は首を横に振った。
幼い美琴の目にも、その子どもが普通の人間とは違うことは理解できている。
「やだぁ」
そう駄々を捏ねると、狐面の子どもは困ったように首を傾げた。
しばらく様子を見ていたが、美琴が梃子でも動かないと悟ると、そっと近づいてくる。
泣かないで、泣かないで。
美琴は再度、首を横に振って、いやだと言う。
「かぞくをかえしてぇ…」
ぽろぽろと溢れる涙。
暗さと涙で滲んだ視界で、目の前の狐面の子どもが小さく頷く。
「うぇ…うっ…かえして、くれるの…?」
こくり、と今度は、はっきりと狐面の子どもが頷いた。
「ほ…ほんとに?みんな、だいじょうぶ?」
こくり、こくり。
何度も頷く姿に、美琴はホッと安心する。
そして、狐面の子どもが持っていた千歳飴の袋に気がついた。
「それ…」
先ほど、神様にお願いしたのだ。
千歳飴をあげるから、家族を返してください、と。
そこで美琴は悟った。
目の前の子どもが、神社の神様だということを。
千歳飴の袋を持たない手でちょいちょい、と狐面の子どもが手招きする。
着いて来い、という仕草に美琴はおとなしく従った。
行きはよいよい 帰りはこわい
不思議と頭の中に声が響いてくる。
そのわらべ歌は幼い美琴も知っていた。
小学校の友達と一緒に遊ぶ時の歌だ。
「あ!あぜ道だ!」
真っ暗な視界が開ける。
狐面の子どもが指差す方向には、見慣れた道が月明かりに照らされ輝いていた。
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ