弐
夕食は、家族で食卓を囲む。
美琴の家は母、父、弟の4人暮らしだ。
母方の祖父母は、美琴が生まれた後すぐに他界してしまっている。
一方で、父方の祖父と祖母は、ほとんど隣と言っても問題無い距離に住んでいた。
中学生の頃は休日に遊びに行くこともあったが、高校生になってからは、家にも行っていない。
「ねー、お父さん。冬休みにどっか連れてってよ」
箸で肉団子を割りながら、何の気無しに口にする。
割った部分から、ダムが決壊したかのように肉汁が溢れてきた。
冷凍ものと違い、母が作ってくれるものは味も格別だ。
「旅行は無理だ」
「なんで」
「おばあちゃん達はどうするんだ?」
「お土産買ってくるか、一緒に行けばいいじゃん」
「美琴、お父さんを困らせないの」
「だってさー。悠斗だって旅行したいっしょ?」
援護射撃をお願いしようと、弟を一瞥する。
悠斗はびっくりしたように固まった後、小さく首を横に振った。
「俺、別に旅行とかいいよ」
「なんで?」
「冬休みは家でのんびりしたい」
「はぁ?いつでも出来るじゃん」
「っていうか、俺、あんまり遠出したくないし…」
食卓に沈黙が降りる。
誰もが旅行に反対することに軽く憤りを覚えると共に、悠斗が遠出を嫌がる理由に思い至ってしまった。
父も、母も、弟も。
美琴を除く家族の全員が過去に体験した痛ましい事件を思い出す。
すっかり忘れてわがままを言ってしまったことに、気まずい気持ちになった。
美琴はよく咀嚼もせずに肉団子とご飯を飲み込み、食器を流し台に放り入れる。
「ごちそうさま」
逃げるように自分の部屋に駆け込み、襖を閉じた。
遠出をしてみたいというのは、少し配慮が足りなかったかもしれない。
数年経ったせいで、あの出来事を忘れていたのだ。
真っ赤な着物に色とりどりの刺繍で描かれた見事な花模様。
丸帯を閉めて、髪に簪を挿し、生まれて初めて化粧をしてもらった。
数え年で7歳、そう、七五三で神社にお参りに行った日だった。
私は祖父母に預けられていた。
悠斗は小さい頃、身体が弱く、よく熱を出しては入院していたのだ。
今ではすっかり元気に育ったが、あの頃は小学校に通うのも難しいのでは、と思ったものだ。
そして、小さかった私は、両親の関心を引き付けてしまう病弱な悠斗が嫌いだった。
「みこちゃん、おばあちゃんたちと一緒に神社にお参りしに行こうね」
どれだけ綺麗な着物を着せられて、可愛いと褒められても、私は不貞腐れたまま千歳飴の袋を握って畑のあぜ道を歩いていた。
「ママもパパも、ゆうとのことばっかり」
「仕方ない。悠斗は病気なんだ」
おじいちゃんに宥められて、私はふん、と鼻を鳴らした。
「みこのひちごさん、どうでもいいんだ」
「あらあら、そんなこと言わないの。さっき電話があったでしょ?パパとママ、後で車でゆうくんと一緒に来るって。ゆうくん、外に出ても大丈夫になったって」
「ほんと?!」
病院は市内の大きな場所だ。
ここまで来るのに、1時間ほど要するはず。
「だから、先に行って、神社のおじいちゃん達に挨拶してようね」
「うんっ!」
両親が晴れ姿を見に来てくれる。
それだけで、私はすぐに上機嫌になった。
その後に、あんな恐ろしい報せがあるとも知らずに。
その報せは、神社のおじいちゃんと話をしていた時に来た。
「おーい!大変だ!あんたんとこの息子、事故したって!」
大きな声で叫びながらやって来たのは、顔見知りの近所のおじさんだった。
息子、と聞いて、その時の私は、それが誰を指すのか、すぐに理解できなかったのだ。
でも、周囲の様子を見て、何が起こったのかを瞬時に悟ったことを覚えている。
家族が、大変なことになってしまった、と。
そして、居てもたってもいられず、大人たちの目を盗んで1人で神社を飛び出したのだった。
「旅行、かぁ」
車じゃなければ、みんなで行けるだろうか。
駅まで歩いて、電車に乗れば、どこか遠くへ行けるだろうか。
ふぅ、と小さくため息をつく。
両親は良くても、きっと悠斗が嫌がるだろう。
あれ以来、悠斗は元気になったものの、乗り物を極端に怖がるようになってしまった。
美琴はじっと窓から外を眺めたあと、小さくため息をついた。