第8話『捜査開始宣言』
[あらすじ]
桜散と和解したカークは、当初の懸案だった譲葉の縁談を解消すべく理正や譲葉と共に総一郎邸へ向かう。そして理正の力で縁談を解消したカークと譲葉は、理正から総一郎の家の事情について聞かされる。
一方桜散は、昨今の行方不明事件に対し何かできることが無いかを考えていた。
第8話『捜査開始宣言』
17日目
――――――――――――朝。
土曜日。カークは桜散に起こされた。
「ありがとな、さっちゃ」
廊下に出た後、カークは桜散にお礼を言った。
「むぅ……。何だか恥ずかしいな。どういたしまして」
桜散は頭を掻きながらそう言った。だが、彼女はすぐに平静さを取り戻し、カークに尋ねる。
「今日、譲葉ちゃんの件を解決するんだろう? 報告、楽しみにしているぞ」
「おや? ついて行こうとしないのか? いつものお前なら、結末くらいは見届けようとすると思ったんだが」
「前にも言っただろう? 私達は傍観者だ。それに、今日は私もやることがあるからな」
そう言うと、桜散は自分の部屋の中を覗いた。カークも覗いてみると、机の上に紙の束のようなものが置かれていた。
「そうか、分かった。それじゃ結末を見届けてくるよ」
「ああ、頼んだぞ」
2人は階段を下り、1階のリビングへ向かった。
その後、朝食を済ませたカークは公園へと向かった。公園に行くと、理正と譲葉が待っていた。
「おはよう、カーク君。待っていましたよ」
「おはよう! カーク君。これで全員揃ったね」
2人はカークに声を掛けた。
「おう、おはよう」
カークも挨拶する。
「総一郎は家で待ってるんだよな? さっさと行こう」
カークは2人に提案した。
「うむ。そうですね、行きましょうか」
「はい!」
3人は駅へと向かい、地下鉄へ乗り込んだ。
総一郎の家に辿り着いたカーク、譲葉、理正の3人は、要に案内され、屋敷の中へと入った。正面玄関から入ると、総一郎が出迎えた。
「おはよう、カーク君。譲葉さん、そして理正さん」
「おう! おはよう、総一郎」
一番に挨拶を返したのはカークだった。後の2人も続けて返す。
「おはよう!」
「おはようございます」
4人は挨拶を済ませた。
「では、父さんと母さんを呼んでくるので、皆はここで待っててください」
そう言うと、総一郎は廊下の奥へと向かって行った。
「総一郎の両親ねぇ。どんな人なんだろうな?」
総一郎の姿が見えなくなったところで、カークは疑問を口にした。
「うーん……。彼らは真面目なんですが、心配性なんですよね。総一郎君が生まれたときなんて、それはそれは、大変でしたよ?」
カークの問いに、理正が答える。その話を聞いて、譲葉も尋ねた。
「私の親はどんな感じだったんですか? 私が、生まれたとき」
「そうですねぇ。一言で言えば、子煩悩でしたね」
「あぁー……」
理正の答えに、譲葉は覚えがあるようだった。
「それに、君のお祖父さんも、君のことを可愛がっていたそうですよ?」
「え!? おじい様? あの、おじい様も?」
理正の言葉に、譲葉は驚いた。
「はい。あんな彼も、孫娘の前では、普通のお祖父さんだった、ということでしょうかね」
理正は譲葉の祖父について、昔を懐かしむように話した。
「そうですか。おじい様がねぇ……」
彼の話を、譲葉は真剣な表情をして聞いていた。
「ゆーずぅのじいさんって、あの九恩院、弓平だよな?
かの『世界を手に入れた男』も、孫娘の前では形無しだったと。うーん、俺の父さん母さんもそんな感じだったのかなぁ?」
カークは2人の話を聞き、感心するように言った。
「君達も結婚して子供が生まれれば、きっと分かるようになると思いますよ? 私や桜花だって、桜散が生まれたときは本当に……」
理正がそこまで言ったところで、総一郎が戻ってきた。後ろには、1組の男女。彼の両親だろうか。
「皆、お待たせ。父さんと母さんを呼んできました」
「おお、待ってましたよ。総一郎君」
理正はそう言うと、総一郎の背後の2人に対し、声を掛けた。
「久しぶりですね。祥仁君、そして沙祐里君。何年ぶりでしょうかな?」
「これはこれは、理正さん。お久しぶりです。お元気そうで、何より」
挨拶を返したのは、総一郎の父、祥仁だ。
「こんにちは。理正さん」
続けて挨拶をしたのは、総一郎の母、沙祐里。彼女は、祥仁の右隣に立っていた。
「2人共、元気にやってそうですね~」
理正は総一郎の脇を覗くようにしてそう言った。その様子を見た総一郎は、慌てて脇へと動いた。理正と2人が真正面から対峙する。
その様子を見ながら息を飲む、カークと譲葉。
「さて、挨拶はこの辺にしておきましょうか。今日は用がありましてね、来たんですよ」
先に切り出したのは理正だった。
「用、ですか?」
「私達に、何か?」
2人は彼がなぜ来たのか分かっていないようだ。
「ふむ、分かっていませんか。おほん」
理正は咳ばらいをした後、一言こう言った。
「2人共。ちょっと、屋上へ行きましょう。私としては、君達にみっちり『お話』したいことがあるのでね」
「「!?」」
彼の妙ににこにこした態度に、祥仁と沙祐里は、互いに顔を見合わせた。そして、何かを悟ったようだ。
「あ、いえ。理正さん……」
「何か、私達が、問題を?」
「さっさと行きましょう、ほら。来なさいな」
理正はそう言うと、2人の手を取り、階段を上がって行った。
腕を引っ張られた2人はすっかり黙ってしまっていた。
理正に連れて行かれる2人の様子を見たカークは、総一郎に尋ねた。
「なあ、お前の父さんと母さんって、普段からあんな感じなのか?」
「い、いえ……。普段父さんと母さんは僕に結構厳しくて。外へ出ろ、ゲームばかりやるな、勉強やれとか、色々うるさいんですよ。あんな2人の様子を見たのは、正直初めてです」
総一郎の話によれば、彼らは典型的な教育親で、総一郎に対し教育熱心のようだ。
「そんな総一郎君の親を黙らせちゃうなんて……。理正さん、怒るとめっちゃクチャ怖いのかも」
譲葉は、理正の様子を見て感心していた。
「そう言えば、譲葉さん。あなたのご両親は、習い事に通わせたりとかしてましたか?」
今度は総一郎が譲葉に尋ねた。
「ううん。私のパパとママはなんていうか、自由放任主義? 的なところがあったから、習い事とかは行ってなかったなぁ。婚約の話が出てくるまで、そんなにしつこく言われた事も無かったし」
「そうですか。ふむ、家によって事情が違うんですねぇ」
譲葉の話を聞いて、総一郎は何か思うところがあったようだ。
「あ、でも、私は遊んで暮らしてたってわけじゃないよ? 習い事とかは何個か自分で決めて行ってたしね。
周りからはどうしても、『世間知らずのお嬢様』って目で見られちゃうから、それが嫌だったんだよねぇ。馬鹿な子って思われたくないし」
「あー、それ分かりますよ。僕も何だかんだ、父さん母さんの想いに応えないと、って感じで頑張ってきましたからね。」
総一郎は、譲葉に共感した。
「へぇ。総一郎君って、結構真面目なんだね~」
「そりゃあ、君もじゃないかい?」
2人は馬が合ったのか、それぞれの両親の事情について話をしだした。
(うーん、お金持ちの家庭の事情はよく分からんなぁ。うーん)
一人、話の輪に入れなかったカークは、ぼんやりとそう思ったのだった。
しばらくすると、理正が戻ってきた。彼の後ろには、祥仁と沙祐里。2人の表情は暗い。落ち込んでいるようだった。
「皆、おまたせしました。話はつけましたよ。ほら、2人共。彼らに何か、言うことが無いかね?」
理正は2人に促す。
まず口を開いたのは祥仁だった。
「総一郎……そして、譲葉さん。すいませんでした!」
そう言うと祥仁は床に頭をつけ、土下座した。
「私のせいで大変なご迷惑をおかけしました! 本当に、すみませんでした!」
彼は謝罪を続ける。そして、その様子を見ていた沙祐里も口を開いた。
「譲葉さん。私達のせいで、大変な目にあったそうですね。本当に、申し訳ありませんでした」
そう言うと沙祐里は、土下座する祥仁の横に立ち、譲葉に対して深々と頭を下げた。
「あ、いやぁ、そうですね。本当に、大変でした」
2人が謝る様子を見て、譲葉は戸惑った。本当は文句の一つや二つを言いたいと思っていたが、必死になって謝る2人を見て、言うに言えなくなったのである。
その様子を見ていたカークは。
(一体理正さんは2人に何をしたんだ?)
と疑問を感じたが、彼らの服がほんの少しだけ焼け焦げていることに気づき、考えるのをやめた。
――――――――――――午後。
その後、総一郎一家に昼食をごちそうしてもらったカーク達3人は、彼らに見送られながら家を出て、地下鉄に乗り家路についていた。
「ようやく一件落着ってわけだな、ゆーずぅ」
「そうだね、カーク君。……理正さん、ありがとうございました」
譲葉は理正に頭を下げた。
「いえいえ、どういたしまして」
「ふう。いやーしかし、沙祐里さんだっけ? あの人が作る料理はうまかったなぁ。金持ちの家だから、てっきり豪華な食事が出てくんのかと思ったけど、手料理ってのは意外だった」
地下鉄の車内でカークはふと、昼食の感想を呟いた。
「お金持ち、なのは彼らの実家の方ですよ。総一郎君の実家、相良家は戦前、この国の経済を支えていた大財閥の創業者一族。今も、経済界にそれなりの影響力を持っていると聞きます。
しかし彼の父、祥仁君は実家と縁を切っていますからね。金銭面では相当苦労しているようですよ? 一応、祥仁君なりに事業を起こしてやってるみたいですが……」
吊り革を掴んで立つカークに対し、優先席に座る理正は見上げる格好で話しかけている。彼は話を続けた。
「人気が無くて閑散とした、あの屋敷を見たでしょう? 外見こそ立派ですが、維持するための人を雇えないので、彼らが使っている部屋以外は閉め切りでホコリまみれだとか」
理正はカークに、総一郎の家の事情を説明した。
「そういや使用人は要さんしか見てなかったけど、あれは彼女しか居なかったからなのかな。なぁ、理正さん、何で総一郎の父さんは、実家と縁を切ったんだ?」
カークは理正にそう質問した。
「良い質問ですね。それはね、沙祐里君と結婚しようとしたからですよ」
「結婚!? どうして?」
「うぉ!」
理正の言葉に、譲葉が食いついた。その様子に驚き、カークは少しだけのけぞった。
「彼女は本来、祥仁君と巡り合うような立場ではありませんでした。だから、祥仁君は彼女との婚約を家族に猛反対されたんですよ。それでも沙祐里君を諦めきれなかった祥仁君は、彼女を連れて、家を飛び出した」
「駆け落ちしたってこと?」
譲葉は更に問いかける。
「そう。だから今の彼らは、相良家の支援に頼ることなく、自分達の力で生活しているんです。……彼らの苗字が「相良」ではなく「高良」になっていたでしょう? あれは祥仁君の母親の旧姓で、祥仁君は実家と縁を断つためにあえてそちらを名乗っているのです」
そこまで言うと、理正は一息ついた。
「身分の差による恋を駆け落ちしてでも成就したのか、現実でこういうのあるんだな。ふむ」
「総一郎君の実家は古いから、身分差がどうこうっていうのがまだ残ってるってことなのかな? ……でも、そういうのも、良いかもなぁ。憧れちゃう。私もそう言う風な、ロマンチックな恋愛してみたいなぁ」
2人は理正の話を聞き、それぞれ感心していた。
その後、地下鉄は駅に停車し、譲葉がホームへ降りた。
「それじゃ、私はここで」
「おう! ゆーずぅ、元気でな」
「和仁君と雪君には、祥仁君から連絡するよう言っておきましたので、これで全部解決するはずです」
「分かりました。じゃあ、カーク君、理正さん。またね」
そう言うと、譲葉はホームの階段を上って行った。電車が、再び発車する。
「そうだカーク君。私のメールアドレス、譲葉君にも教えておいてくれないか。彼女に魔術のことを教えるという約束のことを、すっかり忘れていました。ちょくちょく連絡して、彼女に伝えたいんです」
「分かった。それじゃ俺の端末に入っている奴をゆーずぅに送っておくよ」
カークは理正の頼みを引き受けた。
「それと、桜散とはどうですか? あの後」
その次に理正は、カークに桜散の件を尋ねた。
「ああ、あれですか。何とか、解決しましたよ。理正さんのアドバイスのおかげです。本当にありがとうございました」
カークは理正にそう言った。
「いえいえ。……今度は、私とあの子の番ですね」
「そうだな。今すぐってのは、多分まずいだろうから、徐々に近づけていくしかないかな」
「そうですねぇ」
2人は桜散のことを考えた。
それからしばらくして、電車は再びホームへ停車した。
「では、私はこれで失礼します。またよろしく頼みますよ」
「ああ、またな。理正さん」
理正は電車を降りた。
――――――――――――夕方。
夕方、カークは家へと帰った。家に帰ると、桜散が玄関までやって来た。
「ようカーク。どうだった?」
桜散はカークに、譲葉の件について尋ねてくる。
(こりゃ、今夜は長くなりそうだな……)
真剣な眼差しで自分をじっと見つめる彼女の様子を見て、カークはそう思ったのだった。
18日目
――――――――――――朝。
「おい、起きろカーク」
「う、うーん、何だよさっちゃ。今日は日曜だぞ? それにゆーずぅの件については昨日散々話したじゃんか」
日曜日。カークは桜散に起こされた。
「今から散歩に行くから、お前にも付き合って欲しい」
「はぁ?」
「付き合って」
「はぁ? 何だよ面倒だよ行きたくない」
「散歩終わったら、そのまま買い物に行く。そこでパフェ、奢って?」
「……」
「約束したよな?」
桜散はカークに睨み付ける。
「……はい」
男に二言は無い。
やはり、こいつには逆らえないなと悟ったカークは、桜散の散歩に付き合うことにした。
カークと桜散は、家の近くの大通りを歩き、近くの川へと向かった。
「なあ、今日は、良い天気だな?」
カークは桜散にそう尋ねた。
「あ、ああ。そうだな」
返事がぎこちない。心なしか、桜散の顔が赤くなっているような気がする。
このとき、2人は手を繋ぎながら歩いていた。カークの右手と桜散の左手が、それぞれ繋がっていた。
「その、何だ。何で、俺を散歩に? 冷静に考えてみたんだが、買い物ならそれこそ、散歩終わった後に誘っても良かったはずだぞ?」
カークは桜散に、自分を誘った真意を問い質した。
「あ、ああ。それなんだが」
桜散はそう言うと、川辺に下りる階段へとカークを連れて行った。
「昨日お前が家を出ている間に、ここに来たんだが、そこで気になるものを見つけてな」
そう言うと桜散は、川辺のある一点を指さした。
そこにあったのは、無造作に乗り捨てられた自転車だった。自転車のサドルの真下に、黒い箱のようなものがついている。おそらく、電動アシスト式の自転車だろう。
「自転車? あれのどこが気になるんだ? 放置自転車なんてよくあることだろ?」
「よく見てみろ。あの自転車、汚れが全く付いていない。……おそらく買って、そんなに時間が経っていないものだ。それにあの自転車のモデル、ネットで調べてみたら、11万円する代物らしい」
「じゅ、11万円!?」
カークは自転車の価格を聞き、驚いた。
「そうだ。普通の家庭で考えれば、決して安くない買い物だ。そんな代物、しかも新品同然のものをチェーンもかけずにここへ無造作に放置するか?
それに、私が最初見つけたとき、あれは半分川に浸かった状態だった。そんな状態で放置しておいたら、じきに錆びて使い物にならなくなっていたはず。おかしいとは思わないか?」
桜散はカークにそう言うと、自転車をじっと見つめた。
「つまり、どういうことだ?」
カークはまだ彼女が言いたいことが分からないようだった。
「まだ分からないのか? あの自転車の持ち主。多分、異空間に飲まれたのではないかと、私は考えている」
「え、異空間? でも、行方不明者の知らせなんてここ数日……」
「たまたま無かっただけだ。今回については、まだ行方不明になってそれほど時間が経ってないんだろう。今晩あたりにでも、警察に捜索願が出て騒ぎになるはず」
「そうか。分かった」
カークはようやく状況を理解した。
「つまり、行方不明者の捜索をしたいと?」
彼は尋ねた。
「いや。私もそれを考えたんだが、何処にも異空間の入口が見当たら無くてな」
桜散は困った顔をしながら、頭を掻いた。
「そうか。じゃあまた今度探そうぜ。行方不明者が魔術に目覚めてなければ、放置しても大丈夫なわけだし。仮に中に入った奴が魔術を使えたなら、既に手遅れか、とっくに脱出しているかの2択。その場合、俺達にできることは無い。
となればやることは一つで、今度探せばいい。これでいいか?」
カークは桜散に提案した。
「そうだな。そうしよう」
桜散は彼の提案に乗った。
「で、その上で、カーク。私はお前に話したいことがある」
一呼吸おいて、桜散はカークにそう言った。
「何だ?」
問うカーク。
「ここに、『仮面の怪物による、一般人行方不明事件』の捜査開始を宣言する!」
桜散は突然川に向かい、叫んだ。
叫びの後には、近くの大通りを走る車の通行音が聞こえるのみだった。
「そうか。頑張れよ」
カークは他人事のように励ました。
「は? お前、何他人事のように言ってるんだ? お前には、私の右腕になってもらうぞ」
「はぁ!? ……まあ、いいけどさ」
カークは一瞬めんどくさそうな態度を取ったものの、特に断る理由も無かったため、あっさり引き受けた。
「おお! ありがとうカーク。これからも、よろしく」
心なしか、カークの手を握る桜散の力が強まった気がした。
「で、捜査って言ったって何するんだ? 俺達は警察じゃないんだぞ?」
「そりゃ、異空間探しだ。異空間を探したら、そこに入って怪物を倒し、行方不明者を救助する。お前はそうやって助けたんだろう? だったら同じようにするだけだ。簡単だろう?」
桜散はカークの問いに答えた。
「分かった。……ローラー作戦やる時は、人手を稼げよ?」
カークは了承した後、桜散にそう提案した。
「分かっている。異空間は井尾釜全域に出る以上、私とカークだけではカバーしきれない。だから複数人で分担するというのは選択肢として考慮している」
「そうか。それじゃ、これから頑張ろうな、一緒に」
カークは彼女の答えを聞き、そう言った。
すると、桜散はカークの手を取り、走り出した。
「あ、おいさっちゃ!」
「ふふ、どうしたカーク? そんなんじゃ、私の右腕は務まらないぞ? さあ、買い物に行くぞ!」
桜散にリードされっぱなしだな、とカークは思いつつ、彼女と一緒に買い物へと向かった。
――――――――――――昼。
カークと桜散はあの後地下鉄に乗り、井尾釜駅に向かった。
「A、来たみたいだぞ?」
カークと桜散が座るテーブルに、一つのストロベリーパフェが運ばれてくる。
デパートへ買い物に向かうその少し前、彼らは井尾釜駅近くの洋食店に足を運んでいた。無論用事は、桜散のパフェだ。
「おお、来たか。……では頂くとしよう」
桜散はあらかじめ構えていたスプーンを使い、パフェをむしゃむしゃと食べ始めた。
その表情はいつものジト目とは違い、えらくニコニコしている。
(こういう仕草は、やっぱり女の子なんだよな……)
譲葉の言葉を思い出しながら、カークは笑顔でパフェを食べる桜散をジッと見つめていた。
その後二人は、デパートに行くために井尾釜駅周辺を歩いていた。
「おや? カーク君! カーク君じゃないか!」
歩いている2人に、誰かが声を掛けた。カークが振り向くと、そこに居たのは総一郎であった。
「お、総一郎。よう」
「こんにちは。こんなところで会うなんて、奇遇ですねぇ。ところで、そこのお嬢さんは?」
総一郎はカークの隣にいる少女に目を向け、言った。
「ああ、こいつは桜散。訳あって、俺のとこで居候している。まあ、妹みたいなもんだ」
「妹とは失礼な。同い年だぞ?」
「へぇ。同い年なんですか」
カークの紹介を聞いた総一郎は、桜散をじろじろ眺める。
「お前が総一郎か。話はカークから聞いている。よろしくな」
桜散はそう言うと、総一郎に右手を差し出した。彼は握手に応じた。
「それにしても、二人ともお仲が宜しいことですね?」
握手を終えた総一郎は、そう言った。桜散の左手は、カークの右手に繋がれている。
「あ、いや。これは、その」
「あ、これはだな……」
桜散とカークは何かを察したらしく、慌てて手を離す。
「ははは。否定しなくてもよいでしょう? 良いですねぇ」
仲睦まじい桜散とカークを、微笑ましく見つめる総一郎。
人に見られることを考慮していなかったためか、2人の顔は赤くなった。
「そういや、お前は何のためにここへ? 俺達はデパートで食材買いに行くんだけど」
カークは、総一郎に尋ねた。
「僕も同じですよ。もしや、同じところで?」
総一郎はそう言うと、通りの奥を指差した。
「ああ。俺達が行くのもそっちだ。一緒に買い物する?」
「そうですね。この際一緒に行きましょう。桜散さんとも、話がしたいですしね。いいでしょうか?」
カークの提案に乗った総一郎は、桜散に了解を求めた。
「私は、別にかまわないぞ? 正直、お前にも聞きたいことがあるからな」
「分かりました」
総一郎は桜散に返事した。
2人がそこまで話したところで、カークはふと、総一郎に理正との面識があることを思い出した。
(あっ、いけね! あいつ理正さんのこと知ってるよな。さっちゃのことだ、許嫁事件のくだりをあいつから聞き出すに違いない。このままだと理正さんのことがさっちゃにばれちまう!)
そう考えたカークは一瞬、総一郎に理正について口止めしようか迷った。しかし。
(でも、いつかは知らなきゃいけないことだしなぁ。俺から話すのは何か気まずいし、総一郎の方からばらしてくれたら、それはそれでいっか)
カークはこうも考え、2人の話をそのまま見守ることにした。
その後、3人はデパートの食品売り場に行き、各々必要な食材・食品を購入した。
カークにとって幸か不幸か、桜散と総一郎の話題は食材の話に終始し、理正の件は彼女に発覚しなかった。
「ずいぶんと博識なんですね。桜散さん」
「いやいや。李緒さんに頼まれて買い物に行くたびに、覚えたものさ」
レジでの支払いが終わり、買ったものを袋に入れていくときには、2人はすっかり打ち解けていた。その様子を見届けたカークは、思わず胸をなで下ろした。
しかし、桜散に理正のことを隠したままという事実を前に、彼の胸には言いようのないしこりが残ったのだった。
買い物が終わった3人は、井尾釜駅へと向かっていた。
「それでは、また会いましょう。お疲れ様でした」
総一郎はそう言うと、カーク達が乗るのとは反対方向の電車に乗った。
「おう、元気でな!」
「また会おう、総一郎」
カークと桜散は、去りゆく総一郎を見送った後、自分達も電車に乗り家路につく。
電車に乗ってしばらくすると、誰かが2人に声を掛けた。
「おや、カーク君と桜散ちゃん? 買い物帰り?」
今日はやけに知人と会う。カークはそう思った。
「そうだよ? ゆーずぅ」
「譲葉ちゃん、こんにちは」
カークと桜散は、帰りの電車内で譲葉に出会った。
「お前は何でこっちに? 家は確か反対側だよね? どっか行くの?」
カークは、譲葉が下り電車に乗っている理由を尋ねた。
「あー、それはね。ちょっとカーク君ちの近くの公園に行こうかなと」
譲葉はそう答えた。
「公園? 何のために行くんだ?」
その話に桜散が食いついた。
「あ、いや。そうだね桜散ちゃん。んーとね、気晴らし、かな?」
譲葉はぎこちなく彼女の問いに答えた。
「ゆーずぅ、ちょっとこっちに」
譲葉のぎこちない様子を見て何かを察したカークは譲葉の手を取り、桜散から少し離れた場所に移動した。
「公園って、理正さんに呼ばれたのか?」
カークは、譲葉に耳打ちした。
彼は昨日理正と別れた後、寝る前に理正の連絡先を譲葉と総一郎に送っていた。
「うーん、違うよ? ただあそこ、私的に結構気に入ってるんだよねぇ」
譲葉はそう答えた。
「じゃあなんであんなぎこちない態度を? さっちゃにばれるぞ?」
「いやぁ、まさか桜散ちゃんが聞いてくるとは思わなかったからさ。ちょっとびっくりしたの」
「そうか……。なんだぁ」
カークはあきれ顔をした。
「おい、2人共、世間話は終わったか? そろそろ着くぞ?」
彼が振り向くと、桜散が不機嫌そうな顔をして、2人を見ている。
「おっと、そろそろ戻らないとな。さっちゃの機嫌が悪くなっちまう」
「そうだね、戻ろっか。ふふふ、さっき電車に入ってくるとき見たけど、ずいぶんといい雰囲気だったよね?」
桜散の元へと戻りながら、譲葉はカークに言った。
「まあ、そうだな。一時はどうなることかと思ったけど、さっちゃも落ち着いているし」
「ふーん、どうやって?」
譲葉は興味深そうに尋ねた。
「今さっちゃが目の前にいるのに、言えるわけないだろ。また今度話すよ」
「そっかぁ」
カークの言葉に、譲葉は残念そうな顔をした。
その後、電車を降りた3人は、公園へ向かう譲葉と、家に帰る桜散、カークの2手に分かれることになった。
「公園行ったら、そのあとカーク君の家に行きたいんだけどいいかな?」
譲葉は2人に尋ねた。
「私は構わないが……李緒さんに了解を取らないと」
「別にいいんじゃないか? 母さんも、譲葉ちゃんと話がしたいって前言ってたし」
「それもそうか。それじゃあ譲葉ちゃん、私達は先に家で待ってる」
「うん、桜散ちゃん、カーク君! また後でね!」
譲葉は公園へと歩いて行った。彼女を見送った桜散とカークは、家へと戻った。
――――――――――――夜。
「おじゃましまーす!」
玄関から譲葉が入ってきた。カークが出迎える。
「こんばんはゆーずぅ。そう言えば、理正さん居た?」
カークは譲葉に、理正が居たかを尋ねた。
「ううん、残念ながら」
「そっか。まあ、何かあったらメールで連絡しなよ」
「分かった」
譲葉はそう言うと、奥へと入って行った。
2人がリビングに着くと、そこには桜散と李緒が居た。
「こんばんは、譲葉ちゃん」
「あらまぁ、譲葉ちゃん。私のこと覚えてる?」
譲葉を一目見た李緒は、彼女に近づいた。
「はい! 李緒さん、お久しぶりです」
「ずいぶんと立派になって……」
李緒は感慨深そうに言った。
「あー、母さん。昔話は後でいいから。……晩御飯何?」
そんな雰囲気を、カークはぶち壊した。
「もー! カークったら! そうねぇ。譲葉ちゃん、今晩は何時までここに?」
李緒は譲葉に、何時までここに居るかを尋ねた。
「それなんですが、今日、ここに泊まってもいいでしょうか? 李緒さん」
譲葉は李緒に、今晩ここに泊まっていいかを尋ねた。
「はぁ? ゆーずぅ。明日大学だぞ? 荷物とかどうするんだ?」
彼女の申し出を聞いて、目を丸くしたのはカークだった。
「大丈夫だよカーク君。荷物は明日大学に送ってもらうから」
「そうか……」
「それよりも李緒さん、どうですか? 駄目ですか? 両親には、もう連絡してあります」
譲葉は李緒に上目遣いをしながら尋ねた。
「うーんそうねぇ。ご両親も知っているのであれば、許可しましょう!」
「本当ですか! やったー!」
李緒の快諾に、両手を上げて喜ぶ譲葉。その様子を見たカークは、
(子供かよ……)
とふと思った。
「うーん、譲葉ちゃんが泊まるのか。部屋はそうだな……。カーク、私の部屋に布団を運んでくれないか? 私は布団で寝て、譲葉ちゃんはベッドで寝るようにする」
譲葉が泊まるという話を聞いた桜散は、彼女が寝る場所について考え、カークに伝えた。
「分かった」
カークは頷いた。
「それと李緒さん。晩御飯の食材や、炊飯器のご飯の量は足りてます? 4人が夕食となれば、足りなくなるかもしれません」
「それなら大丈夫よ。ご飯は今炊くところだしね。あ、そうだわ!
ねぇ譲葉ちゃん、桜散ちゃん。ちょうど3人いるし、晩御飯作るの手伝ってくれないかしら?」
李緒は桜散と譲葉に、夕食作りを手伝うよう頼んだ。
「分かりました、李緒さん」
「お安いご用ですよ李緒さん。泊まらせてもらう身なので、手伝います」
桜散と譲葉は、李緒と一緒にキッチンへと移動した。
その様子を見たカークは、自分も何か手伝わなければいけないと考えたものの、女3人がせわしなく動いている雰囲気に入っていく勇気を出せず、ただ黙って彼女達の様子を見ていた。
しばらくすると、桜散がキッチンから出てきて、カークに言った。
「カーク、そろそろ料理ができるから、食器の準備を手伝って欲しい」
それを聞いたカークは、待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、キッチンへ移動する。
そして、食器棚を開けて皿を何枚か取り出し、テーブルの上へと並べた。キッチンからは、美味しそうな匂いが漂ってきていた。
「今日は……ビーフシチューと、サラダ?」
カークはテーブルの上に並べられた料理を見て、キッチンへと声を掛けた。
テーブルの上には、ビーフシチューと米飯、野菜のサラダがそれぞれの分並べられていた。
「そう、ビーフシチューだよ?」
キッチンから李緒の声がした。
「ほう……」
カークは再度、テーブルの料理を一瞥した。ビーフシチューは何度も食べたことがある。しかし、今日は食器の並びがやけに豪華だ。
普段、家族3人で揃って食事をするという状況が珍しかったためか、4人分の料理が並べられたテーブルが、彼にはとても豪華な食卓のように見えた。
カーク自身、食器を並べる作業に協力はしたが、いざ並び終えて料理が入った食卓を見ると、ふと言いようのない気分を感じた。まるであるべきものが、あるべき通りに揃っている。そんな感じの。
「いただきます!」
その後、4人は席に座り、夕食の時間が始まった。
「そう言えば譲葉ちゃんは、何時からヒノモトへ?」
料理を食べながら、李緒が譲葉に質問する。
「高校卒業後、すぐですね。私の父と母がヒノモトで新事業を始めたので、その関係です」
「なるほどねぇ。じゃあ向こうの学校ではどんな感じだった?」
「まあ、ぼちぼちですかね~。あっちはあっちでいろいろあって、楽しかったですよ~」
譲葉はニコニコしながら、李緒の質問に答えていく。それを聞いている桜散。
彼女達を横目に、カークはサラダを口に運んだ。彼はどうにも、こういうガールズトークというものが苦手であった。彼自身の交友関係が狭いということも、無関係ではないだろう。
譲葉とは違い、カークには高校時代友達はほとんど居なかった。せいぜい、休み時間に桜散と話をするくらいか。
もっともそのとき、桜散は高校において高嶺の花のような扱いをされていたため、彼女と気軽に話をするカークは、羨望と嫉妬の目で周囲から見られていたものだ。
「なあカーク。お前も何か、譲葉ちゃんに聞いてみたらどうだ? あるいはお前から何か話題を出してみろ」
一人黙々と食事をするカークに気付いたのか、桜散が声を掛けた。
「いや、特に聞く事も無いよ。許嫁の件も解決したし」
「無粋だなぁ。彼女もお前の友達なんだから、積極的に話をしないと」
「けどよぉ」
彼は話題のレパートリーが少ない。これは他者と交友関係を築くにあたり、どうしてもぶち当たる問題であった。
「むぅ……そうか。なら、仕方ないなぁ。譲葉ちゃん、カークはこういう風に人付き合いに難がある奴でな、結構誤解されやすい」
桜散は譲葉に、カークのことについて話し始めた。
「だが、見る目はある、と私は考えている」
「と、いうと?」
譲葉は不思議そうに、桜散に尋ねた。
「何だかんだ言って、私の我侭に付き合ってくれているし、お人好しでカッコいいところを見せるときもある。私と違って結構アグレッシブな面もあるしな。
それに付き合っていて、不思議と嫌な気分にならない。何というか、私と相性が良いんだ。カークは」
桜散は譲葉に言った。
「何かそう言う風にお前に言われると、照れるな……」
傍で桜散の話を聞いていたカークは、顔を下に向けた。
「桜散ちゃんったら、カークに何かあるとすぐすっ飛んで行くのよ? 放っておけないというか」
李緒がにやにやしながらそう言った。
「なっ、李緒さん……」
彼女の言葉を聞いた桜散は、顔を赤くした。
「ほほう、これはこれは。桜散ちゃん、後でカーク君のことどう思ってるか、もっと『詳しく』聞かせてほしいなぁ」
譲葉もにやにやしながら、桜散を茶化す。
「うぐぐ……」
桜散は苦い顔をした後、グラスに入った麦茶を呷った。
「桜散ちゃん、可愛いですよね?」
譲葉は李緒に同意を求めるように言った。
「そうよねぇ。ほんと可愛いわよね~」
「うぐぐ……」
桜散は顔を下に向け、動けない。すっかり2人の玩具だ。
(うーん、何だろう、微笑ましい? 尊いっていうのかな? こんな気持ちは)
ワイワイキャッキャやっている3人の様子を見たカークはふと、穏やかな気持ちになった。留年以来、こんな明るい雰囲気の団欒は久しぶりだった。
願わくは、このような明るい日々が続きますように。彼は心の何処かでそう願ったのだった。