第21話A『揺らぎ煌く世界(前編)』
[あらすじ]
公園で理正を発見したカークは、彼から桜散が書いたレポートの内容について知らされる。
それを聞いたカークは理正の自宅へ向かうと、桜散の母・桜花と対面するのだった。
第21話A『揺らぎ煌く世界(前編)』
74日目
――――――――――――午前。
9時55分。カークは公園に到着すると、真っ先にベンチに向かう。
するとそこには理正が座っていた。
「おはようございます。理正さん」
カークは毅然とした態度で理正に話しかける。
「おはよう。カーク君。待っていましたよ」
理正も毅然とした態度でカークに話しかける。
「レポートの件について、教えてくれませんか」
カークは単刀直入に話題を切り出した。
「分かりました。話しましょう。桜散のレポートの中身、そしてアレがどういうものなのかを」
理正はカークと目を合わせると、彼にこう問いかけた。
「カーク君。君は並行世界……パラレルワールドという言葉を知っていますよね?」
カークは理正の口から飛び出したという単語に覚えがある。
「パラレルワールド? あの……可能性によって世界が分岐するとかそういう?」
パラレルワールド。カークは理正の口から飛び出したという単語に覚えがある。自分の今居る世界にそっくりな世界が沢山存在し、可能性によって分岐する『IF (もしも)の世界」。SFでは定番の用語だ。
「そうそう、その通りです。
それであのレポートですが、あれはパラレルワールド……並行世界同士を移動するための理論、そしてその方法論について書かれたものです」
カークの反応を見つつ、理正は更に本題を切り出した。
「What’s!? 並行世界を移動するための理論!? ……んな馬鹿な」
桜散がそんな物を書いていたことについてカークは訝しむ。彼女がレポートを書き始めたのはほんの数週間前。そんな高尚な理論をまとめたものがそんなに早くできるだろうか?
……そしてそもそも、そこまで桜散は頭が良かっただろうか?
すると、そんな彼の様子に同調するかのように理正は彼にこう告げた。
「ええ。確かに桜散は賢い子でしたが、あんな高度な論文を執筆できるほどの技量はまだ無いはずです」
「じゃあなぜ?」
カークは理正に尋ねる。すると。
「あれは……おそらく私が書いたものです」
カークの問いに対し、理正は少々自信なさげな様子でこう答えた。
「理正さんが?」
「はい。前言いましたかね? 私は物理学……特に重力理論が専門分野でして。その関係で十数年前に宇宙空間や並行世界をテーマに研究をしていたんですよ。
聞いたことあるでしょう? 一般相対性理論とか、シュレディンガーの猫とか、超弦理論とか」
「A、Ah……」
それぞれの用語の意味について、カークは大体しか知らない。
理正もとっつきやすいと思った用語を選んで例を挙げたが、カークの反応の悪さに気付いたのかすぐに話題を切り替えた。
「あの子が出て行って少し後、私は自分の部屋からある物が無くなっていることに気付きました。
それは未完成の理論をまとめた研究ノートと、査読で却下されたり、私の方で誤りに気付いてお蔵入りにした論文の草稿。
彼女は去り際に私の部屋を滅茶苦茶に荒らして行ったのですが、多分その時に盗んだんでしょうね」
理正は顎に左手を当てる。こうしてみると、考え込む仕草は娘そっくりだ。
「さっちゃが……論文を?」
桜散が理正の論文を盗む。今の彼女からは到底想像できないような所業だ。
「多分私を困らせるつもりだったのでしょう。
ただ、その中にはさっき言った並行世界に関するものがあった」
「なるほどな。つまりさっちゃはその論文を基にあのレポートを書いたって訳か。内容を理解するための知識は必要だろうが、ほぼ完成したものがあるならそりゃ数週間でできるわな……」
桜散の論文が数週間でできたカラクリを理解したカークは、桜散の執筆風景を思い出しつつ口元を歪ませた。
「あの理論は、私的にも良い線行ったと思ってたんですけどね……。最後の最後で式にちょっとした計算ミスがあることに気付いてお蔵入りにした代物なのですよ」
「お蔵入り? ってことは」
「ええ。間違っています。そして彼女はそのことに気付いていない」
理正は左手で頭を掻くと、そのまま首の後ろをもみ、そしてぼんやりと空を見つめる。執筆に長期間かけた論文が計算ミス1つでおじゃんになるというのは相当精神が参るような出来事だったに違いない。全体的に名残惜しそうに語る彼の様子からは、そんな当時の気苦労がうかがえた。
「そういうことか。だから公開すべきじゃないと」
「そうです。更に言えば、あの子は私の論文を無断で剽窃しています。これは研究者生命に関わる許されない過ちです……。どうあれあの子を諭し、止めないといけません」
理正は左手を力強く握りしめながら、カークに対し力強く語りかけた。
「Uhm……正直さっちゃが剽窃をしてたなんて、俺としちゃあ相当ショックだ。……帰ったらしっかり言ってやんねぇと」
理正の話を一通り聞いたカークは、桜散に論文について話すことを決意した。
「そうですね。ところでカーク君。……この後、時間空いてますか?」
カークの決意の言葉に同意した理正は、ここで突然予定が空いているかを聞いてきた。
「ん? 別に空いてるけど……どうしたんです? 理正さん」
理正の突然の問いに、カークは何気ない様子で答える。
「そうですか! それなら、今から私の家に来ませんか?」
「家?」
「はい。それでカーク君、君には妻に……桜花に会って、そして私と一緒に桜散に会いに行くよう説得するのを手伝ってもらいたいんです」
理正は、カークに桜花の説得を手伝って欲しいようだ。
「さっちゃの母さんに!? Ah――、ん……でも、さっちゃのことを嫌ってるんだろ? 桜花さんって」
カークは理正の提案に対し一瞬良さそうな表情をしたが、脳裏に桜散の悲しげな様子がちらつき表情を固める。
桜散が家を出る原因となったのは、桜花による嫌がらせだ。桜散に対する愛を感じられる理正とは勝手が違うような気がする。本当に会わせてよいものなのかカークは迷った。
「そうですね。確かに昔はそうでした。ですが今は彼女も頭を冷やして反省しているので……。
それに、私としては桜散と桜花に仲直りして欲しいんですよ。私だけ仲直りしても根本的な解決にはなりませんしね」
迷うカークに対し、理正は自分の考えを述べる。彼としては、バラバラになってしまった家族を元に戻したいようだ。
「まあ、言われてみれば確かにそうだな。良いぜ……行きます、理正さん。俺も桜花さんに会ってみたいと思ってたし、言ってやりたいことも色々あるからな」
理正の思いを聞いたカークは、彼の意見に同意する。
「ありがとう! カーク君。それじゃあ早速行きましょうか」
「OK! Let’s go!」
2人は公園を離れ、理正の家へ向かった。
――――――――――――午前。
井尾釜市中区、本牧。井尾釜市南東部にある閑静な高級住宅街だ。かつて外国人居住地だったそこは、全体的に異国情緒と落ち着いた雰囲気が漂っている。
理正の家は、そんな街のはずれにぽつんと建っていた。
(Oh, big……! いやlargeか?)
初めて見る桜散の実家、理正の家の様子に、カークは目を大きく見開いた。
理正の家は、2階建ての家屋と道路の間に広い庭があり、入口に簡素な門が付けられている、いかにも「豪邸」といった見た目だった。敷地の広さは大体50坪ほどだろうか。
(ゆーずぅや総一郎の家ほどじゃあねぇが、こりゃたっけぇでしょ)
既に2つの豪邸を見ているカークであったが、3度目となると広さにただ呆然とするだけではなく、その値段・価値が気になるようになっていた。
「あの……理正さん」
「ん? どうしましたか? カーク君」
「こういうの聞くのはアレだと思うんだが……この家って、ぶっちゃけ幾らくらい?」
カークは失礼だと思いつつも、理正に家の値段を尋ねる。ちなみにカークの家は、土地代込みで4000万円ほどだ。ローンはまだ10年残っている。
「この家の値段ですか? えーっと……地価込みでざっと2億くらいでしょうかね?
これでも、庭の面積を広く取るために家自体は小さく安く作ったのですが……。あははっ」
カークに値段を聞かれた理正は、照れ顔になりつつそう答える。どうやら家の設計には彼自身相当こだわりがあるようだ。
「に、2億……おうふ」
カークの家の5倍の値段が掛かっていることを知ったカークは、ここに入ってよいものか躊躇する。下手に何かを壊したりでもしたら大変だからだ。
また、そもそもどうやって理正がこんな場所に住めるほど稼いだのかという疑問が一瞬カークの頭によぎったものの、金の話題が嫌いな彼はすぐにその考えを振り払った。
「……」
家の様子を見て固まるカーク。なかなか入る決心がつかない。すると。
「まあまあ、そうかしこまらずにカーク君。ここで長話も何ですから、中に入りましょう」
豪邸を前に逡巡するカークの様子を見た理正は軽い笑みを浮かべると門を開け、カークを中に招き入れる。理正の後に続くようにカークは門を抜け、その奥の建物に向かった。
「ただいま!」
理正はカークを連れて家の扉をくぐると、軽く一声叫んだ。すると。
「あっ! お帰り理正! ……って、ん?」
奥の廊下から、1人の女性が駆け寄ってくる。女性は非常に長身で、カークより少し小さいくらいだ。おおよそ170cmほどだろうか。
そして髪型は黒のロングヘアで、長さは腰ほどまである。その髪は若干癖がついていた。室内ということもあり、服装は簡素だ。
「ねぇ理正、そっちの彼は?」
女性は理正に対し、彼の隣に居るカークについて尋ねる。
「えーっと……ほら、前言ったでしょう? 彼が、カーク君です」
理正は目の前の女性に対し、カークのことを紹介する。すると……。
「カーク……? あーっ! そういうことね。大体分かった」
女性は少し大げさな身振りで相槌を打つと、カークと目を合わせた。カークも彼女と目を合わせる。
ここまでくれば、カークも目の前の彼女が一体誰なのか察しがつく。
「えーっと……こほん! 初めまして、かな? カーク君。
私は桜花。住吉、桜花ね。理正から君のことは聞いてるよ。宜しく」
桜花はカークに対し、左手をそっと差し伸べた。
「A、Ah……」
条件反射的に、桜花の手を取り握手をするカーク。そして彼は再度桜花を観察する。
(……こいつが、さっちゃの母さん)
カークに対する桜花の言動は、一見すると気さくな様子に見える。このような彼女が桜散をいびっていたとはにわかに信じがたい。
(それにしても……似てるなぁ)
口調は若干違うような気がするものの、癖のある髪といい目つきといい、桜散の面影がある。……いや、桜散に桜花の面影があると言った方が正しいだろう。
それくらい、実際よく似ていた。
「……ん? どうしたのカーク君。私の顔に何かついてる?」
桜花を見たまま固まっているカークに対し、桜花は心配そうに尋ねた。
「あっ! いやっ! 何でもないです」
桜花に声を掛けられ、慌てて取り繕うカーク。
「まあ、とりあえず居間に行きましょう」
理正は2人に対しこう提案した。
「そうね。ちょっと待って。何か用意する」
桜花は理正の提案に軽く返事をすると、廊下の奥へ走って行く。
カークと理正も、靴を脱いでその後に続いた。
「はい! どうぞ。まあ、ゆっくりしていってね」
居間のちゃぶ台に座ったカークに対し、桜花は茶菓子と麦茶を用意した。
「あ、Ah……」
桜花の接待を受け入れるカークであったが、どうにも腑に落ちない。
(そもそも此処には、桜花さんを説得しに来たはずなんだがな。
うーん……こういう感じで招かれると、どう切り出したもんかなぁ)
カークは困惑した。正直彼は桜花に対し、桜散のことで一発ガツンと文句を言う予定であった。だが当の彼女にこう丁寧に接待されると、そんな気持ちも薄れてしまう。
また彼女に桜散のことを切り出すことで、場が気まずくなるのは嫌な気がしてきていたのだ。
すると、そんな2人の様子を少し遠くから見た理正は、桜花に対しこう告げた。
「桜花。カーク君は、君と何か話をしたいようですよ?」
「えっ? そうなの? 分かった」
キッチンで作業をしていた桜花は、理正の言葉でそれを中断し、カークの元へ向かってきた。
(おっ、これは……Good job! 理正さん!)
とりあえず1対1の状況に持ち込めた。カークは理正の行動に内心感謝した。
「えーっと。カーク君。何か言いたいことがあるそうじゃない。どうぞ」
カークの向かいに座った桜花は、早速カークに尋ねる。
「あー、その……」
いざ本人と対峙すると、中々言葉が出ない。流石、桜散への告白に時間を掛けただけのことはある。
彼は息抜きのつもりで、ちゃぶ台上の醤油煎餅を1枚取り出すと、袋を開けて一口齧った。
「……桜散のこと?」
カークがどもっていると、桜花はさっぱりしたようすで彼にこう問いかけた。
「っ!? つっ!」
急に図星を突かれたカークは、煎餅とともに口の一部分を噛んで悶絶した。
「あっ! ごめん! 大丈夫? 口の中噛んだでしょ?」
「い、いえ。大丈夫です」
噛んでしまった部分を舌で舐めながら、カークは桜花に作り笑いを浮かべる。
「そう。……それで、どうなの? 桜散のことで合ってるかな?」
桜花はカークを気遣った後、再度彼に問いかける。
「あ……そ、そうです。それであってますよ。桜花さん」
カークは桜花の問いに答えると、傷口をすすぐために麦茶を一口飲んだ。
「そう……そうよね。理正から聞いてるよ。私の娘と仲が良いんだってね?」
カークの答えを聞いた桜花は、少し横目気味な表情で彼に尋ねた。
「あ、あぁ! そうだよ! だから俺は桜花さん、あんたにいろいろ言いたいことがあるだ!」
「分かってる。要はあの子と仲直りして欲しいってことでしょ? 理正も良く言うよ」
「A、そ、そうだけど……」
自分の言いたかったことを桜花に先に言われ、カークは気分が落ち着かない。
「ふーん。そっか。ふーん……」
すると桜花は、さっきまでの親しげな様子から一転、冷たい表情をカークに向けた。
「な、何か不満でも? あんた、さっちゃの母ちゃんなんだろ? 自分の娘に対して、何か思うこと無いのかよ?」
突如冷たい目線で自分を見てきた桜花に対し、カークは文句を言う。ようやく普段の彼らしさが出てきた。
「……無いと言えば、嘘になる。でも私は、今あの子に会いたいとは思わない」
だが彼の文句に対し、桜花はそっけない様子でこう返した。
「なっ!」
「興味が無い。と言えばいいのかな?
それにあの子だって、私には会いたくないと思うよ?」
桜花には、桜散と会う気が無いようだ。
「でも!」
「ふむ。じゃあこうしようか。君が私を倒すことが出来たら、私はあの子に会うってのはどう?」
桜花は、袋に入った1枚の醤油煎餅を半分に折った。
「What’s!? 何でそうなる?」
桜花の発言に、カークは耳を疑う。
なぜ、ここで彼女と自分が戦わなければならないのだろうか?
「理由は簡単。1つ、君の強さに興味があるから。……魔術が使えるんだってね? ふっ、興味深い」
抗議するカークに対し、桜花は口元で軽い笑顔を作ると、砕けた煎餅を口に運ぶ。先程までの歓迎ムードとは一転、彼女の目線はカークを捉え、グサリと突き刺している。
「そしてもう1つ。私ね、昔李緒さんには色々と『世話』になったのよ。それで、その子供である君にも、色々積もるもの、思うところがあるって訳」
桜花はもう片方の煎餅を口に投げ込むと顎をしゃくる。
キツイ角度の上目遣いでカークを見下ろすその様子は、まるで虫けらか何かを見るようだ。
「OK。分かった。つまり、ただでさっちゃと会いに行く気はない、と?」
桜花に睨まれながらも、カークは必死に言葉を紡ぐ。いろいろ理由を並べ立ててはいるが、桜花に桜散と会う気など微塵も無いのであろう。
そんな彼女の気持ちは、先程から嫌というほど彼に突き刺り続けている。
「ま、そういうことになるね。
で、どうする? 『此処を通してほしければ、私を倒して行け』的な感じだけど……何ならこのまま帰ってもいいんだよ?」
彼に目線を刺しながら口元を歪ませにやにやと笑う桜花。その様子は、正直かなりゲスい。
かくしてカークは、自分の桜花に対する見方が誤っていたことを悟った。
「桜花。カーク君をからかうのは」
桜花のカークへの意地悪な態度を見かねたのか、理正は桜花に忠告しようとする。
だが。
「理正……。貴方は本当に桜散やカーク君の肩を持つのね? 少しあっち行っててよ」
「っ! ……分かりました」
桜花に冷酷を通り越した、殺意に近い目線を向けられた理正は、一瞬ひるんだ後廊下に出て行く。彼にとって彼女のこの反応は予想外だったようだ。
そしてそんな理正の様子を横目に、桜花は再度カークに目線を刺した。
「で、カーク君。どうする? 私と戦うか、このまま家に帰るか」
「俺は……」
カークは少し考えたが、答えはとっくに決まっていた。
「俺は……戦います。悪いけど、本気で行きますよ?」
カークはちゃぶ台から立ち上がりながら、台の向かい側にちょこんと座る桜花を見下ろし、告げる。
照明の光がカークの背後から降り注ぎ、彼の決意に満ちた表情は逆光として桜花の目に飛び込む。
そしてその表情を見た桜花は、一瞬口を少しだけ開けた後、カークに対し強い調子でこう答える。
「分かった。一応言っとくけど、私も本気で行くからね。
……大けがさせちゃったら、ごめんね?」
「……」
カークは桜花に対し、黙って頷く。今度は彼の目線が桜花に刺さった。
「じゃあ早速、と言いたい所だけど」
カークに遅れて立ちあがった桜花は、リビングを見回す。
「家の中は流石に駄目ね。理正が怒るし。外に出ましょう」
「……OK」
カークと桜花は、リビングから庭へ飛び出した。
――――――――――――。
「ふんっ!」
庭に出た直後、桜花は青いボールのようなものを自身の真上に全力で投げつけた。
するとボールのようなものは光り輝きながら弾け、理正の家を取り囲むように不透明な青い壁のようなものを形成した。
「これは……魔術障壁?」
カークはこの壁に見覚えがある。そう……かのジューク・京道の魔術障壁だ。色や模様は異なっているが雰囲気的には、似たようなものを感じる。障壁は不透明で、壁の外側の様子は確認できない。
「へぇ、魔術障壁を知ってるんだね……ってあぁ、京道と戦ったんだっけ?
ま、これで思う存分暴れられるでしょ? 来なよ。君の力を私に見せて?」
桜花はカークに左手の甲を向けると、指をクイッと手前に折り曲げ、挑発する仕草をした。
「分かりました。じゃあ行きますよ!」
カークは桜花に対し両手を向ける。
(ちぃっ! こんなん気が乗らねぇぞ、やっぱり。だがやるしかない!)
カークは迷いながらも、目の前の『敵』に対峙した。
「Ahhhhhh!」
カークは両腕を構えると、桜花目がけて炎弾を1発発射!
「ふっ!」
すると、桜花は左手からジェット水流を発射、炎弾をかき消した。
「……だろうな。なら!」
カークは桜花目がけ走り出す。そして。
「ウリャーッ!」
桜花の目前に手を当て火炎放射!
「グウッ!」
桜花は咄嗟に防御魔術を展開! 身体に青いオーラを纏わせ、その状態でカークの炎を両手で受け止める。ジリジリと、桜花の衣服が焼け焦げる音が響く。
だが、カークの追撃は止まらない。
「こんのー!」
カークは桜花に更なる追撃を加えるべく、両腕の力を強めた。
するとその瞬間、炎は破裂音と共に爆発し、桜花は後方に吹き飛ばされた。
「グハッ!」
そしてそのまま障壁に叩きつけられる桜花。これは有効打に違いない。
「はぁ、はぁ……」
炎を吹き出し終えたカークは、深呼吸しながら桜花を見る。障壁の近くに倒れる桜花の服は、焦げ目でボロボロだ。
(やべっ! やりすぎた)
カークはしまったと思い、桜花に駆け寄ろうとする。
「桜花さん!」
その瞬間だった。
何かが空を切る音が響くと共に、カークの右肩に重い衝撃が走る。
「なっ!」
カークに当たった『何か』は、倒れていたはずの桜花の方から飛来した。そしてそれと同時に、彼の右肩からジワリと赤いシミが広がる。そして。
「ぐうっ!」
少し遅れてやって来た激痛に、カークは左手で右肩を押さえ悶絶する。
右腕は、動かない。
「ふふっ! まさかあれでやられたと思った訳? 油断は禁物だよ……カーク君?」
「Ugg……」
カークは痛みに苦しみながら、目をうっすら開けて正面を見る。
するとそこには、さっきまでの様子が嘘だったかのようにしっかりと立つ桜花の姿があった。
「君の炎、見させてもらったよ。なるほど、確かに悪くない強さだ。成長の見込みを感じる。
でも、あいにく私は炎には強い方だからね。炎は水で消せるでしょ? そゆこと」
桜花は見下ろすようにカークを見つめる。
その様子を、カークは憎らしい視線で見つめた。
(Damn! 何だよ……つかこの攻撃は一体)
カークは右肩を見る。右肩は何かによって貫かれたような傷が出来ており、出血がひどい。おまけに神経をやられたのか、右腕はだらりと麻痺した状態で動かせなくなっている。
(ぐぅ……)
痛みと出血で、カークの思考力は奪われていく。
「……一体何が起こったって顔してるね。良いよ。教えてあげる」
カークと目を合わせた桜花は、さっきカークの身に何が起きたのかを説明し始めた。
「君の右肩を貫いたのは、これだよ」
桜花はその言葉と同時に虚空に青い魔術陣、サークルを展開!
「ぐっ!」
射線はカークを貫かんと狙っていた。カークは咄嗟に足を動かす。
その刹那、サークルから透明な光のようなものが発射され、カークの右頬を抉る!
「ぐあっ!」
カークの頬を抉ったそれは、そのまま家の外壁に当たって弾ける。外壁には透明なシミと、小さな穴が生じた。カークはそれを見つめ、自分に襲い掛かったものの正体を察した。
「……そ、分かったでしょ? 水だよ、水。水属性の、最上級魔術。
君の肩を貫いたのも、今頬を抉ったのも、私が放った高圧水流なんだよ」
壁と桜花を交互に見ながら信じられないという表情をするカークに対し、桜花は補足するように自らの魔術を彼に解説した。
「それにしても、今のを避けるのはすごいね。ちゃんと顔面狙ってたのに。
ま、次は外さないけどね!」
桜花は再度サークルを展開、カークに狙いを定める。
「……Shit!」
今度は複数のサークルが展開されている。全て避けるのは困難だ。
カークは咄嗟に姿勢を低くした。
「ふんっ!」
桜花のシャウトと共に複数のサークルからウォーターカッターが発射され、1本がカークの左足に、もう1本が左わき腹に命中した!
「Ugg! ……」
さらに傷が追加され、うずくまるカーク。もう何というか……色々と限界だ。
「降参しなよ。君はもう戦える状態じゃあないよね?
私としては、もう君の強さは十分分かったし、これ以上戦う理由無いんだよね。
だから……降参して」
桜花は身体の構えを解くと、カークに降参を促す。彼女は戦意を喪失しているようだ。
「……」
うずくまるカークは無言のまま、何も答えない。
「……もう、何も言えない?」
桜花はカークに近づくと、彼を上から覗き込む。相当出血がひどいようだ。
「……じゃ、私の勝ちってこ」
「断る」
直後、うずくまっていたカークは絞り出すような声で、桜花に言い放った。
「……は?」
「断る、って言ってるだろ? 降参するなんて、お断りだ」
「でも」
桜花は心配そうな目つきでカークを見る。
「戦う理由がないって言ったよな? あんた。
あんたはそうなのかもしれねぇけどさ、俺には……ある」
「正気? 一応言っとくけど、そんなに強がったって、もう立ち上がる気力もないってこと、分かってるよ。
これ以上無理すると、君死ぬよ?」
「うるせぇ黙ってろ……。いいか……。俺は、俺はな……何としてでもあんたをぶっ倒して、そんで、さっちゃと……」
「その気は無いって言ったけど?」
「だから……倒すん……だよ!
倒して……力ずくでも……あんたを……さっちゃ……に……。
でねぇと……俺は……俺、は……」
直後、カークはそれまで右肩に当てていた左ひじを、地面に落とした。
「……何で」
桜花はぽつりとつぶやく。カークは答えない。
「……何で、そこまで」
彼女の声は、少し震えていた。
「……あんた、本当に桜散の事」
「……」
桜花の独り言が空しく響いた。
「っ!」
カークからの反応が途絶えたことを見た桜花は、即座に彼に回復魔術を掛ける。
見る見るうちに、彼の傷が癒えていく。
「……」
だが、カークが起きる様子はない。
「ちょっと、ほら。傷は治したわよ」
桜花はカークに語りかけるが、反応はない。
「ほら、傷はどこにもない。ちゃんと治ってる!」
カークの身体を揺する桜花。動きはない。
「……」
返事がない。
「ちょ……。嘘、嘘でしょ……ねぇ、ちょっと! 何か言いなさいよ! カーク君!」
桜花の顔が青ざめた直後だった。
「……あぁ。そうだなっ!」
「……っ! ぐぁっ!」
桜花の顎に尋常でない衝撃が走る! そしてそのまま、彼女は真上に突き上げられた。
「ふんっ!」
上に飛ばされながら桜花は下を見る。すると、そこには桜花に対し憎悪の目線を向けるカークの姿が。彼は右手で、桜花にアッパーカットを決めたのだ。
「さっきの言葉、そっくりそのまま返すぜ。
『あれでやられたと、思ったのか?』 ふっ!」
「ぐうっ!」
してやられたと、桜花は思った。彼は息を殺して待ち構えていたのだ。
自分が彼を治す、この瞬間を。
「Ahhhhh!」
カークは火炎弾を桜花に数発発射! 桜花の強い治癒魔術によって、彼の体力はすっかり元通りだ。
「ちぃっ!」
桜花は空中でジェット水流を放つことで自らの身体を動かし、炎弾を回避! そしてそのまま地面に着地した。
「なるほど……分かっていたのね。私が君を治すって」
桜花は汗をぬぐいながらカークに問う。
「……確証は無かった。正直まじで死ぬのかなって思ったぜ。でも」
「でも?」
桜花の問いに対し、カークはこう答えた。
「理正さんが一緒に居ようとすんだ。あんたには『優しさ』があるって思った。
俺があんたをさっちゃに会わせようとしてるのも、その『優しさ』を信じてるからだぜ」
「優しさ、ね」
カークの答えを聞いた桜花は、何やら複雑そうな顔をする。
「そんでさっき分かった。やっぱりあんたには優しさがある」
「そう? ……殺しちゃったらまずいでしょ?」
「でもさっき、声が震えてたぜ?」
「っ! あれはっ!」
カークに指摘され、桜花は狼狽した。
「Ha! やっぱ似てるな」
狼狽える桜花を見て、カークはにやりと笑った。
「似てる? ……へぇ。血は争えないんだね」
「そうだな」
2人は皮肉めいたやり取りをすると、再び対峙する。
ここで特筆すべきは桜花の変化だろう。先程まではカークを試すような態度で不真面目さ、やる気のなさが目立っていた。
だが不意の一撃で何かが変わったのか、今は彼に対し真剣な眼差しで向き合っている。
「続けようぜ。まだ決着はついてない。仕切り直しだ。
さっき言ったように、俺に負ける気は……無いから」
カークは桜花に対し、さっき彼女が彼にしたように挑発の仕草を取った。
「……そうだね。じゃあ、今度こそ起き上がれないほど痛めつけてあげるよ!」
桜花は強気な様子でまくし立てた。
(さて、どうしたもんか)
カークは考える。一応さっきの戦いで桜花の手の内は大体読めただろう。だが同じ手は二度も使えまい。戦いが終わったら桜花が治してくれるとはいえ、負け判定が下った後では意味がない。
(とにかくあの魔術の威力を何とかしねぇとな)
先程の桜花の最上級魔術は、1発でも動けなくなるほどであった。威力を下げないと話にならないだろう。
(……ゆーずぅがやってたように。やってみるか)
カークは京道との戦いで譲葉がやった様子を思い出しながら、桜花に対し右手を向けた。
そして。
「……はぁーっ!」
桜花に対し、力が抜けるようなイメージを思い浮かべる。
すると、桜花の周囲にはジワリと赤いオーラが出現する。そして同時に、強力な脱力感が彼女を襲った。
「ん? これはもしや……へぇ。やるね」
桜花は感心するような様子で自分の身体を見る。かくしてカークの魔術レパートリーに1品が増えた。
「これでさっきの魔術も怖くねぇ! Hhhhhhh!」
カークは自分に強化魔術を掛けると、桜花に火炎弾を放つ。
「ふんっ! それくらいで私に勝った気? 甘いよ!」
桜花は自分の周囲にサークルを複数展開、再度カークを狙撃しようとする。
「ふんっ!」
カークは地面に火炎放射! 自分の身体を上空に持ち上げ、桜花のウォーターカッターを全弾回避!
理正の家の壁に、複数の銃痕のような穴が開いた。
「Ahhhh!」
宙に浮いたカークは、すかさず桜花目がけ火炎放射をジェットエンジンのように使いながら接近する。
「ちぃっ!」
桜花は地面に対し両手を構える。
すると地面から勢いよく泥水が噴出! カークの顔面に直撃した。
「ぐぼぁ! ……ぺっ! 畜生!」
口に入った泥を慌てて吐き出しながら、カークは地面に激突しないよう火炎放射を調整して着地した。
「逃がすか!」
着地したカークに対し、桜花は左手のジェット水流で追撃! 泥まみれの彼の顔はあっという間に水没した。
「ぐはっ!」
ジェット水流によってカークは押される。
「まだまだ!」
更に桜花は空いた右手を地面に当てる。するとカークの真下の地面が急激に液状化し、彼は体勢を崩しそうになる。
「げぼっ! ぐっ!」
彼は溺れそうになりながらも火炎放射で再度上空へ離脱! 水流と泥を回避した。
「ふんっ!」
桜花は上空のカークに対し複数のサークルからウォーターカッターを発射! 彼を撃墜しようとする。必死にかわすカーク。
チュン! ウォーターカッターのうち1本が、彼を掠った。
「ぐぁっ!」
体勢を崩したカークは失速し、動きが鈍る。
「そーら!」
動きが鈍ったカークに対し、更なる高圧水流による追撃が襲い掛かる。さっきの弱体化で威力が下がっているとはいえ、複数当たっては厳しい。
「フンっ! ぐぅ!」
慌ててカークは火炎放射で移動しつつ右手の炎弾でウォータージェットの軌道を逸らしていく。
とはいえ、このままでは撃墜も時間の問題だった。
(どうする……おそらく次がラストチャンスだぞ)
カークは素早く考える。体力的にここで桜花を倒せなければ負けが見える。
(今までと同じ炎じゃ、さっきと同じだ)
もっと、もっと強力な一撃を桜花にぶつける必要がある。
桜花の攻撃を避けながら、カークはイメージを膨らませていった。
「ほらほら! さっさと当たっちゃいなよ!」
追撃を止めない桜花。
そうこうしている内にカークの炎の勢いも下がっていく。そろそろ限界だ。
(ああもう! やるしかねぇ! うぉぉぉぉ!)
カークは覚悟を決めた。
強い炎。強い炎を今から桜花にぶつける。彼は右手を構えながら、桜花目がけ滑空・落下した。
「Ahhhhhh!」
右手から炎が吹き出る。弱々しい炎だ。だが。
「Ahhhhhhh!」
イメージ……感情……イメージ……。理正の言葉がカークの脳裏に浮かぶ。
彼の感情は今、最高に昂ぶっていた。
「突っ込んでくる。そうはさせるか!」
自分目がけて突っ込んでくるカークに対し、桜花はサークルを複数展開、高圧水流を発射する。
「Ahhhhhh!」
再度カークが叫んだその直後だった。
彼の右手から、炎弾が1発生成され、発射された。炎弾の大きさは直径3mほどと、これまでに比べ非常に大きい物だった。
そしてそれとすれ違う様に、桜花の高圧水流がカークに命中する。
「ぐぁっ!」
カークの首、右肩、左腕、右脚、左膝に水流が次々と当たっていく。
だが火球は、既に彼の手から離れていた。
「あれは……上級魔術!? くっ!」
桜花は巨大炎弾に対しウォーターカッターを放ち、消滅させようとする。
だが炎弾は彼女の魔術を呑み込むと、そのまま彼女目がけて突っ込んできた。
「馬鹿な! 上級魔術なのに! なぜ!」
カークが放った火属性の上級魔術に対し最上級魔術をぶつけているにもかかわらず、彼の炎は消えずに桜花に接近してくる。
「っ! そうか、イメージか! イメージの力か。そういう、こと……か」
桜花が本質を悟ったその直後、彼女に炎弾が命中! 非常に大きな爆炎が発生した。
「ぐぅぅぅぅ!」
爆発で吹き飛ばされる桜花。
だが彼の攻撃はこれで終わらなかった。
「ごはっ!」
爆風で吹き飛ぶ桜花に対し、上から落下してきたカークが命中!
そのまま彼女は、カークと共に地面に叩きつけられた。
……2人が倒れている。先に立ったのはカークだった。
「……」
カークは無言で桜花を見る。彼女の身体はあちこち火傷だらけで、服が焼けて露出した腹部には彼が衝突したことでできた大きなあざがあった。
カークは桜花を抱き起す。
「……大丈夫、か?」
カークが問いかける。すると。
「……はっ、当然、だろう? まだだ、まだ……」
桜花は即座にカークを突き飛ばすと、身体を起こす。
突き飛ばされたカークもとっさに身体を起こす。
2人とも姿勢は四つん這い気味で満身創痍だ。
「しつこいな、桜花さん」
「君も諦めが悪いな。カーク君」
互いに見つめ合う2人。無言で殴り合いが始まろうとした、その直後だった。
「そこまでです。2人共」
接近したカークと桜花の身体は、間に入った理正の両腕によって制止された。
「理正さん……?」
「理正……?」
2人は理正を見る。彼は非常に冷静な態度でこういった。
「この勝負、カーク君の勝ちです」
彼は2人に対し、勝敗の判定を下した。
「俺の、勝ち?」
理正の言葉の意味が分からず首をかしげるカーク。
「待て! どういうことだ理正? 私は、私はまだ……がはっ!」
理性の抗議しようとした桜花であったが、直後に吐血! 口元から赤い血が流れ出る。
「桜花……君はさっきカーク君がぶつかった時に、肋骨が折れましたね。これ以上戦えば、肺に刺さって致命傷になります。もう君は戦えませんよ」
「だ、が……」
無理に言葉を紡ごうとする桜花の口を、理正は左手で軽く塞いだ。
「さっきカーク君が似たような状況になった時、君の治癒魔術で事なきを得ました。
ですが君がそうなった場合は、そうもいかないでしょう。もう魔術も使えないほど消耗しているというのに」
そういうと理正は、左手で彼女に対し治癒魔術をかけ始めた。同時に右手を使ってカークにも治癒魔術を掛ける。
「あ、ありがとう理正さん」
お礼を言うカーク。
実際の所、理正が間に入っていなかったらどうなっていただろうか?
「ぐ……ふ……ふうっ……」
傷が癒えたことで、桜花はようやく喋ることができるようになった。
「大丈夫ですか? 桜花」
理正は桜花の身体を抱き起こすと、彼女を心配そうに見つめた。
「あぁ。痛みは消えた。
それよりも、どういうことだ理正! お前は私より、彼や桜花を取るのか?」
桜花は理正に対し不満げな様子で抗議する。
「取るも何も、君も桜散も私にとっては大切な家族ですよ?」
「だが!」
「君だって、桜散のことは後悔しているのでしょう?」
「それは……」
桜花は理正から目を逸らす。
「だったら、これからやり直せばいいんですよ。まだ遅くはありません」
「でも……」
この期に及んで、桜花はまだ不満な様子だ。意地でも桜散に会いたくないらしい。
「はぁ」
すると、理正はさっきの穏やかな口調から一転、深くため息を吐くと、桜花に対しこう宣告した。
「桜花。君はカーク君と約束したじゃないですか。自分から提案しておきながらそれを破ろうとするとは、失望しましたよ。
これ以上桜散と会う気が無いというのなら、君との婚約を解消しますよ?」
理正は自分の名前が書かれた離婚届を何処からともなく取り出すと、桜花の目の前でちらつかせた。
「なっ! そんな! 待って! それだけは、それだけはやめて! だめっ! 理正!」
すると桜花は必死に両手をバタバタと動かし、彼の手にある離婚届を取ろうとする。先ほどまでの強気な態度から一転、慌てた様子だ。
「なら、カーク君との約束、守ってください。これは私の……私の純粋な頼みです」
「……」
「桜花さん……」
2人のやり取りを見ていたカークは、桜花に対し懇願する様子で語りかける。
「……」
しばらく桜花は理正の腕の中でもぞもぞしていたが、やがて体を起こし、カークにこう告げた。
「……分かった。分かったよカーク君。この勝負、私の負けでいいよ。
それで、約束だけど……こっちも君の言う通りでいい。桜散と、会うよ」
「っ! 本当に!?」
カークは桜花の言葉に目をキラキラと輝かせる。
「本当……だよ。流石に理正にああも言われちゃったら、ねぇ?
それに、本当にごめんね。全部私が悪いってのに、さっきは痛い目に合わせちゃって」
カークに対し謝る桜花。その様子はどこか女々しい感じで、初対面の時に似ていた。
「い、いやぁ。大丈夫ですよ。分かってくれたなら、それでいいですよ」
カークは照れながら桜花に応対する。
こうしてみると、やっぱりかわいい人だ。彼はそう思った。
それからしばらくして、魔術障壁が解除された。
「しっかし……随分とやってくれましたね、これは」
カークと桜花の戦いでボロボロになった庭を見ながら、理正はため息を吐いた。戦闘の余波は家屋の方にも及んでいる。
「あっ! そ、そのっ! ごめん理正!」
落ち込む理正に対し、慌てた様子で頭を下げる桜花。
「いいですよ。家の方も修理しないといけませんが、この辺は今度にしましょう。
今はそれよりも……」
理正はここでカークの方を向いた。
「カーク君。桜花を説得してくれてありがとう。君ならやってくれると思っていました」
カークに対し深々と頭を下げる理正。
「あっ、いやっ、どういたしまして」
カークも理正に対し深々と頭を下げた。
「そういえば、さっきは何で俺と桜花さんの戦いを黙って見てたんだ?」
ここでカークは、ふと疑問に思ったことを理正に尋ねる。理正は桜花に睨まれて廊下に出て行って以来、ここまで姿を見せることは無かった。カークが死にそうな目にあっている中で一体何をやっていたのだろうか?
「彼女は君の力を知りたがっていました。桜花はああいう風になると歯止めがきかないんですよ。意地でも知りたがるというか、止めても無駄というか……。
なので、無理して止めるよりも実際に体験させた方が結果として損害も小さくなる。そう考えたんです。いざとなったらさっきのように止めるつもりで、物陰から見てました」
「そうかよ……。正直、もっと早く来てほしかったぜ」
「Uhm、すみませんね……」
カークの苦言に対し、理正はきまりの悪い顔をした。
「あと……桜花さん」
「何? カーク君」
カークは次に桜花の方に顔を向ける。
「何で、さっちゃの事が嫌いなんだ? ……理由が、知りたいです」
「っ! そ、それは……」
すると桜花は恥ずかしそうな顔をしながら、両手の指をこすり出した。
「……」
カークは答えを待った。すると。
「そ、それは。……何というか、見ていてイライラしたというか。その」
「イライラした? そりゃまたどうして」
カークは更に彼女を追及する。
「と、とにかく見ていてアレコレ気になっちゃって。それで……」
「桜花は桜散にとにかくやたら厳しくしてたんですよ。あれこれ口出ししたり」
「なっ! 理正!」
理正に補足され、桜花は顔を赤くした。
「Hh? ……意味わかんねぇ」
上手く理由を説明できない桜花に、カークは彼女を訝しんだ。
それから少し間を置いて、桜花は更に恥ずかしそうな様子でカークに更なる理由を語り出した。
「それに……あの子が生まれてから、ずっと理正はあの子に構うようになった!
小さい頃から一緒に遊びに行ったり、……お風呂に入ったり」
「What’s!? お風呂!? どういうことですか? 理正さん!?」
桜花の口から飛び出した言葉に、カークは仰天する。彼は理正が幼き桜散に、何か不埒なことをしたのではないかと疑念を抱いた。
「い、いや! 彼女の言うことは本当ですが、桜散が子供の頃の話ですよ? 小さい子供が親と一緒にお風呂に入るなんて普通じゃないですか。何もやましいことなんてありませんよ」
理正は極めて真面目な様子でカークの追及に答える。
それを聞いたカークは若干の疑念を残しつつも、彼の良心を信じることにした。
「Hh……。それで? 桜花さんはさっちゃのせいで、理正さんとの時間が減って、それで気分を害したと?」
「……まぁ。そんなところね。私は精々小学生くらいまでだと思ってたわ。理正と桜散の仲の良さは。
でも! あの子は中学生になっても理正と仲が良かった! ちょうどその頃私も仕事が忙しくなって、ストレスがたまって行って……そして」
桜花はそこで顔を下に向けてしまった。
「それでさっちゃにきつく当たったのか。そんでもって、さっちゃは理正さんに助けを求めたけど冷たく対応されて。なるほどな、大体流れが見えて来たぞ……。
それにしてもさっちゃ、昔は理正さんの事が本当に好きだったんだな。意外だわ」
カークは住吉家の家庭事情にウンウンとうなる。今まで分からなかったことが明らかになると、やはり気分が良いものである。
「あとねカーク君。私はね……これは理正から聞いたことあるかもだけれど、元々は九恩院家のお嬢様だったの。あの九恩院家よ? 知ってるよね?」
桜花は、カークに対し身の上話を始めた。
「分かるぜ。さっちゃとゆーずぅ……譲葉は従姉妹同士なんだろ?」
「そうそう。ってことは、雪とも会ってる?」
桜花の問いにカークは頷く。
「そっか。あの子……昔っから私なんかを慕ってくれている、良い妹だと思うよ」
桜花は妹、雪への思いを呟いた。
「それで話を戻すけれど、私は昔父さんに勘当されてね。まぁ、あの頃の父さんは色々苛立ってて、すごい様子がおかしかったんだけど……。
『女が化学なんて』って言われて、私も滅茶苦茶腹が立っちゃってね。
そんであいつの顔面を1発ぶん殴ってやったら、そのまま家を追い出されちゃったって訳」
「……」
桜花は昔を懐かしむような、悔やむような、そんな複雑な表情でカークに話を続ける。カークは彼女の話を黙って聞いた。
「それでね、何というか、何だろうね? 桜散に妬いちゃったのかな? 私。
あの子が理正と同じ物理学者になるって言いだしたとき、すごいイラっとしたのよ」
「……自分と違って、父親に対して自由にモノを言って、それを肯定してもらえるのが羨ましかった?」
桜花に問いかけるカーク。
「そうかもね。うん、きっとそういうところも、あの子に対して抱いていたんじゃないかな? 私は」
「……そうか」
カークは物哀しげな様子で俯く桜花に、それ以上何も言えなかった。
――――――――――――午後。
その後3人は荒れた庭を片付けた。といっても簡単なごみ掃除と掃き掃除位であり、大きな損壊は後日業者に頼んで修理してもらうことにした。
「それじゃあカーク君。その、桜散の所に行こうか?」
桜花は恥ずかしそうな様子でカークに尋ねる。その表情は、どこか憑き物が取れたようであった。
「そうですね。……今からでいいかな? 理正さん」
カークは理正に問いかける。ここからカークの家までは電車やバスを乗り継ぐ必要があり、かなり距離がある。
「私は構いませんが……李緒さんはどうでしょうかね? 確認お願いします」
理正は時計を見る。今の時刻は14時だ。李緒の家に着くころには大体16時くらいになっているだろう。
「母さん? たぶん大丈夫だとは思うぜ? まあ、念のため電話しとくか」
カークは携帯を取り出し、自宅に電話を掛けた。
ppp……ppp……
『もしもし? カークだけど?』
『あっ! カーク! ちょうど良い所ね。
そっちに、桜散ちゃん居る?』
李緒は何やら慌てた様子でカークに問いかけた。
『さっちゃ? 居ないけど、どうしたんだ? まさか居なくなったのか?』
『そのまさかよ! 昼ご飯できたから呼ぼうと思ったら、部屋から居なくなっていて』
電話越しに慌てた様子の李緒に対し、カークは呆れた様子でこう言った。
『あのさぁ母さん。あいつもう大学生だぜ? ふらっと家を出ることくらいあるだろ』
カークは桜散が時折外出してゲームセンターなどに行っていることをもう知っている。そのため特に気にしない様子だったのだが……。
『いつもの様子ならね。でも、今日の桜散ちゃん。何か様子が変だったのよ』
『変? さっちゃの様子が?』
『何というか……心ここに有らずというか。……ドス黒い闇を感じたというか。
カーク、できれば帰りながらでいいから桜散ちゃんを探してくれないかしら? すごく……嫌な予感がするの』
李緒はカークに、可能であれば桜散を探すよう頼んだ。
『分かった、母さん。帰りつつ探してみるわ』
『ありがとう! よろしくね! それじゃ』
李緒は電話を切ろうとした。
『あっ! 待って母さん!』
電話を切ろうとした李緒を慌てて止めるカーク。
『ん? どうしたの? そう言えばあんたの方から掛けてきたんだったわよね。何かあったの?』
ここで李緒はようやくカークが何か用件があって電話を掛けてきたことを思い出す。
『いや、それが。まあさっちゃの事とも関係あるんだけど……。
これから理正さんと、それから桜花さんと一緒にそっちに行こうと思ってるんだけど、いいかな? 俺はさっちゃを探すから、先に2人に行ってもらおうかなって思ってるんだけど……』
カークは李緒に対し、これから理正と桜花がそっちに向かうことを話した。
『理正君と桜花ちゃんが!? うんうん、良いわよ。大歓迎』
『OK。じゃあよろしく頼むわ』
『はいはい。それじゃあ、また後でね』
『ああ』
電話は切れた。
「どうしましたか? 桜散に何か?」
電話を終えたカークに対し、理正は心配そうな様子で尋ね、桜花は心配そうな様子で見つめる。
「それが……どうやらさっちゃが居なくなったらしくて」
「何だって!」
「えっ……」
カークの言葉に驚く2人。
「それで俺は、今からさっちゃを探しに行こうかなと思ってて。
お二人には、先に俺の家に向かってもらおうと思ってるんだけど、いいか?」
カークは事情を話した。
「私も行きますよ、カーク君」
「えっ、でも……」
「桜散が居なくなった時、どんな様子だったか聞きましたか?」
理正は桜散の失踪について何か心当たりがあるのか、カークに詳細な状況を確認してきた。
「えーっと……何だか不穏な感じ、『ドス黒い闇』を感じたって、母さんが」
カークが李緒からの言葉を理正にそのまま伝えると、理正の顔が青ざめる。
「何っ!? まさか……いや、そんな」
桜散の状態を聞かされた理正は、何やら動揺している。
「えーっと、なにかあるんですか? 母さんは嫌な予感はするっていってたけど……」
「その嫌な予感は的中していると思いますよ。カーク君。急いで、あの子を探しましょう!」
理正は居ても立っても居られない様子だった。
「あの……えーっと、私は」
カークと理正が話をしているところに、申し訳なさそうな様子で桜花が話しかけてくる。
「桜花、君は先に李緒さんの所へ行ってくれ」
「えっ! で、でも、私も」
自分も桜散の捜索に協力すると名乗り出ようとした桜花に対し、理正は小声でこう耳打ちする。
その声は、彼女自身が聞き逃しそうになる程小さかった。
「今のあの子に、下手な刺激をするとまずい。……に……暴……険が」
「っ! ……分かった。じゃあ、先に行ってるね。気を付けて理正」
「ああ。君も李緒さんによろしく頼む」
「分かった」
桜花は荷物を持つと、2人より先に家を出た。
「じゃあ私達も行きましょうか。……あの子が行く場所に心当たりは?」
「心当たりって言っても……とりあえずゆーずぅや総一郎に応援を頼もうと思います」
カークは、とりあえず2人に連絡しようと考えた。人探しなら彼らの力を借りた方が良いだろう。
「分かりました。それと……君に少し聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」
「Ahn? い、良いですけど……」
カークと理正は、庭先に腰かけた。
「桜散が普段つけている髪飾り、ありますよね?」
「髪飾り? ああ。あれが何か?」
理正が聞いて来たのは、桜散が普段身に着けている黄色の髪飾りについてであった。
「あれ、どうやって手に入れた物ですか?」
「どうやってって……あれは俺が宝石店で買ったけど」
あの髪飾りは、カークが桜散の誕生日プレゼントに買ったものだ。安物を買ったことを彼女に見抜かれ恥ずかしい思いもした。
「宝石店!? 本当ですか? まさか……そんなところにあったなんて!」
理正は左手で額を軽く叩いた。しまった、という仕草だ。
「あの、理正さん。さっちゃの髪飾りに何か?」
「気づきませんでしたか? カーク君。あの髪飾りは……E2Cですよ?」
理正はカークに対し左手の人差し指を向けた。
「E2C!? あの、理正さんが使ってる」
E2C。感情を魔力に変換する装置。理正が魔術を行使する際に使っているものだ。
「そうです。私が使っているのは古いもので、実際のE2Cにはもっと小型な、いろんな形のものがあるんです。例えば腕輪とか、髪飾りとか……指輪とか」
「腕輪、髪飾り、指輪。 ……ん? 指輪?」
指輪。この言葉を聞いたカークの脳裏に、ある話が想起される。
不思議な指輪で催眠魔術を行使した末に暴走した少女の、話を。
――――――――――――。
「あの指輪、いったい何なんだろうな?」
「彼女が言っていた通り、あれも魔術、なんでしょうかね?
それにしては、僕達が使っているものとは、些か様子が異なっているようでしたが」
「そうだね。私達が使う魔術って、何かを攻撃するくらいしかないけど、あれは補助魔術みたいなもんなのかな? 何というか、催眠術とか、洗脳って感じだよね」
「催眠魔術、か。いくらでも悪用可能だし碌な力じゃないな。
ただ彼女の場合、良心があるおかげで何とか平和が保たれているように見えたな」
「でも、俺達の魔術は特別なアイテムとか必要ないぜ?」
「素養の無い人でも、魔術が使える、不思議な、道具。そう言う話を、どこかで、聞いたことが、ある。彼女の指輪は、そういうもの、なのかも?」
――――――――――――。
「カーク君?」
突然固まったカークに声を掛ける理正。
「あっ! いや! それで、さっちゃのあれがE2Cだとして……何があるんだ?」
後味の悪い記憶を思い出したカークであったが、それを振り払おうと理正に問いかける。
「カーク君。李緒さんは、彼女にドス黒い闇を感じたんですよね?」
「らしいぜ」
カークは理正の問いに頷く。
「E2Cは感情を魔力に変換する装置。魔力の素養のない人間でも魔術を使えるようにするまさにマジックアイテム、奇跡の装置です」
素養のない人間でも、魔術を使える。再度のフラッシュバックに、カークは胸騒ぎを覚える。
一方そんな彼の様子を知ってか知らずか、理正はこう続ける。
「ですが、『元々魔力の素養がある人間』が所持していると、暴走する危険性があるんですよ」
「暴走!?」
カークも李緒同様、嫌な予感がしてきた。
「はい。E2Cは感情を魔力に変えますが、魔力の素養がある人間が持つと、感情から魔力を延々と増幅する、言うなれば高速増殖炉のような働きをするようになるんです」
「魔力を……増幅? すると、どうなるんだ?」
急かすように問いかけるカークに対し、理正は落ち着いた態度で話を続ける。
「E2Cによって魔力が増幅されると、それに応じてE2C使用者の負の感情も強まって行きます。魔力は感情に起因する力なので、強い魔力は逆に感情にも影響を与えるんです」
「……」
無言で理正の話を聞くカーク。彼の表情は固まったままだ。
「そうして負の感情と魔力が延々と増幅されていくと、あるところで臨界点に達し、そして暴走します」
「それで……どうなるんだ?」
カークは理正の話の続きを聞きたくなくなった。
だがこれから起こりうることを考えれば、聞かねばなるまい。
「すると、E2Cの中心部に封入されている、魔力の根源というべきナノマシンが制御不能になって爆発的に増殖し、やがて使用者の肉体と精神を食らいつ」
「理正さん」
突如沈黙を破り、理正の話に割り込むカーク。
「もしかしてとは思うんだが、そのE2Cが暴走して、使った奴の体と心を食らっちまったのが……」
カークにすら、もう先の展開が読めてしまっていた。
読めてしまっていたからこそ、理正の話を中断させた。
「……」
理正は、カークが既におおよそ理解していると考え話を打ち切ると、最後にこう結論付けた。
「……そうです。カーク君。それこそが『仮面の怪物』。
自らの感情に飲まれた魔術師の、成れの果てです」




