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The Memoirs 9th(回顧録 第9部)「これが、世界の選択か」  作者: 語り人@Teller@++
第三章「世界革命の呼び声/筋違いのハッピーエンド」
20/38

第18話『筋違いのハッピーエンド』

[あらすじ]

 暴漢に襲われ意識不明となった総一郎。要に屋敷へ呼び出されたカークはお礼の言葉を伝えられるが、要に対し総一郎を愛しているか否かについて改めて確認する。

 その一方でカークは、総一郎の見舞いや要・譲葉との会話を経て、桜散と今後どのように付き合っていくかについて考え始める。



第18話『筋違いのハッピーエンド』

53日目

――――――――――――朝。

 朝。カークと桜散はリビングで朝食を食べていた。

「……」

「……」

 黙る2人。広間には重い空気が漂っている。ちなみに李緒は既に仕事で外出済みだ。

「なぁ、さっちゃ」

 沈黙に耐えかねたカークは、ついに口を開く。

「何だ? カーク」

「その、えーと……」

 カークが切り出そうとした話題は、総一郎のことだ。

 昨日瀕死の状態で病院に運ばれ、未だに目を覚まさぬ彼……。

 爽やかな初夏の香り漂う朝に、2人がこんなにどんよりしているのも、このことがあったからに他ならない。

 カークは桜散に総一郎についての話題を出そうとしたが、思わず躊躇ってしまった。まるでその話がタブーであるかのように。


「……心配するな。あいつは、総一郎はそんな柔な奴じゃない」

 そんなカークの様子を見て、何を聞こうとしていたかを察した桜散は、安心させるように呟いた。

「そ、そうだよな! だよな……」

 カークはやはり気になるようだった。

「お前が気に病むことなんて何もないぞ? そもそも、あいつがヤケを起こして路地裏なんぞに行かなければあんなことにはならなかったんだ。ある意味、自業自得と言えなくもない」

「で、でもよ」

 まだ不満げな様子のカークに対し、桜散はきっぱりとこう言った。

「とにかく! 今は総一郎の回復を信じよう」

 朝食を食べ終えた桜散は、キッチンの流しに食器を運んだ。


「……正直、私もこういった事態には慣れてない。内心すごい動揺しているぞ?」

 食器を洗いながら、桜散はカークに対し本心を吐露する。

「……そうだな」

 カークは桜散の言葉に一言返すと、食器を片づけ自室に戻った。


 ppp……ppp……! 自室でインターネットを見ていたカークの元に、電話がかかってくる。

 差出人を見ると、譲葉からのようだ。カークは電話を取った。

「もしもし。カークだけど? どうした、ゆーずぅ」

「あ、カーク君。おはよう。あのさ、ちょっと話がしたいんだけど、時間良いかな?」

「別にいいけど……。どうした?」

 カークは譲葉の話に耳を傾けた

「その、さ。総一郎君のことなんだけど……」

「うん。総一郎、がどうした?」

 譲葉の話の内容は、今の総一郎についてであった。結局、まだ意識は戻ってないらしい。


「どうしよう。私がもっと早く、治癒魔術を使えていれば……」

 電話越しの譲葉の声に、軽い嗚咽が混じっている。

「おいおい、泣くなよ」

「でもぉ……」

「仕方ないだろ。やれることやってあれなんだからさ。ゆーずぅは悪くない。……気に病むことなんて、何もないよ」

 カークは先程の桜散の言葉を引用しながら、彼女が彼にしたのと同じように譲葉をなだめた。

「カーク君……。うぅ……ありがとう、ありがとね」

「ああ。どういたしまして」

 譲葉が落ち着いてきたところで、カークは彼女と軽い言葉を交わし通話を終えた。


「ふぅ……」

 カークは電話を机に置くと、ベッドに寝転んだ。

(ほんっとやばいことになっちまったなぁ……。はぁ、総一郎……)

 気丈に振る舞い譲葉をなだめたものの、カークも彼女同様、自分の処置に至らぬところがあったのではないかと気に病んでいた。桜散にはああ言われたものの、気持ちの踏ん切りが、中々つかない。

(息が止まってたのがまずかったんだろうなぁ。一応生きてはいるけど、脳に障害が残ってたりでもしてたらなぁ)

 天井を見つめるカークの頭に、鬱屈した感情とともに最悪の結果がよぎった。

(俺も、治癒魔術使えたらなぁ)

 無理なことだと分かっていても、たらればが頭によぎる。

「はぁ……」

 カークの深いため息が、彼の部屋中に響いたその時だった。


 ppp……ppp……! 再び、彼の電話が鳴った。

「ん、んん!? 何だぁ? またゆーずぅかぁ?」

 カークは差出人を見る。するとそこには、電話帳に未登録の番号が。

(知らない番号だな……って、ちょっと待てよ)

 その番号に、カークは見覚えがあった。急いで着信履歴を見る。

(あっ! これは総一郎の屋敷の電話番号だな? やっべ登録忘れてたわ)

 電話が総一郎の家からであることに気付いたカークは、慌てて電話を取った。

「あっ、あの! もしもし! すみません、カークです! カーク、高下です」

「カーク様! おはようございます。私です、要です」

 電話の相手は要であった。やはり、総一郎の家で間違いないようだ。

「要さん。すみません、番号の登録忘れてたんで、危うく出ないとこでした」

 カークは自分の不備を謝罪する。

「いえいえ。私も、ちょっとそのことについて伝えるのを忘れていましたので、迂闊でした」

 彼の謝罪に対し、要もつられるように謝った。


「それで、用件は一体?」

 落ち着いたところで、カークは要に本題を尋ねた。

「あっ、はい! 今日、時間は空いてますでしょうか?」

「今日は……空いてます」

 要の問いに、カークは答えた。

「そうですか。それでしたら、この後こちらに来ていただけませんでしょうか? あなたとお話がしたいのです」

 要は、どうやらカークと話をしたいようだ。

「お時間を頂くことになり失礼なのはわかっておりますが、来ていただけますか?」

「……」

 カークは少し考える。今日は、暇だ。行っても特に問題は無いだろう。

「要さん。俺、行きます。そっちに、行きます」

「っ! ありがとうございます! カーク様。それでは、時間帯はいつ頃が宜しいでしょうか?」

「午後の1時頃、そちらに伺います。……それでいいですか?」

 待ち合わせの時間を聞く要に対し、カークは即答した。

「はい、それで大丈夫です。それでは、お待ちしておりますので、今日はよろしくお願いしますね」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします、要さん」


 その後カークは昼食を食べ、1人で総一郎邸に向かった。


――――――――――――午後。

「で、話とは一体?」

 総一郎邸に到着したカークは、要に案内されながらリビングへ向かった。

「……総一郎様のことです」

「なるほど、ね」

 予想はしていたが、やはりか。カークは身構えながら、リビングのドアを開けた。

「総一郎のご両親は?」

「旦那様と奥様は、朝病院へ向かい、その足で仕事へ向かわれました」

「……そうですか。それで、総一郎のことで、何か?」

「はい。総一郎様は、まだ意識が戻っておりません」

「でしょうね」

 あんな状態だったのだ。すぐに意識が戻るとは思えない。

「それで、旦那様と奥様からの伝言を預かっております。……総一郎を助けてくれて、ありがとう。だそうです」

「そうですか。正直もっと俺達が早く探し出せていれば、こんなことにはならなかったと思います。俺としては、悔やんでも悔やみきれない!」

 総一郎の両親からのお礼の言葉を伝えられたカークは、とうとう内に溜まっていた気持ちが口に出た。


「総一郎はさ、俺みたいなやつにも気さくに話をしてくれる、良い奴なんです。大学で騒動があった時も、真っ先に俺のことを庇ってくれたし、俺の話を信じてくれた。そんな、良い奴だったってのに……」

 カークはそう言うとリビングの椅子に座り、テーブルに両肘を付け、両手を顎に当てたまま俯いてしまった。

「カーク様……。それを言うなら! 私だってそうですよ!」

「っ!」

 そんなカークに対し、要は叫ぶ。

 突然の大声に対し、カークは顎を付けた姿勢のまま要の方を向いた。

「私は、ずっと気づいていました。総一郎様の気持ちに。

 でもそれを私は、ずっと聞かなかった振り、見なかった振りしてきました。

 もっと早く、私がしっかり彼の気持ちに答えていれば……!」

 ポニーテールのメイドは、涙目になりながら下を向いた。

 そんな彼女の様子を見たカークは一言、要に問う。

「要さん。貴方は、総一郎のこと……好きですか?」

 彼の問いに対し、要は黙って首を縦に振る。

「それは、Love、ですか?」

 LikeかLoveか。

 この答え如何によっては、仮に総一郎が意識を取り戻したとしても、彼には絶望の道しか残らない。

 カークは要の答えを、黙って待った。


 そしてついに、沈黙がリビングを支配して1分ほど経った時。要は顔を上げ、カークと目を合わせた。

 それを見たカークも椅子から立ち上がり、彼女の方を向いた。

「カーク様」

「……」

 さあ、答えの時だ。

 カークは黙って、彼女の答えを見届けんとする。

「私は、要 弥代は、高良 総一郎のことを……」

「……」

「……愛しています。Loveです」

「……ほっ」

 要の答えに、カークは胸をなで下ろす。やっと、やっと聞き出せたのだ。

 そしてその答えは、希望の道標となるだろう。これなら、総一郎には幸せな道が約束される。

 彼は親友の未来を、心より祝福した。


「気持ちに気付いたのは、彼が私を見て顔を赤くした頃でしょうかね。あの頃から何となく、私達の関係は変わっていたのだと思います」

「そうですか……」

 彼が余所余所しくなったのを見て、己の恋心を自覚したということだろうか? カークは実例を知らないため、フィクションの類例からそう推測した。

「本当に、手が掛かって仕方ないお方なんですよ? 思い込むと、止まりませんしね」

 要は恥ずかしそうに顔を赤らめしながら、カークに総一郎の性分を語った。

「それは俺も今回の件で初めて知りました。でも、知ることができて良かったと思ってます。

 あいつの知らない一面を知ることが出来たというか、何というか」

「ふふっ、そうでしたか。……本当に、良い友達が出来て良かった。ありがとうございます、カーク様」

 要はカークに対し軽く会釈した。

「お礼はこちらこそですよ、要さん。貴方の気持ちを聞くことが出来て、ようやく安心できた気がします。本当に、総一郎のこと、頼みます!」

「はい! 頼まれました」

 一礼するカークの頭を、要は優しく撫でた。


「今日はありがとうございました。私めの話を聞いていただくために態々来ていただいて」

「いえいえ。良いってことです。何度も言いますが、俺はあいつの親友ですから」

 来る前とは一転、爽やかな笑顔で要に向き合うカーク。

「今度、総一郎の見舞いに行きます。……またなんかあったら、連絡お願いします」

「分かりました。それでは、お気をつけて」

「はい。さよなら、要さん」

 要に見送られながら、カークは総一郎邸を後にした。


――――――――――――。

「……はぁ」

 カークの姿が見えなくなったのを確認した要は、1人ため息を吐く。

(カーク様に、言ってしまいました。……私も腹を括る時が来たのかもしれませんね)

 そして彼女は何かを覚悟すると紫色の空を見上げ、虚空に1人呟いた。


「……申し訳ございません、お嬢様。私は、総一郎様のお気持ちを優先してさしあげたいのです。

 どうか何とぞ、私の裏切りをお許しください」

 要の独り言は誰に聞こえることなく、彼女の視線同様に黄昏の空へ消えて行った。


――――――――――――夜。

 夜。カークは桜散、そして李緒と共に夕食を食べていた。

「そう言えば、今日カークは総一郎の家に行ったんだよな。どうだった?」

「あら? そうなの? 私も聞きたいわね」

 夕食中の話題は、総一郎の家についてであった。

「えーと、そうだな……」

 カークは2人に対し、総一郎の両親が自分達に感謝していること、要は総一郎のことを愛しており、相思相愛であることを話した。


「そうか。というか、ようやく聞けたんだな。彼女の話を」

「そうだな。とりあえず、俺はほっとしたよ。もしあれで総一郎の気持ちが通じないなら、あいつ、救われないじゃん」

「そうだな」

 桜散はそう言うと、コップに入った麦茶を飲んだ。

「ふーん。総一郎君と使用人の女の子がねぇ……。まるで祥仁君と沙祐里ちゃんみたいじゃない。親子って、やっぱり似るものなのかしらねぇ?」

 カークの話を聞いて、李緒は祥仁と沙祐里のことを思い出す。

「そう言えば、李緒さんは総一郎の両親と知り合いだったって聞きました。お2人はどのような感じだったんですか?」

 総一郎の両親がどんな人物なのかを李緒に尋ねる桜散。それに対する李緒の回答は。


「そうねぇ……。あの2人は、一言でいえばかかあ天下ね。沙祐里ちゃんの方が力関係は上なの。祥仁君が彼女に注意されているところを何度か見たわね」

「へぇ」

 李緒の言葉に頷く桜散。

「じゃあ総一郎と要さんも似たような感じだな。あいつもしばしば、要さんに怒られてるっぽいから」

「ほほーう。それじゃ、そこのところをもっと色々知りたいわね~。

 カーク、もっと何か知らないかしら? その、総一郎君の好みとか、好きな女性のタイプとか」

「えぇ~!? そうだなぁ。あいつは年上の女性が好きみたいで、それで……」

 息子とこうやって話をするのが久しぶりで、かつ話題が珍しかったためか、今日の李緒はカークの話を興味深そうに聞いてきた。

 まさに家族の団欒とはこのことなのだろう。カークは李緒に話をしながらそう思ったのだった。



54日目

――――――――――――正午。

 月曜日。カークは1週間ぶりに大学に来ていた。

 警察による学内の捜査も一段落し、ようやく授業が再開された大学。学内には報道関係者の姿が多数みられるものの、周囲はおおよそ落ち着きを取り戻しつつあった。

 とはいえ、カークは総一郎のことが気になり講義に集中できなかったのであるが。


 そして昼休みになり、カークは食堂へ向かうべくメインストリートを歩いていた。

 すると、彼の目前数十メートル先にマスコミ達の姿が。

(げげっ! あれは面倒だな)

 そう思ったカークは近くの階段を上り、食堂への道を迂回した。


「ふぅ……」

 カークは何とか食堂に辿り着き、昼食を食べていた。

(1週間ぶりとはいえ、こんな騒がしいのは初めてだな)

 そんなふうなことを考えながら、彼が席を立とうとしたその時であった。

「あら、カーク、1週間ぶり、ね」

 突如カークの隣席にアレクシアが現れ、彼に話しかけてきた。

「おっ。こんにちは」

 カークは一瞬驚いたような顔をした後、彼女に挨拶を交わした。

「隣、いい?」

「いいぞ?」

 アレクシアはカークの隣に座った。


「……総一郎のこと、聞いた。……譲葉から」

「そうか」

(そういえば、アレクシアは来てなかったんだよな。あの時)

 カークはそんなことを考えながら、彼女の話を聞く。

「私、総一郎に、同情、するわ」

「ほう? そりゃまたどうして?」

 真面目な態度で総一郎について話すアレクシアに対し、カークは気になって尋ねた。

「想い人に、振られたんでしょう?」

「あいつの思い違いだけどな」

「でも、思いが届かないのは、辛いもの、よ? 彼の心中、察するに余りある、わね」

「そうか……」

 想い人に振られた(と思い込んだ)総一郎に対し、アレクシアは何か思うところがあったようだ。

 左手を力強く握りながら力強く語る彼女にカークは気迫され、ただただ相槌を打つばかり。

「ずいぶんとあいつに肩入れするんだな。自分にも何か? 思い当たる節がある?」

 カークがさりげなくぶつけた問いに対し、アレクシアは目を閉じ、こう言った。

「そうね。……節は、ある。でも、それが何かは、貴方に言えない、わね」

「そっかぁ」

 総一郎に同情した理由を、アレクシアは話してくれなかった。


「さて、そろそろ昼休みも終わるんで、俺はこれで失礼するわ」

 カークは時計を見る。そろそろ戻らないと午後の講義に遅れる。彼が席を立つと同時にアレクシアも席を立ち、こう切り出した。

「放課後、私と一緒に、見舞い、行きましょう? ……総一郎の」

「見舞い? 分かった」

 こうしてカークは、放課後アレクシアと一緒に総一郎の見舞いに行くことになった。


――――――――――――放課後。

 そして放課後。カークは大学の正門でアレクシアの到着を待った。正門で待っていたのは、アレクシアにそう指示されたからである。

(まだかなぁ……)

 じっと待つカーク。


 しばらくすると、メインストリートからアレクシアがやって来た。

「おまたせ。さあ、行きましょう?」

「お、おう……」

 カークは、アレクシアと2人きりで病院へ向かった。


(……なーんか、後ろめたい気持ちになるなぁ)

 病院へ向かいながら、カークは桜散のことを考えていた。彼女に黙って、アレクシアと一緒に行って良かったのだろうか? 彼女も一緒に連れて行くべきだったのではないか?

 そんな思いがある種の罪悪感となって、カークの心の中にふつふつと湧き出し始める。

(Damn! 何で一々さっちゃのこと気にしてんだ? 俺が何しようと、俺の自由だろうが!)

 桜散の機嫌を損ねることを危惧する自分自身に、カークは1人苛立つ。

(そもそも、アレクシアとは総一郎の見舞いに行くだけで、何もやましいことはないってのに! だのに! 何でこんな、もやもやすんだ……)

 病院へ向かう最中、カークの心中には鬱屈とした気持ちが漂ったままだった。


「「失礼します」」

 カークはアレクシアと共に、総一郎が入院する病室に入る。

「あら、カーク様。こんにちは」

 病室に入ると、そこには要がいた。カークにとっては、一日ぶりの再会である。

 そしてベッドには、目を閉じたままの総一郎の姿があった。

「こんにちは、要さん」

 カークは要に軽く会釈する。

 すると要はアレクシアに気付き、カークに尋ねる。

「そちらの方は?」

「俺の知り合いです」

「……アレクシア。カークと、総一郎の、知り合い。……初めまして、要さん」

 要に自ら名乗ると、アレクシアもカーク同様に会釈した。


 その後3人は総一郎の容態について話をした。といっても話の内容は、総一郎の意識が相変わらず戻っていないと言うことくらいであった。


「そう言えば、医者は何か言っていませんでしたか?」

 カークは要に、総一郎の今の状態について何か医者から聞いていないか尋ねた。

「えーと、そうですね。お医者様によれば体に外傷はなく、脳機能にも異常は見られなかったそうです。なのでじきに目覚めるのではないかとおっしゃっていました」

「そうですか」

 つまり、カークの処置も譲葉の治癒魔術もしっかり効いていたということか。自分達の頑張りに不備が無かったことを知り、カークはひとまず安堵した。

「ということは、あとは、彼次第? ってこと、かしら?」

「そう言うことになります」

「そう」

 アレクシアは総一郎の方を見た。眠り続ける彼の表情は、どこか穏やかな様子だ。

 彼女がそんな彼の寝顔を見ていたその時であった。


「っ!」

 突如、アレクシアの脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。


――――――――――――。

 その光景は、彼女の××。

 アレクシアは脳内で、その光景を俯瞰する。


「私は……いや俺は、絶対あいつに会って、そして、あいつの笑顔を取り戻して見せる」

「……そうですか」

「やっとここまで来て、そして辿り着いたんだ。諦めたくないさ。……俺の、一番大切な人だから」

「……」


 暗くホコリにまみれた大きな部屋。そこに居るのは1人の男と1人の少女。男は白衣を着ており、工具片手に何やら作業をしている。男の目の前には、金属でできた大きな箱のようなものが鎮座していた。

 1人黙々と作業を続ける男を、少女は黙って見つめている。

 少女は肩ほどの長さの金髪で、青い瞳をしていた……。


――――――――――――。

「どうした? アレクシア」

「アレクシア様?」

 総一郎の寝顔を見て、突然固まってしまったアレクシアを見て、カークと要は心配そうに尋ねる。

「あっ、い、いえ。大丈夫、大丈夫、よ……」

 アレクシアは2人に何事も無かったかのように言葉を返すが、両腕には鳥肌が立ち、額には冷や汗が流れていた……。


「それでは、今日はこれで失礼します」

「……失礼、します」

 その後、話を終えたカークとアレクシアは病室の入口に立ち、要に別れの挨拶をした。

「はい。今日はありがとうございました。カーク様、アレクシア様。皆様によろしくお伝えください」

 要はカーク達に対し、深々と頭を下げた。

 そんな彼女様子を見つつ、2人は病室を出た。


――――――――――――夕方。

 夕方。カークとアレクシアはそれぞれ家に帰るべく、地下鉄に乗っていた。

 車窓からは代わり映えしない暗闇ばかりが流れていく。そんな中、2人は座席に隣り合って座っていた。

「ねえ、カーク。私、総一郎と、友達に、なれた、かしら?」

「そうだなぁ。……なれたと思うぞ?」

 アレクシアの問いに対し、カークは考えるようなしぐさをした後答えた。

「そう……」

 カークの言葉を聞いたアレクシアも、彼同様に何かを考え始めた。


(友達かぁ。そういえば、アレクシアのことを知るために、今度皆で家に行こうって話を総一郎としたっけ。発起人があれじゃあ、当面無理だよなぁ。うーん……)

 総一郎の話に興味津々な様子のアレクシアを見ながら、カークは彼が早く回復することをひたすら願ったのだった。


――――――――――――夜。

「ただいま」

「おかえり、カーク。どこに行っていた?」

 カークが家に帰ると、玄関で桜散が応対してきた。

「アレクシアに誘われて、総一郎の見舞いに行った」

 カークは出来事を包み隠さず話した。後で何かあったら面倒だからだ。

「そうか」

 カークの答えに対し、桜散は一言それだけだった。


「気にしないのか?」

 変にあっさりした桜散の対応を見て、カークは訝しんで問う。

「別に。見舞い以上のことは、無かったんだろう?」

 語尾を強めながら問う桜散。やはり気にしていたようだ。

「無い無い、無いって。何なら要さんに聞いてみたら? 病室で会ったから俺の無実を証明してくれるはず」

「そうか。後で要さんに聞いてみる。あの後連絡先を貰ったからな」

 桜散の態度を警戒してか、カークは慌てて否定する。どうやら桜散は本当に要に聞くつもりのようだ。かなり用心深いと見える。


(……何とかなったな。全く、ほんっと、嫉妬深いなぁ。俺は逃げも隠れもしないってのに。

 何年も一緒にいるけど、こんな奴だったとは知らんかったぞ。……あっ、そうだ!)

 そこで彼は、アレクシアが総一郎の話に興味津々であったことをふと思い出した。

「なぁさっちゃ」

「ん? どうした? 今更聞くのをやめるよう言っても無駄だぞ?」

 ポケットから携帯端末を取り出そうとしている桜散に対し、カークが語りかける。

「いやそうじゃなくてさ。あいつ、アレクシアがさ、総一郎のことを、やけに気にしてたんだよね」


 カークの話を聞いた桜散は一瞬驚いたような顔をし、携帯端末を操作する手を止めた。

「……それは一体どういうことだ? 詳しく聞かせてくれ」

 少しでも面白そうな話題があるとすぐ食い付き、詳しく知りたがる。これも彼女の性質の1つだった。

「分かった。とりあえず、リビングに行こう。あと、飯も」

「了解。それじゃあ話は夕食後だな」

「おう」

 2人は夕食を食べて更なる話を深めるべく、リビングへ向かった。


「……で、そんな感じで、あいつなりにどうも思うところがあったっぽいんだよね。総一郎の行動に対してさ。寝ているあいつを見て、ちょっと固まってたし」

「そうか」

 夕食後。カークと桜散はリビングのソファーに座りながら、アレクシアと総一郎のことについて話をしていた。


「で、どう思うよ? さっちゃ。正直、アレクシアがあんなに入れ込んでるのは初めて見たからさ、俺的にこれは重要なことだと思うんだよ」

 いかにもレアな情報を持ってきたぞと言わんばかりのカーク。

 ここまで彼が強い態度で出ているのは、彼女の嫉妬心を逸らすために他ならない。

「そうだな。これは謎に満ちた彼女のパーソナリティを探るうえで、何か重要な手がかりなのかもしれないな。

 むぅ……私も一緒に行ければ! ぐぐぐ」

 アレクシアの様子を見れなかったことを悔やんだ桜散は顔を少し膨らませ、そのまま黙り込んでしまう。

 カークの目論みは、あっさりと成功した。

 

「それにしても。本当ならそろそろアレクシアの家に行く頃合いだったんだけどなぁ」

「そうだな。アレクシアで思い出したんだが、そのことを総一郎と話したんだったな」

 2人の話題はここで、未だ目覚めぬ彼の話に移った。

「発起人があれじゃあな~」

「だな」

 情報収集や交渉術に長けた総一郎不在の状態でアレクシアのお宅訪問に臨むのは、どうも気が乗らなかった。


「私も補助魔術を習得できていればなぁ。うーむ」

 実は大学での騒動後、桜散は譲葉から補助魔術の使い方を教わっていたが、未だ使える形には至っていなかった。

「しょうがねぇよ。……というか、お前が救急車呼んでくれなかったらどうなってたことやら。あんときゃ、さっちゃが女神に見えたね。ホント」

 あのときの自分の狼狽ぶりを思い出し、カークは不満足そうな顔をした。

「確かに言われてみれば、救急車を呼ぶ役は必要だったな。そうか……」

 カークの言葉に、桜散はポンと手を打つ。

「そうだよ。お前が居て、本当に良かった。ありがとな、さっちゃ」

 カークは自然な様子で桜散にお礼を述べる。これは誤魔化しでも何でもない、まごうこと無き彼の本心であった。

「……ありがとう。カーク」

 桜散は穏やかな表情でカークを見つめる。

 そんな表情を見たカークは、彼女の左手を握る。すかさず桜散も握り返してきた。


 その後2人は部屋に戻り、いつものように過ごし、そして寝た。



 それからの数日は、特に何事もなく過ぎて行った。……総一郎が目を覚まさぬまま。

 そうこうして居る内に、1週間が過ぎていった。



59日目

――――――――――――朝。

 曇り空の朝。カークは目覚めるとすぐに1階に下りて朝食を食べ、外出用の荷物をまとめ始めた。総一郎の見舞いに行くために。

(えーと……)

 外出するにあたり、持っていくものと置いていくものを分けていくカーク。

(おっと! レポートも忘れずにっと)

 彼は学生実験のレポートを鞄に入れた。

(これで全部だな)

 荷物をまとめ終えたカークは、意気揚々と外へ繰り出した。


 電車を乗り継ぎ、総一郎が入院する病院に辿り着いたカークは、早速総一郎の病室へと向かった。

「失礼します」

 聞いている人は誰も居ないと思いつつも、ひそひそ君の声でそう呟きながらカークは扉を開けた。

「あら? おはようございます、カーク様。総一郎様の、お見舞いですね?」

 病室には先客がいた。要である。

「おはようございます、要さん」

 カークは要の姿を見て、軽く一礼した。


 ふと、要が持っているものを見る。彼女の鞄に入っていたのは花束だ。おそらく花瓶に生けるものだろう。病室の花瓶を見ると、束と同じ色の花が生けてある。

「あの。その花は?」

「ああ、これですか。そこの花瓶に生けるためのです」

「そうですか。毎日、これを?」

「はい。その通りでございます」

 花瓶の花は全く萎れていない。つまり頻繁に交換されているということだ。

 毎日見舞いに来ているのか……。カークは要を見て何とも言えない気持ちになった。


「そう言えば、昨日は桜散様が見舞いにいらしておりましたよ」

「さっちゃが?」

「ええ。一昨日は、譲葉様が」

「なるほど……」

 自分以外もちゃんと見舞いをしていたことを知ったカークは、1人相槌を打った。


「そう言えばカーク様。つかぬ事を伺いますが、桜散様と仲が宜しいそうですね?」

「n、mh?」

 要から思わぬ問いを投げかけられたカークは、ンともムともつかぬ変な声を漏らす。

「その動揺ぶりを見るに、本当のことのようですね」

 カークの動揺ぶりから、自分の問いが正しいことを要は理解した。

「そ、そうです。……まあ、腐れ縁みたいなものですけどね、はは」

 カークが軽い調子で流そうとすると。


「駄目ですよ! カーク様。……桜散様のこと、好きなのでしょう?」

 突然要に強く詰め寄られ、カークは動揺する。

「そ、そりゃ好きですけど……Loveかと言われてたら、ちょっと」

「でも、一緒に居て嫌じゃないのでしょう? 桜散様、仰ってましたよ? カーク様と一緒にいるのは嫌じゃないって。

 それに、周りが自分を腫物のように見ていても、カーク様だけは付いてきてくれていたと」

 どうやら桜散は要に対し、自分がカークのことをどう思っているかを話したようだ。

「そ、そこまで言われると……まあ、そうだなぁ」

 間接的とはいえ自分を褒められ、カークは照れ臭そうに頭を掻く。

 しかしそんな様子の彼に、要は更に強い語気でこう問い詰めた。

「でしょう!? 桜散様は、おそらくカーク様のことを愛しておられるのだと、私は思いますよ? 

 その上で、カーク様はどうなのですか?」


「お、俺は……」

 言いよどむカーク。総一郎のこともあって一時棚上げになっていたが、さっさと結論を出すべき問題であることはとっくに分かっていたはずだ。

 だのに、言葉でうまく言い表せない。口にするのが恥ずかしいのか、後ろめたいのか。

「俺は……?」

 ……されど要は待ってくれない。そろそろ腹を括る時だろう。カークはそう考えると、ついに彼女に対し口を開いた。

 

「……Love、なのかなぁ? 

 少なくとも、この気持をLikeのまま終わらせていいのかと言うことを考えましたけど、それは無いなぁって思ったので」

 ゆっくりと、確かめるように桜散への気持ちを要に話すカーク。

 そんな彼に対し、要はきっぱりとこう言った。

「でしたら、桜散様に伝えてあげてください。貴方の、気持ちを」

「うぐっ」

 さっさと言え。……目の前の年上の女性にそう宣告されたカークは、気まずい気持ちになったのか黙りこんでしまう。やはり彼は小心者だ。

「あら? それじゃあ、私に恥ずかしい思いまでさせて本心を聞き出したのは、一体どういうことなのでして?」

 そんな臆病な態度を示すカークに対し、要は自分のことを例に挙げカークを詰問した。

「うぐぐ」

「……人のこと、言えないじゃありませんか」

 情けない様子のカークに対し、要は深いため息を吐いた。

「め、面目ない……」

 そんな彼女に申し訳なく思ったカークは、がっくりと肩を落として頭を垂れた。

「なら伝えてください。今度桜散様に会ったときに聞きますから。その時までに伝えていなかったら……分かりますよね?」

 要はそう言うと、カークを睨み付ける。彼女の顔は笑顔だが、伝えなかったら大変なことになるのは明白だった。

「ひ、ひぃ! 分かりました、分かりましたよ要さん。俺の負けです!」

 カークは慌てて、再度頭を下げた。


 その後見舞いを終えたカークは道を歩きながら、先の病室での要とのやり取りを思い出していた。

(すっかり逆に諭されちゃったなぁ……。でも、そうだよな。ちゃんと伝えないと駄目だよな)

 元はと言えば、さっさと桜散に告白してしまえばこんなに気持ちがモヤモヤすることは無かったのだ。まして桜散自身がカークのことを好いているとなれば、尚更だ。

(俺、結構こういうの忘れちまうんだよな……。それに、面倒なことはついつい後回しにしちまうんだよな……)

 色んなことが起こるとすぐ飛びつき、本当にやるべき面倒事を後回しにしてしまう。これはカークの悪い癖であり、彼自身一番よく自覚していた。

 それはさながら、8月31日まで宿題をやらない子供のようなものだ。


 そこでカークは、あえて逃げ場のない状況に自分を追い込むことにした。

(そうだ! ここは思い切って、今度あいつをデートに誘ってみるか。さっちゃのことだから、多分断らねぇだろ。

 こういうのは、自分を追い込んでナンボだ。言わざるを得ないシチュエーションに持って行って……それで)


 しかし、そこでカークは別の問題に気付く。

(って待てよ! そもそも、あいつをどうやってデートに誘えばいいんだ!?)

 デートを誘うこと自体も、彼にとっては別の「面倒事」であった。これでは、デートに誘うという行為自体を後回しにしかねない。

(Mh――! Ah――! 面倒だ! 言わなくても伝われば……ってんなこたねぇ! Damn!)

 カークは心の中で地団太を踏む。要に期限を切られた中、どう桜散に気持ちを伝えるか。

 鬱屈した感情を抱きながら、カークはもう一つの目的地へ向かった。


――――――――――――午前。

(おっ! いた)

 カークはもう一つの目的地、自宅近くの公園は辿り着くと、目的の人物の姿を確認し、近づいた。

「あの、こんにちは! 理正さん!」

 ベンチに座る理正に、カークは挨拶した。

「こんにちは、カーク君」

 カークの姿を確認した理正は、座った状態で軽く会釈した。


「今日も散歩ですか?」

 カークが尋ねると、理正は穏やかな様子でこう答えた。

「ええ。……総一郎君のこと、聞きましたよ?」

「誰から聞いたんです?」

「君のお母さんからですよ」

 どうやら李緒は、理正に総一郎のことを話したようだ。

「そうですか。……その、理正さん! 頼みたいことがあって来たんですが、これ!」

 そう言うと、カークは鞄からレポートを取り出し、理正に渡す。

「ほう? レポートですか?」

「はい! 今週やった学生実験のやつと、先週提出して返却されたレポートなんだけど、見てくれませんか?」

 レポートの添削を理正に頼むカーク。

「良いですよ。どれどれ……」

 頼まれた理正は、カークのレポートを一通り読み始めた。


「……ここは、こう書き直した方が良いですね。

 そして、この表現は良くない。これは書き手である君の意見だから、『~であると考えられる』という表現にした方が良い」

 レポートを読みながら、直すべき点を指摘していく理正。

「ふむふむ……」

 そしてそれを、ノートにメモしていくカーク。


 その後理正は添削を終え、レポートをカークに返却した。

「さて、これで一通りチェックしました。他は特に問題なさそうですね。さっき言った部分を直して出せば、たぶん大丈夫でしょう」

「ありがとうございます! 参考になりました」

 理正に感謝したカークは、軽くおじぎした。

「いえいえ。お安いご用ですよ。最近は引退して論文を読む機会が減ってましたから、たまにはこういう文章を読んで、頭を回さないと。そう言う意味で、私的にもいい機会でした。ありがとう、カーク君」


 その後2人は、軽く世間話をした。その最中、カークはあることが気になって理正に尋ねた。

「そう言えば理正さん。さっき母さんから総一郎のことを聞いたって言ってたけど、理正さんはどうやって、母さんと出会ったんだ?」

「ふむ。カーク君には、話しておくべきでしたね」

 自分達の過去について話していなかったことを、理正は気にしているようだ。彼は話を続ける。

「21年前、ホッカドーでとある事件があった、というのは前にも話しましたよね? 

 それより少しほど前……そう、1989年の春に、私と李緒さんは出会いました。

 あの頃の私は路頭に迷うくらい落ちぶれていましてね。そんな私に手を差し伸べてくれたのが李緒さんだったんです。今の私の地位と暮らしがあるのは、彼女のおかげと言っても過言ではありませんよ」


 すこぶる真面目な顔で、李緒との出会いについて理正は語った。

「そうだったんですか。……桜花さんとの出会いは?」

 ついでといった感じで、桜花についても尋ねるカーク。

「私と桜花が出会ったのは例の事件ですが、あの時は李緒さんが偶然桜花に目を付け、強引に私達の仲間に入れるという形で出会いましたね。

 当時桜花はホッカドーで探偵まがいのことをして生計を立ててたんですよ。……実の父親に勘当されて、実家から追い出されてね」

 桜花との馴れ初めや、桜花の過去をカークに話す理正。

「実家から、追い出された?」

「そう。彼女の実家、九恩院家から」


「九恩院……って、あれ!? ってことは桜花さんって」

 理正の口から飛び出した桜花の実家の名前に、カークは仰天した。

「はい。彼女の本名は、()恩院(おんいん) 桜花(おうか)。九恩院家の現当主、九恩院 雪の姉ですよ。

 そして桜花を勘当したのは……かの九恩院 弓平です」

 理正はカークに、桜花の素性を淡々と語った。


「A、Ah……。ちょっと待ってくれ。

 雪ってのは、ゆーずぅの母さんのことだよな? そんでその姉が桜花さんで、その娘がさっちゃ。

 つまり、ゆーずぅとさっちゃは従姉妹同士!?」

 カークは混乱しながら、桜花と雪、そして桜散と譲葉の関係を頭中で整理する。よもや、親しい2人が血の繋がった親戚同士だったとは。

 正に寝耳に水という言葉が相応しい、カークにとって衝撃的な事実であった。


「その通りですカーク君。今の君の様子を見るに、雪君も李緒さんも、君には何も話していなかったようですね。

 ちなみに雪君は、勘当された姉の行方を追ってホッカドーに来ていたところを、例の事件に巻き込まれたそうです。……本当に健気ですよね。生き別れの姉を探すために、当時無法地帯だったホッカドーに単身乗り込んだのですから」

 理正はおまけとして雪の過去を話すと、彼女の姉に対する愛を称えた。


「なるほどなぁ。とりあえず、さっちゃとゆーずぅの関係が個人的に一番驚いたことだわ。従姉妹同士、従姉妹同士ね。……このことって、2人は知ってるのかな?」

 カークは理正に尋ねた。

「多分カーク君同様、知らないでしょうね」

「そうですか」

 そのことを聞いたカークは、1人悩み始めた。

(どうすっかねぇ。秘密にするようなことでもないと思うけど、理正さんから聞いたなんてさっちゃは言えないからなぁ)


 そんな風に悩むカークの様子を見て察したのか、理正は助け舟を出してきた。

「どうやって2人に伝えるべきか。そんな顔をしていますね?」

「えっ! あっはい! どうすればいいんだろ? 母さんを通じて話をさせるわけにはいかないし……」

 李緒と理正が通じていることを、桜散はまだ知らない。李緒を通じた種明かしは不可能だろう。

「でしたら、私が雪君にそのことを話すよう言っておきます。

 今後君達が彼女の家に来る機会もあるでしょうから、その時に雪君の口から話してもらいましょう」

「あっ! その手があったか! 分かりました。ありがとうございます、理正さん!」

 助け舟を出してくれた理正に感謝し、カークは頭を下げた。

「助けになれてなによりです。……とまあ、私達の関係はそんな感じですね。知りたいことは、分かりましたかな?」

「はい! 重ねてですが、ありがとうございます」

 カークは理正に再度お礼を述べた。

「はいはい」

 そんな彼に対し、彼は穏やかな笑顔を返したのだった。


――――――――――――夜。

 夜。カークは李緒に理正のことについて尋ねた。

「なあ、母さん」

「ん? 何かしら、カーク」

 周囲に桜散が居ないことを念入りに確認しながら、カークは小声で李緒に耳打ちした。


「……理正さんから聞いたよ。さっちゃの母さんが、ゆーずぅの母さんの姉だって」

「なっ」

 彼のひそひそ声に、あからさまに動揺する李緒。

「あと母さんって、理正さんと連絡取り合ってるでしょ? 前言った話、嘘だよね?」

 追い討ちをかけるように、カークは李緒の嘘を糾弾した。


「……はぁ。やっぱり気づいてたか。

 そうよ。私と彼は、定期的に連絡を取り合ってた。桜散ちゃんのことでね。

 あと、桜花ちゃんと、雪ちゃんのことも聞いたみたいね?」

 カークの様子に観念したのか、少し困ったような顔をしながら李緒はカークに真実を語った。

「うん。それにしても、やっぱりそうだったんだな。

 ま、事情は理正さんから聞いたよ。さっちゃに知られないようにしてたんだよね?」

「その通り。……本当にごめんなさいね? 嘘ついて」

「いや、いいよ」

 カークは、桜散のために黙っていた李緒を許すことにした。


 その後カークは李緒に、理正がどんな人物なのかを聞いた。

「ぶっちゃけ、理正さんってどんな人?」

「そうねぇ。私が彼を見つけた時、何となく不思議な感じを覚えたことを記憶しているわ。

 初めて会ったはずなのにどこか懐かしいような……そんな感じね。だから私は、彼に手を差し伸べたのかも」

「ふむふむ……」

 李緒が理正を助けた理由は、親近感を覚えたからのようだ。


「じゃあ、桜花さんは?」

 今度は桜花について尋ねるカーク。

「彼女は一言で言えば『桜散ちゃんまんま』、かしらね。桜散ちゃんをそのまま大きくしたような感じ。性格も口調も大体同じね」

「ほう」

「あの子も最初会った時は相当こじれてたわ。初めて会った時の桜散ちゃんみたいにね。

 まあ、無理もないか。着の身着のままで実家を追い出されたんだもの」

 李緒の桜花評は、理正から聞いたものとほぼ同じであった。

「そんなに分かりやすいくらい似てるのか。……一度会ってみたいもんだな」

 桜散を大きくしたような人物。そんな話を聞いて、カークは桜花がどういう人物なのか興味を持った。


「でも、しかしまぁ。自分が受けた仕打ちを実の娘に対してするなんてねぇ。何で桜花ちゃんは桜散ちゃんのことが嫌いなのかしら?」

 親子2代に渡って繰り返された悲劇を李緒は嘆く。

「やっぱり同族嫌悪って奴なのかな?」

 同族嫌悪。これは以前譲葉がしていた推測だ。

「うーん、それもあるんだろうけど。……後考えられるのは、嫉妬?」

「嫉妬?」

「理正君に可愛がられる娘に対する」

「うわマジかよ! そんなところも母娘共々同じなんか」

 自分の娘に嫉妬するとは、血は争えないということか。カークは母娘の性に思わずドン引きした。

「カークも桜散ちゃんを拗ねさせちゃ駄目よ?」

「……肝に銘じておきます」

 桜散を蔑ろにして痛い目にあったカークは、李緒の忠告を胸に改めて彼女に気持ちを伝えなければならないなと決意した。


「まあ、私が知ってるのはそんなところかしらね。

 正直、私と出会う前の理正君が一体何をしてたのかは、私もよく知らないの」

「そうなの?」

 てっきりどういう人物なのか知ったうえで、彼を援助したのではないのか。カークは優しげな理正の様子を思い浮かべながら不思議に思った。

「ええ。何度も聞いたけど、はぐらかされちゃってね」

「そっか。まあ、仕方ないよな」

 人はそれぞれ、互いに踏み込めない部分がある。理正の場合、それが自身の過去ということか。カークはそう考え、1人納得した。

「ま、私はもうあまり気にしないようにしてるけどね。

 どんな過去があろうが、理正君は理正君だし」

 李緒の方も、彼女なりに割り切って理正と付き合っているようだ。

「どんな過去があっても、か」

「……そうね」

 李緒の言葉を聞き、自分の身に降りかかった受難を思い起こすカーク。そんな息子の様子を見て李緒はぽつりと呟いた。


「あとさ、ゆーずぅとさっちゃの関係なんだけどさ。雪さんの口から伝えるって話になったから」

 カークは、李緒達の関係の暴露を雪を通して行うことになったという旨を、李緒に伝えた。

「そう。分かった。それでいいんじゃない? 私から伝えたら、桜散ちゃんに怪しまれるもんね」

「うん」

「なら、今度私の休みが取れたら一緒に行きましょう。私も久しぶりに、あの子達の顔を見たいから」

 どうやら李緒は、長らく雪達と会っていないようだ。

「そっか。分かった。ありがとね、母さん」

「どういたしまして」

 こうして後日一緒に譲葉邸に行く約束を、親子は交わした。


 その後カークは2階に上がり、桜散の部屋に向かった。

 部屋の入口には鍵がかけられ、中からはキーボードを打つ音がカタカタと聞こえてくる。

(さっきまで居なかったのは、これが理由か)

 カークはドアを軽くノックし、桜散を呼ぶ。

「入っていいか?」

「ああ。いいぞ?」

「それじゃあ、おじゃまします」

 カークはドアをゆっくり開け、桜散の部屋に入った。


「何してたんだ?」

「ん、ちょっとな。レポートを作ってたところだ」

「ほう……」

 カークは桜散のパソコンの画面を覗き込む。そこにはワープロソフトが起動されており、文章や図が記載されている。

「ちょっと思いついたことがあったら、こうしてまとめるようにしてるんだ」

「ほぇー。俺にはとても真似できねぇや……」

 コンピュータの画面には、何やら難しい単語や図面、数式が並んでいる。

 その複雑な内容を理解できる桜散に、カークは改めて感嘆したのだった。



60日目

――――――――――――朝。

 ppp……ppp……。

「m、むぅ……」

 朝、カークは電話の音で目を覚ました。

「何だよこんな朝早く」

 電話を手に取り、番号を確認。

 譲葉の番号であることを確認したカークは、通話を始めた。


「もしもし、ゆーずぅ?」

「あっ! おはよう、カーク君! 朝早くごめんね」

 電話越しから、譲葉の快活な声が聞こえてくる。

「一体何なんだ? こんな朝早くから」

 目を擦りながら、カークは譲葉に用件を尋ねた。


「あのさ。今日って1日、時間空いてる?」

「時間? 別に、空いてるけど……」

「良かった! それなら、今日1日、私に付き合ってよ。朝食後でいいからさ」

「うーん」

 カークは考える。そう言えば、譲葉から誘われるのは、許嫁騒動以来久しぶりである。

「駄目かな?」

 いかにも作ったような可愛らしい声で、譲葉はカークに問いかける。

「いや、いい。分かった。付き合うよ」

 カークはあっさりと、譲葉の提案に乗ることを選択した。彼女からの誘いは珍しいし、何より面白そうだったからだ。


「おおう! ありがとね」

 譲葉は嬉しそうに返した。

「おう。……で、何するん?」

 提案に乗ったカークは、早速何をするのか譲葉に尋ねた。

「まずは、総一郎君の見舞いかな。その後については見舞い後に話すよ」

「了解。それじゃあ、朝食食べたら連絡する」

「おっけー。集合は総一郎の入院している病院前ね。連絡貰ったら、行くから」

「ほい。それじゃあ、また後で」

「はーい」

 こうして2人は会う約束を取り付け、通話を終えた。


 その後カークは朝食を食べ終えると譲葉に連絡し、総一郎の病院へ1人向かった。


――――――――――――午前。

「あっ! おはよう! カーク君」

 カークが病院の入口に着くと、そこには譲葉が待っていた。

「待ってたのか? すまんな。ちょっと電車のタイミングを間違えた」

「ううん。良いよ。私も来てそんなに経ってないしね」

「そうか」


「それじゃ、見舞いへGo!」

 譲葉はカークの肩を軽く叩くと、そのまま歩き出した。

「おう! ……病室の場所は分かってるんだよな」

「もちろん」

 カークの問いに、譲葉は即答する。

「そうか。あと、静かにな」

 意気揚々と病院の中へ駆け込もうとする譲葉を、カークは軽く諌めた。

「分かってるって」

 そんなカークに対し、譲葉はにこやかに返した。


「「失礼します」」

 カーク達は軽くノックをし、病室に入った。

「おや? おはようございます。カーク様、譲葉様」

 病室に入ると、案の定要が居る。総一郎は、まだ目覚めてないようだ。

「おはようございます。要さん」

 要に対し、譲葉は丁寧に挨拶をした。


「そう言えばカーク様。桜散様とは、あの後どうでしたか?」

「うぐっ」

 早速桜散のことを問われ、動揺するカーク。

「はぁ。その様子だと、まだのようですね? 彼女が連絡してくる前に、お早めになさることを推奨します」

 昨日の今日なので、まあ無理もないか。そんな気持ちが、要の態度から見て取れる。


「えっ? 何々? 桜散ちゃんのことって?」

 カークと要のやり取りを聞いて、譲葉は興味を持ったようだ。

「それがですね譲葉様。カーク様、まだ桜散様に告白していないそうなんですよ」

 要は譲葉に対し、単刀直入に事のあらましを伝えた。

「えーっ!? そうなの? てっきり私、とっくにくっついてるもんだとばかり……」

 要の言葉に、譲葉は口を大きく開け驚く。

「ちょ、要さん」

 一方あまりに端折った要の説明に、カークは困惑した。


「カーク君って、いつも朝桜散ちゃんに起こしてもらってるんだよね?」

「最近はたまにだけどな」

「お小遣いも管理されてるんだっけ?」

「そうだな。正直勘弁してもらいたいとこだ」

「ご飯も作ってもらってるんでしょ?」

「料理は当番制だ。家族3人交代交代で作ってる」

「でも食べてるんでしょ? 桜散ちゃんの手・料・理」

「まあ、そうだな」

「家事もやってもらってるんでしょ?」

「掃除・洗濯は各々、自分の物は自分でやるようにしてる」

「でも使ってるんでしょ? 桜散ちゃんが掃除した部・屋」

「まあ、そうだな……って! 何でそんなこと、ゆーずぅが知ってんだ!?」

 あまりにカーク家の事情に詳しい譲葉に対し、カークは疑念を抱いた。

「そりゃ、桜散ちゃんから聞いたからに決まってるでしょう!? 

 ふーんそっかぁ。桜散ちゃんにそこまでしてもらっていながら、付き合ってないんだ、告白してないんだ。ふーん、ふーん、ふーん……」

 譲葉は情報の出所をカークに暴露すると、虫けらを見るような眼でカークの顔を見つめた。

 その表情は、おしとやかなお嬢様がして良いようなものでは決してなかった。


「……悪かったな」

 不貞腐れている譲葉に対し、カークは少し下を向いた表情で謝った。

 すると、さっきまでの様子はどこへやら。譲葉は真顔でカークに問いかける。

「桜散ちゃんのことは好きなの?」

「まあ、一応な」

 カークが軽く返事を返すと、譲葉は手を大きく振り下ろしながら、強い口調でこう言った。

「だったら何でさっさと告白しない訳!? 桜散ちゃんきっと、カーク君が動くの待ってるよ!? 

 私と桜散ちゃんと話をするとさ、いつもカーク君のことが出てくるんだよ!? これで好きじゃないとか有り得ないよ!」

 語気を荒げ、譲葉はカークにきつく詰め寄った。

「同じこと、要さんに言われたよ……。全く以て、面目ない」

 ぐいぐい押してくる譲葉に対し、病室の壁まで追いやられるカークであったが、全く以て反論できなかった。

「もう、情けないんだからぁ。もう~!」

 譲葉はそこまで言うと、ため息を吐いた。

「……」

 そんな譲葉を、カークは黙って見つめる。


 すると、それまで2人の問答を黙って見ていた要が、2人に対し苦言を呈した。

「その、お二人とも。ここは病室です。

 確かにカーク様の不甲斐なさは私でも憤りを覚えるほどではありますが、お静かにお願いします」

「……分かりました」

「……ああ」

 要の言葉で、カークと譲葉は我を取り戻した。


――――――――――――昼。

 総一郎の見舞いを終えたカークと譲葉は、病院の入口に立っていた。

「その、カーク君。さっきはごめんね」

 要の叱責を受け、譲葉はカークに謝る。

「いや、元はといえば、煮え切らない俺が悪いんだ。ゆーずぅもすまん」

 カークも同様に、譲葉に謝った。


 2人の間に気まずい沈黙が流れ始めたところで。

「その。それで、見舞いは終わったんだけど、次は何処へ行くんだ?」

 カークは気持ちを切り替えようと、譲葉に次の目的地を尋ねた。

「あっ。そ、そうだね。うーん、お腹が空いて来たし、昼食食べに行こっか」

「分かった。何処で食べる?」

「えーと、私が決めるから、カーク君は付いてくるだけでいいよ」

「あい」

 こうして2人は、昼食を食べるべく場所を移動した。


――――――――――――午後。

 カークが譲葉に連れられて辿り着いたのは、近くのファストフード店であった。

「ここで食べるから」

「ファストフード? ハンバーガーでも食べるのか?」

 カークの問いに対し、譲葉は頷いた。

「分かった」

 カークは譲葉と共に、店の中へ入った。


「じゃあ、俺が注文を」

 店内に入ったカークは早速カウンターで注文しようとしたが、譲葉に止められる。

「いや、私がやるから、カーク君は頼みたいもの教えて」

「え? あ? わ、分かった。じゃあ、ハンバーガーとダブルチーズバーガーを1つ、ポテトのMサイズとコーラのLサイズを1つ、でいいかな?」

 自分で注文すると言い出した譲葉に驚きつつ、カークは彼女に注文したいものを伝えた。

「おっけー。じゃあ頼むから、そこで待ってて」

 カークを入口近くで待たせると、譲葉はカウンターに向かう。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 すると、彼女が近づくのを見計らったかのように、店員が出てきて応対した。

(大丈夫か? ゆーずぅ。あいつ、ああ見えてお嬢様だからな。ファストフードとか知らないでしょ……)

 カークは譲葉の様子を見て心配になった。

 しかし、そんな彼の心配は杞憂に終わることになる。


「ハンバーガー4つ、ダブルチーズバーガー1つ、テリヤキバーガー2つ、ポテトのLとMと1つずつ、コーラのLを2つお願いします」

 店員に対し、カウンター上に置かれているメニュー表を見ることなく注文を伝えていく譲葉。ちゃんと自分の分も含めて頼んでいる。

「かしこまりました。お持ち帰りですか?」

「いいえ。ここで食べます」

 この受け答えも手慣れた様子だ。

「ありがとうございます! お客様のお会計2050円です」

「分かりました。電子マネーで払います」

「かしこまりました。どうぞ」

「はい」

 譲葉は財布から黒いクレジットカードを取り出すと、専用の端末にそれをかざし、支払いを完了させた。

「レシートはこちらになります。こちらで少々お待ちくださいませ」

 譲葉は店員からレシートを受け取ると、カウンターの脇で注文の到着を待った。

 しばらくすると、クルーが注文した商品をトレーに乗せて持ってきた。

「おまたせいたしました! ごゆっくりどうぞー!」

 それを受け取ると、譲葉はカークの元へ戻ってきた。


「さあ、ここで食べましょ?」

 譲葉は近くのテーブルに移動し、カークを手招きした。それを見たカークは、譲葉の向かいに座った。

「驚いたな。よく食べに来るの?」

「こんなん普通でしょ? 何で?」

 カークの問いかけに、どうしてと言わんばかりの態度で答える譲葉。

「い、いや。別に……」

 若干どもりつつ、カークは譲葉から自分が頼んだ物を受け取った。

(ファストフードの買い方を知っているだと!? てっきりお嬢様なもんだから、こんなん知らないと思ってたんだけどなぁ)

 カークは目の前のお嬢様がファストフード店を利用していることに衝撃を受けた。

「私、割とよく使うよ? ここ」

「い、いや……」

 慌てて何でもないふりをするカーク。世間知らずで何もできない子扱いは、いくらなんでも失礼である。そう思っていたなんて口が裂けても言えまい。


 しかし譲葉は、カークの様子から彼がどんなことを考えていたのか既に察していた。

「もしかして、お嬢様だからハンバーガーの買い方も知らないだろうって、思ってた?」

 譲葉はにやけながら、カークに問いかける。

「あ、ああ。ごめん」

「良いよ。別にカーク君は悪くないし。でも、皆やっぱりそう思うよね~」

 譲葉に自分の考えを問われ、慌てて謝るカーク。

 しかしその様子を見た譲葉の表情は、どこか諦観の感情が込められたものであった。


「私さ、世間知らず扱いされるのが本当に嫌なんだよね。こうやって近場の店で物買って食べたり、服買ったりして、普通の女の子みたいに過ごしているのに、周りは全然そんな目で見てくれなくてさ」

 譲葉はコーラのカップにストローを突き刺すと、中身を少し飲んだ。

「まるで私のことを、人目につかない場所で大切に育てられたお姫様か何かを見るような目で見る。

 私の素性を知らない初対面の人間も、大体そんな感じで私を扱う。……そんな風に見えるのかな? 私」

 自分のトレーにあるハンバーガーの包装を雑に開け、ガツガツと食べながら譲葉は話を続けた。

「初めてデパートに来たとき、店員や近くのお客さんに買い物のやり方を案内された時は、ほんと気分が悪かったね。つい抗議しちゃった」

 そこまで言ったところで、譲葉は口の中の食べ物をコーラで胃に流し込む。そしてポテトの束を数本掴んで、口に無造作に放り込んだ。


「そうだったのか。改めてすまん!」

 自分の思慮の浅い考えが譲葉を傷つけたのではないかと考えたカークは、再度彼女に謝った。

「だから、謝らなくていいって。

 ま、これで分かったでしょ? 別に私は特別なお姫様でも何でもない、普通の女子大生だって」

「ああ」

 カークは譲葉の目を見て、深く頷いた。


 譲葉の話が一段落したところで、カークもハンバーガーを食べ始めた。

「そういやさ、さっき支払いに使ってたのって」

「ああ、これ?」

 譲葉は財布から、先ほど支払いに用いたカードを取り出した。

「そうそう、それ。それってもしかして、あれ? ブラックカードってやつ?」

 ブラックカード。それはクレジットカードの中でも最上級ランクのもので、一部のお金持ちのみに入会の招待状が届くという……。カークの中ではそんなイメージであった。

「ううん。私のはプラチナカードだよ。ブラックはママが持ってるやつ」

「そ、そうなのか……」

 譲葉が持っていたカードは、ブラックカードのワンランク下のプラチナカードと呼ばれるものだった。もちろん、カークにこれらの違いはよく分からない。

 譲葉に失礼だと思いつつ、やっぱり自分と住んでる世界が違うなとカークは感じた。


「更に言えば、ここはクレジット払いに対応してないの」

「えっ、そうなのか?」

「うん。ただ、電子マネーで支払いできるけどね」

「そういうことか」

 テリヤキバーガーを齧りながら、譲葉は今いるファストフード店の支払い方式に言及する。どうやら相当、このファストフードチェーンを利用しているようだ。

「注文、手慣れてたな。俺はいつもメニューを見ないと頼めなくてなぁ」

「そうなんだ。ふふっ! なら、ここでは私の方が上手って訳か」

 カークがファストフードの注文に慣れていないという話を聞いた譲葉は、少しだけ上機嫌になった。


「ふぅ、食べた食べた……。ごちそうさま」

 譲葉はそう言うと、口元を紙ナプキンで軽く拭った。

「ごちそうさまでした。すまんな、奢ってもらって」

「いいって。そもそも私の我侭に付き合ってもらったわけだしね」

「そうか」

 そうは言われたものの、1000円近い食事を奢られ何だか申し訳ない気分になったカークであった。

 無論、譲葉にとってこの程度の金額は些末なものであったが。


「こうやって話すのはあの時以来だね~」

「そうだな」

 カークは、譲葉と許嫁騒動の件で話をしたことを思い出した。

「昔はどうだったっけ?」

「昔ってのは、米国に居た頃か?」

 カークと譲葉の話題は、2人が一緒だった小学校時代の話になった。

「そうそう。あっちでの暮らしは、まあ楽しかったよねぇ」

 ここで譲葉はカークに同意を求めるが、彼は浮かない様子でこう切り返した。

「そうかなぁ? あっちでも、お前以外とはそんな絡まなかったからな。……何というか、違和感があってさ。

 一応クラスメイトとエンゲリスで会話できてたけど、ぶっちゃけ馴染めなかった」

 小学校時代を回想するカークの顔は、どこか退屈そうであった。

「ふーん。それじゃあ、中学校は? ヒノモトでの学校暮らしはどうだったの?」

 カークの反応が悪いのを見た譲葉は、今度は彼に中学校時代はどうだったのか尋ねた。

「中学校ねぇ。周りからは珍しいものを見るような、そんな目で見られたな。あの頃はまだ片言気味だったし」

 カークは中学校時代、帰国子女ゆえに周りから引いた扱いをされていたようだ。

「そっか。何というか……分かる。そう言うの」

「だよな」

 周りから奇異な目で見られる・見られていたという点は、カークと譲葉で共通であった。


「そう言えば、カーク君ってヒノモト語ペラペラだよね? どうやって覚えたの?」

 譲葉はここで、カークがどうやってヒノモト語を覚えたのか気になった。

「うーん、そうだなぁ。強いて言うなら、Animeアニメ、 Manga(漫画)、ライトノベル? それらを読むために必死で勉強して、それで覚えた。言い回しなんかも真似してさ。

 米国に居た頃も、暇があればそれらばっか見たり読んだりしてた。実質俺にとってのヒノモト語の教科書みたいなもんだな。ラノベとかは」

「そうだったんだ。へぇ」

 漫画やアニメでヒノモト語を覚えたというカークの口調は、どこかカッコつけたような印象を覚える。一見粗雑な言葉の語尾も、こう言ったラノベ等の言い回しを真似たものに違いない。


「話を戻すぞ。そんで俺はヒノモトの中学校でも、クラスメイトとうまく馴染めなかった。周りからは外人扱いだしな。ヒノモト語を普通に喋れるようになってからもこの扱いは変わらんかった」

「そっか」

「結局俺は、ヒノモト人にも米国人にもなりきれない、どっちつかずの中途半端な存在だったって訳だ。HaHaHa……」

「カーク君……」

 ヒノモト語を流暢に話せてもなお周囲と馴染めず疎外感を感じていたことを譲葉に告白すると、カークは1人自嘲する。

 そしてそんな様子のカークを見て、譲葉は彼に過去の話題を振ったことを後悔した。

「ただまあ、ぼっちだったのは、俺の生まれながらの性分も多大に関係しているだろうから、別にハーフだったからって訳では無いと思う」

「そっか」

 カークの言葉に、譲葉は軽い微笑と共に返事をした。


「俺の学校暮らしはこんなとこかな。

 で、ゆーずぅはどうだったんだ? 高校まではあっちだったんだろ? それにしちゃお前もヒノモト語上手いじゃねぇか」

 一通り話を終えたカークは、次に譲葉の小学校時代の話について彼女に尋ねた。

「私の場合は両親がヒノモト人で、使用人の人達もヒノモト人だったからね。家での会話は全部ヒノモト語だったから、まあ普通に喋れるよ」

 学校以外の譲葉の生活圏内では、ほぼヒノモト語以外聞く機会が無かったようだ。

「そう言うことか。俺の家でヒノモト語を使うのは母さんだけだったからな。その辺で差が出たのかもしれねぇな」

 母語の習得は周囲の環境に影響されるという。エンゲリスを母語としヒノモト語を第2言語として習得したカークと、ヒノモト語を母語としエンゲリスを第2言語として習得している譲葉。

 この2人には、共通点がありつつも決定的な違いもあるのだ。


「ちなみに私は、小中高全部、まあまあ周りと仲良くできたよ? 

 エンゲリスはかなり下手だったけど、それでも友達と言える子は何人かできたしね」

 譲葉は鞄から1枚の写真を取り出し、カークに見せた。

「これ、私のハイスクールの友達。まあ、こっちに来てからは疎遠になっちゃったけどね」

 写真には譲葉と、数人の金髪・茶髪の少女の姿が映っている。中心に座る譲葉は、他のクラスメイトと共に満面の笑みを浮かべていた。

「そうか。じゃあ小中高一貫ぼっちだったのは、やっぱり俺の性分なんだろうな」

 譲葉の写真を見たカークは、自分の性分を改めて悟った。

「小中高一貫、ぼっち気質?」

「止めろ言うんじゃない。悲しくなる」

「ふふふっ」

 譲葉はいたずらっ子のような笑みを浮かべながら、大切そうに写真を鞄へしまった。


「……ふっ、変わってないな。というか、良かったよ。久しぶりに会った時は、あんな暗い顔してたからな」

「そうなの?」

「ホームドアがあるにも関わらず、無理やり電車に飛び込もうとした奴とは思えないな。今の表情を見ると」

 カークは譲葉と再会した日の出来事を思い出し、彼女を軽くからかった。

「うぐっ! ま、まぁ……あの時は周りが見えてなかったというか、何というか」

 譲葉は奇妙な声を上げ、目を逸らす。どうやら既に、あの日の出来事は彼女の中では黒歴史の1つとなったようだ。

「ま、おかげで助けられたんで良かったけどな。そんでトラブル解決して、こうやって改めて見てみれば、やっぱ変わってなかったな。ゆーずぅは」

 顔を真っ赤にしてあの日の出来事を恥ずかしがる譲葉を見て、カークはほっと溜息をついた。

「それって、褒め言葉?」

 変わっていないというカークの言葉を聞いた譲葉は、自分が子ども扱いされているような気がして、思わず口をへの字にした。

「褒め言葉だよ。俺なんかに比べればずっと明るい、まるで太陽みたいだからな。そう言う気質が、昔から全く変わってなかったって意味だから、褒め言葉だろう?」

「そっか」

 変わっていないという言葉の真意を聞いた譲葉は、目を閉じて頷いた。


 このように譲葉と過去の話で盛り上がっていたカークであったが、彼はふと、理正とのやり取りを思い出した。

「あ、そういやさ」

「ん? どしたのカーク君」

「いや、ちょっと変なこと聞くかもしれないんだが。お前のお母さんにお姉さんがいるって話は、知ってる?」

 伯母の存在について、カークは譲葉に尋ねる。18歳の譲葉が、家族構成について1度も親から聞いたことが無いとは考えにくい。

 しかし以前理正と共に異空間に入った時、譲葉は桜花の名前に何の反応も示さなかった。このことが引っ掛かっていたためカークは譲葉に尋ねた訳だが……彼女の答えは意外なものであった。。


「んんっ? 知ってるけど、それがどうかしたの?」

 何と、伯母が居ることを知っているというのだ。これはカークも想像していなかった。

「えっ、知ってるの!? じゃあさ、その人の名前って分かる?」

「えーとね……」

 譲葉は記憶をたどりながら、名前が何だったのかを思い出す。

「伯母さんの名前は、確か『おうか』。……えっ? もしかして」

 自分の伯母の名を復唱し、ようやく譲葉も気が付いたようだ。

「そう、桜花。九恩院 桜花。そんで今の名前は、住吉 桜花」

「えっ、えっ? そ、それじゃあ、桜散ちゃんと私って」

「そう。従姉妹同士だよ」

「嘘……」

 カークの言葉に思わず沈黙する譲葉。


「知ってた?」

「いや全然知らなかったよ。誰からその話を」

 譲葉は相当動揺しているようだ。。

「理正さんから」

「そっか」

 その話を聞いて、譲葉は軽く瞬きした。


「桜散ちゃんはこのこと知ってるの?」

「多分知らないと思うぞ」

 譲葉の問いに対し、カークは当たり前だと言わんばかりの態度で答えた。

「これってかなり一大事じゃない? 早く教えた方が良いんじゃ」

「いやそれがさ、教えようにも教えられない状態なのよ」

 カークは譲葉に、関係を伝えられない事情を話した。

「なるほど。李緒さんと理正さんが通じてるってこと、桜散ちゃんは知らないんだ」

「そうなんだよ~。だからどうしようって話になって」

「ふーん」

 譲葉はそう言いながら席を立つと、トレーのごみをごみ箱に捨てた。すかさずカークもごみを捨て、トレーを返却した。

「でさ、仕方ないんで、ゆーずぅのお母さんから話をしてもらうってことになった」

「ママから?」

「うん。それでさ、今度俺とさっちゃと母さんで、一緒にお前に家に行こうと思ってるんだけど、良いかな?」

 出口に向かいながら、カークは譲葉に尋ねる。

「断ると思う?」

 彼の問いに対し、きょとんとした顔で問い返す譲葉。

「一応、念のため聞いた」

 すると、彼女はいつものにっこり顔をしながら、カークにこう言った。

「大丈夫だよ。おっけーだよ。いつでも遊びに来ていいからね」

「ありがとう、ゆーずぅ」

「どういたしまして」

 カークと譲葉はお礼の言葉をやり取りした後、店の出口から外へ出た。


――――――――――――夕方。

「じゃあ、今日はこれでお開きにしよっか」

「そうだな」

 カークは空を見る。日が長くなってきたとはいえ、これ以上家を出ていると桜散が心配だ。

「その、ありがとね、カーク君。今日は付き合ってくれて」

 譲葉はぺこりと、可愛い仕草でおじぎをした。

「いや、いいってことよ。お前にも伝えておきたいこと言えたし、何より……」

「何より?」

「こうやって、話が出来て、楽しかった」

 実際、カークも譲葉との会話を全力で楽しんだ。小学校時代のことなど、彼女としかできない話が出来たのは、何より収穫だったと言える。

「……そっか。それじゃ、またね!」

「おう、またな!」

 2人はそれぞれ、家への帰路についた。


「ただいまー!」

 譲葉と別れたカークは、家に戻る。すると。

「カァークゥー!」

 物凄い音を立てながら桜散が廊下を走ってきた。

「朝起きてみたら居ないもんだからびっくりしたぞ? 何処ほっつき歩いてたんだ?」

「ちょっと総一郎の見舞いに行ってた。ゆーずぅに誘われてな。何なら今からゆーずぅに聞いてみればいいさ」

 ものすごい剣幕で強める桜散に対し、カークは毅然とした態度で事実を話した。

「譲葉ちゃんに? ……ちょっと待ってろ。確認してくる」

 そう言うと桜散は、1人リビングへと歩いて行く。カークもその後を追った。


 リビングに着いた桜散はすぐに携帯で譲葉に連絡、カークが彼女と見舞いに行っていたことを確認した。

「……今、譲葉ちゃんに確認した。お前の言ってることは本当のようだな」

「だろ?」

 変に訝しむ桜散に対し、呆れ顔で応対するカーク。

 すると、桜散は何やら気まずそうな顔をし、カークに勢いよく頭を下げた。

「その、何だ。すまなかった!」

「いや、そこまでのことじゃ……」

 まるで手のひらを返したような桜散の謝罪に、カークは只々困惑した。

「いや、私にも落ち度があった。親友の見舞いに行くお前を疑うような真似をして、悪かったと本気で思ってる。

 それに、譲葉ちゃんの頼みで彼女に付き合ったんだろう? 彼女の頼みとあらば、私も断れとは言えないよ」

「それはどうしてだ?」

「そ、それは……。お前と彼女は、古い付き合いなのだろう? 積もる話もあっただろうし、水を差すような真似はできんさ」

 カークが尋ねると、顔を赤くしながら恥ずかしそうに桜散は答えた。


「なあさっちゃ。お前ゆーずぅのこと、どう思ってる? 好き? 嫌い?」

 旧友の仲を邪魔しない程度の配慮を桜散が持っていたことを知ったカークは、思わず彼女に譲葉についてどう思っているかを尋ねた。

「何だ? 急にそんなこと言って……。そうだな、好きだぞ? 何というか可愛いじゃないか。無邪気で天真爛漫な感じが、守ってあげたい感じで」

「そうか……」

「だからな、カーク。お前、譲葉ちゃんに何か失礼なことしちゃ駄目だぞ? もし彼女の身に何かあったら、この私が許さないからな!」

「お、おう……。分かったよ。気を付けるようにするよ」

 どうやら桜散は譲葉のことを相当大事に思っているらしく、カークに対し粗相が無いよう忠告してきた。

 そんな彼女の念を押すような言葉を聞いたカークは、これなら譲葉との真実を伝えても大丈夫だなと内心ほっとしたのであった。


――――――――――――夜。

 夕食後、カークは桜散に呼ばれ、彼女の部屋に向かった。

「どうしたんだ? 何かあったんか?」

 突然女の子の部屋に呼び出され困惑するカーク。とはいえ、彼女の部屋には何度も出入りしているので抵抗感は無い。

「ああ、それがな……。ちょっと今、レポートを書いているんだが、誰か添削できる人が居ないかなぁ……っと」

 桜散はパソコンの画面を見る。そこには書きかけのレポートが。

「できれば大学の先生あたりに頼みたいと思ってる。中身を不特定多数の人に知られたら良くないからな」

「それはお前の学部の教授あたりに頼めばいいんじゃねぇか? そもそも俺にそんな人脈……」

「どうした?」

 一瞬黙ったカークを見て、不思議そうに声を掛ける桜散。


「いや、待てよ。いる。レポートの添削が出来て、かつ守秘義務を順守できる奴が。俺の知り合いの中に、1人」

 カークは、理正に桜散のレポートを見てもらうことを思いついた。彼の添削能力の高さは、カーク自身一番よく理解している。それに研究における守秘義務の重要性も理解しているだろうから、レポートの中身を他人に漏らすようなこともしないはずだ。

「本当か?」

「ああ。だが、良いのか? 俺の紹介とはいえ赤の他人だぞ? そんな奴に見せていいものなのか?」

 カークはここで、理正に本当に見せていいのか迷い、桜散に問いかける。

 添削の腕は確かだが、彼に見せたことが桜散にばれた日には……。


 しかしそんな彼の心配をよそに、桜散は既に見せる気でいるようだ。

「構わん。そもそも科学に批評はつきものだろう? 覚悟はしているさ。それに」

「それに?」

「今の、去年の出来事を経験した後のお前ならば、胡散臭い奴に渡すような真似はしないだろう? 私は、そう信じてるから」

 どうやら桜散は、カークの問いを『レポートの中身についてボロクソに批判されるかもしれないけど、大丈夫?』という意味でとらえたようだ。

 その上で桜散は、カークと彼の知り合いを信頼し、レポートを託す覚悟を決めたようだ。カークのことを一点に見つめる眼差しが、それを暗に示している。


「分かった。それじゃあ、添削したい時になったらコピーを渡してくれ。見てもらいに行くから」

 桜散の真剣な目つきを見て、カークは自分がとんでもないことをしているかもしれないということを自覚しつつも、彼は桜散のレポートを理正に見せる選択をした。

「了解。それじゃあ、任せたぞ?」

「任されました」

 桜散の念を押す物言いに対し、カークはあっさりと返した。


 桜散の部屋を出たカークは、1人自室に戻ると、ベッドに寝転び軽くため息を吐いた。

(ふぅ、どうしたもんかな。レポートの添削か。……良い機会だと考えた。

 さっちゃと理正さん、2人の関係をどうにかするうえでも。

 あいつの信条的に、科学の話題なら感情的にはなれないだろうからな)


 カークが理正に桜散のレポートを見せようと考えたのは、彼と桜散との間に繋がりを作り、2人が会う機会を設けるためだった。桜散は理正のことについてヒステリックになりやすく、単純に会いに行くよう彼女に言っても聞かないことが容易に予想される。

 しかしその一方で、桜散は科学の話題になると理知的に対処しようとするきらいがある。科学は論理と実証の世界だ。彼女自身、そこに感情論を持ち込むような愚かな真似はしたくないのだろう。


 この相反する桜散の性質を利用することを、あのときカークは咄嗟に思いついた。レポートの添削作業で桜散と理正に接点を作り、その後2人を会わせる。『レポートの添削者が内容について議論をしたがっている』と言われてしまれば、彼女も断れないと踏んだうえでの作戦だ。


 しかし、このやり方の最大の問題点は、いざ2人を会わせた後どう対応するのかという点だ。精神的に大人でかつ桜散に対し腰が低い理正はともかく、桜散についてはカークが下手な対応を取れば致命的なことになりかねない。

(ここからは橋渡し役たる俺の行動次第って訳だ。

 はぁ、どうしよっかなぁ。……咄嗟にあいつに切り出したとはいえ、やっちまった感あるな。今度、ゆーずぅに相談すっか)

 独断で2人を会わせる作戦を立てた事、そしてそれを1人でやることに強い不安と後悔を覚えたカークは、今度仲間の協力を得ようと考えながら布団に潜ったのであった。


 その後の数日は特に何事もなく過ぎて行った。桜散のレポートの進捗はまだまだだったし、総一郎も目覚めぬままだった。


 事態が大きく動いたのは、数日後の木曜日。

 総一郎の意識が、ついに回復したのだ。



64日目

――――――――――――朝。

「おいカーク。起きろ」

「ううん……」

 この日は久しぶりに、カークは桜散に起こされる。最近桜散は夜な夜なレポート作成に力を入れており、カークより遅く起きがちであった。

「朝ご飯は?」

「もうできてる。早く下に行くぞ」

「分かった」

 2人は1階へ降りる。李緒はもう仕事に出ているようだ。


「そうだ、さっちゃ。今日の放課後、4限の後って空いてるか?」

 朝食の鮭の塩焼きを食べながら、カークは桜散に尋ねた。

「4限の後なら空いてるが、どうした?」

 それに対し、箸でご飯を口に運びながら尋ねる桜散。

「一緒に、総一郎の見舞いに行こうぜ」

「分かった。それじゃあ放課後な」

「おう!」

 カークは桜散を総一郎の見舞いに誘う。それに対し、桜散はすぐに了承した。

 こうして、2人は放課後総一郎の見舞いに行くことになった。


――――――――――――昼休み。

 pppp……pppp……。昼休みを学内のコンビニで過ごしていたカークの元に、一通のメールが届いた。

(ん? メール?)

 カークはすぐに端末を取り出し、メールの内容を確認した。すると。


『件名:総一郎様の意識が回復 本文:カーク様。私です、要でございます。先ほど、総一郎様の意識が回復いたしました。 今は目を覚ましておられます。 カーク様に何かお伝えしたいことがあるそうなので、放課後来ていただけませんでしょうか? よろしくお願い申し上げます』


 メールの差出人は要で、そこには総一郎の意識が回復したこと、彼がカークに何か伝えたいことがあるらしいということ、そして放課後病院へ来てほしいという頼みが書かれていた。

(まじか! ついに総一郎起きたんか! こりゃあ尚更、さっちゃと一緒に見舞いに行かないとな。……そうだ、ついでだし皆も呼ぼう)

 そう考えたカークは、桜散、譲葉、アレクシアの3人にメールを送り、放課後4人一緒に総一郎の病院へ行くことを提案した。

 そしてメールの返事は10分以内に全員分届き、見舞いのメンバーに譲葉とアレクシアが加わった。

 見舞いに行く人数が確定したところで、カークは要に連絡し、午後の講義へ臨んだのだった。


――――――――――――夕方。

 夕方。カーク、桜散、譲葉、アレクシアの4人は総一郎の入院する病院に向かった。


「総一郎」

 カークは病室の扉を開け、いの一番にベッドの方を見る。

「カーク君……」

 そこには、目を覚ました総一郎の姿が。すぐそばには、当たり前のように要も居る。

「カーク様、いらしたのですね。それと、皆様方。こんにちは」

「「「こんにちは」」」

「……こんにちは」

 要の挨拶に、そっくりそのまま応じる4人。


「総一郎……お前、俺に何か言いたいんだってな? 要さんから聞いたぞ」

 カークは早速、総一郎に彼が言いたいことについて尋ねた。

「その、カーク君、皆さん。……この度は、本当にすみませんでした!」

 すると、彼の口から出てきたのは、カーク達一行に対する謝罪の言葉であった。


 しかし、その謝罪の言葉に納得できない人物が1人いた。

「すみませんでした、だと?」

 彼の言葉を聞いた桜散は、口元を歪ませながら彼に近づく。

「総一郎! お前、聞いたぞ? 要さんのお兄さんを恋人と早とちりして、それで家を飛び出したと!」

「……事実は要から聞きました」

 桜散に事実を問い詰められた総一郎は、下を向きながら彼女に答えた。

「私達が、一体どれだけお前を心配したと思ってるんだ!?」

「全く以て、そうですね」

 桜散の言葉に、俯きながら答える総一郎。

「大体、今回はカークと譲葉の処置が間に合ったからいいものの、一歩遅ければ、お前は死んでたんだぞ!?」

 桜散の感情が高まり、総一郎に掴み掛ろうとしたその時であった。


「駄目、桜散。病室は、静かに。それに、彼は、まだ目覚めたばかり」

「アレクシアちゃんの言う通りだよ、桜散ちゃん。怒る気持ちも分かるけど」

「っ!」

 桜散の手は、アレクシアによって制止される。それに続くように、譲葉が桜散を注意した。

 2人に連れられながら、桜散はベッドから少し離れたところに移動した。


 そしてそれと入れ替わるように、カークは総一郎のそばに移り、彼にこう語りかけた。

「その、総一郎、何だ。これからはこういうことが無いよう、気を付けような? さっちゃはお前のことをマジで心配したからあんなこと言ったんだからな?」

 カークは桜散の方を見る。2人に諌められ、頭を冷やしているようだ。

「そうですね。……重ね重ね申し訳ありません。カーク君」

 総一郎はカークの顔を一瞬だけ見た後、再度俯いた。


「皆様。もっと総一郎様とお話したいことがあるかと思われますが、そろそろ検査の時間ですので、今日はもう」

 カーク達と総一郎のやり取りを見ていた要は、壁にかかっている時計を見ながら、彼らに告げる。

「あっ! すみません要さん。分かりました。それじゃあ皆、帰ろうか」

「……分かった」

「了解」

「おっけー」

 要の言葉を聞いたカークは、慌てて皆に帰るよう促す。彼の言葉に3人は各々同意した。


 そしてカーク達は病室の扉の前に移動した後、再度総一郎の方を見た。

「総一郎、また明日来るから。じゃあな!」

「私も行くよ~。またね!」

「さっきはきついこと言ってすまなかった。それじゃあ失礼する」

「……お大事に」

 彼らは総一郎に別れの言葉を告げ、各々自身の帰るべき場所へと戻って行った。


――――――――――――夜。

「そっか。総一郎君、目が覚めたのね」

 夕食を食べながら、李緒はカークと桜散から総一郎が目覚めたことを聞いた。

「そうそうやっとだよ。1週間半ぶりくらい? かな」

 カークは夕食の肉じゃがを取ると、ジャガイモに箸を突き刺して口に放り込む。今日の夕食は彼が作ったものだ。

「あいつの行動には、私としては物申したいことがまだあるが……病人にきついことはダメだな、うん」

 桜散は譲葉とアレクシアに注意されたことを思い出し、自分を戒めた。


――――――――――――深夜。

 深夜。カークは1人ベッドに寝転び、物思いにふけっていた。隣の部屋から桜散のタイピング音が聞こえてくるほど、部屋全体は静寂に包まれていた。

(やっと目を覚ましたんだな。総一郎……)

 カークはようやく回復した友の姿を見てほっとしていた。

 もし彼の身に何かあれば、自分を責めることになっていただろう。

 自分は悪くないと分かっていても、そうなっていただろう。


(後は、あいつと要さんがどうなるかだな)

 要の誤解は既に解けている。2人を阻む要素は、もはや存在しない。

 今のカークにできることは、親友が良くやることを祈るだけであった。



65日目

――――――――――――朝。

 朝の病室。白と無機質に包まれた世界で、総一郎は1人目覚めた。

(朝、か……)

 周囲を見回す総一郎。病室には彼1人だけ。窓の方を見ると、朝日はまだ昇ったばかりのようだ。

(俺は、1週間ほど寝てたんだよな……)

 総一郎は記憶をたどる。家を飛び出し、迷い込んだ路地裏で暴漢達に殴られ、刺され……。

「っ!」

 総一郎は思わず体のあちこちをさする。当然傷はどこにもない。譲葉が治したからだ。

(これは……譲葉さんか。お礼言わないとな)

 総一郎は譲葉が治癒魔術を掛けている様子を思い浮かべる。


『カークと譲葉の処置が間に合ったからいいものの、一歩遅ければ、お前は死んでたんだぞ!?』

(っ!)

 総一郎は不意に、昨日桜散に怒られたことを思い出した。彼女の怒号が脳裏によぎる。

(……そうだったな)

 心の中で1人自嘲する総一郎。彼女の怒りはもっともなことだ。

 勝手に思い込んで、考えも無しに飛び出して。……そして皆に迷惑をかけた。

(俺は本当に、ろくでなしだな)

 朝日が昇り出した病室で、総一郎が自省していたその時であった。


「失礼いたします」

 突如、病室のドアを軽く叩く音と共に、廊下から要が入ってきた。

「要か。おはよう」

「おはようございます、総一郎様。起きていらしたのですね」

 互いに挨拶を交わす2人。

「その、要」

「はい? 何でしょうか」

「その……ごめん! 俺が早とちりしたばかりに。」

 出会って早々要に謝る総一郎。そんな彼に対し彼女は。

「総一郎様」

「は、はい!」

「……屋上へ、行きませんか?」


 総一郎は要に連れられ、車椅子姿で病院の屋上に来ていた。この病院は、屋上がちょっとした庭園になっている。

「朝日が、綺麗ですね」

「……そうだな」

 2人は朝日を眺め、そう呟く。

「その、要」

「はい、何でしょうか?」

 先ほどと同じやり取り。しかし、総一郎の口から出てきたのは謝罪の言葉ではなかった。


「要。……いや、弥代! 僕は……いや、俺は! お前のことが、好きだ……愛してる!」

 総一郎は何度もどもりつつも、何とか要に伝えることができた。

 そして、それを聞いた要は彼にこう返す。

「……はい。私も愛していますよ、総一郎様」


 要は総一郎が乗る車椅子にもたれかかると、彼に対し満面の笑みを浮かべる。それを見た総一郎の顔にも、笑顔が浮かんだ。

 刹那、朝日が薄雲に覆われ、そこから何筋もの光が現れる。

 その光は優しく包む込むかのように、2人を照らしたのだった……。


『 これらは彼に、全てが終わった後聞かされた話である。初めて聞いたとき私は半信半疑であったが、彼の言ったことに嘘は無いと思われるので記録という意味であえて載せる。

  正直、こうしてくっついた後に起こるであろう出来事を想像すると、私にはこの結末がハッピーエンドとはとても思えない。

  とはいえ、これは私が実際に経験した出来事ではないため、あっちではそれなりに丸く収まるよう事が進んだのかもしれないが。

                                                              『回顧録』序章より引用』

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