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The Memoirs 9th(回顧録 第9部)「これが、世界の選択か」  作者: 語り人@Teller@++
第三章「世界革命の呼び声/筋違いのハッピーエンド」
19/42

第17話『LikeとLoveの狭間で』

[あらすじ]

 使用人・要と中々いい関係になれないことを悩む総一郎。そんな彼はカークに対し、要が自分をどう思っているかについて聞いてくるようお願いする。以前と違って何とか要の気持ちを聞くことを成功したカークは、彼女の気持ちを総一郎に報告し健闘を祈るのだった。

 好きは好きでも親愛? それとも恋愛? 総一郎の恋の行方は如何に?



第17話『LikeとLoveの狭間で』


 カーク達が大学で一騒動起こし、数日が経過した。

 およそ40年前に壊滅したとされる極左テロリスト集団によるクーデター未遂事件は、ヒノモト中を大きく震撼させ、平和とされる自分達の国にもテロの脅威が存在しているということを国民に強く印象付けた。


 幸か不幸か、カーク達が総出で放った魔術の衝撃で記者達のカメラは壊れてしまい、そのうえ京道が魔術障壁で人払いをしてしまったため、カーク達の戦いぶりは記録として残らなかった。

 更に、数少ない目撃者となった記者達と学生達の証言を、警察やマスメディアはまともに取り合わなかったため、世間の話題はすぐに後述の騒動に移ってしまった。

 自身を取り押さえた者達の素性について京道が固く口を閉ざしたこともあり、世間には『学生達の誰かがテロリストと戦い、これを撃退した』という事実だけが断片的に語られることになった。


 カーク達との戦いに敗れて警察に逮捕されたジューク・京道は、他の協力者の名前や潜伏先、クーデター計画の詳細をあっさり暴露。

 その後ヒノモト各地の大学から彼の証言通りに戦車が次々と発見されたことで、全国の大学に警察の立ち入り捜査が入る異常事態となった。計画立案から関係組織への根回しまでを一手に担っていた彼の証言は、事件の全容解明の決め手となった。


 京道の根回し(という名の献金と魔術による脅迫)は厄介なことに、クーデターを実行した大学自治会連合や戦車の横流しに関与した防衛省及び国防軍のみならず、複数の政党にも及んでいた。根回しのやり取りを京道は全て物的証拠(録画、録音)という形で残しており、これらは彼の逮捕から時間差で報道各社と警察に届けられるよう事前に仕組まれていた。

 インターネット上にも公開された物的証拠は、後の防衛大臣辞任と与野党内での相次ぐ辞任騒動、そして最終的に衆議院解散(通称:『魔術解散』)と政権交代に繋がる一連の騒動の引き金となっていった。

 京道に根回しされた者達が国会で発言した『魔術で脅された』は珍言・迷言としてセンセーショナルに報道され、2012年の流行語大賞の1つに飾られた。


 だが、これらは全てカーク達にとって、どこまでも遠く無縁な話でしかなかった。

 こういった世の中の大きな動きとは別に、彼らの物語は静かに進んでいたのである。



51日目

――――――――――――朝。

 ReReRe……! 目覚ましの音が響く。

「う、うーん」

 カークは目覚ましを止め、ベッドから起き上がる。

「Ahー。朝か」

 彼は時計を見る。針は7時を指していた。

「ちょっと遅く起きたな。大学は……今日も休講か」

 カークは携帯端末で大学からのメールを確認した。

 ファズマ・ロッソの一件で警察の立ち入り捜査が入ることになり、大学はここ数日間休講になっていた。


「母さん! 母さーん?」

 カークは階段を駆け下りながら、李緒を呼ぶ。しかし。

(……居ないなぁ。もう仕事に出たっぽいなぁ)

 リビングに李緒は居なかった。玄関の靴が無くなっていることを見るに、既に仕事に出たのだろう。

(こんな早朝から大変だな母さんも。さてと、どうするかな。さっちゃ起こすか)

 カークは桜散を起こすべく、2階へ戻った。


 トントン……。

「おーい、さっちゃ~」

 返事が無い。どうやら寝ているようだ。

(寝ているのか? いつもならとっくに起きている時間なんだけどなぁ。ちょっと心配だな)

 普段と異なる桜散の様子に、カークは不安な気持ちになった。

「おーい……」

 更に呼びかけるも、返事は無い。

「入るぞー?」

 カークはドアノブに手を掛け、桜散の部屋へ入った。


「さっちゃぁ?」

 ベッドに近づくカーク。見ると、そこには。

「すぅ、すぅ……」

 寝息を立て、カークに背を向けて眠る桜散の姿が。

(珍しいな。さっちゃが寝坊とは……。まあ、大学休講だしなぁ)

 桜散の寝顔を横から覗き見るカーク。良い夢でも見ているのだろうか。穏やかな表情だった。

(こうして見ると、やっぱ可愛いんだよなぁ……ほんっと)

 カークが桜散の髪に触れようとした、その時であった。

「うぅん……」

「Wow!」

 桜散が、寝返りを打った。思わず後ずさるカーク。

「な、何だよ……」

 心臓が止まりそうになるという比喩がこれほど的確な状況はそう無いだろう。


「おーい、さっちゃぁ」

 落ち着きを取り戻したカークは、仰向けになった桜散の肩を揺すり、起こそうとする。

(全然起きないなぁ……あっ)

 カークの視線に、無防備に眠る彼女の唇が入ったその刹那。

(……)

 彼の心に、ちょっとした邪な考えが浮かび上がった。

(柔らかそうだなぁ)

 彼女の寝顔に、己の顔を近づけるカーク。

(こんだけ近づけても、起きないんだよな)

 更に顔を近づける。桜散の顔が間近にあるという圧迫感から、彼は思わず目を閉じた。

(今、何処まで近づけた? どの辺なんだ?)

 徐々に近づける。

 やがてカークの顔は、顔面数cmまで近づく。唇に至っては、少し下ろせばそのままくっついてしまいそうなほど近い。

 それほどの状態にもかかわらず、桜散は変わらず、すやすやと眠っている。


(うーむ……)

 桜散の顔面を前に一考するカーク。

(どうする? やるか、やらないか? 引くか、引かないか? 乗るか、反るか?)

 彼女の唇を前に、彼は実行をためらっていた。

(良いのか? やっちゃっていいのか? でも、これはチャンスじゃないか? あいつに俺の好意を示す……)

 このままこっそり敢行しようと意気込んでいる裏では。

(いや駄目だろ! 無理やりやるとか有り得ねぇだろ! こういうのは相手の合意が無きゃ)

 良心の呵責が、彼を苛む。悪戯でして良いこととそうでないことくらい、彼でも分かる。

(うぅぅぅぅ)

 この間わずか1分。

 されど、カークにとっては数分にも及ぶほど長く感じられた。目を固く閉じているのだから無理も無かろう。


(これは、選択。そう、選択。選択なんだ。このままあいつにそっとキスするか、黙って退いて、あいつを起こすか。

 俺の選択で、あいつと俺との未来が変わり得る。重大な、選択だ……)

 真っ暗闇の中で1人、自問自答するカーク。

 桜散の寝息が、彼の唇にそっと当たる。

(据え膳食わぬは男の恥と言うけれど、親しき仲にも礼儀有りという言葉もある。そもそも、この状況を俺が勝手に据え膳と解釈しているだけだ。万一、あいつが起きでもしたら……。やっぱこういうのは、男女対等で……。

 あぁーっ! やっぱりこんなこと考えるんじゃなかった)

 目を閉じながら赤面するカーク。

 しかし、決断しなければならない。遅かれ早かれ、彼女は起きるのだから。


 そして、顔を近づけてから2分30秒ほどが経過した、その時。

(ええーい! ままよ!)

 ついに、彼は腹を括った。

(なるように……するさ!)

 意を決し、顔を近づける。

 無論、彼には何も見えていない!

 近づける、近づける、近づける……。

 唇同士の距離が、紙一枚はさめるか挟めないかまでせまり、そして……。


 ピタッ……。

(……)

 桜散の寝息が、カークの鼻に当たる。

(……。あ、ああ……)

 そして彼の唇には柔らかく、それでいて暖かい感触が伝わった。


(Ah―! ついた、ついたぞ! やった! やっちまったよおい! ファーストキス! ファーストキスだよこれ!)

 視覚からの情報が無い中で唇から受ける感触は、この瞬間のカークにとってまさしく絶大的なものであった。

(あぁ、柔らかい……。これが、女の子の唇。穏やかな、気持ちに、な、る……)

 そっと触れるだけの軽い口づけであったが、カークにとっては十分であった。

(……っとっと、いけないいけない。少し意識が飛んでた。 

 さっちゃに気づかれない内に、さっさと離れないとな)

 カークは目を閉じたまま、顔を離そうとした。


 しかし。


 ガシッ! カークの頭を掴む音。

「んんっ!?」

 動揺するカーク。その直後、彼の頭はゆっくりと持ち上げられていき、2つの唇が離れた。

 顔を持ち上げられたカークが恐る恐る目を開くと……。

「おはよう。カーク」

 彼の顔をじっと見つめる、桜散の姿があった。


「本当に、すみませんでした」

 リビングの椅子に座り朝食を食べる桜散に対し、テーブル越しに向かい合って頭を下げるカーク。

 彼女が今食べている朝食は、彼に作らせたものだ。

「……」

 黙って朝食を食べる桜散。調子はいつもと全く同じだが、それがカークにとっては怖かった。

 しばらくすると、桜散は朝食を食べ終えて箸を止めた。


 そして彼女は一言、カークに問う。

「何か、弁解は?」

 彼女の口調は怒っている様子ではなく、ただただ真面目であった。

「あれは、ちょっとした事故で」

「その割には随分、長く付けていたようだが? お前が口付けしてきたとき、私はとっくに起きてたぞ?」

 突然口を開いた桜散に動揺したカークは、咄嗟にありがちな弁解をしてしまったが、彼女はそれを冷静に受け流した。

「う、うぅ。はい、そうです! そうですよ! 本気でやったんだよ! 気持ち良さそうに寝ているお前の顔を見ていたら、ついやりたくなったんだよ!」

「そうか、分かった」

「だから、その、本当にごめん!」

 カークの自白に対し、笑っているとも怒っているともつかないような表情で返事をする桜散。

 その一方で、カークは額に汗を流しながらとにかく必死に謝罪の言葉を並べた。


 あまりに必死なカークの様子を見た桜散は、何か考え込むような仕草をした。そして。

「……つまりお前は、寝ている女の子の部屋に忍び込んで、その唇にキスするような奴だったんだな?」

 先程とは別の切り口からの問いをカークに投げかけた。

「違う」

 桜散の問いを必死で否定するカーク。

「何が違う? じゃあもし、あの場所に寝ているのが、例えば譲葉ちゃんとかだったら、お前はしないと断言できるのか?」

 2人の目が合う。

 桜散はこの言葉を通じてカークに何かを伝えたいようだった。

「それは間違いなくできる!」

 カークは強く断言した。

「どうしてそう断言できる?」

「分からない。分からないよ、さっちゃ。根拠は無いけど、感覚的に何となく言える。……さっちゃなら許してくれるんじゃないかなって、心の何処かで思ってたんだよ。

 俺はさっちゃだったからこそ、寝顔を見て、ふとキスしてみたいって思ったんだよ」

「っ!」

カークの答えに、桜散は大きく目を見開く。

 そして彼女は、ついに本当の問いをカークにぶつけた。


「なあカーク。お前は、私のことを、どう思ってる?」

「分からない」

 真顔で問う桜散に対し、カークは頭を掻き、困ったような顔をしながら呟いた。

「分からない? 分からなくて、私のファーストキスを奪ったのか? 少なくとも嫌いだとは言わせないぞ?」

 思わず語気を荒げる桜散。彼女の平静さは、ようやく崩れ始める。

「ち、違う! 違うよさっちゃ。少なくとも、嫌いじゃない。確かに嫌だなぁって思うことはあるけどさ」

 その言葉に、桜散は顔をムッとさせる。

 しかしカークは話を続けた。

「でもさ、嫌じゃないんだよ。

 お前と一緒に過ごしていてさ、気分が悪くなんねぇんだ。

 何というか、妙に相性が良いというか、馴染むというか……」

「……」

 彼の言葉を黙って聞く桜散。

「好きか嫌いかと言われたら、間違いなく好きだよ? さっちゃのこと。でなきゃ、あんなことしようなんて思わないよ。

 でもさ、それがさ。その好きがさ、エンゲリス(注:英語のこと)で言うところのLoveかLikeかと問われたら、今の俺は答えられない」

カークはため息を吐く。

 彼自身、あの時桜散に抱いた思いの正体が何であるか決めあぐねているようだ。

 

「私に対する好意が、恋愛感情から起因しているものなのか。それとも親愛から起因しているものなのか。

 それがお前の中ではっきりしていないと?」

 カークの話は、桜散にとって予想外だったようだ。

 いつの間にか彼女は、右肘をテーブルに付け、右手を顎に当てていた。

「そう、そうだよ、それ! 

 そもそもこんな話をお前の前でスラスラ話せてしまうという事実に、俺自身が驚いてる。

 愛してる相手なら、普通こんなん恥ずかしくなって言えねぇはずだろ?」

 カークは大きく手を振りながら、自分の感情に疑問を持っていることを告白した。

「確かにそうだな」

「だろ? でも、言えた。普通に言えちまった。

 俺はさっちゃの事が好き。これは間違いなく断言できる。

 でも、それが愛しているからなのか、それとも気が置けないからなのかって聞かれたら、やっぱ答えらんないよ。だから分からないって答えた。ホントにごめん! さっちゃ」

 カークは再度頭を下げた。今日だけで、彼女に何回謝ったのだろうか?


「……そうか。私のことが好き、なんだな? カーク」

「ああ」

 言質を取るかのような桜散の問いに、カークは何のためらいもなく即答した。

「分かった。なら、今回の件は不問にしておいてやる」

「あ、ありがとう。さっちゃ」

 ほっと胸をなで下ろすカーク。

「ただし! 次は無いからな? 女心を踏みにじるようなことをまたするなら、容赦しないぞ?」

「は、はい!」

 背筋をピンと伸ばし、カークは反省の態度を桜散にアピールした。


「親愛か、恋愛か。

 ……もしまた、キスしたいと思ったなら、今度はお前の中で答えを出した上で。それで、ちゃんと私が起きているときにするんだな」

 十分反省していると思しきカークに対し、桜散は優しく諭すような声で囁きかけた。

「え?」

 桜散の何気ない一言を受け、カークは自分の耳を疑う。

「……案外、まんざらでもなかったぞ?」

 直後、桜散の顔がにやけた。

「えぇっ!? それじゃあ。さっちゃは俺のことを……?」

 桜散の言葉に思わず期待を寄せてしまうカーク。

 彼とて、自分と親しい女性に誤解するような言葉を吹き込まれたら、ときめかずにはいられないのだ。


「さあ? どうだろうな?」

しかし、桜散はあっさりとカークの問いを受け流し、ふふっと笑った。

「はぁ~? つうかさ。俺はお前に対する気持ちをこうやってはっきり言った訳だけど、逆にお前はどうなんだよ? 俺だけ話して、不公平じゃね?」

 桜散の煙に巻くような態度に、カークは抗議する。

 そんな彼に対して桜散は、信じられないとでも言わんばかりな様子でこう反論した。

「は? お前は一体、何を言っているんだ? お前に私を問う権利なんか、無いぞ?

 そもそもこれはお前の告白と引き換えに、私がお前の罪を赦したということなんだからな?

 これ以上詮索するようなら、譲葉ちゃんに、今日のこと言うぞ?」

「Ouch! そ、それは止めてくれ! 分かった。お前の気持ちは、聞かないよ」

 譲葉にばらされると聞き、慌てて取り繕うカーク。

 その様子を見て、桜散は不敵に笑った。

「よろしい」

「ほっ」

 カークは再度、胸をなで下ろした。


 ザァァァァァ…… 食器を洗う水音が、キッチンからリビングに響く。

 カークが食器を片づけているのを見つつ、桜散は1人物思いにふけっていた。

(奇遇だな、カーク。私もお前と同意見だ。

 一緒に居ていて、嫌じゃない。お前が言う通り、相性が良いんだろうな)

 先程のやり取りを思い出す桜散。

(だがな、カーク。お前と私で違うところもある。

 お前は、LikeかLoveか分からないって言ったよな? 

 でも、私のお前に対する『好き』は、間違いなく……)

 気難しい少女は、己の恋心を自覚した。


――――――――――――午前。

 ppp……ppp……。

「むっ、電話だ」

桜散とのやり取りの後自室に戻ったカークの元に、1本の電話がかかってきた。


「もしもし、カーク・高下ですが」

「あっ、カーク君! おはようございます。僕です、高良総一郎です」

 電話の主は総一郎だった。

「総一郎か、おはよう」

 互いに挨拶を交わす2人。


「で、用件は何なんだ? わざわざ電話して来たってことは、それほど重要なことだったり?」

「はい。一昨日の件についてです」

「あー……。そうか。すまない! 総一郎。あの後大変だったろ?」

 大学での騒動の後、総一郎は動画の件で警察から事情聴取を受けていた。

「カーク君が気にすることじゃありませんよ。あれは僕の独断でやったことですから」

「でも、いろいろ聞かれたんだろ? 警察に」

「それなんですが……。カーク君に伝えておきたいことがあって」

「伝えておきたいこと?」

「はい。僕は昨日、警察署で事情聴取を受けていたのですが、その途中で別室に連れて行かれまして」

 総一郎はカークに、警察署での出来事を話し始める。

「ふむふむ、それで?」

「『高下李緒から、今回の件はこちらで預かるという連絡があったので、お前を解放する』と言われ、そのまま解放されました」

 総一郎の話は、カークにとってにわかに信じがたいことであった。


「えっ……? 李緒って、母さん!?」

「はい、カーク君のお母さんです。

 彼女の名前が出た途端、取り調べをしていた警察の方々の目の色が変わりまして。

 たしか、警察の偉い人と思しき人も、何やら慌てているようだったはず……」

 その時の様子を慎重に思い出しながら、総一郎はカークに伝えた。

「まじかよ……。

 そう言えば、母さん達が協力してホッカドーでの騒動を解決したって、あいつ、ジューク・京道が言ってたな。それと何か関係があるのかな?」

 カークは、ふと京道の話を思い出す。自分達の両親が、かつて魔術を使って巨悪を倒していたと。

「そうですねぇ。おそらく奴が言った件で李緒さんは、警察組織と何らかの太いパイプを持つようになって、それを使って僕を釈放するよう働きかけたのかもしれませんね」

 警察と李緒に何らかの繋がりがあるのではないか。総一郎はそう推測していた。


「なるほどな。しっかし母さんがねぇ。そんな力持ってるなんて、知らんかったぜ。

 はっ! つか。そんなん有るんなら、最初から母さんに冤罪の件打ち明けとけばよかったってことじゃねぇか! 去年の俺の苦労は一体……」

 総一郎の推論を聞いて、カークは母に真実を話さない選択をしたことを後悔した。

「仕方ありませんよ。去年のカーク君は、何も知らなかったのですから。

 大事なのは、これからどうするかですよ?」

 そんなカークを、総一郎は優しく慰める。

「そうだな。まあ、そうだよな。すまん、総一郎。変なこと言って」

 知っていれば、というのはあくまで結果論でしかないことは、彼自身一番よく分かっていた。


「いえいえ、大丈夫ですよ。……話を戻しますね。

 それで、今回の件なんですが、僕はこれ以上関わるのは止めにした方が良いんじゃないかなと考えているのですが、カーク君はどう思いますか?」

 総一郎は話題を変え、カークに京道の件から手を引いた方が良いのではないかと相談した。

「だな。お前の話を聞くに、こっから先は母さん達に任せとけば何とかなる気がするわ。

 それにこれ以上深入りしても、面倒事が増えるだけだろうし」

 総一郎の意見に、カークは深く同意した。

「分かりました。それでは、今日僕が話したことを桜散さんにも伝えておいてくれませんか?」

 総一郎はカークに、桜散に警察での話を伝えるよう頼んだ。

「分かった。伝えとく。

 あと、深入りするべきか否かについては、多分さっちゃもお前と同じことを言うと思う」

「分かりました。

 あと、譲葉さんとアレクシアさんにも伝えたいと思ってるのですが、アレクシアさんの連絡先、カーク君は知りませんか?」

「知ってるけど……。なら、俺がアレクシアに連絡するから、お前はゆーずぅの方に連絡頼む」

 カークは、アレクシアへの連絡役を買って出た。

「了解しました。じゃあ、連絡よろしくお願いしますね」

「おう」

「ありがとうございます。それでは、僕はこれにて失礼しますね」

「おう、また今度な!」

 こうして2人は通話を終えた。

 

 その後カークは、桜散に総一郎の話を聞かせた。

「……という訳で、総一郎の方は何とかなったらしい」

「そうか。やっぱり李緒さんが一枚噛んでいたか」

 総一郎の話を聞いて、桜散はさもありなんという顔をした。

「知ってたのか?」

「いや、初めて聞いた。でも想像はつくさ。李緒さんと京道には因縁があるのだろう? 今回奴が動いたのを、李緒さんがみすみすそのままにしておくとは思えない。

 それにかつて反社会組織絡みの事件解決に寄与し、おまけに九恩院家の現当主と顔見知りともなれば、国家権力と何らかの繋がりを持っていても不思議じゃない。まして魔術絡みの事件に対し警察がお手上げとなれば、彼らが逆に李緒さんを頼っている可能性すらある」

 桜散の考えは、案の定総一郎のそれとよく似た物であった。

「なるほどな。……でだ。総一郎は今回の事件から手を引いた方が良いって思ってるらしくて、実際俺もそれに同意したんだが、さっちゃはどう思う?」。

「私も同意見だ、カーク。これは李緒さん達に任せるのが一番だろう。京道のことなら彼らの方が詳しいだろうしな」

「だよな」

 これもまた彼の予想通り。かくしてカークは、桜散に話を伝え終えた。


 その後カークはアレクシアに、メールで京道の件から手を引くことを連絡した。

 返事はすぐに来た。


『件名:Re:総一郎からの連絡 本文:私はカークの意見を、尊重する。京道の件は、李緒さん達に任せましょう。総一郎にも、よろしく』


(簡潔だな。返事も早いし……。まあ、これで全員には伝えたな)

 アレクシアからの返事を見たカークは、両手を上に挙げて背筋を伸ばした。


――――――――――――午後。

 午後。カークは気晴らしに、自宅近くの公園へ足を運んでいた。

「おっ! 理正さん、こんにちは!」

 そこでカークは、ベンチに座る理正を見つけ、声を掛ける。

「こんにちは、カーク君。元気にしていましたか?」

「おう! あれから色々あったけど、まあ何とかやってる」

 カークは理正の隣に座った。

「そうですか。……総一郎君の動画、見ましたよ? ジューク・京道と戦ったみたいですね?」

「やっぱり理正さんも知ってるのか? あいつのこと」

 2人の話題は先日の騒動についてのことだった。

「ええ。桜花と私はあの件が切っ掛けで出会いましたからね。当時の私は、李緒さんの下で色々やってたんですよ。彼女には、何かと世話になりました」

 やはり理正と李緒は、昔から知り合いだったようだ。


「母さん、いろいろやってたんだな。

 そういや母さんと知り合いなら、何で桜散のことを聞いたりせずにコソコソ覗き見るようなことを?」

 そこでカークは理正に、李緒との関係について更に突っ込んだ。

「それなのですが……。実は李緒さんからは時折、桜散について連絡を受けていたんですよ。

 ただ、実際の様子は見てみないと分からないので、ああして時折見に行っていたんです」

 李緒と理正の付き合いは、カークが思っていた以上に長く続いているらしい。


「なるほど。てことは、親のこと知らないってのは、完全に嘘じゃねぇか! 母さんめぇ……」

 自分に嘘をついていた母親に対し、カークは憤り、そしてがくりとうなだれる。

「まぁまぁ。無理もないと思いますよ? 桜散は聡明ですから、上手く隠さないと私と李緒さんとの関係を探ろうとするはず。もしあの子が家を出て間もない時期に、この関係に気付いていたら……」

「あー……。なるほどな。だから隠し続けてきたのか」

 カークは桜散の理正に対する態度を思い出し、そして察した。

「でも、今回の件でおそらくあの子も気づいたでしょうね。……彼女の様子はどうですか?」

「別に? 特に何もないぜ……あっ」

 そこでカークは今朝の出来事を思い出し、思わず口をつぐんだ。

「どうしましたか?」

 突然驚きの声を上げたカークに対し、理正が心配そうに尋ねる。

「いや、何でもない、何でもないです! 理正さん」

 カークは慌てて誤魔化した。愛娘に不埒なことをしたということを、父親の前で言えるはずが無い。

 先の話を聞くに、娘のことを相当大切に想っている父親であることは疑いようが無く、なおのこと話す訳にはいかなかった。

「ふむ。何でもないなら良かった。あの子のこと、今後も頼みますね」

「分かりました」

カークは理正に快く返事した。


 ここで理正は話題を変え、京道について話し出した。

「それにしても、京道相手によく無事でいられましたね。彼は私よりはるかに強い魔術師です。

 21年前の件では、私達8人がかりで動きを止めるのがやっとだったんですよ?」

 理正は顎に手を当てながら、昔のことを語った。

「そうなのか?」

「ええ。彼、3つの属性を操っていたでしょう? あれをできる魔術師はそうそう居ません。魔術の属性は、1人1つが基本ですから」

 理正は京道の例を挙げながら、魔術の属性についてカークに説明する。

「えっ? でも理正さんは3属性操ってるじゃん。京道とはどう違うんだ?」

 以前の仮面の怪物との戦いで、理正が火・風・地の3つの魔術を使っているのをカークは見ていた。京道が使っていた魔術もしかり。

 2人にどう違いがあるのか、カークは気になった。


「魔術師の中には2属性や、私のように3属性使える熟練者も居ます。

 ですがそう言う場合でも、メインとなる主属性とサブとなる副属性があって、副属性は主属性ほど高度には習熟できないものなんです。

 例えば私の場合、主属性は火属性で風属性と地属性は副属性です。火属性の魔術は最上級まで習得している一方で、他2属性は精々中級止まり。

 『主属性の習熟度を最大で100%とするならば、副属性はその半分、50%程度までしか習熟できない』ということです。先ほどの属性は1人1つというのは、この主属性のことを指しているんですよ」

 理正は自分の例を使って、カークに主属性と副属性の違いを説明する。

「なるほど。つまり2属性習得していても、両方極めて最強! ってのはできない訳か。

 2つ以上の属性を使いこなすってのは大変なんだな」

 理正の話に相槌を打つカーク。彼は話を続けた。

「しかし京道は例外、突然変異。言ってしまえばバケモノです。

 彼は『3属性全てが主属性』という特殊な魔術師なんですよ」

「3つ全てが主属性!? ってことは」

 理正の話を聞いたことで、カークは2人の違いをすぐ理解した。

「察しの通り。彼は3属性全てを高度に習得しています」

 そこまで言ったところで、理正は一息ついた。


「そういやあいつが使ってくる魔術の中には、魔術陣みたいのが出てくる、一際威力がでかい奴があったな。あれが最上級魔術なのか?」

 カークは一昨日の戦いで、ときおり京道が一際強力な魔術を放ってきていたことを思い出した。

「その通りです。その様子だと、彼は全て君達に見せたみたいですね」

「ああ。あれはマジで大変だったぜ」

 3属性の最上級魔術を自由自在に操る相手。

 今更ながらとんでもない敵を相手にしていたということを、カークは自覚した。

「そんな相手に立ち向かって無事だったところを見るに、京道は手加減していたのかもしれませんね。

 もし彼が本気で君達を倒すつもりなら、それこそ最上級魔術を連射して一気にけりをつけようとするはずです。君達に初級魔術や中級魔術で渡り合うような真似はしないはずです」

 カーク達と京道の間には大幅な力量差があり、彼が手加減して居なければ勝負にすらなっていなかっただろう……。理正は経験者として、カーク達と京道の戦いを迷うことなくそう結論付けた。

「完全にあいつに遊ばれてたって訳か。癪に障るな」

 カークはため息を吐いたが、そこで不意にあることを思い出した。


「あっ、そうだ。京道で思い出したんだが、理正さん。あの後補助魔術、覚えたぜ」

「おおっ! 覚えられましたか。順調に腕を上げているみたいで何よりです。

 京道との戦いも、君達にとっては良い経験になったのかもしれませんね」

「Ahaha……。まあ、ああいうの相手するのは、もう勘弁願いたいけどな」

 カークは頭を掻き、照れくさそうに言った。


「そう言えば、カーク君はここに何の用で?」

 京道の件について一通り話したところで、理正はカークにここに来た理由を尋ねた。

「あ、いや、特に意味はない。大学が休みだったので、暇を潰しに」

 カークは率直に答えた。実際暇を持て余していたので嘘はない。

「なるほど、大学がね。それはまあ確かに、そうなるでしょうね……」

 理正はカークの話を聞いて納得した後、不意に何かを思い出したかのような様子で彼に言った。

「そうだ。もし、大学の勉強で何か分からないことがありましたら、相談に乗りますよ?」

 理正はカークに、大学の勉強の相談に乗ることを告げた。

「えっ、いいんですか?」

 彼の突然の提案に驚くカーク。

「はい。実は君達の大学には、以前非常勤として勤務していたことがありましてね。レポートや論文のチェックといった仕事もしていたのでそれらの添削もできるですよ。だから、困ったら気兼ねなく相談してください」

「分かった。すまねぇ、理正さん。魔術のことといい、いろいろ世話になって」

「いえいえ。君達には桜散のことで世話になってますから、これはお返しですよ」

 理正はにこやかに笑った。

 目の前の老人の微笑ましい様子に、カークも心が温かくなった。


 その後2人は取り留めのない話をした後に別れ、カークは家へと戻った。


――――――――――――夜。

 夜。夕食後カークは、桜散に会うために2階へ向かった。

 トントン!

「おーい、さっちゃー」

 今度は返事が来るのを、カークはじっと待つ。

「……入っていいぞ。カーク」

「分かった」

 カークは桜散の部屋へ入った。


「何やってるん?」

 部屋に入ったカークが見たのは、机上のパソコンに向き合う桜散の姿であった。

「あっ! ああ。ちょっと、レポートをな……」

「ふーん。どれどれ」

 カークは彼女が書いているレポートを見たが、内容はよく分からなかった。


 その時、桜散はカークをそっとテーブルから引き離した。

「あまり、じろじろと見るな。集中できない」

「分かった。すまねぇ。これで失礼するわ、おやすみ」

「ああ、おやすみ。カーク」

 かくしてカークは自室へ向かい、そのまま眠りに就いた。



52日目

――――――――――――朝。

「おいカーク! 朝だ起きろ!」

「むぅ、何だよ? 今日は土曜日だろ?」

 桜散に強引に起こされるカーク。

「そうは言っても、もう7時だぞ? ほら、さっさと起きろ! ……ふぁぁ」

 カークに対し荒い声で叫んだ桜散は、直後に大きな欠伸をする。

「どうしたんださっちゃ。機嫌が悪そうだが」

 桜散はしきりに眠そうな顔をしていた。

「あ、ああ、すまんな。ちょっと、徹夜してた」

「おいおい、人のこと言えねぇじゃねぇか」

 カークは桜散に文句を言いつつ、ベッドから降りた。

  

「それじゃあ、朝食を、っとと」

「うわっ、危ね!」

 足下がおぼつかない桜散の身体を、カークは両手で支えた。

「あっ……。す、すまんなカーク」

 カークに横から抱きかかえられる格好になった桜散は、顔を赤くし体勢を立て直した。

「本当に大丈夫か? 顔もちょっと赤いし、今日は大人しく寝た方が良いんじゃねぇか?」

「い、いや。大丈夫だ。……ふわぁぁぁぁ」

 右隣の桜散がひときわ大きく口を開けるのを見て、カークはげんなりした。


 その後、桜散と共に朝食を食べたカークは、ひとり気晴らしに外へ出た。

(はぁー、清々しい朝だな)

 道端を歩きながら、カークが背伸びしたときだった。


 ppp…ppp……。携帯が鳴る。

(電話? 差出人は総一郎か。こんな朝早くから連絡なんて、何かあったのか?)

 電話を取るカーク。


「もしもし、カークだけど。総一郎だよな? どうした? 昨日の件はちゃんと連絡したぞ?」

 挨拶しつつ。ちゃんと報告を忘れないカーク。

「あっ、おはようございます、カーク君。昨日はありがとうございました」

 電話越しに礼を言う総一郎。

「どういたしまして、と。で、用件は何だ?」

 カークは改めて、彼に用件を尋ねた。


「はい。それなんですが……。

 頼みます、カーク君! 今から僕の家に来て、要に僕のことを聞いてきてもらえませんか?」

 どうやら総一郎はカークに、要が自分のことをどう思っているか聞いてきてほしいようだ。

「……電話切っていいか? 総一郎」

 カークは電話越しから聞こえる人任せな様子に、思わずあきれ返った。

「ああっ待ってカーク君! 交通費はこちらで支給しますから!」

 想像以上に辛辣なカークの様子に慌てる総一郎。電話越しの声は情けなかった。

「安心しろ、冗談だよ。ちょうどこっちも暇だったからさ。良いぜ、その依頼受けてやる」

 そんな狼狽する総一郎を茶化しつつ、カークは彼の依頼を引き受けた。

 実際の所、総一郎には先日の騒動で大きな借りがある。それを暇潰しついでに返すのも悪くないと彼は考えていた。


「ありがとう! カーク君。それでは一度、僕の部屋に来てください。質問について話します。交通費も、その時払えばいいでしょうか?」

「分かった。それでOKだ。それじゃまた後でな」

「はい! カーク君。よろしくお願いします」

 カークは通話を終えると、総一郎邸へ向かうべく地下鉄駅へと歩き出した。


「それで、どういうことを聞けばいいんだ? 総一郎」

  総一郎の家についたカークは、彼の部屋で話し合いをしていた。

「そうですね。ここは直球に、僕のことが好きかどうか尋ねてきてください」

 総一郎は照れ臭そうに、あらかじめまとめていたメモを読み上げた。

「好きかどうか、でいいのか? 好きは好きでも、likeのほうかもしれんぞ?」

 カークはふと、昨日の朝のことを思い出した。好きは好きでも恋愛感情で好きと答えるとは限らない。

 それに、使用人と主という立場の違いを理由に答えを濁してくる可能性も十分に考えられる。

「その辺も、ちゃんと詳細に聞いてください。しつこく聞いて構いませんよ」

「分かった。とりあえず、ちゃんとしつこく聞いてみるよ。

 んで、他には?」

「今は、特にありませんね。……本当は僕が直接聞くべきなんでしょうが、すみません。僕が聞いてもはぐらかされちゃったりするし、何より上手く伝えられないんです。彼女と面と向かって話をしようとすると」

 総一郎はカークに頭を下げる。彼も飄々とした要の気持ちを調べることに苦労しているようだ。

「良いってことよ。お前には大学での件で借りがあるんで、それを返さないとな」

 カークはにこりと総一郎に笑顔を返すと、そのまま立ち上がった。

「さてと。それじゃあ俺は要さんを捜しに行くとするよ」

「分かりました。どうか武運を」

 部屋から出るカークを、総一郎はじっと見送った。

「おう」

 廊下に出たカークは周囲をきょろきょろと見回しつつ、屋敷の何処かに居るであろう要を探し始めた。


 それから数分後。カークは屋敷の窓を拭いている要の姿を見つけた。

「あのー、すみません。要さん」

「あら、カーク様。私に何かご用でしょうか?」

 要は雑巾をバケツに入れ、カークに目線を合わせる。

「ちょっと、時間とっていいですか?」

「……時間? かまいませんが、何でしょうか?」

「ちょっと聞きたいことがあるんです」

 カークは総一郎から頼まれていた質問を、要にぶつけた。


「つまり、私が総一郎様のことをどう思っているのか知りたいのですね?」

「そうです。ほら、以前聞いたときは教えてくれなかったじゃないですか。

 俺、あれからどうしても気になっちゃって……」

 あくまで気になるのはカーク自身であるという体で、彼は話を進めた。

「そうですかぁ……。うーん、そうですね、どうしましょうかねぇ」

要は顔を上に向け、何やら考え込んでいる。

「やっぱり、ノーコメントですか?」

 またはぐらかされるのではないかと考えたカークは、思わず失望感を顔に出してしまった。


 すると、彼のそんな表情を見た要はばつの悪い顔をしながらカークに謝り始めた。

「いえ。その、先日ははっきりとしたお答えが出来ず、申し訳ございませんでした。あのときは突然聞かれて、上手く答えられませんでした」

「えっ?」

 要に一礼され、驚くカーク。そんな彼に対し、彼女は話を続けた。

「それで、質問の答えですが、私のような使用人がこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが……」

 要は言葉選びに迷っているようだ。彼女は考える仕草をしながら、カークに答えた。

「彼の世話が嫌であれば、とっくに私、この仕事を辞めていますよ?」

 そう言うと、要はにっこりと笑みを浮かべる。極めて真っ当自然な笑みだ。

「じゃ、じゃあ、総一郎のことは?」

 要の答えを聞いたカークは、先ほどの様子とは一転、期待に満ちた様子で尋ねる。

「そうですねぇ。私は総一郎様が生まれた時から、身の回りの世話をしていましたから。私にとっては子供、あるいは年の離れた弟みたいなものですかねぇ? あはっ」

 要は再び笑みを浮かべた。

「なるほど」

 カークは相槌を打つ。

(子供、あるいは弟分か……。母親代わりみたいな感じか? これは攻略難易度的にどうなんだろう? うーん、分からないなぁ)

 カークは総一郎の恋の難易度をギャルゲーに例えて考える。

 しかし、使用人に世話された経験が無い彼に、この2人の関係をイメージすることは極めて困難であった。


 そこでカークは、より具体的な問いを彼女に投げかけることにした。

「あの、失礼なことをお聞きしますが、彼に何らかの、その、特別な感情というのは……?」

 すると、要は顔を真っ赤に染め、気まずい顔をしながら彼に問い返した。

「カ、カーク様……? ひょっとして、総一郎様にこのことを聞くよう頼まれましたね? あなた様が気になるというのは、嘘ですね?」

「あっ、その! それは」

 カークは図星を突かれ、しどろもどろになった。

(やっべバレた! こりゃまずい! やっぱ失礼だったよな)

 動揺するカーク。そんな様子を見た要は、やれやれと言いたげな顔をしながらこう呟いた。

「はぁ、本当にあのお方は、しょうがないですねぇ。

 カーク様はどうかお気になさらずに。貴方は何も悪く有りませんから」

 要は喋り終わると、近くの壁に寄り掛かって目を閉じた。

「あの、要さん。その、総一郎を許してやってくれませんか? 親友として頼みます!」

 要が総一郎を怒るであろうと考えたカークは、必死に彼を弁護した。

 そんな彼に対し、要は宥めるような口調で優しくこう諭した。

「分かってますよ。総一郎様を怒るつもりはないので安心してください」

「そうですか。ありがとうございます」

 カークは要に頭を下げた。

「いえいえ。カーク様は、本当に総一郎様のことを大切に思ってくれているのですね。

 周りにも気が置けない友人方が増えて……。最近は家から積極的に外へ出るようになりましたし、本当に良かった」

 要は現在の総一郎の境遇に安堵しているようだった。


(……ん?)

 そんな要の言葉に、カークは違和感を覚える。

 「最近は」家から出るようになった。

 つまりそれまでは、ずっと家に引きこもっていたということになる。

 桜散や譲葉といった女子相手に動ずることなく気さくに話しかけ、更に先の事件ではマスコミ相手に器用に立ち回ったあの総一郎が元引きこもりだったとは、にわかには信じ難かった。


 ……もしかしたら、彼にも何かつらい過去があったのではないか? 

 そう気になったカークは要に尋ねた。

「なあ、要さん。総一郎って、過去に何かあったりしたんですか?」

「っ!」

 カークの問いを聞いた要は、表情を変える。

 それは先程までの穏やかな表情ではなく、マズいものに触られたかのような顔であった。

「え? どうしたんですか、要さん。俺、もしかして触れちゃいけないことに触れちゃった感じ……?」

 角度によっては怖く見える要の顔を見て、カークは狼狽する。

「あっ! すみませんカーク様。別に私は怒っているわけではないのですよ」

 怯えるカークの様子を見た要は、宥めるように言った。

「ただ……」

「ただ?」

「申し訳ありませんが、その話は私の口から申し上げることができません」

 要はカークに頭を下げた。

「何故? 総一郎に止められているんですか?」

 カークの言葉に、要は首を横に振った。

「いいえ。ただ、これを私から言うのは、総一郎様に失礼ではないかと考えています。

 もし知りたいのでしたら、彼に直接聞いてみてはいかがでしょうか? 総一郎様は貴方様に心を開いているようですし、もしかしたら教えてくれるかもしれませんよ?」

 要は、総一郎自身に聞くようカークに頼んだ。

「分かりました、要さん。その件は、あいつに直接聞いてみようと思います。

 今日はいろいろとありがとうございました。すみません、お忙しい中時間を取っちゃって」

 カークは壁に寄り掛かる要の横にある掃除器具を一瞥する。彼女の仕事はまだまだありそうだ。

「いいえ。お気になさらなくて結構です。私自身、こうして旦那様や奥様以外の方と話をする機会があまり無くて。楽しかったですよ?」

 既に要の表情は、元の穏やかな様子に戻っていた。

「あ、いえ。そうですか……。それでは、失礼します」

 カークが挨拶をし、要から離れようとしたその時だった。


「カーク様」

 突如、後方で要がカークに声を掛ける。

「な、何ですか? 要さん」

 突然の呼びかけに驚き、カークは振り向いた。

 そこには、背後から日光に照らされた、白黒のメイド服姿の女性が立っていた。

 表情は、逆光で良く見えない。

「総一郎様のこと、よろしくお願いします。そして総一郎様にご伝えてください。

 要は、ずっと貴方のそばにいますと」

「……分かりました」

 要の意味深な言葉を噛みしめつつ、カークは総一郎の部屋に戻った。


 部屋に戻ったカークは、総一郎に事の顛末を報告した。自分がカークに聞くよう頼んでいたことがばれていたという話を聞かされた彼は一瞬動揺したが、要が最後にカークに残した伝言を聞いたことで、心が安らいだようだ。

「ずっと貴方のそばにいます。ですか……」

 要の言葉に、目を閉じる総一郎。何かこみあげてくる思いがあるのだろう。

「そう! そうだよ! こーりゃ間違いなく脈ありっしょ! ワンチャンだぜ、総一郎!」

 総一郎に希望の言葉を掛けるカーク。

「そ、そうですか? カーク君。そうか、そうなのか……」

 目を閉じたまま安らかな表情をする総一郎。

 もし彼が亡霊であったなら、その場で成仏してしまいそうなほど安らかだ。

「おいおい、まだそんな段階じゃないだろ? これからだよ、これから。

 ほら、次はお前があいつに気持ちを伝える番だ」

「あっ! そ、そうですね。そうですよね……」

 カークに発破を掛けられた総一郎は、力無い様子で答えた。


(おいおいおい! 大丈夫かよ、これ? いくら脈があったって、動かなきゃ勝負になんねぇってのによ。

 ……やっぱりいざ面と向かって伝えるってのは、リアルでも大変なんだなぁ)

 総一郎が要への告白を躊躇している様子を見て、フィクション同様難儀なものだとカークは感じた。

「お前がちゃんと伝えなきゃ、意味が無いだろ。男を見せろ、総一郎!」

 カークの更なる発破でとうとう腹を括ったのか、総一郎はキリっとした表情をした。

「……分かりました、カーク君! 僕も覚悟を決めます。

 今日、カーク君が帰った後に、要に告白します!」

 一人の男の決意表明が、決して広くない彼の部屋に響いた。


「おう!その心意気だ! 良い返事、待ってるからな?」

 総一郎の覚悟を聞いたカークは、彼を応援した。

「は、はい。今日はありがとうございました、カーク君。これは交通費です」

 総一郎は、お金が入った封筒を手渡す。

「おっ、サンキュー……っておい! 

 これ、5万円入ってるじゃねぇか!? バスや地下鉄込でも、こんなん掛からねぇよ」

 封筒の中身を見たカークは、想像とかけ離れた高額報酬に思わず一驚した。

「いえいえ。気にしないでください。これは僕からの気持ちなので。余った分はそのまま貰っていいですよ?」

 総一郎はにこやかに、カークに語りかけた。

「えっ、でも俺、あまり大したことは聞けなかったぞ? 何というか、5万円分仕事をしたとは思えない。受け取れないよ……」

 カークは封筒から4万9千円を取り出し、総一郎に返そうとする。

 しかし、その手は総一郎自身の手で止められる。彼は首を横に振ると、カークにこう言った。

「それでは、この分は以前異空間から僕を助けてくれた件の報酬、といたしましょう。

 命を助けたのですから、5万はむしろ安すぎるくらいだと思いますが?」

 総一郎はにやりと笑うと、カークにお金を突き返した。

「むぅ、そう言う手で来るか……」

 カークは困ったような顔をした後、お金を封筒に戻した。

「それじゃあ、ありがたくいただくよ。余った額は、さっちゃと分けようと思う」

「それでいいと思います。今日はありがとうございました」

 カークの言葉を聞き、総一郎は軽く会釈した。

「どういたしまして。それじゃあまた今度な、総一郎。お元気で」

「お元気で、カーク君」

 こうして、カークは家への帰路についた。


――――――――――――昼。

「ただいま」

 朝散歩に出たカークは、こうして昼近くになって家に戻ってきた。

「カーク! お前、何処ほっつき歩いていたんだ!?」

 戻ってきた彼に帰宅早々、桜散が話しかけてくる。心なしか少し怒っているようだ。

「ああ、ちょっと、色々あってな」

「お前なぁ、外出するときはちゃんと連絡しろ」

「はぁ? 俺がどっか行くのは勝手……」

 カークがそう言った瞬間、桜散の目つきがギラっと鋭くなる。これは不信感を抱いている目だ。

「わ、分かったよ……。総一郎に電話で呼ばれてさ、あいつの家に行ってたんだ」

 桜散の目つきに怖気づいたカークは、帰りが遅くなった理由を話した。

「総一郎の家? そこで何があったのか、しっかり教えてもらうぞ?」

 桜散はカークの話に興味があるようだ。顔を近づけてくる。

「分かってる。ちゃんと話すよ。とりあえず、ここじゃなくてリビングで話そうぜ?」

 目前の桜散の顔に、カークは思わずどぎまぎした。

「分かった」

 かくしてカークと桜散はリビングへと向かった。


「つまり、総一郎は要さんに告白するつもりなんだな?」

「そゆこと。ま、上手く行けばいいんだけどな」

 カークは桜散と共にリビングのソファーに座り、総一郎邸での出来事を話した。

「ふむ。お前の話を聞くに、要さんは総一郎のことが嫌いではないみたいだな」

「だな。だけど話を聞くに、どうもあいつのことを年の離れた弟みたく見てるらしくて……」

「Loveではなく、Likeであると?」

 桜散も昨日のことを思い出したのか、カークと同じ例えを使った。

「俺はそう思ったんだが、さっちゃはどう思う? 俺には女性の考え方ってのがよく分かんないからさぁ」

 ここでカークは桜散に、要がどういう風な気持ちで総一郎を見ているかについて尋ねた。

「うーん、私から見てもそう思うな。お前の話を聞く限りではな。

 ただ、総一郎の恋愛が成就するか否かは、今後の彼の動き次第ではないかと私は考えている」

「と、言うと?」

「もし今後総一郎が告白すれば、要さんはそれを受け入れる可能性が高い。彼女は総一郎の世話をすることについてまんざらでもないようだから、総一郎の告白を否定するとは考えにくい。

 だが逆に総一郎が躊躇して告白しなければ、2人はそれまで通りの主従関係のまま。恋愛関係にはならないだろう」

「つまり、あいつの勇気次第と?」

「その通り。それに、彼女は総一郎に伝えるよう言ったのだろう? 『ずっと貴方のそばにいる』と。

 これ、モロに告白のそれだからな? 

 面と向かって言わずに、わざわざお前を介して伝えさせたということは、彼女も総一郎と同じ気持ちを抱いているのかもしれないな」

 総一郎の恋愛は、彼の行動如何にかかっていると桜散は結論付けた。


「なるほどな。それじゃあ、あいつにはしっかり告白して貰わないとな」

 桜散の分析をカークは聞き入り、そして総一郎のことを考えた。

「お前は、総一郎の恋愛を応援するんだな?」

「無論だよさっちゃ。親友の幸せを祝わないとかあれだろ?」

 カークは当たり前だろと言わんばかりの態度で桜散の疑問に答えた。

 そんな総一郎の幸せを願うカークを見て、桜散は感慨深い気持ちになった。

「他の人を気にするとは、お前も変わったな」

「そうか?」

「そうだよ。まあ、そんな親友がお前にできて良かったと、私は思うぞ?」

 桜散はそう言うと、軽く笑みを浮かべる。

「お前が謹慎で引きこもりがちになったとき、私はすごい悲しかった。だが、こうして元の明るいお前に戻ってくれて、すごい嬉しい気持ちだ」

 桜散は、カークのことをずっと心配していたようだ。

「そうか。すまんなかったな。でも大丈夫……あっ、そうだ!」

「ん? どうしたカーク」

 途中で言葉を止めたカークに、桜散は心配そうに話しかけた。

「いや、それがさ。何でも要さん曰く、総一郎は昔引きこもりだったらしいんだよ」

 桜散の言葉で、カークは総一郎の過去についての話題を思い出す。

「引きこもり? あいつがか? 意外だな」

 総一郎がかつて引きこもりだったという話に、桜散は食い付いた。

「うん。それでさ。あいつ、過去に何かあったらしいんだよね。一応要さんに聞いたんだけど、教えてはくれなかったよ」

「そうか。……あいつもお前見たく、闇を抱えるような出来事を経験したのかもな」

「かもなぁ」

 桜散は総一郎の過去に思いを馳せる。

 もしかしたら彼にも、カークのようなつらい出来事が起き、それで引きこもりとなったのかもしれない。

 そして、そんな引きこもった彼を要が見続けていたとしたら? 

 桜散は2人の境遇を、かつての自分達と重ねずにはいられなかった。


――――――――――――午後。

 その後2人は、総一郎から貰った金で昼食を食べに行くことにした。

「ほら、着いたぞ?」

 カークは自宅近くの中華料理店の入口に立った。

 この店はどの料理も600~900円程度のお手軽価格で、謹慎中のカークが度々1人で利用していた店だった。桜散を連れて行くのは今回が初めてだ。

「お前なぁ、女の子を連れて行く店はよく考えて選んだ方が良いぞ?」

 カークが店を選んでくれると言われ、気の利いた店を選んでくれると期待していた桜散は、1人勝手に落胆していた。


 総一郎から貰った5万円の内、交通費として使ったのは1000円にも満たない。

 1人1万円ずつでもそれなりの料理が食べられるであろうところを、この男はケチって安物の店を選んだのである。しかも、よりによって親しい女の子を連れながら。

「いいじゃねぇか、安いし。美味いし。コストパフォーマンスは最高だぞ? 常連の俺が言うんだ、間違いねぇ!」

 桜散の言葉に不満を零すカーク。

 彼がケチったのは実際事実であったが、変によく知らない店に行って失敗したく無かったからこそ、普段行き慣れていてかつ桜散が知らない店を選んだのだ。

「はぁ……。入るぞ?」

 桜散は気乗りしない様子で店の扉を開け、中へ入っていく。

「おう」

 そのそばに付くように、カークも入った。


「いらっしゃいませー!」

 開口一番、男店主の声が店内に響く。既に昼食時を過ぎていたためか店の中は空いていた。カークと桜散は、カウンター席に隣り合って座る。

「おや? お兄さん、そこの嬢ちゃんは?」

 カークの隣に座る桜散に気付いたのか、店主は尋ねる。

「えーと。こいつは俺の連れです」

 カークに紹介された桜散は、店主に対し無言で軽く会釈した。

「ほう! もしかして、彼女かい?」

「なっ! 違います、こいつと私はそう言う関係じゃ……」

 店主の言葉に動揺した桜散は、それを力強く否定した。


「はっはっはっ! 悪かったねお嬢ちゃん。ところで、2人共注文は?」

 そこで店主は話題を切り替え、2人に注文を尋ねた。

「あっ、えーと……」

 桜散はメニューを見る。ラーメンやチャーハンといった基本的な中華料理だけでなく、定食も扱っているようだ。

「俺はサンマーメンを1つ」

「あいよ!」

 メニューを見ることなく、カークは料理を注文した。それを聞いた店主は、早速調理を始めた。

 肉と野菜が中華鍋で炒められ、香ばしい香りが周囲に漂い始める。


「さっちゃは、何を頼む?」

 注文を終えたカークは桜散に尋ねた。

「うーん……すまない。まだ決められてない」

 桜散は何を食べるか決めかねていた。

 この店に来るのが初めてとなる桜散にとって、沢山あるメニューから1つを選ぶのは難しい。

「なら、俺と同じサンマーメンを頼むといいぜ。ここのは美味いから」

 カークは迷う桜散に、自分と同じメニューを注文するよう勧めた。

「分かった。それじゃあ……サンマーメン1つお願いします!」

「あいよ!」

 店主は桜散の注文を聞きながら麺を茹で、肉と野菜に片栗粉でとろみをつける。そして、麺をスープに入れ、その上に先ほどまで炒めていた肉野菜あんかけをかけた。

「ほい、サンマーメン1丁、ごゆっくりどうぞ!」

 そうこうして居る内にカークの注文した料理が完成し、彼の目の前に置かれた。


 サンマーメンとは、この井尾釜のご当地料理の1つだ。「サンマ」という表記だが魚の秋刀魚は入っていない。肉と野菜(もやしが代表的)が入ったあんかけを醤油ラーメン(または塩ラーメン)の上に載せた料理だ。

 カークはこの店のサンマーメンが好きで、しばしば食べに行っていた。ここのあんかけの具は、人参・キクラゲ・たけのこ・白菜・キャベツ・玉ねぎ・ニラ・豚肉の8種類。具とスープはいずれも醤油味だった。


「いただきまーす」

 カークはレンゲの上に野菜と肉をのせ、息を吹きながら口に運ぶ。その様子を黙って見つめる桜散。

「ほら、お嬢ちゃんもどうぞ! 熱いから気を付けて」

 桜散のサンマーメンも完成し、彼女の前に置かれた。

「ごゆっくりどうぞ!」

「……いただきます」

 桜散は箸とレンゲを取り、カークのマネをするようにあんかけを口に運ぶ。

 直後、とろみ付きあんかけの熱さが彼女の口を襲った。

「っち!」

 慌ててグラスの冷水を口に流し込む桜散。


「ははっ! 熱いだろ? 俺も最初食べたときは、舌や口の中を思いっきり火傷したぜ?」

 そんな桜散の様子を見て、カークはニヤニヤと笑った。

「むぅ……」

 口の中を火傷し、顔を歪ませる桜散。

「でも、美味しいだろ?」

 そんな桜散に同意を求めるカーク。

「そうだな。肉と野菜の味は悪くないし、麺とも合う。確かにお前の言う通りだ」

 今度は慎重にあんと麺を口に運んでいく桜散。そんな桜散を見て、カークも無言で食べ進めた。


「さて、そろそろ勘定するか」

「ごちそうさま」

 2人は料理を食べ終えると、店主に代金を支払った。

「ありがとうございましたー!」

 去り行く2人を、店主は見送った。


「ふぅ、食った食った」

 カークは、家までの道を満足そうに歩いた。

「……前言を撤回する。すまなかったな、カーク」

 カークの店選びにケチをつけたことについて、桜散は素直に謝った。

「ご満足していただけたなら、何よりで」

 カークは桜散を見る。彼女はサンマーメンの味に満足したようだ。

「しかし、こうして2人で料理を食べに行くというのも悪くないな」

 カークはふと、桜散に話を切り出す。

「そうだな。……私は変に気にし過ぎていたのかもしれない」

「ん? どうした?」

 桜散が突然変なことを言い出したため、カークは気になって尋ねた。

「いや、何でもない、何でもないぞ? 

 ただ、そう! お前と2人きりで外食に行くなら、安くても心が満たされるものなんだな、と」

「そうか、そうだな。

 お前とこうして一緒に行って、楽しかったよ。料理も普段より美味しく感じられたしな」

 桜散の言葉に、カークは深く同意した。


――――――――――――夕方。

 夕方、カークと桜散はそれぞれ自室で作業をしていたのであるが……。


 ppp……ppp……! 突如カークの携帯が鳴った。

(ん? 何だ? また総一郎か?)

 カークは発信元を見る。しかし、知らない番号だった。

(何だ、この番号。知らないなぁ)

 カークは黙って電話を無視した。

 だが……。


 ppp……ppp……! 再度、カークの携帯が鳴る。2度目の電話に、カークは即座に確認した。

(今度は総一郎か。出ないとな)

 カークは電話を取る。しかし電話の主は、彼の想定外の相手であった。


「もしもし、カーク・高下だけど?」

「ああっ! カーク様! 良かった、ようやく繋がった……」

 電話の先から聞こえたのは、総一郎の声ではなく女性の声。この声に、カークは覚えがあった。

「もしかして、要さん?」

「はい! そうです。要です。先ほどは屋敷の電話からお掛けしたのですが、返事が無かったのでこちらからご連絡させていただきました」

 どうやら、知らない番号からの電話も要からのものだったようだ。

「なるほど。その、すみません! 俺、知らない番号からの電話には出ないようにしてるんで……」

 事情を把握したカークは、要に謝罪した。

「いえ。いいのです、良い心がけだと、私は思います」

「ほんとすいません。……ところで、これって総一郎の携帯ですよね? 総一郎はどうしたんですか?」

 カークはそこで、なぜ要が総一郎の携帯端末を使って電話してきたのか気になった。総一郎の携帯であれば、本来彼自身が所持しているはずなのだ。

「あっ! そ、そうです! カーク様! 総一郎様がそちらに来ていませんか?」

 カークの言葉で要は本題を思い出し、カークに総一郎の所在を尋ねる。

「いや、来てませんが、何かあったんですか?」

「ああっ、やっぱり! ああ、どうしましょう……」

 電話越しの要の声は、とても弱々しく、震えていた。

「なっ!? どうしたんですか、要さん! 総一郎に、何かあったんですか?」

 要のただならぬ様子に、カークは驚き尋ねる。

「その、それが……」

 要は事情を話そうとするも、そこで黙ってしまう。

「どうしたんですか?」

「えぇと……」

 先ほどの慌てた様子から一転、力ない声しか出せない要。どうやら精神的に相当参っているようだ。


 要と総一郎の間に、何かがあったらしい。電話から聞こえる要の狼狽した様子から、カークは察した。

 だが今の彼女は、カークが見た事も無いほどの動揺ぶりで、とても何があったか聞き出せるような状態ではなかった。


 そこでカークは、要に対しこう切り出した。

「その、要さん。今からそちらに行っていいですか? 詳しい事情はそっちで聞きたいと思うのですが」

「別にかまいませんですが……。今日はもう遅いですよ? いいですよ」

 カークからの申し出を断ろうとする要。しかし。

「いや、行きます。総一郎は、俺の友人です。あいつの身に何かあったんでしょう? 放っておけませんから」

 カークは力強く、要に申し出た。

「……分かりました。それでは、屋敷でお待ちしております」

「おう、ありがとう要さん。すぐ行きます!」


「ふぅ。一体、何があったんだよ……」

 通話を終えたカークは、一人ため息をつく。

 時計の針を見ると、すでに時刻は18時。今から総一郎の屋敷に向かった場合、到着は20時頃になるはずだ。午前中に1時間以上かけて屋敷に向かったが、これから更に同じだけ、もしくはそれ以上に時間を使うことになるだろう。

「はぁ」

 カークは再びため息をついた。

 ……よもやここまで肩入れすることになろうとは。カーク自身、自分の行動に内心驚いていた。

(まあ、面倒だけど仕方ねぇか。あいつの恋事情には俺も1枚噛んでるわけだし。それにやっぱり結末は気になるからな……)

 とりあえず、さっちゃも連れて行くか。

 そんなことを考えながら、カークは自室を出た。

 

 その後カークは、桜散と共に総一郎邸へ向かった。


――――――――――――夜。

「総一郎が居なくなったぁ?」

 総一郎邸についたカークと桜散は、早速要に会って話を聞く。まずカークが要に切り出し、事情を聞いて行った。

「はい。昼間からずっと戻ってきていないのです。携帯も置いて出て行ってしまわれたので、心配で心配で……」

 要の目は赤くなっている。彼女の悲しげな表情からは心配さが伝わってくる。

「そう言えば、あいつの両親は?」

 カークは周囲を見回し、屋敷に自分達と要以外誰も居ないことに気付いた。

 彼らが今いるのは屋敷の玄関であるが、何処にも明かりは無く、暗く静まり返っている。

「旦那様と奥様は今日から数日間、仕事でホッカドーに……」

「なるほど」

 それなら仕方ないなと、カークが納得したその時だった。


「その、要さん? でいいんですよね。つかぬ事を伺いますが、昼に何があったんですか?」

 それまでカークと要のやり取りを黙って聞いていた桜散が、要に対し尋ねた。

「はい。それは今から7時間ほど前、ちょうどカーク様がお帰りになられた後のことです……」

 要は、総一郎が失踪した時の状況をぽつぽつと語り始めた。


52日目

――――――――――――昼。

 カークが帰った後の総一郎邸で、一体何があったのだろうか? 


「さて、どうしたもんかな。カーク君にはああ言ったけど……」

 カークが帰った後、総一郎は自室でひとりごちていた。今日中に告白するとカークに宣言したものの、やはり勇気が出ない。

(どうしよっかなぁ)

 悩む総一郎。

(いや、駄目だ駄目だ! こんなところで怖気づいてどうするんだ! 

 俺は高良の、この家の次期当主ともいえる人間! そんなのが使用人相手に怖気づいてどうすんだ! 憶するな、総一郎!)

 必死に自分を鼓舞する総一郎。

(カーク君……)

 彼は、カークの顔を思い浮かべた。


 総一郎の両親は、ホッカドーを本拠に同人ショップを経営している。

 相良家の現当主である相良(さがら) 隆人(たかひと)(祥仁の叔父で、総一郎の大叔父)から勘当された2人は、新たに事業を起こし独立しようとした。

 しかし、当時ヒノモト最大の企業グループであった相良の会長に『問題児』の烙印を押された彼らに融資をしてくれる銀行は、ヒノモトの何処にも無かった。そのためやむなく、当時ヒノモトの力が及んでいなかったホッカドーの中心地、サポロコタン(札幌古丹)で起業することになったのである。

 最近は2次元文化の拡大を受けて全国にチェーン展開しているものの、アイヌ系ロシアンマフィアの本拠地出身の企業ということもあって謂れ無き誹謗中傷を受けることも多く、決して絶好調とは言い難かった。


 総一郎は小中学校時代、クラスメイトから執拗ないじめを受けていた。

 多忙な両親から離れ、総一郎は相良の本家から有名な私立学校に通っていた(隆人は総一郎のことを孫のようにいたく溺愛しており、その関係で本家に預けられていた)。

 周りも彼同様に高所得の家出身ではあったが、やはり相良の家は別格。彼に対する周囲の羨望・嫉妬の目は凄まじかった。

 総一郎自身、思い込みが激しい性分だったことも災いして、周りのクラスメイトからしきりにからかわれ、騙され、嫌がらせを受けた。

 靴隠し、画鋲仕込み、水掛け……いじめのテンプレートと言われていることは一通り受けた。

 いじめのことを隆人に相談し、学校側から力技で解決してもらうと、今度は依怙贔屓と非難されるようになった。

 いくら頑張っても家のおかげにされ、彼自身の努力がクラスメイト達に認められることは決して無かった。そんな周りの振る舞いに、総一郎は次第に我慢できなくなっていった。

 いつしか彼は、教室の隅にぽつんと座り、休み時間は教室から飛び出し1人で過ごすようになってしまった。


 苦難の日々を歩んできた両親の期待を一身に背負い、一方で周囲から妬みの目で見られる小中学校時代を送った総一郎には、同年代の友人が全くと言っていいほど居なかった。高校時代に至っては、3年前のある事件以来ずっと自室に引きこもる日々だった。

 そんな彼にとって、カークは同性・同年代かつ趣味・趣向を共有できる非常に得難い友人であった。

 金持ちである彼に対し妬みも遠慮も無しに対等に付き合ってくれ、そして何より彼自身の活躍を素直に認めてくれる……。彼が入れ込んだのも当然の帰着と言えよう。


(スゥーッ……ハァーッ……)

 床に正座して目を閉じ、呼吸を整える総一郎。力を抜き、覚悟を決める。

(よしっ! 行くぞ!)

 そして立ち上がり、部屋を出た総一郎。

 廊下を歩き回り、要を探し始めた。


「おーい、要―! どこに居るんだ?」

 総一郎は屋敷を歩き回るも、要の姿は見つからない。

(外に居るのかな?)

 そう考えた総一郎は、屋敷の正面玄関から外に出た。

「おーい! 要~! どこに……」

 総一郎が正門の方へ歩こうとした、その時であった。

「あっ……」

 総一郎は要を見つけた。

 しかし彼女は、1人ではなかった。


(あれは要……と、誰だ? あの男は?)

 要のそばには、1人の男性の姿があった。男性の身長は要より少し高いくらいで、体型は普通。服装はカジュアルで、髪は茶髪だった。

 そんな男が、要と話をしている。総一郎の居る場所から2人の会話を聞き取ることはできないが、何やら仲良さげに話をしていることは、笑顔を見せる要の姿から分かった。

(一体誰なんだ? あいつは。

 というか、要と一体どういう関係で……?)

 自分の想い人が知らない男と仲良く話をしている。そんな様子を見て、総一郎は動揺した。


 その時、男は要に顔を近づけ、何かを話した。男の言葉に、顔を真っ赤にする要。

(あっ……)

 その様子を見た総一郎は、ついにいても経っても居られなくなり、2人の前に走り出る。

「あっ、か、要……」

 恐る恐る声を掛ける総一郎。

「もうっ! そんなこと……って、あら? 総一郎様?」

 要は総一郎に気づき、声を掛けた。

「……」

 要のそばの男は、総一郎の姿を黙って見ている。

「要、その、そこの男の人は?」

 男について尋ねる総一郎。

「あ、そ、そうですね……。この方は……」

 そんな彼に対し、要は言い辛そうに答える。


「っ!!」

 顔を赤くしながら恥ずかしそうに喋る要の姿を見て、総一郎は何かを察した。そして。

「そ、その、要……。ごめん! 邪魔したよ! 本当に、ごめん……」

 直後、総一郎は後ろを向き、そのまま屋敷の外へ走り出した。

「あっ!」

 その様子を見た男は、驚きの声を上げる。

「ああっ! そ、総一郎様!? 待って! 待ってください!」

 一目散に外へ駆け出す総一郎を止めるべく、必死に叫ぶ要。

 しかし、そんな彼女の言葉は彼には届かない。要が門の外に出ると、既に総一郎の姿は無かった。


「そんな……。総一郎様……」

 門を見回し、動揺する要。

「ご、ごめん! どうやら、誤解させたみたいだな?」

 そんな彼女に対し、男は頭を下げる。

「い、いえ。申し訳ございません! これは、私がよくなかったから!」

「で、でも? どうする? 早く探した方が良いんじゃないか?」

 男は要に、総一郎を探すよう言った。

「わ、分かりました」

 男の言葉で冷静さを取り戻した要は、屋敷の中へ戻ろうとする。


「待て、弥代(みよ)!」

 その時、男が要に対し、名前で呼びかける。

「……何ですか? 兄さん」

「俺は力になれないかもしれないけど、お前の味方だから。……何かあったら、また相談してくれよ?」

 謎の男、もとい要の兄はそう言うと、外へ向かって歩き出した。

「もう帰るんですか?」

「ああ。これ以上ここに居たら、またお坊ちゃんに誤解されるだろう? 俺は帰った方が良い」

「……分かりました、兄さん。体に気を付けて」

「おう! お前も、早くあいつを見つけて、自分の気持ちを伝えろよ?」

 要の兄は後ろ向きで、手を振り、屋敷の外へ出て行った。


「もう! だから私はっ……」

 兄の言葉に、顔を赤くし反論する要。しかし、すぐに彼女は気持ちを切り替えた。

「早く、総一郎様を探さないと」

 要はまず、総一郎の携帯端末に電話を掛けることにした。しかし。


 ppp……ppp…… 屋敷の静寂を、遠くから聞こえてくる携帯の着信音が破った。

「なっ! もしかして、携帯置いてっちゃったの!?」

 要は総一郎の部屋に走る。

 予想通り、彼の携帯は机の上に置かれたままだ。

(はぁ……。仕方ありませんね。夕方くらいには、戻って来るか)

 要はそう考え、総一郎の帰りを待った。


 しかし、夕方になっても、日が沈んでも、総一郎は帰って来なかった。

(帰って……来ない! どうしよう! 私のせいだ……)

 流石に様子がおかしいと気付いた要はカークに電話を掛け、そして話は夕方時に繋がっていく。


52日目

――――――――――――夜。

「……という訳なんです」

 カークと桜散に、要は昼の出来事を一通り話し終えた。

「なるほど。要さんが男の人と仲良く話しているのを見て、総一郎は出て行った。で良いんですよね?」

「はい、桜散様」

 桜散の問いに対し、椅子に座って俯きながら答える要。


「まじかぁ……そりゃあれだな、要さん。

 総一郎はきっと要さんの兄さんを、彼氏か何かと誤解したんじゃねぇか?」

 カークは総一郎がどういう考えでそんな行動に及んだのか、彼女の話から大まかに察した。

「彼氏! やはり! やはりそうなのですね? あぁぁぁぁ……」

 カークの推測を聞き、要は頭を抱えた。

「多分そうだと思いますよ? 全く、あいつは何やってんだ……」

 仲良く話しているだけで彼氏扱いとは、思い込みが激しいにもほどがある。カークは総一郎が早まった行動に出たことに頭を抱えた。

「そうだな、カーク。全く、あいつがそんな奴だったとは私も知らなかったぞ……」

 カークの意見を支持する桜散。勝手に勘違いして、自棄に走ったとでも言うのか。確かに、彼にはしばしば思い切ったところはあったが、まさか失恋した(と思い込んだ)だけでこんな行動に出るとは。

 勘違いで疾走もとい失踪した総一郎に、桜散は大いに困惑した。


「で、どうするよさっちゃ? 今から探しに行く感じか?」

 カークは桜散に、これからどうするか尋ねた。

「そうだな……。とりあえず、カークは譲葉ちゃんに連絡を。私は後で、警察に連絡する」

「分かった」

 カークは桜散の指示に従い、譲葉に送るメールを作り始めた。


「ゆーずぅとは、どこで落ち合う? 時間は?」

 集合場所と集合時間を決めていなかったことに気づき、カークは携帯を操作しながら桜散に尋ねた。

「とりあえず、井尾釜駅西口にしよう。ここも私達の家も、彼女の家からは遠いからな。時間は……大体1時間もあれば落ち合えるだろう」

「あい。集合時間は、今から1時間後っと」

 カークは譲葉にメールを送信した。


「あの、私はどうすれば……」

 手早く行動を進めていく2人に対し、要が問いかける。

「要さんは、ここで待っててください。もしかしたら、あいつと俺達で入れ違いになる可能性もあるんで」

「かしこまりました。お二人とも、ご武運を」

 外へ駆け出していく2人を、要は一礼しつつ見送った。


「はぁ……。彼氏、ですか」

 真っ暗闇の屋敷に一人残された要は、ぽつりと呟く。

(やはり総一郎様は、私のことを)

 要は総一郎の気持ちに気づいていた。いや、いつも彼のことを見ているのだ。気づかないはずもない。


 だが、どうしても彼の気持ちに答えられない事情が彼女にはあった。

(私は、どうすればいいのでしょうか?)

 要の心は揺れる。彼女はただただ、迷っていた。


――――――――――――。

 カークと桜散が総一郎邸を発って1時間後。彼らは地下鉄で井尾釜駅までたどり着いていた。

「さて、ゆーずぅと合流しないと!」

「そうだな」

 2人は井尾釜駅の西口、車が多く通る大通りへ向かった。


「あっ! カーク君! 桜散ちゃん!」

 その時、道路に面した歩道を歩く2人に呼びかける声が。

「ゆーずぅ!」

「譲葉ちゃん」

 2人が振り向くと、そこには黒い大柄な車に乗った譲葉の姿があった。

「2人共、入った入った!」

「お、おう」

「了解」

 譲葉に促され、2人は車の中へと入る。車は2人が入った直後、郊外へ走り出した。


「なるほど、総一郎君がねぇ。ふむふむ……」

 車内で2人から事情を説明される譲葉。

「そうなんだよ。何とかならねぇかな? ゆーずぅ」

 カークは譲葉に頭を下げ、彼女の家の力で総一郎を探せないか尋ねた。

「……あのさぁカーク君。いくら私の家がすごいって言っても、こんな広大な井尾釜市内から人1人を探し出せると思う? もしかしたら総一郎君は、井尾釜以外の街へ行ってるかもよ?」

 そんなカークに対し、譲葉は厳しめの表情と口調で人探しの難しさを説いた。

「た、確かに。すまんゆーずぅ。流石に虫が良すぎたよな」

 譲葉の指摘を受け、カークは大いに落胆した。


 しかし、そんな彼の様子を見た譲葉は。

「……ふっ」

 どういう訳か、不敵な笑みを浮かべ始めた。

「な!? どうしたんだ? ゆーずぅ。突然笑い出して」

 譲葉の不可解な行動に、カークは思わず面食らう。

「ふ、ふふふ……。あはははっ! ごめんごめん! カーク君! 厳しめに言ったらどうなるかなって、反応見てた」

 譲葉は笑いながら、カークに謝った。

「趣味が悪いぞ、譲葉ちゃん。今はそんな冗談を言える事態じゃないだろう!?」

 笑う譲葉に、桜散が苦言を呈する。

 そんな彼女に対し、譲葉はあっけらかんとした様子で返す。

「分かってるって。大丈夫! もうとっくに、総一郎君を探すよう指示を出してあるから!」

「何っ!?」

 譲葉の早い対応に驚く桜散。

「カーク君からメール来たとき詳しい話は書いてなかったけど、まあそんなんじゃないかなって思ったから、パパとママに頼んだの」

 どうやらカークの連絡を受けた譲葉は、総一郎が失踪したことを察し、両親に彼を探してもらう頼み込んだようだ。


「そうだったのか……。すまない、譲葉ちゃん」

 桜散は強く言い過ぎたと思い、譲葉の手を取る。

「いやいや、悪いのは悪ふざけした私だから。気にしちゃ駄目だよ? あと、カーク君も本当にごめんね」

 譲葉はカークに対し、両手を合わせたポーズを取った。

「いや、いい。……本当にすまねぇ、俺なんかの頼みのために」

 カークは両手を両膝に当て、目を閉じる。

「カーク君。前言ったよね? もっと私達を頼っていいんだよ? 

 それに、総一郎君は私の友達でもあるんだから。こんなの当然だよ」

 まるで悪いことをして反省しているかのような態度のカークに、譲葉は優しく語りかける。総一郎を助けたいという心は彼女も同じ。カークが怯えて縮こまる道理など何処にもなかった。

「良かったな、カーク。ここまでしてくれる友達なんてそうそう居ないからな」

 譲葉に慰められるカークを優しく見つめる桜散。

 3人が穏やかな気持ちになっていた、その時だった。


 pppp……pppp……。突如、譲葉の携帯端末が鳴った。

「ん? 譲葉ちゃん。携帯が鳴ってるぞ?」

 真っ先に着信音に気付いた桜散が、譲葉に知らせる。

「あ、ありがと桜散ちゃん。……もしもし? 九恩院、譲葉ですが?」

 桜散に形態を手渡され、電話に出る譲葉。その様子を2人が見守る。

「……えっ? 見つかった!?」

「「っ!」」

 もう、見つかったのか。譲葉から飛び出た言葉に驚く2人。

「あ、うん。了解。今行きます」

 譲葉は通話を終え、携帯の電源を切った。


「2人共。総一郎君っぽい人が、路地裏に入っていくのをさっき街の監視カメラが捉えたって!」

 早速通話で聞いたことを2人に伝える譲葉。

「What’s! 本当か!?」

 情報の真偽を問うカーク。

「それは一体どこにある?」

 情報が示す場所を問う桜散。

「待って待って! 慌てない慌てない! 

 まず真偽については、分からない。そっくりさんってだけかもしれない。

 そして場所だけど、この近くですぐ行けるとこみたい。今すぐ行こうよ!」

 2人の問いに的確に答えた譲葉は、即座に運転席に向かって声を掛ける。

「運転手さん! 今から私が言う場所に、車を動かして!」

「了解しました。お嬢様」

 譲葉の案内に従い、黒い車の運転手は車を走らせ始めた。

「お、おい、ゆーずぅ……はぁ」

「……ふぅ」

 動きが早い譲葉の様子に、2人は互いに顔を見合わせた。


――――――――――――夜の井尾釜市(中区 服富町(ふくとみちょう)、路地裏入口)。

 譲葉から得た情報を基にカーク達が辿り着いたのは、バーやキャバレー、風俗店が乱立するいわゆる歓楽街と呼ばれるエリアであった。昼間は人通りも少なく閑散としているが、夜はネオンサインがギラギラ光り、人々の欲望が渦巻く場所と化す。


「こんな所に総一郎が? 嘘だろぉ?」

 車を降りたカークは、周囲を見回す。辺り一帯、外国語で書かれた看板が所狭しと乱立している。

 エンゲリス(英語)、ヒニーゼ(中国語)、コレアーヌ(韓国語)……。エンゲリスで書かれた看板以外、カークには何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。

「正直気が乗らないな。こういう夜の路地裏に入った日には、トラブルに巻き込まれるのが目に見えている」

 桜散はここを捜索すべきか迷い、顎に手を当てる。総一郎がトラブルに巻き込まれている可能性は非常に高い。だがミイラ取りがミイラになっては意味が無い。この街の路地裏は、ヤクザやマフィアが夜な夜な鎬を削っているという不穏な噂を耳にするほど治安が悪い。突入すればこれらを相手取ることになるかもしれない。

 反社会勢力との戦いを桜散は経験済みだが、大学の時はまさに紙一重の勝利だったのだ。流石にこれ以上変な因縁を付けられるのは、カークでなくとも勘弁願いたいと考えるのは当然だった。


 しかし、そんな2人に対し、譲葉は軽蔑するような眼で一喝する。

「2人共! なに怖気づいちゃってんの? さっさと行くよ?」

 弱気な2人に喝を入れた譲葉は、先に路地裏へ歩き出そうとする。

「Hh!? 待て待て待て!」

 そんな彼女の足取りを、カークが慌てて止めた。

「ちょっとカーク君! 何してんの!? 総一郎君が入ってったのは、ここの路地裏だよ? 早く行かないと!」

「そうかもしれないけどさぁ……」

「大丈夫だって! ヤバいのが出てきたら、魔術で氷漬けにするから」

 そう言うと、譲葉はカークに対しにやりと笑う。

 その笑みは先程の茶化しとは異なり、黒いオーラがにじみ出た不気味なものであった。

「お、おう……」

 カークは譲葉の気迫に満ちた態度に押され、思わず手を離す。すると、譲葉は振り向くことなく路地裏へと歩いて行った。

「あ、待ってくれゆーずぅ!」

 カークは急いで後を追う。

「はぁ。仕方ないな」

 そんな2人の様子を見た桜散は、諦観の表情とともに、2人に続いて路地裏へ入った。


――――――――――――夜の井尾釜市(中区 服富町、路地裏)。

 譲葉に続くように、カークと桜散は夜の歓楽街の路地裏を駆け回る。

「総一郎くーん!」

 譲葉は走りながら、総一郎の名を呼ぶ。しかし返事は無い。

「おーい!」

 再度叫ぶ譲葉。すると。


「ああん? 何だお前ら?」

「みねぇ顔だな?」

「んん?」

 カーク達の前に、3人の男が現れた。彼らはだらしのない恰好をしており、如何にも不良といった雰囲気である。

「Wow! 早速のお出ましか……」

 男達のいかつい容姿にたじろぐカーク。一方の桜散は、彼らの様子を黙って見つめる。

「ねぇ! 貴方達! この辺で若い男の人を見なかった?」

 そんな2人をよそ目に、譲葉は早速、男達に総一郎の所在を尋ねた。

(Hh!? 何やってんだゆーずぅ! 臆することなくずけずけと……)

 譲葉の勢いある態度に、カークは目を大きく見開いた。


「男ぉ? 知らねぇなあ」

「そんなことより嬢ちゃん達ぃ。今から俺達とあそぼうぜぇ!」

 譲葉の話を男達は無視し、彼女の手を取ろうとした。

「おい! 何をする!」

 譲葉に伸びる男達の手を桜散が振り払い、彼女を庇うように立つ。

「さ、桜散ちゃん?」

 自らを庇う桜散に驚く譲葉。

「何だぁ? ……よく見るとお前も、結構可愛い面してるなぁ」

「そこの嬢ちゃんを庇うつもりかぁ? お前も俺達と遊ぼうぜぇ!」

「断る!」

 男達の誘いを、桜散は毅然とした態度で断った。


 すると、それまで柔らかい口調をしていた男達の様子が一変する。

「チッ! お前ら! 下手に出ていりゃ付け上がりやがって!」

「こんな所に来て俺達に逆らおうなんて、いい度胸だなぁ!」

「こうなりゃ力付くでも、俺達と遊べオラ!」

 3人組のリーダー格と思しき男が桜散に掴みかかった!

「さっちゃ!」

 桜散の危機に際し、後ろにいたカークが叫んだその時。


「ちっ!」

 桜散は咄嗟に左手を男に向け、力を込める!

 バシャーッ! 直後、左手から水が飛びだし、襟をつかんだ男の顔面に直撃する!

「ぐわっ!」

 突然の水流を顔に受け、手を離す男。彼はそのまま水流に押される形で、仰向けに転倒した。

「何だ! 何が起こったんだ!?」

「み、水ぅ!? 一体どこから!?」

 後方で見ていた2人は、目の前で起きた出来事に動揺する。


「桜散ちゃん!」

「さっちゃ!」

カークと譲葉が、桜散に声を掛ける。

「大丈夫だ、譲葉ちゃん。それより……」

 桜散は即座に男達を見やり、そして。

「どうする? 次はお前達の番だぞ?」

 残り2人の男達に対し、左手をかざした。

「ひ、ひぃ!」

「うわっ!」

 左手を向けられ狼狽する2人。しかし。


「お前、ら! 何、怖気づいてんだ!」

 先ほどまで倒れていた男が立ち上がり、後ろの二人を叱責する。

「で、でもよ兄貴……」

 止めようとする2人を制止し、水浸しの男は桜散の方を見てこう言った。

「分かってる。……なぁ嬢ちゃんよぉ! この路地裏を支配する俺達を敵に回すことがどういうことか、分かってんだろうなぁ!? アア?」

 男はドスの利いた声で桜散にどなりつける。その様子に対し、彼女は体を少し震わせた。


「分かってるさ!」

 その時、カークが男達に対し強く言い放った。

「か、カーク」

「カーク君……」

 カークの突然の叫びに驚く、桜散と譲葉。彼は男達に対し更なる言葉をぶつける。

「分かってるさ! お前らがどんだけ悪い奴かは知らねぇ。だがな、俺達はここに来た友達を探しに来たんだ! 引くわけにいかねぇよ!」

 カークは近くにあった金属バットを手に取り、男達を威圧した。


「どうしますか兄貴? ぼこりますか?」

 後ろの男達が、水浸しの男に指示を仰ぐ。

「いや。お前ら! ここは一旦引くぞ! ボスに報告だ! 大至急!」

 それに対し水浸しの男は、2人に撤退するよう指示した。

「へ、へい! 分かりました! アニキィ!」

「あい!」

 男の指示を受け撤退していく2人。水浸しの男も、同様にその場を後にしようとする。

「こら待て! 総一郎君は何処行ったの!?」

 逃げるようとする水浸しの男に対し、譲葉は叫んだ。

「総一郎ぉ? あぁーあいつの名前かぁ?」

 譲葉の問いに対し、男はとぼけたような口調で答えた。

 どうやら彼は、総一郎のことを知っているようだ。

「どこに居る?」

 譲葉の言葉に呼応するように、ものすごい剣幕で問い質す桜散。

「そりゃ決まってんだろぉ? この奥だよ奥。……もっとも、無事に生きているとは限らんがな!」

 水浸しの男はそこまで言うと、一目散に奥へと走り去って行った。

「あっ! 待て!」

「待てー!」

 桜散と譲葉は叫びながら、男の後を追いかける。

「あっ! さっちゃ! ゆーずぅ待て! ……Damn!」

 その様子を見たカークも、ワンテンポ遅れで後に続いた。


――――――――――――夜の井尾釜市(中区 服富町、路地裏奥)。

 桜散・譲葉・カークの3人は、男達を追って路地裏の一番奥へと辿り着いた。


「ああっ! 来ました! 来ましたぜボス! あいつらです!」

 やって来た彼らの姿を見て、先程の水浸しの男が叫ぶ。そのそばには、先ほどの2人も居る。

 彼の目線の先には、黒のスーツ姿の大柄な男が1人。彼がいわゆる『ボス』なのだろうか?

 ボスと呼ばれた男の周囲には、先ほどのチンピラ3人組と同じような姿恰好の男達が7人たむろしていた。

「ふん!」

 ボスはカーク達を一瞥し、一笑に付した。


「あんたがここのボスって奴? 総一郎君はどこ!?」

 譲葉は最深部に着くや否や、ボスに向かってものすごい剣幕で問いかける。

「……お前達が探しているのは、『アレ』か?」

 ボスはそう言うと、目線を隅の方に向ける。

 目線を追った、その先には。

 

「「「っ!」」」

 絶句した3人の目線の先にあったのは、血まみれで倒れた総一郎の姿だった。

「総一郎君!」

 譲葉は一目散に総一郎の元へ駆け寄ろうとした。しかし。

「おっと待てよぉ! ここから先へは通さないぜぇ?」

 ボスのそばにいた男達が、彼女の動きを阻む。

「あいつを返してほしけりゃあ、俺達を倒していくんだな!」

 男達とともに、カーク達と対峙したボスは、右手から何かを取り出した。

「っ! 譲葉ちゃん!」

 その様子を見て何かに気付いた桜散は、譲葉の身体を掴んで飛び退く。その直後。


 パン! 銃声と共に、先ほどまで譲葉が居た場所に小さな穴が開く。

 ボスが取り出したのは、本物の拳銃であった。

「ひぃっ!」

 硝煙立ち昇る銃口を目にし、譲葉は恐怖した。

「次は、外さねぇぞ?」

 ボスは即座に、次弾を発射しようとする。桜散と譲葉は即座に立ち上がるも、回避が間に合わない!

「っ! はぁーっ!」

 回避が間に合わないと悟った桜散は銃口に左手をかざし、ジェット水流を発射!


 パン! 再度発射された銃弾は、彼女が放った水流に衝突し、貫通力を失う! 一方、水流はそのまま銃目がけ進み、ボスの右腕に勢いよくぶつかった!

「ぐぅ!」

銃を遠くに弾き飛ばされ、ボスは怯む!

「「「「ボス!」」」」

 その様子を心配そうに見つめる取り巻き達。

「チッ……。面妖な技を使う女だ。おいお前ら! 何としてでも奴らを叩きのめせ!」

 ボスは取り巻き達に、カーク達を排除するよう指示した。

「わ、分かりました! ボス!」

「ウォー! アサヤケ・ファミリーをなめるなぁ!」

「ワァー!」

 ボスの指示を受け、次々と飛び出ていく男達。


「来るぞ!」

 譲葉と共に体制を建て直す桜散。

「おう!」

 カークは威勢のいい返事をした。だが。

(とは言ったものの、どうする? こんなに回りにゴミがあると、迂闊に炎もだせやしねぇ)

 カークは周囲を見回した。路地裏にはゴミやがれきが散乱しており、火を出せば引火するかもしれない。店舗が密集するこのエリアで火が出れば大惨事は免れない。

 自分の魔術の使い勝手の悪さに、カークは歯がゆい思いをした。

「うぉー!」

 とはいえ、何もしない訳にはいかなかったので、彼はバット片手にチンピラたちに立ち向かった。


「ハァー!」

 バシャ! バシャ! バシャ! 桜散は襲い来るチンピラ3人に対し水弾を発射!

「グワーッ!」

「ノワーッ!」

「ゲボーッ!」

 水弾を腹部に受けたチンピラたちの動きが止まる。

 バシャーッ! その隙を見て、桜散は追撃のジェット水流!

「「「グワー!」」」 

 ドン! 水流によって弾き飛ばされた3人は、そのまま建物の壁に激突、地面に倒れこんだ!


「ムムムー!」

 譲葉は迫りくるチンピラ4人に対し、吹雪を発射!

 ゴォー! 凍てつく風が、チンピラたちを襲う!

「うわっ! 寒っ!」

「何だこれは!」

「ぐぅ~!」

「ウワー!」

 譲葉は更に、吹雪をチンピラたちの居る場所の地面目がけ放つ! 瞬く間に地面凍結!


 ツルンッ!

「うわっ!」

「がぁっ!」

「のわっ!」

「うおぉぉ!」

 足を滑られた男達はまとめて転倒!

「う、うぉぉぉぉ!」

 男達は体勢を立て直そうとするも、地面が滑るため立ち上がることすらままならなかった。

 そんな彼らに対し、譲葉は無慈悲な追撃の吹雪!

 ビュォォォォォ! 吹雪は男達に直撃! 

「ウワーッ!」

 歯をガタガタと震わせながら、男達はその場で縮こまった。


「てーいっ!」

 カークはバットを大きく振りかぶり、チンピラ達3人を相手取る。

「この野郎!」

 危ない! 男の一人が刃物を取り出し、カークに切りかかる。

「ちぃ!」

 カークはバットで応戦! その手に思わず力がこもった。

 ゴォン! するとバットの先から小さな炎が出現!

「うわぁぁ!」

 炎に驚いた男は、刃物を取り落し飛び退く!

「さ、さあ! 次はどいつだ!?」

 カークは炎の出現に冷や汗をかいたが、この状況を利用しない手は無いと言わんばかりに大きく振る舞う。

「こ、こんなん聞いてねぇぞ!」

「あ、あんなん食らったらひとたまりもねぇ! うわーっ!」

 残りの2人はカークの出した炎に怖気づいたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げる。

「ああっ! こらお前ら! ボスの命令はどうした~!」

 飛びのいた男は、先に逃げた新入り2人の後を追って、路地裏の出口へ走って行った。


「おのれ……これほどまでとは……」

 カーク達に手下を撃退され、ボスは1人焦る。

「さあ! 総一郎を返してもらうぞ」

 3人はボスと対峙! それに対するボスの反応は。

「ぐぅ! かくなるうえは……。三十六計逃げるに如かず! お前ら、逃げるぞ!」

 ボスが下した決断は、賢明なものであった。

「わ、分かりました! おいお前ら、とっととずらかるぞ!」

「「「オー!」」」

 チンピラのボスとその手下達は、瞬く間に逃げ去っていった。

 後にはカーク達と、隅に倒れている総一郎が残った。


「総一郎君!」

 改めて駆け寄る譲葉。即座に総一郎に対し、治癒魔術をかけ始めた。

「総一郎!」

 カークは総一郎に駆け寄り、状態を見る。

 総一郎は体のあちこちをメッタ刺しにされ、顔には殴打されたような跡があった。

(おいおいおい! 息をしていないぞ! まじでやばいじゃねぇか)

 更に悪いことに、総一郎は呼吸をしていなかった。呼吸停止からどれほど時間が経っているのかカークには分からなかったが、このままでは数分も経たずに命が失われてしまう。

「さ、さっちゃ! 救急車を! 救急車を頼む!」

「わ、分かった! 落ち着け、カーク!」

 カークは気が動転しつつも、桜散にかろうじて救急車を呼ぶよう頼むことが出来た。桜散はカークをなだめつつ、携帯を取り出して救急車を呼んだ。

(死ぬな! 死ぬなよ、総一郎……)

 カークは必死で、総一郎に対し胸骨圧迫を試みる。


 カークの蘇生処置が効いたのか、それとも譲葉の魔術が効いたのかは分からない。

 だがその後、かろうじて総一郎は息を吹き返した。

 そして救急車が到着し、総一郎は病院へと運ばれて行った……。


――――――――――――深夜。

 深夜の病院。病院に運び込まれた総一郎は、その後すぐに集中治療室へと運ばれた。

 傷は治癒魔術で塞がったとはいえ、呼吸停止の時間が長かったためか彼の意識は戻らず、依然として予断を許さない状況にあった。


 カーク、桜散、譲葉の3人は、病院の廊下に佇んでいた。

「「「……」」」

 事態の重さにただただ考え込み、黙りこくる3人。


「カーク様!」

 そこに病院からの連絡を受け、要がやって来た。

「……要さん」

 カークが声を掛けた。

「総一郎様は?」

「……面会謝絶、だそうです」

 要の問いには、譲葉が答えた。


「要さん。総一郎の両親は?」

 桜散は要が1人で来たことに気づき、総一郎の両親について尋ねた。

「先ほど私から連絡を入れました。今から急いでこちらに向かうと。

 明日の午前中には、この病院に来るそうです……」

「……そうですか」

 総一郎の両親はホッカドーに居ると言っていた。今は深夜の0時。飛行機の終発時間はとうに過ぎている。おそらく、朝一番の始発でこちらに戻るつもりなのだろう。

 仕事で数日間滞在するはずだったところを、息子の危機に際し即座に戻るとは。

(良い、両親だな)

 桜散はそう思った。


「皆様。私からこういうことを言うのはなんですが、今日はもうご自宅に戻られては? ご両親方も心配しているはずですしね」

 要はここで、カーク達に家に帰るよう申し出た。

「……要さんは?」

 カークは少し沈黙した後、要はどうするのか尋ねた。

「私はここで、旦那様と奥様を待ちます」

「分かりました。それじゃあさっちゃ、ゆーずぅ、帰るか」

 カークの提案に対し、2人は黙って頷く。

「OK。要さん、総一郎のこと、頼みます」

「はい。おまかせくださいね。皆様も、お気をつけて」

 こうしてカーク達は、病院からそれぞれの家路についた。


「「ただいまー……」」

 夜遅く、カークと桜散は家へと戻った。

「おかえりなさい。総一郎君のこと、聞いたわよ? 2人共ご苦労様。今日はもう寝なさい」 

 リビングに行くと、早々に李緒から声を掛けられる。

 李緒がどこで総一郎のことを知ったのか2人は気になったものの、李緒に聞く気力は残っていなかった。

 2人は李緒の言葉に従い、それぞれの寝室へと入って行った……。

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