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The Memoirs 9th(回顧録 第9部)「これが、世界の選択か」  作者: 語り人@Teller@++
第二章「魔術師の集いし場」
11/42

第11話『そして、役者は揃う』

[あらすじ]

 総一郎が失踪した。彼は異空間内で動くことができるため、怪物の標的になっている可能性がある。一刻の猶予を争う事態にカーク達は、アレクシアの情報を元に井尾釜市の中央図書館へ急行する。

 一方その頃総一郎は、迷い込んだ異空間である不気味な洋館を一人で探索していた。


第11話『そして、役者は揃う』


32日目

――――――――――――朝。

 ReReRe……! 午前6時。カークは目を覚ました。

「ふぁあ……」

彼がベッドから体を起こすと、窓をトントンと叩く音が聞こえた。

(まーたさっちゃか? それとも、アレクシア?)

 カークがカーテンを開けると、そこにはアレクシアが居た。

「ちょっと待ってくれ、玄関の鍵を開けるから」

 カークは窓越しに彼女に伝えると、階段を下り、玄関の鍵を開けた。


「おはよう、カーク」

玄関のドアを開けると、彼女はそこに居た。

「おはよう、アレクシア。……何か用か?」

カークはアレクシアに尋ねる。

「ちょっと、一緒に来て、欲しい」

「分かった。少し待っててくれ」

カークはそう言うと、家の中へと戻った。


 その後カークは自室で着替え、アレクシアと共に近くの公園へと足を運んだ。

「で、用は何なんだ? 朝ご飯? それともまた、俺に何か忠告?」

カークの問いに、アレクシアは考え込むようなしぐさをした後、答える。

「そう、ね。……今日は、どちらでも、無い。こうやって、貴方と話が、したかった、だけ。かしら?」

アレクシアはそう言うと、近くにあるブランコに座った。

「そうか……」

 カークはそう言うと、彼女の隣のブランコに座った。2人はブランコを揺らす。


「そういえば、俺達が帰った後、どうなった?」

カークはふと、昨日のことを尋ねる。

「ああ、それは」

アレクシアはそこで会話を区切り、再度話し始めた。

「総一郎と、譲葉。一緒に、少し、話したわね」

「そうか」

2人の間に沈黙が流れる。


「カークの方は、どうだった? あの後」

今度はアレクシアが、昨日のことを尋ねる。

「ああ。特に、何も無かったよ。さっちゃはあの後すぐ自分の部屋に入っちゃったし、俺も疲れてたんで寝た」

「そう」

またしても、沈黙が流れる。

 2人の会話は、どこかぎこちない様子であった。まるで、双方の距離感を掴みかねているかのように。


「そういや、前俺に忠告したよな? 『遠くない時期に死ぬ』、だっけか? ……どう思ってる?」

「えっ?」

カークの突然の問いに、アレクシアは驚いた。

「いや、言いだしたのはお前だろう? あれから、まあ、そんなに経ってない気もするが、どう思う? 俺が死ぬとしたら、どういう原因で死ぬと思う?」

「それは、前に言ったはず、よ? 私にも、どういう風に死ぬのかは、分からない、と。でも、死ぬのは、間違いない、はず」

「はず? その点まで、はっきりしないのか? お前の魔術……を以てしても」

 カークは、アレクシアに対し更に問いかけた。

 彼は、アレクシアが魔術か何かを使い、彼自身の未来を話しているものだと考えていたのであるが……。

「そう、ね。……正直、今の状況、私にも、とても、とても、想定外だから。これ以上は、話せない」

 アレクシアは申し訳なさそうに、カークに言った。その言葉に、嘘の気配は感じられなかった。

「そうか、分かった。すまんな、答えにくい質問をしちゃって」

カークは、アレクシアに謝った。

「ううん。あなたが、謝ることは、ない。謝るべきは、説明できない、私の方」

彼女はそう言うと、ブランコから立ち上がり、カークを上から覗き見る。そして、次の言葉を口にした。

「でも、安心して欲しい。あなたに何かあったら、私が、守るから」

その眼は、真剣にカークの目を見つめている。

「……思えば、不思議なもんだな。出会ってまだ、1ヶ月しか経っていないというのに。……どうして、お前はそんなに俺を気に掛ける? こんな、大学を留年してやさぐれてる、俺なんかに」

「……」

彼の問いに、アレクシアは答えない。

 しかし、彼女は一言、途切れ途切れでない言葉で、カークにこう突きつけた。

「それは、貴方との約束だから」


 その後、カークはアレクシアと別れ、家への帰路に着く。

 彼女とは、順調に信頼関係を築くことが出来ている。しかし、カークの疑問は解決しない。

『貴方との約束だから』

アレクシアの一言が、カークの脳裏にリフレインする。

(俺との、約束? あいつと俺は、前会ったことがあるのか? ……俺が忘れているだけなのか?)

 自分とアレクシアには、以前面識があった。彼女の言葉で、カークはそう解釈した。そしてそれが、彼女があんなに自分に対して目を向ける理由。ここまでは、彼の頭でも理解できた。

 しかし、どうしても引っかかる。

(うーん、やっぱり思い出せないなぁ。というか、覚えが無い。覚えているのはゆーずぅと小さいころ遊んだことと、ヒノモトに来てからさっちゃと出会ってからくらいだ)


 カークの幼少期~小学生時代の記憶は、譲葉と遊んだことくらいしかない。そして、ヒノモトに来て以降の記憶は桜散との暮らしくらいだ。

 そもそも、彼は多くの人間と付き合う性格ではない。そのぼっちぶりは、中学時代ずっと、周りの学生と交友が無かったほどの筋金入りだ。高校時代に桜散がやってきてからもこれは変わらなかった。当然、小学校時代に米国に居た際も、金髪幼女との付き合いなどは無かった。

 アレクシアの態度について、カークが訝しんだ、そのときだった。


 ppp……。カークのポケットから振動がする。立ち止まって、確認する。

(これは、総一郎?)

総一郎からの電話だった。カークは、電話に出た。

「もしもし? カークだけど。総一郎か?」

「はい! おはようございます。早朝から、失礼しますね」

カークが電話に出ると、総一郎は挨拶してきた。

「うむ。で、用件は何なんだ?」

 カークは総一郎に、用件を尋ねる。すると。


「はい、それなんですが、魔術について、もっと詳しく教えていただけませんか? 昨日のこともあって、僕もちょっと興味を持ちましてね」

「え、興味? おいおい、止めとけよ? というか昨日あんな目に会ったのに? というか、怪我は大丈夫なのか?」

 総一郎の言葉を聞いたカークは、思わず苦い顔をした。

「はい」

 カークの問いに、総一郎は即答した。彼は、話を続ける。

「譲葉さんのおかげで、もうピンピンです。それに、僕も皆さんの役に立ちたいんです。カーク君は僕と彼女の問題を解決した恩人ですからね。君達があんなふうに戦っているのを見たら、僕も何かできることが無いかなと思いまして」

「そうか……」

 総一郎の真摯な言葉に、渋るカークの心は動かされた。


「なら、俺達が知りうる情報を、お前に教えるよ。その代わりと言ったらなんだが、行方不明事件についての情報を探ってくれないか?」

 カークは総一郎に、行方不明事件の情報を提供することと引き換えに、自分達の知る魔術についての情報を提供することを提案した。

「……! はい! 分かりました。僕の家の方で、できることをやってみます! それでは、よろしくお願いしますね」

カークの提案に、総一郎は乗る。

「分かった。これからもよろしくな」

「はい。それでは、失礼しますね」

「おう、またな」

 カーク達は、通話を終えた。そしてカークは再度、家路につくのだった。


 カークが家に帰ると、李緒が朝食を作っていた。

「あら? 帰って来たのね?」

リビングに入ってくるカークを見るや否や、李緒は声を掛けた。

「あ、母さん、ただいま。朝ご飯、何?」

「鮭の塩焼きよ。大根の味噌汁もあるわよ。そろそろできるから、桜散ちゃんを起こしてらしゃい」

「分かった。起こしてくるよ」

カークはそう言うと、階段を下りて2階へ向かった。


 カークが2階に上がると、ちょうど桜散が部屋から出てきたところだった。

「おはよう」

「ああ、おはよう。カーク」

朝の挨拶を交わす2人。

「珍しいな? お前が寝坊するなんて」

「私だって、たまにはこういう日もある。それに、今日は日曜日だ。別に遅くまで寝ていてもいいだろう?」

「昨日はあの後そのまま寝たのか?」

カークは尋ねた。

「そうだな。……お前もそうだろう?」

桜散の問いに、カークは首を縦に振った。

「そうか」

 桜散はカークの反応を見て、一言呟いた。


「で、階段を急いで上がってくるとは、何か私に用か?」

桜散はカークに尋ねた。

「母さんからの伝言。朝ご飯できたってさ」

カークは彼女に、朝食が出来たことを伝えた。

「分かっている。今日は焼き魚だろう? 匂いでわかる。今から下に降りる所だった」

「そうか。じゃあ俺は先に下りてるから、早く来てくれよ?」

「分かった」

 そこで2人は会話を打ち切り、カークは1階へと降りて行った。桜散も、後を追った。


「そういや、昨日は大変だったなぁ」

鮭の塩焼きとご飯を口に運びながら、カークは桜散に話しかける。

「おいおい、食べ物を口に入れながら話をするなよ? そうだな、確かに大変だった」

 桜散は食べ物をもごもごしながら話すカークに注意しつつ、味噌汁を啜る。

 カーク達が朝食を食べ始めてすぐに、李緒はリビングから出て行った。そのため、桜散とカークは、昨日のことについて話し始めていた。


「あ、そういや」

「ん? 何だ?」

桜散はカークに尋ねた。

「さっき総一郎から電話がかかってきてさ。あいつ、魔術に興味があるんでもっといろいろ教えてほしいって言ってきたんだが」

「そうか。で、どうなった?」

「あいつに異空間の出現情報を調べてもらうことになった。で、俺は魔術についての情報をその代わりに教えると」

「何だと? お前な、彼をあまり巻き込むな、と言ったはずだが?」

カークの話を聞き、桜散は不機嫌な顔をした。

「俺だって、最初はあいつにそう言ったよ? でも、あいつの態度はまじだった。何か、役に立てることをしたいと。それで、断れなかったわけ」

「はぁ。彼も懲りないな。それに、お前は本当に、人の頼みを断れないな。……そんなんだと、また馬鹿を見ることになるぞ?」

 桜散はカークにそう忠告すると、鮭の塩焼きを食べ終えた。

「分かってる。俺も、2度とあんな目はごめんだからな。引き際位、弁えてるさ」

 カークは桜散にそう反論すると、味噌汁を飲み終えた。


「そういや、俺達は仮面の怪物を倒したわけだが、行方不明者はどうなったんだろう?」

カークはふと、行方不明者のことが気になった。

 カーク達はここ数日何度も異空間に潜りこみ、仮面の怪物やその眷属達と戦っていたわけであるが、その間一度も、行方不明者を発見することはできなかった。

 もっとも、かの信号機の仮面が形成していた異空間は、眷属が創り出したものを含めると途方もなく広く、カーク達が探索できたのはごくわずかな範囲に過ぎない。

 このことは彼ら自身も認識していたため、怪物の撃破を最優先として行動していた。

「そうだな。怪物を倒したなら、行方不明者が発見されていいはずなんだが……ちょっと調べてみる」

 そう言うと、桜散は携帯端末を取り出し、ネットニュースを調べ始めた。それと同時に、カークはテレビをつけ、日曜のニュースを調べた。


「そっちはどうだった?」

カークは桜散に、ネット上の情報について尋ねた。

「……だめだな。行方不明者が保護されたという情報は、今のところ出ていない。そっちはどうだ?」

「こっちもだ。行方不明事件については話題になってるが、保護されたという話は出てないな。ただ」

「ただ?」

携帯端末をスリープ状態にした桜散は、カークに尋ねた。

「どうやら、ここ1週間、新たな行方不明者は出ていないらしい。最近は他のニュースも出てきてるし、沈静化してきてる感じだな」

カークはテレビを見ながら、報道の熱が冷めつつあることを桜散に伝えた。

「そうか。これは良い傾向かもしれないな」

「どうして?」

「つまり、私達の活躍が、功を奏しているということじゃないか。仮面の怪物を次々倒すことで、行方不明事件を未然に防げていると」

そう言うと、桜散は胸を張る。

「そうかなぁ」

カークは訝しんだ。

「そうだろう。今、行方不明者は13人。

 確かに、私達があの信号機を倒しても、行方不明者の数は減らなかった。だが一方で、増えてもいない。これは、私達があちこちで眷属を倒して回ったからと言っていいはずだ。だから、私達の戦いは、意味のあることだったはずだ」

「うーん……そうか。そうだな」

連日、誰からの見返りも無しに戦ってきたカークにとって、目に見える成果が無かった今回の怪物との戦いは、些か不満が残るものであった。

 とはいえ、桜散の意見も一理あると、彼は思った。自分達の自警活動に意味があったと。この彼女の言葉がカークの励みになったであろうことは、想像に難くない。


――――――――――――昼。

 カークと桜散はその後、家でくつろいでいた。特にやる事も無かったし、昨日の戦いの疲れがあったため、彼らにとってはちょうどよい休息の時であった。

 しかし、この休息は、思わぬ来訪者によって破られることになる。


 ピンポン! 玄関のチャイムが鳴った。

「ん? 誰だ?」

リビングに居たカークと桜散は、インターホンの画面を確認する。

「はい、もしもし?」

すると、そこに居たのは。

「こんにちは。カーク君。僕だ、総一郎だよ」

ドアの前に居たのは、総一郎であった。更に、そのそばにはもう1人。

「分かった。今行く」

カークはそう言うと、桜散と共に玄関へ向かった。


「やあ、カーク君、桜散ちゃん。こんにちは」

「おはよう、総一郎」

「よう! おはよう。よく俺の家が分かったな?」

カークは挨拶ついでに、総一郎に尋ねた。

「ああ、それはですね」

総一郎が説明しようとしたその時だった。


「私が、教えた。……聞いて、来たから」

総一郎の近くにある壁の横から、アレクシアがひょこりと顔を出した。

「おっ。こんにちは、だな」

カークは、アレクシアに挨拶をした。桜散はそれを見て、彼女に軽く頭を下げた。

「カーク君の家がこの近くだと、譲葉さんから聞いていましたが、具体的な場所が分からず迷っていた時に、彼女に会いまして。教えてもらったんですよ」

「そういうことだったんだな」

総一郎の説明に、カークは頷いた。


「ところで、総一郎。何か用があって来たんじゃないのか?」

桜散は、総一郎になぜ来たのか問いかけた。

「あ、いえ。特に何も用はありませんよ? ただ、場所くらいは知っておいた方が良いと思いましてね。いつでも電話やメールが使えるとは限りませんし……」

「なるほどな。で」

総一郎から話を聞いた桜散は、今度はアレクシアの方を向く。

「アレクシア、何か理由があって、来たんだろう?」

「……なるほど、お見通し、か」

桜散の問いに、アレクシアは口元を緩める。そして。

「ええ、そうね、桜散。私はあなたに伝えたいことがあって、ここに来た」

アレクシアは桜散にそう言うと、大きく息を吸って深呼吸する。

 そして、桜散に対して一言。


「桜散! カークの件、私。あなたに負けるつもりないから!」

彼女の突然の叫びに動揺する一同。そして、アレクシアはそう叫ぶと、くるりと体を返し、外へと走っていく。

「あ、おい! 待てアレクシア! うわっ!」

彼女を追おうと走り出したカークに対し、目も開けられないような強風が襲う!

 彼が目を開けたとき、そこにアレクシアの姿は無かった。

「何だよおい……」


「これはこれは……。いわゆる、ライバル宣言でしょうかね?」

家の外で呆気にとられているカークを横目に、総一郎は桜散にそっと耳打ちした。

「そのようだな。無論、私は彼女にカークを譲るつもりなんて、無いぞ?」

茶化すように尋ねてきた総一郎に対し、桜散は迷いもなくそう答えた。

「おおぅ。そうですか、ふふふ。いやはや、これは面白いことになってきましたねぇ」

 桜散の返事を聞いた総一郎は、これから3人の間に起こるであろうことを脳裏に想像しつつ、顔をにやにやさせたのだった。

 その後、カークと桜散は、地下鉄駅へ向かう総一郎を見送り、家の中へと戻った。


――――――――――――夜。

 ppp……。

 深夜、カークの携帯が鳴る。総一郎からの電話だ。

「もしもし、カークだが。総一郎か?」

「はい。夜遅くに失礼します」

「何だ? 用件を伝えてくれ」

カークは総一郎に、用件を尋ねた。

「分かりました。夜も遅いですし、簡潔に。僕が電話したのは、異空間についての情報を伝えるためです」

「何か、分かったのか?」

カークは、総一郎に尋ねる。

「はい。異空間の入口らしき画像が、SNSに何枚かアップロードされているのを見つけました。後でURLをメールに添付して送りますね」

「ネット上でか? よく見つけられたな?」

 カークは総一郎の話を聞いて、驚いた。彼が見たときは、そのような画像は発見できなかったからだ。

「ええ。僕も正直驚きましたよ。『神秘的な光景』で検索してみたら、見覚えのある風景と共に、異空間の入口らしきものが映っている画像があったんです」

 総一郎はカークに、画像を発見した経緯を伝える。

「『神秘的な光景』、か。そのワードは調べてなかったな。確か、外国とかの風景が映るタグだろ? ヒノモトの、それも井尾釜のものがあるんだな」

 カークは自分の想定外の場所に異空間の証拠があったことを知り、自分の無知さを思い知った。

「井尾釜市は広いですからね。カーク君も、僕の家の近くとかになると、普段行かないでしょう? 僕も知らない場所だったら、見逃していたと思います。

 念のため、カーク君も探してみることを勧めますよ?」

「ああ。分かった。俺も、それで調べてみるよ。……情報ありがとうな、総一郎」

「いえいえ。どういたしまして」


 2人はその後、たわいもない会話を少しした。

「そう言えば、今朝アレクシアに会った時って、どんな感じだった?」

 カークは総一郎に、アレクシアと出会った時の状況について尋ねた。

「はい? アレクシアさんのことですか? どうしてまた?」

「実は俺、あいつが俺やさっちゃ以外の人とどう付き合ってるか、よく知らなくてさ。できれば教えてほしいんだけど……」

「なるほど。そうですねぇ……。声を掛けたのは僕からだったんですが、内気な子だなという印象を感じました。

 昨日パーティーで話した時もそうでしたが、彼女が僕に話題を振ってくることは、一回もありませんでしたね。寡黙というかなんというか。ただ、僕が話しかけるとちゃんと答えてくれましたよ?」

「そうか。あいつとは、何を話したんだ?」

「そうですねぇ。カーク君のことについて、聞いてみましたよ?」

「What? 俺のこと?」

カークは驚く。

「だって、前言ってたじゃありませんか。桜散さんとアレクシアさんが揉めてどうのこうの、とか」

「あー……」

総一郎の言葉でカークは、櫻木町での出来事を思い出した。

「しっかし、君は実に罪深い男ですねぇ」

「はぁ」

また始まったかと、カークは内心思った。

「アレクシアさんは、桜散さんに堂々とライバル宣言! 対する桜散さん、譲る気配なし! これはまずい、波乱の予感ですぞぉ~」

「はぁ……」

 電話越しに聞こえてくる総一郎の活気あふれる声に、カークはため息をついた。

 今晩は長くなりそうだ。そう、カークは確信したのだった。


――――――――――――。

それから数日は、特に何事もなく過ぎて行った。カークは総一郎の言った通り、SNSから異空間の出現情報を探った。

 そしてついに、異空間の入口らしきものが写った写真を何枚か見つけだすことに成功。

 早速、全員の予定が空く週末に探索をしようと、各々準備していたのであるが……。



37日目

――――――――――――朝。

「おい、朝だぞ。カーク」

「うーん……」

 耳元から聞こえる桜散の声で目を覚ましたカークは、体を起こす。と、同時に、凄まじいだるさに襲われた。

(うぅ。風邪引いたか? 心なしか、身体がすごいだるい。喉痛いし、寒気もする……)

 全身から来る倦怠感、そして喉の痛み。とはいえ、大学には行かねばならない。カークは体を起こし、朝食を食べるべく1階へと降りた。


「さて、行くか」

カークは服を着替え、外へ出ようとする。すると。

「おい、カーク。荷物、忘れてるぞ?」

 カークの肩を、桜散の右腕が掴む。彼が振り返ると、彼女の左手には鞄がぶら下がっていた。ちなみに桜散は、自分の荷物をリュックに入れて背負っている。

「あ、すまね。ありがと、さっちゃ」

そう言うと、カークは桜散から自分の荷物を受け取った。

「ふん。私が居て良かったな」

桜散はぶっきらぼうにそう言うと、カークの横を通り過ぎる。彼もその後を追った。


――――――――――――昼。

 昼休み。カークは桜散と共に、昼食を取るべくキャンパス内のメインストリートを歩いていた。

 カークの身体のだるさは治ることが無く、むしろ悪化しつつあった。講義中は、迫りくる眠気とだるさに対しお茶を飲みながらなんとかしのぐという有様。今も身を震わせながら歩いている。

「大丈夫か? カーク」

そんな彼の様子を心配そうに見守る桜散。

「いや、駄目かもしれない」

 身体のだるさを前に、弱気になるカーク。しかし、午後も3限目に講義が入っているのだ。まだ、帰れない。


 そんな2人の前に……。

「24日のデモへの参加、よろしくお願いしまーす!」

「ご協力、よろしくお願いしまーす!」

 経済学部自治会の演説活動だ。1組の男女が、メインストリートを通る学生達に、反政権デモへの参加を呼びかけている。以前、カークが会ったのと同じ2人組だ。

 カークはメガホンを介して響く彼らの声を聞き、思わず舌打ちした。桜散もその様子を見て何かを思い出したのか、思わず苦い顔をした。

 全くもって、うかつであった。昼のメインストリートは避けようと考えていたのに、身体のだるさに意識が向いてしまい、すっかり抜け落ちていた。

 2人組はその後、今の政権が抱えている問題や、原発再稼働のリスクについて、力強い声で語りはじめた。

 憂鬱な気分になりながら、カークは足早に食堂へと向かった。


「はぁ……だめだ……」

 カークは昼食を食べ始めるも、そのペースは遅かった。食欲が無いわけではないが、喉が痛いので、食べるのに一苦労しているのだ。おまけに鼻が詰まっていて嗅覚が機能不全。

 普段美味しく食べている好物も、この日は美味しく感じることはできなかった。

「やっぱり、大丈夫じゃないんじゃないか。帰りに病院へ寄ろう。私も一緒に行く」

桜散はカークに、帰りに病院へ寄ることを提案した。

「ああ、そうさせてもらうよ。悪いなさっちゃ」

カークは桜散の提案を、申し訳なさそうに受け入れた。


 pppp…… 2人が昼食を食べ終えたところで、カークの携帯が鳴った。彼はメールを確認した。

『件名:総一郎君知らない? 本文:総一郎君が、講義を欠席したみたい。何か知らないかな?』


「あいつ、ここの大学に通ってたんだな」

譲葉からのメールを見て、カークは呟く。

「ん? 何のことだ?」

彼のつぶやきに対し、桜散は尋ねた。

「あ、それがさ。今ゆーずぅから、総一郎が講義を欠席したってメールが来た。それでさ、総一郎がここの大学に通ってたんだな、って思ってさ」

カークは桜散に、呟きの意味を説明した。

「ああ、そうか。何だお前、知らなかったのか?」

「いや、知らなかった。いつ教えてもらったんだ?」

「そうだな。……ゴールデンウィーク中に外出していた時に偶然会ってな。そのとき、彼が言っていたんだ。どうやら、譲葉ちゃんと同じ経済学部で、今年入学したらしいぞ?」

 桜散はカークに事情を説明する。

「なるほどな。道理で俺が知らない訳だ」

 総一郎と桜散が自分の知らぬ前に交流を持っていたことをカークは知り、1人納得した。


 その後、カークは午後の講義を何とか乗り切った。しかし、講義を終えて教室を出たところで遂に限界に達してしまう。

 彼は講義棟のホールにあるオレンジ色のベンチに寝転び、そのまま動けなくなってしまった。


「おい、カーク、カーク! 大丈夫か!?」

「う、うぅ……」

 ベンチで横になっているカークに呼びかける声。彼が目を開けると、そこには心配そうな目で見つめる桜散の姿があった。

「ようやく気付いたか。ちょうど私も講義が終わったところだ。病院行くぞ」

そう言うと、桜散はベンチに横たわるカークの身体を起こした。

「すまんな、さっちゃ」

「気にするな。……立てるか?」

「ああ、大丈夫だ」

 カークはそう言うとベンチから立ち上がり、桜散の手を取った。

「それじゃ行こうか」

「ああ」

 そして2人は、大学から近くの病院へと向かったのだった。


――――――――――――夜。

「ほら、できたわよ。おかゆ」

そう言うと、李緒はテーブルの上におかゆが入った土鍋を置いた。

「ありがとう、母さん。いただきます」

カークは李緒にお礼を言うと、おかゆを食べ始めた。

 あの後カークは桜散と共に病院に行き、薬を貰って帰ってきた。そして今、李緒におかゆを作ってもらったのである。

「今日は早く寝た方が良いぞ? 無理しない方が良い」

おかゆをゆっくり食べるカークを見ながら、桜散は彼に忠告した。

「そうね。桜散ちゃんの言う通り。風邪は引き始めでの対処が肝心よ?」

桜散の言葉に同意するように、李緒もこう言った。

「分かってるって。……Ouch!」

 カークは2人の言葉にうんざりしたものの、舌の熱さでその気持ちも吹き飛んでしまい、もはや目の前のおかゆを食べるので精一杯だった。

 その後彼は病院で貰った薬を服用し、いつもより数時間早く眠りに就いた。


――――――――――――深夜。

 ppp…… 桜散の部屋に、携帯の音が鳴り響く。

「むむ、こんな遅くに誰だ? 一体……」

着信音で目を覚ました桜散は、電話の主を確認。そして、通話に出た。

「もしもし、桜散だが? 譲葉ちゃんか?」

電話は譲葉からであった。

「あ! 桜散ちゃん。こんばんは! ごめんね? こんな夜遅くに」

「構わないさ。で、用件は何だ? 何か、困ったことでもあったのか?」

 桜散は譲葉に、電話を掛けてきた理由を尋ねた。

「それなんだけど、あの、総一郎君がさ、昨日の夜から家に帰ってないみたいなの」

「何!? 総一郎がか?」

電話越しに出た思わぬ話に、桜散は驚く。

「うん。さっき総一郎君のご両親からこっちに電話がかかってきたの。桜散ちゃんは何か知らない?」

「知らないな。それより、大丈夫なのか? 彼は」

「分からない。それでなんだけど、総一郎君、もしかすると……」

譲葉は桜散に、総一郎の行方について、ある可能性を示唆する。

「……しまった! そうかあいつ……」

譲葉の言葉に、桜散は思い当たる節があった。


 彼はカーク達に、異空間について情報提供をしたいと申し出ていた。

 もしかすると、異空間を探した末に、そこに迷い込んでしまったのかもしれない……。桜散の脳裏に、この可能性が思い浮かんだ。

「桜散ちゃん?」

突然黙り込んでしまった桜散に、譲葉は心配そうに尋ねた。

「いや、大丈夫だ。……明日は土曜日だな。一度、集まって相談しよう。それでいいか?」

桜散は譲葉に、明日集まることを提案する。

「分かった。集まるのは、私の家でいいかな?」

「ああ、それで構わない」

「おっけー。アレクシアちゃんにも、連絡しておくね」

「ああ、頼んだぞ」



38日目

――――――――――――朝。

 土曜日。カーク、桜散、譲葉、アレクシアの4人は譲葉の家に集まり、総一郎の件について話していた。

「うかつだったな。そもそも、彼が異空間内で普通に行動できていたことに、疑問を感じるべきだったというのに!」

 桜散は、総一郎が異空間内で行動できていたことに疑問を感じなかったことを悔やんだ。

「やばいな。異空間で動けるってことは、怪物に狙われる。……そうでなくとも」

「数日間、あの中で、飲まず食わずなら、間違いなく、死ぬ、わね」

カークの懸念をアレクシアが代弁する。


「異空間内では、魔力を持った存在以外は静止する……。総一郎君にもあったんだ、魔術の素養が。でも、なら何で前のときは魔術を使えなかったんだろう?」

 譲葉は、総一郎が魔術を使えなかった理由に疑問を感じた。

「それは、貴方達と同じ、はずよ? 譲葉。素養が、あっても、使い方が、分からなければ、使いようが、無い。

 最初、使えなかった、でしょ? 譲葉も、カークも、桜散も」

譲葉の問いに対し、アレクシアが答えた。

「なるほどな。……そう考えると、総一郎に異空間や怪物のことを話したのは正解だったかもな。本当にあいつに素養があるなら、遅かれ早かれあいつは怪物に狙われてたってことだからな」

アレクシアの話を聞いたカークは、そう考えた。


「とにかくだ。異空間内で動ける以上、事態は一刻を争う。早く異空間を探し出して、彼を助け出さないと!」

「そうだね、桜散ちゃん。……アレクシアちゃん、何処か覚えがある場所ってない?」

譲葉はアレクシアに、異空間の所在について尋ねた。

「そうね……」

アレクシアはそこで一度黙り、再度言葉を紡ぎ出した。

「市の、中央図書館。あそこ、最近不穏な、気配がする。行ってみて、いいかも、ね」

「井尾釜市中央図書館、だな? 分かった。とりあえず、行くぞ」

桜散はそう言うと、椅子から立ち上がった。

「そうだなさっちゃ。まず行ってみて、それで外れなら、次の作戦を考えよう」

「おっけー。それじゃ行こっか」

 こうして、総一郎救出作戦が発動された。


 カーク達はその後、地下鉄を使って中央図書館へと向かった。

 井尾釜市の中央図書館は、六角形が複数組み合わさったような独特な外観の建造物だ。地上5階、地下3階からなるフロアの内、一般客が利用可能なのは地下1階、1階、3~5階の5フロアだ。

 まず4人が向かったのは、1階のメインホール。広大なメインホールでは、多くの利用客がカウンターで本を借りていた。

「なあ、アレクシア。不穏な気配ってのは、どこで感じたんだ?」

カークはアレクシアに、不穏な気配を感じた場所について尋ねた。すると、彼女は、上の方を指差した。

「建物の、上の方。……今も、気配がある。これは、もしかすると」

「これは早速、当たりかもね?」

アレクシアの答えに対し、譲葉はにやりと笑った。

「かもな。それじゃあ、上の階に行ってみるか」

「だな。行こう」

 カークはそう言うと、エレベータのボタンを押した。そして、やって来たエレベータに乗り込み、5階へと向かった。


「それで、アレクシア。不穏な気配は?」

今度は桜散が、アレクシアに尋ねた。

「待って。……こっち」

 アレクシアはそう言いながら、階段の入口に向かう。3人も後を追った。


「……あった。あれ、ね」

階段に向かったアレクシアは、上の方、突き当たりを指差した。

「これは!」

「……当たりだな」

「うん、そうだね」

3人はアレクシアの指差す方向を見て、納得した。


 三角形型の螺旋階段の上の方。立ち入り禁止の柵の先に、黒い靄のようなものが現れている。おそらく、あれが異空間の入口なのだろう。

「それじゃ、早速乗り込むとするか……って、あ!」

カークはその時、あることに気付く。

「やべっ! 武器、持ってきてないぞ! 丸腰じゃねぇか!」

彼はこのとき、自分達が武器を持ってくるのを忘れたことに気付いた。

 信号機の仮面との戦いの後、武器一式は譲葉に返却していたのであるが……。

「それなら大丈夫だよ! ほら」

 譲葉はそう言うと、背負っている大型のリュックサックを床に置き、そのファスナーを開ける。すると、そこにはカーク達が使用していた武器一式が。

 ……流石にパイプ椅子は入らなかったようだ。また、鉄パイプはリュックサックに斜め向きで入るよう、若干短く加工されていた。


「お、流石ゆーずぅ!」

そう言うと、カークは鉄パイプを取り出す。パイプの長さは60cmほどだ。

「ごめん、カーク君。ちょっと短くなっちゃったけど、いいかな?」

譲葉は申し訳なさそうに、彼に尋ねる。

「いや、問題ない。むしろ軽くなって、その分使いやすそうだ」

カークはそう言うと、パイプを軽く振り、使い勝手を確かめた。

「おいおい、忘れるなよ? ここは公共施設だ。こんな光景、誰かに見られたら警察に通報ものだ。……試し振りは異空間に入ってからにしないか?」

鉄パイプを振り回すカークに対し、桜散は釘を刺した。

「Ah……。そうだな」

カークはそう言うと、持っていた鉄パイプを下した。

「さっさと入るぞ。時間も無いしな」

「ああ、分かった」

「うん」

「……そうね」

桜散の言葉と共に、カーク達は異空間へと飛び込んだ。

 カーク達が入ると、異空間の入口は姿を消し、静寂だけが残る。



36日目

――――――――――――深夜。

 カーク達が異空間に突入する2日前の夜、総一郎は自宅に居た。……このとき、一体彼は何をしていたのだろうか?


「魔術、か……」

 夕食後、自室にあるバルコニーで、総一郎は1人、物思いにふけっていた。

(しっかしすごかったなぁ。あんな光景が現実であるなんて……。俺も、彼らの仲間に入りたいなぁ……)

 魔術を扱うカーク達は、総一郎にとって羨望の対象であった。彼もカーク同様、心の何処かで非日常を求めていたのである。

(まあ、でも俺は使えなかったからな。だからこそ、彼らに情報提供、という形で力を貸しているわけで。……深く考えても、仕方ないか)

 そう考え、総一郎はバルコニーから自室に戻った。


『○○君は、私のこと、どう思ってるの?』

 総一郎が次に取った行動は、ギャルゲーをプレイすることであった。彼はギャルゲーの中でも、特に幼馴染物が好みであり、こぞって買い集めていた。


 そして、ゲームに飽きた総一郎は、気晴らしに散歩へ向かう。春と夏の境目、今の季節の夜風はちょうど良い塩梅で、清々しい物であった。

「ふぅ……」

 総一郎の住む場所は、井尾釜市の郊外、いわゆるニュータウンと呼ばれる地域だ。周囲は家と緑が入り混じり、坂の多い地形になっている。

 そして夜になると、住宅街の明かりと闇夜の森のコントラストが映える。

 光と闇の境界、この神秘的な風景の中を一人歩くことが、総一郎の楽しみの1つだった。

「さて、そろそろ家に戻るか」

 大通りをある程度歩いたところで、総一郎は家に引き返そうとした。すると。


「あら? もしかして、総一郎?」

 後ろから、声を掛けられる。総一郎が振り返ると、そこには見覚えのある金髪ロングヘアの少女が。

「おや、もしかして、アレクシアさん?」

総一郎の問いに、アレクシアは黙って頷いた。

「おお、そうですか。……そうです、総一郎です。こんばんは、アレクシアさん」

「こんばんは、総一郎」

2人は互いに挨拶を交わした。


「アレクシアさんは、何のためにこちらに?」

総一郎はアレクシアに、ここにいる理由を尋ねた。

「総一郎は?」

アレクシアは総一郎に、なぜここにいるかを尋ねた。

「僕は、まあ、散歩ですよ。気晴らしに。お気に入りなんですよ、この風景が」

総一郎は軽く目を見開き、周囲を見回した。彼にとって、夜闇は散歩の障害にならない。

「なるほど、ね。……私も、同じ感じ、かしら? ここは、心が、落ち着く」

アレクシアは軽く目を閉じ、物思いにふけった。

「そうでしたか。ふふ、奇遇ですね。こうやって、こんな時に出会うなんて」

総一郎は、この奇妙な出会いを嬉しく感じた。


 その後、総一郎とアレクシアは別れ、そしてそれぞれ家路につく。

「それじゃあ、また明日、大学で」

「ええ、また明日、会いましょう」

 別れの挨拶を交わした2人は、それぞれ別の方向へと歩いて行った。


(こんなところで、アレクシアさんと出会うなんてな。こいつは僥倖だ、僥倖)

総一郎はほっこりした気分になりながら帰り道を歩いていた。

 カツッ! そのとき、軽快に歩く総一郎の足に、小さな何かが当たった。

「ん?」

 普段の彼なら、小石か何かだと考え、気にも留めなかっただろう。しかし、このときの彼はふと、足元を見た。

「これは……」

彼の足元にあったもの。それは銀色の腕輪であった。腕輪の幅は5cmほどと、かなり太いサイズだ。

「腕、輪? 落し物かな?」

 総一郎はそう呟くと、腕輪を拾い上げた。腕輪には奇妙な溝がいくつも入っている。そしてオレンジ色の丸い石が一か所、存在感を示すようにはめこまれていた。

「綺麗だなぁ」

総一郎は、周囲を見回す。

(落し物、なら交番に届ける必要があるわけだが……)


 彼は再度腕輪を見る。腕輪は雑に捨て置かれたのか、あちこちに傷がついていた。

 更に、持ってみて初めて分かったが、非常に軽い。銀色だが、銀製ではないだろう。せいぜいアルミニウムだ。

(おもちゃの腕輪? かな。それにこんなボロボロの腕輪……)

 総一郎は再三腕輪をじっと見つめた。普段なら、このようなおもちゃの腕輪、気にも留めまい。しかしこのときの彼は、どうしてもこの腕輪を放っておけなかったのである。

(いったん持って帰るか)

彼はそう考え、右手に腕輪をはめる。


 その瞬間、腕輪にはまったオレンジ色の石が、街灯に照らされきらりと光った。

 そして、腕輪に入った溝と無数に入った傷も街灯の光を反射し、腕輪全体がギラギラと輝いているかのようだ。

 地面に落ちていたときは地味に見えていた腕輪が、装着した瞬間キラキラしたのを見て、総一郎は軽快にステップを踏みながら、夜道を歩きだした。

 ちょうど、そのときだった。


 ゴォン! 突如総一郎の目前に、黒い穴が出現!

「なっ!?」

動揺する総一郎、しかし、ステップしていたため体が宙に浮いたまま、穴に向かって前進! 

 そして、彼はそのまま穴にポンと飛び込み、姿が見えなくなった。彼を呑み込んだ穴は、輪郭からぼやけ、そして消えた。

 後には生温い夜風が吹く、閑静な街並みが残るのみ……。


37日目

――――――――――――異空間(屋敷)。

「うう……」

総一郎が目を覚ますと、そこは何らかの建物の中であった。

「何だ、ここは一体?」

 彼は周囲を見回した。倒れていたのは、どうやら廊下のようだ。壁に窓らしきものは、一つも無い。

(俺は確か、夜道を歩いていたところを黒い穴に飲まれて、それで……)

総一郎は自分の身に起きた出来事を思い出していく。

(異空間、なのか? ここは)

総一郎は立ち上がる。身体に異変は、無い。問題なく歩けそうだ。

(しっかし、参ったな。カーク君達も居ない中、こんなことになるとは)

彼は魔術を使えず、しかも丸腰だ。これで仮面の怪物や、その眷属に遭遇でもしたら……。

 とはいえ、食べ物も飲み水も無いこの場所でじっとしていては、その内餓死してしまうだろう。

(喉乾いてきたなぁ。水、無いかなぁ)

そう考えた総一郎は、何か役に立つものが無いか周囲を探索することにした。


 総一郎は、通路を奥へ奥へと進んでいった。すると、突き当たりにドアがあった。それを開けると、3階層からなる巨大なホールに出た。

位置関係から推測するに、総一郎が出てきた扉は、3階に1つだけある扉だったようだ。彼の目の前には、2階、1階に下りるための階段が左右に1つずつ伸びていた。

(ホール、か? 屋敷の中なのか? ここは)

総一郎は、自分の家の玄関ホールを思い出した。しかし、彼の家に比べると、目前に広がるホールは桁違いのデカさだ。おそらく譲葉の屋敷のそれよりも大きいだろう。


 彼は階段で1階と思われるフロアに下り、ホール正面にある玄関扉の前に辿り着いた。

 そして、ドアノブを、回す! しかし、回らない! 鍵がかかっているかのようであるが、サムターンらしきものがどこにも見当たらない。

「くっ、開かない! 別の場所を探すしかないか……」

 総一郎はそう呟くと、後ろを振り返り、彼から見て右側の扉へ入った。


「これは……」

 総一郎が入ったのは、細長い部屋だった。部屋の中央には、白いクロスがかかった細長いテーブルが置かれ、その上には白い皿とナイフ、そしてフォークが綺麗に並べられていた。

(食堂……? 厨房に行けば、何か食べ物があるのでは?)

 彼はそう考え、厨房を探した。すると、細い部屋の脇に、厨房へ繋がっているであろう通路があった。

(よし!)

総一郎は通路を歩き、ドアを開ける。すると、彼が予想していた通り厨房があった。

(食べ物、食べ物……)

彼は棚や冷蔵庫を、次々開ける。


 しかし、厨房には何もなかった。蛇口もあったが、水は出てこなかった。

(ですよね……。こんなんだろうと思ったぜ)

 ここは異空間。都合よく食糧があるとは限らない。総一郎も、厨房に着いたとき薄々予感していた。しかしいざ、現実を見せつけられると、ひどく落胆させられた。

(どうしよ……)

総一郎がトボトボと厨房を後にし、食堂へ戻ろうとした、その時だった。


 ギィ……! 扉の向こうから、何やら物音が聞こえた。

「何だ、敵襲か!?」

総一郎は恐る恐る食堂へと戻る。すると、先ほどまでしまっていた扉が開いていた!

(何だよおい……やべぇよやべぇよ)

ホラー映画のワンシーンさながらの恐怖体験に、彼は混乱した。

(とりあえず、食糧探し、続行しなきゃ)

総一郎は恐怖心を理性で何とか振り払い、食堂にあった椅子を1つ抱えた。

 椅子は木製で頼りないが、無いよりマシだ。そう考えた彼は、椅子を抱えたまま、先ほど新たに開いた扉の中へと向かった。


 扉の先は、廊下であった。総一郎は椅子を前に構えつつ、注意深く進んでいった。

 するとやがて、再び突き当たりにドアを見つけた。ドアノブを回そうとするも、回らない。ホールの大扉とは異なり、この扉には鍵穴があったため、鍵がかかっていると考えられた。

 とはいえ、総一郎は鍵を持っていない。諦めて引き返そうと左を向くと、そこにも扉があった。こちらのドアノブは、回った。

(お、こっちは入れるな……)

 総一郎は注意深くドアノブを回し、音を立てないよう、ドアを開いた。


 スチャ…… 中に入り扉を閉めると、そこは小さな小部屋だった。

 しかし、そんなことが問題にならないようなものが、総一郎の目の前に現れた。

「ウワァー!」

彼は恐怖で思わず悲鳴を上げた。


 部屋の中には、人の形をした物体が立っていた。人型のそれは、部屋の隅に鎮座している。色、形は間違いなく人間、それも青年だ。顔と思しき部分には、恐怖の感情が刻み込まれている。

 しかし、様子がおかしい。総一郎の行動に対し、それは一切の反応を示さなかったのである。彼が恐る恐る近づくが、全く動かない。まるで石像だ。

(人形……なのか? 何だ、マネキンか。びっくりさせやがって)

総一郎は安堵し、周りを見回した。すると。

(あ、あれは!)

 彼の目の前に、1個のリュックサックが置かれていた。中を開けると、そこには食料と飲み物が!

「うお! 食料発見! どれどれ……」

 総一郎はリュックサックからペットボトルを1つ取り出し、開けた。中身はミネラルウォーターのようだ。口に運ぶと、喉の渇きが癒される。

(本物だ! 本物の水だ! やったぞ)

 彼が次に取り出したのは、乾パンの缶詰だ。開けてみると、中には乾パンと氷砂糖が。一口齧ると、避難訓練の味がした。

(よっしゃ、乾パンも食える!)


 リュックサックの中には他にも、お茶や缶詰などがぎっしり入っていた。おおよそ3日分の食料といったところか。

(これなら、あと3日は戦えるな……)

 総一郎は乾パンとペットボトルをしまい、リュックを背中に背負う。そして椅子を再度抱え、小部屋を後にした。


 その後総一郎はホールに戻り、反対側の扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。

(1階で行ける所はこれで全部か。……2階を探してみるか)

 そう考えた彼は階段で2階へ上がる。

 2階には扉が2つあった。彼はその内、正面玄関から見て右側の扉に手を掛ける。

(ドアノブは、動かせるな。先へ進んでみるか)

そして、ドアノブを回し、中へと進んだ。


 ドアを開けると、そこは廊下だった。

(また廊下か。どっかは入れる場所を探してみよう)

総一郎は一度、廊下の一番奥まで進み、そして引き返した。

 廊下は途中で何度か直角に曲がっており、途中に扉が3つあった。その内2つは鍵がかかっており、一番奥、突き当たりにある扉のみ開けることが出来そうだった。

 総一郎は恐る恐る、扉を開け、中へと入った。


 ガサガサガサ…… 部屋に入ると、奥の方から何かを物色しているような物音が聞こえた。

(げげっ!? 何かいる)

思わず総一郎は息を飲み、前方に椅子を構えた。

 そして目を凝らし、周囲を見回す。部屋の大きさは、20畳ほど。電気は消えており、真っ暗だ。

 部屋の奥を確認してみると、何かが宙を浮いているのが見えた。しかし、部屋全体に黒いもやのようなものが漂っており、彼の目をしても詳細は確認できなかった。

 総一郎は、壁伝いに手を回す。すると、照明のスイッチらしきものがあった。彼は意を決し、スイッチを押した。


 カチッ! スイッチを押す。と同時に、天井の照明が点く。すると、部屋に漂っていた黒いもやが消え、視界があっという間に晴れていった!

 ガサッ…… 物音が止まる。総一郎はすぐに、奥を確認した。

 そこには、コウモリのような翼が生えた、青紫色の球体が浮かんでいた。球体の中央には、一つの目。球体の下からは尻尾のようなものが生えている。

 特筆すべきはその大きさ。球体の大きさは直径2mほどで。翼は翼幅4mほど。それほど巨大な何かが、総一郎の目の前で羽ばたきしていた。

 そして、球体の目が総一郎の方を向く。

「わっ」

その様子を見て、総一郎は恐怖を覚えた次の瞬間!


 バッ! 目の前の球体は突然、総一郎目がけ襲いかかった。球体の下部から、鋭いかぎづめのようなものが生える。

「ウワァー!」

 総一郎は仰天し、慌てて部屋を飛び出し、ドアを閉める。そして、廊下を駆け抜けた。

 ドン! ドン! ドアを叩く音が廊下に響く。総一郎はホール手前のドアで一息つく。だが。


 バン! 突如行き止まりのドアが吹き飛び、空飛ぶ化物がが姿を現す。

「げっ!」

 総一郎はすぐさまホールへ続くドアを開け、ホールへと逃げ込んだ。化物は廊下を高速で飛翔し、追いかけてくる。


「はぁ、はぁ、はぁ」

ホールの吹き抜け、階段がある場所までたどり着いた総一郎。だが息抜く暇は無い。

 バサッ バサッ! 化物はホールに到達、それと同時に、その一つ目を光らせ……。


 キーン! あたりに甲高い高音を響かせる。それを聞いた総一郎は思わず両耳を塞いだ。

 バーン! 音が響いて十数秒後。総一郎が逃げ出てきたドアの反対側にあるドアが突如爆発! 中から先程のものと同じ一つ目の化物が姿を現した。

「げっ! 増えた!」

 総一郎は2体の一つ目の怪物を前に肝を冷やした。椅子を握る腕に力がこもる。

 ……このときの総一郎に知る由は無いが、2体のこれらは、この異空間を形成している仮面の怪物の眷属である。


 ブン! 2体いる一つ目の眷属の内、片方が飛翔! 総一郎目がけ飛びかかる!

「うわっ!」

総一郎は両手で椅子を振り回した。

 バキッ! 怪物は鉤爪で椅子を破壊! 破片が総一郎に降りかかった。

「アタタ! ちくしょう!」

丸腰になってしまった総一郎は慌てて階段へと走る。だが!

 ガッ! 眷属の鉤爪が、総一郎の右肩に突き刺さった!

「グワー!」

痛みで総一郎転倒! 階段のすぐ手前で倒れた。

 何とか受け身を取り、立ち上がる総一郎だが、彼の右肩には痛みが走る。足取りもおぼつかない。

「ちくしょう……!」

総一郎はそのまま階段を降りようとするが。

 

 ドン! もう1体の怪物が、総一郎に体当たりした。

「うわっ!」

総一郎は咄嗟に受け身を取ったが、そのまま階段に転倒、1階まで転げ落ちた。

「うう……」

 肩を負傷し、おまけに階段を転げ落ちる最中、体のあちこちをぶつけてしまった。頭部を守る受け身と背中のリュックサックが無ければ、彼の命は無かっただろう。

「ちくしょぅ……」

何とか立ち上がるも、最早彼はボロボロ。

 そんなことなどお構いなしだと言わんばかりに、目玉の眷属は無慈悲に襲い掛かる。

「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょーーーーーー!」

総一郎は左手で右肩を抑えながら、右手を怪物に向けた。


 そのときだった。彼の右手に装着されていた腕輪の、そこにはまったオレンジの石が、まばゆい、されど不穏な輝きを放った。

 そして、次の瞬間!

 ヒュン! 何かが、総一郎の右手、その少し前方から飛び出した! 飛び出した何かはそのまま1体の眷属目がけて飛んで行き……。

 ゴシュ! その目玉に突き刺さった!

「キィャャャャャャャャー!」

 目玉の眷属は悲鳴を上げる。そしてその目からは、黒い何かが勢いよく噴き出した! そして。

 ボン! 爆音とともに爆発四散! 跡形もなく消滅した。吹き出した黒い何かも、同時に消えた。


「何……だ?」

 突如起きた不可解な現象に動揺する総一郎。

 だが、もう1体の眷属が自分目がけて迫るのを見たことで、戸惑いの気持ちは吹き飛んだ。

「アァー!」

右腕に力を込める。痛みが、彼の心の中に苦痛と憎悪の気持ちを呼び起こさせた。

 ヒュン! ザッ!

 すると再度、彼の右腕から何かが射出され、迫りくる一つ目の悪魔に命中した。今度は目ではなく翼だ。怪物の動きが鈍る。

「この! この! この!」

総一郎は右腕に何度も力を込める。

 ヒュン! ヒュン! ヒュン! 三度射出される何か! 総一郎は、飛翔するものに目を凝らす。すると、それが石の破片であることが分かった。

 ザシュ! ザシュ! ゴシュ! 破片は眷属に当たり、3発目は目玉に突き刺さった!

 ボン! 怪物は爆発四散した。後には、何も残らなかった。


「はぁ、はぁ……」

 眷属2体を倒すと、総一郎はホールの床に座り込んだ。背中のリュックがガサッと音を鳴らす。

「何、なんだ?」

総一郎は右腕を前に向け、力を込めた。すると、右手から石の破片が飛び、壁に突き刺さった。

(これはもしや、魔術。……魔術、なのか?)

彼は、自分が魔術を使えるようになったのではないかと考えた。


「うっ」

 しかしそう考えた直後、右肩に激痛が走り、総一郎は横へ倒れた。見ると、服に3つの穴が空き、そこから血がにじみ出ている。

「ううー! あぁー!」

 うめき声を上げる総一郎。彼は左手で右肩を強く押え込んだ。すると腕輪が再度光り輝き、左手から白い光が放出された。

「うぅ……うん?」

 直後、彼は右肩の痛みが無くなっていることに気付いた。慌てて服の袖を捲ると、そこにあったと思しき傷が無くなっていた。


「傷が、治ってる? これは確か、譲葉さんが使っていた……」

 この光には、見覚えがあった。前に異空間に同行した際、譲葉にかけて貰った治癒魔術の光だ。

 あのとき、彼女がこれを使わなければ、総一郎は大変なことになっていたに違いない。

「やっぱり魔術なのか? マジで、魔術なのか!?」

肩の痛みが無くなったことで、総一郎の心は一気に晴れ上がった。

「やったー!」

 思わず歓喜の声を上げる総一郎。そして、立ち上がると、意気揚々と歩き出す。

 異空間からの脱出手段は今だ見つかっていない。しかし、魔術を使えるようになった今の自分なら、案外何とかなりそうな気がした。水や食料が無事だったことも、彼の心に更なる希望をもたらした。

 こうして総一郎は、建物の探索を再開した。


 彼が次に向かったのは、先ほど目玉の眷属が出現して新たに開けた、正面から見て左側の通路であった。そこを進んでいくと……。

 バサバサ…… バサバサ……。先ほどと同じ一つ目の眷属が2匹いた。2匹は翼を動かし、廊下を徘徊している。

「またあいつらか。だが……」

 総一郎は眷属達に見つからないように廊下を移動し、物陰に隠れる。そしてそこから、右手を眷属に向けてかざした。

 彼が右腕に力を込めると、かざした右手から石片が射出され、片方の眷属に命中! これを撃墜した。撃ち落とされた眷属はそのままもがき苦しみ、直後爆発四散した。


 すると異変を察知したのか、もう1体の眷属は周囲をきょろきょろと見回し始めた。総一郎はこの機を逃すことなく、間髪入れずに石片発射! そして命中! 撃墜! 爆発四散!

 こうして2体の眷属を、総一郎は気付かれることなく葬り去った。


 その後も道中で何度か眷属と遭遇したものの、石片を遠くから飛ばす戦法で次々と撃破していった。

 何回か倒しているうちに、彼も勝手が分かってくるようになっていた。5度目の戦闘では、遭遇早々に石片で牽制しつつ物陰に移動し、そして3体いた眷属を石片飛ばしで1体ずつ各個撃破することに成功した。


 2階のフロアを奥へ奥へと進んでいった総一郎であるが、突如眠気に襲われた。

「ふわぁ……」

 思えばどれだけの時間、探索しただろうか? 

 異空間内は時間感覚が分かりにくいが、総一郎は既に6時間近く屋敷内を歩き回っていたのである。

 鍵がかかった部屋ばかりだった1階とは異なり、2階は異常なほど探索できる範囲が広かったことも、彼があちこち歩き回った一因となった。

(どっか安全に休める場所、無いかなぁ?)

総一郎はそう考え、1度ホールへと戻った。


 ホールは広く、寝転んで休むには最適そうであったが、先程のようにドアを破壊して眷属がやって来る可能性が否定できなかった。

 2階のフロアについては一通り探索し、安全そうな部屋もあったものの、廊下に眷属が徘徊していた。しかも、倒した眷属は部屋を出ると時間経過で復活するらしく、廊下を通行する度に眷属と戦う羽目になった。

 酷いときは、部屋を調べている途中で眷属が再出現、ドアを破壊して入ってきたこともあった。そのため総一郎は、2階で休むことを断念した。


 残るは1階と3階であるが、彼が最初入ってきた3階のドアは、1階と2階を探索している間に何故か鍵がかかり、開けられなくなっていた。

 よって総一郎は、1階で休むことにした。


 1階で動ける範囲は、食堂、厨房、廊下、そして食料と人型の像らしきものを見つけた小部屋の4つだ。総一郎はこの内、ホールから最も遠い小部屋を休息の場とすることに決めた。

 おぞましい形相の像のそばで寝るのは気が引けるが、この部屋は鍵を掛けられる構造で、しかも明かりまであるため、彼は妥協することにした。


「ふう……」

 小部屋に入って鍵をかけた総一郎は、一息つく。そして床に横になり、目を閉じたのだった。



――――――――――――。

 総一郎は、夢を見た。


 土砂降りの夜。1人の少年が、草の生い茂る斜面で、1人の少女を何度も何度も殴っている。斜面にあおむけに倒れている少女の白い髪は、すっかり雨で濡れて地面にへばりついていた。

 少女の身体は雨で冷やされすっかり白く、まるで死人のようだ。しかし、顔面を殴られながらも、少女はか細い呼吸をしていた。少女の顔は、何度も殴られた結果血にまみれ、頬にはあざが出来ている。その虚ろな眼は、自分を殴り続ける少年の目を、じっと見つめていた。


 そして、彼女の白いワンピースは、少年の手によりずたずたに引き裂かれ、ところどころ赤黒い染みができていた。破れている箇所からは、膨らみかけの胸が見えている。どうやら下着も、少年の手で引きちぎられたようだ。

 しかし、そんな惨い姿になった少女に対し、少年は暴行を止めようとしない。少年の表情には、怒り、悲しみ、憎しみが入り混じっていた。


 その光景を、総一郎は遠目で傍観している。夢だから当然なのだが、現実的では無い感覚だ。

彼がその光景から目を逸らしたところで、夢はぶつりと途切れた。



38日目

――――――――――――異空間(屋敷)。

「はっ!」

 総一郎が目を覚ますと、そこは寝床とした小部屋であった。

(夢か……)

彼はそう考えると、黙って目を閉じる。そして。

(父さん、母さん、それに要も、俺のこと心配してるんだろうなぁ……早くここから出ないと)

 そう考えた総一郎は、リュックサックの缶詰を食べ、ペットボトルの水を飲んだ。そして、少しの食休みを経て立ち上がり、小部屋を後にした。


「……ん?」

ホールに辿り着いたとき、総一郎は異変に気付いた。

 寝る前まで鍵がかかっていたはずの、1階正面左の扉が開いていたのである。更に、3階の扉も開いている。

また、眷属によって壊されたはずの2階の正面左の扉が、元通りに直っていた。

(これはどういうことだ?)

総一郎は2階に上がり、直った扉を開けようとする。しかし、扉は開かなかった。

(開かないな。……どうするか?)

 自分が寝ている間に、何かが起きた。彼には、それが何となく理解できた。しかし、何が起こったのかはまだ分からない。


 そのとき3階の方から、何やら物音が聞こえた。

(3階の方?)

彼は上を見上げる。

 バン! 3階の扉の奥から、扉を開ける音が小さく響いた。

(ちょっと見に行ってみるか)

 総一郎はそう考えて3階に上がり、扉の奥へと走っていった……。



38日目

――――――――――――異空間(屋敷)。

 カーク達が気づいたとき、彼らは大きな部屋の中に居た。

「ここが今回の異空間か。まるで、どっかの屋敷の一室みたいだな。総一郎やゆーずぅの家を思い出すぜ」

 カークは周囲を見回す。部屋にはベッドや机など、綺麗な調度品が配置されている。壁紙の色は白で、絨毯の色は紫であった。

「ここの何処かに、総一郎君がいるんだね。早く探し出さないと」

譲葉は立ち上がると、部屋の扉を開けようとした。

「あれ?」

ガチャガチャ…… 譲葉はドアノブを回そうとしたが、動かない。

「鍵が、かかっている? おかしいな。ここは部屋の中だろう? 譲葉ちゃん、つまみらしきものは無いか?」

桜散は譲葉に、サムターンの有無を尋ねた。

「ううん、無いね。鍵穴も無い。どーしよ」

「何!? どういうことだ。中から開けられない扉とは一体」

 譲葉と桜散は、理解しかねる状況に困惑した。ドアを開けられなければ、総一郎を探すことすらままならない。

 2人がドアを開ける方法を考えようとしたときだった。


「待って。……少し、そこから離れて。譲葉」

アレクシアはそう言うと、ドアの前から離れるよう、譲葉に促した。

「え? あ、うん、分かった」

譲葉は彼女の指示に従い、ドアから離れた。

 そして、アレクシアが入れ替わるようにドアの前に立つ。そして彼女は。

「イヤー!」

左手をドアに構え、叫んだ。すると。

 バン! 大きな音と共に、扉が開いた。3人が近づいて見ると、鍵が壊れていた。

「これで、先へ進める、わね?」

アレクシアは3人の方へ振り返り、そう呟いた。


 カーク達が部屋を出ると、そこは大きなホールであった。右側には、正面玄関らしき扉があり、左側には階段が見える。どうやら彼らは、1階にいるようだ。

「やっぱり、屋敷の中か? アレクシア、仮面の怪物の気配は?」

カークはアレクシアに、仮面の怪物の所在を尋ねた。

「……いる! 上の方。ここに、間違いなく、いるわ」

そう言うと、彼女はホールの上の方、3階に向かう階段の方を指差した。

「3階、か。怪物本体がここに居るなら、総一郎を探すより、怪物本体を倒す方を優先した方が早そうだな。行くぞ」

 桜散の言葉とともに、4人は3階へ向かった。


 ホール3階にある唯一の扉は、固く鍵で閉ざされていた。

「もう1度、鍵を壊す。……離れて」

アレクシアは鍵のかかっている扉の前に立ち。

「ハァ!」

扉にかざした左腕に、力を込めた。すると。

 バン! 再び大きな音が鳴り響き、扉が開いた。

「あれか? 鍵を開ける魔術か何かか?」

2度も鍵を破壊したアレクシアの魔術を見て、カークは彼女に尋ねた。

「そう、ね。まあ、力づく、だけど」

アレクシアはカークの問いに対し、まんざらでもない様子で答えた。

「とにかく、これで、先に進めるね。早く行こうよ!」

譲葉はそう言うと、扉の中へと入る。

「あ、待ってくれよゆーずぅ!」

3人は譲葉の後を追うように、扉へ入った。


 4人は3階の、廊下らしき通路を駆け抜け、突き当たりのドアを開けた。すると、四角い小部屋に出た。彼らが入ってきた方の向かい側に、もう1つ扉がある。そして、この部屋には。

「おいおい、これは……」

カークは思わず、呟いた。

 カーク達が小部屋に入ると、そこには2体の人型の像。……像ではない。行方不明者がいた。

「これは、ひょっとして行方不明者か?」

像の様子を見て、桜散はそう考えた。

「でも、総一郎君じゃないね」

像を覗き込みながら、譲葉は言った。

「まあ、ここで見つけられて、ラッキーじゃない?」

カークは『彼ら』を見て、そう呟いた。

「おいおい、良いことのように言うなよ?」

桜散は、カークに突っ込みを入れる。

「でもやっぱり、行方不明者を発見できた方が良いだろ?」

彼女の突っ込みに対し、カークはこう反論した。

「むぅ。まあ確かにそうだが……」

カークの反論に、桜散は若干不満そうであった。


「……近い。近い、わね」

像に注目する3人を横目に、アレクシアは仮面の怪物の所在を掴みつつあった。

「この奥に居るんだな?」

カークが彼女に尋ねると、黙って頷いた。

「それじゃ、探索再開!」

今度はカークを先頭に、4人は先へと進んだ。


――――――――――――。

 バタン! カーク達より遅れて、総一郎は3階の小部屋に入った。

「これは……」

 彼の目の前にあったのは2体の像。片方は老人、もう片方は若い女性の像だ。姿形こそ異なるが、自分が寝床として使った小部屋にあった像と、雰囲気がそっくりだ。

 思えば、2階を探索しているときにも似たような像を3体見かけていた。そのとき彼は眷属を倒すことに夢中で、特に気にも留めなかったのだが……。

(一体何なんだ? この像は)

総一郎がそう考えた直後だった。


 ドカン! 爆発音が再度、彼の耳に届いた。音は、奥の方から聞こえた。

「考えるのは後、だな。先に行こう」

彼はそのまま、奥の扉を開けて走り出した。


――――――――――――。

 カーク達は更に奥へと進み、ついに屋敷の最深部と思しき、両開きの大扉の前に辿り着いた。

 扉の前からは、尋常ならない不穏な空気が漂っている。それは、魔力に対してさほど敏感でないカーク達でさえ認識できるほどの、禍々しい気配であった。

「何だ? このどす黒い霧のようなものは」

カークは扉から漏れ出す、黒い瘴気らしきものを指差した。

「魔力、よ。仮面の、怪物の。……見えているのね? カーク」

 アレクシア曰く、仮面の怪物からは常時禍々しい魔力が駄々漏れており、その気配を辿ることで居場所を探れるとのこと。

 とはいえ通常、この魔力を感知できる魔術師はごく限られる。なぜなら怪物から出た魔力は、時間とともに霧散し、その痕跡はごく僅かになるからである。

 今回アレクシア以外の面々にも感知できたのは、ここが屋内という閉鎖空間で、放出された魔力が霧散せずに滞留していたためだ。

「とにかく、この扉の奥に怪物がいるんだね? 総一郎君、無事かなぁ。……食べられてないと、いいんだけど」

譲葉は心配そうに、扉の奥を見つめた。

「大丈夫だ、あいつだって怪物がどんなにやばいかくらいもう知ってるはずだ。おおかたどっかに隠れてるよ」

「だといいんだけどな~」

カークが安心させようと声を掛けるも、彼女の反応は微妙だ。

「まあ、気を付けていくぞ」

桜散はそんな2人のやり取りをよそに、扉に手を掛ける。しかし。

「む? 開かないぞ? ここも、鍵がかかっているのか。……アレクシア、悪いが頼む」

彼女はそう言うと、扉の前から離れた。

「桜散、貴方の指図で、動くのは、気が、乗らないけど、仕方ない、わね」

アレクシアは扉の前に立ち、左腕をかざした

 扉の脇から漏れ出るどす黒い魔力が、一層強まった気がした。

「イヤー!」

 バン! 彼女のシャウトと共に、3度目の爆発音! 

 ギィ…… そして扉は、ゆっくりと開く。同時に、開いたドアからどす黒い瘴気が一気に溢れ出す。

「ぐう」

「くっ」

「うぅ」

あふれ出る魔力の流れに、アレクシアの背後に居た3人は顔を手でふさぐ。

 しばらくすると、黒い瘴気は薄まり、消えた。

「行きましょ。カーク、桜散、譲葉」

4人は、扉の先へと向かった。


――――――――――――異空間 最深部(屋敷)。

 カーク達が辿り着いた場所は、八角形型のダンスホールであった。白・黒・灰色の四角い大理石のブロックが、交互に床に配置されている。

 部屋の壁面には、レンガのようなタイルがびっしり張り付けられており、天井は二等辺三角形型の板が頂点で繋がり、中央部が高くなっていた。天井まではおよそ7~8mと、かなり高い。

 そして、カーク達が入ってきた扉がある壁面の向かい、ちょうど正八角形の対面に、この異空間の『主』は居た。


「あれがここの怪物か」

桜散は正面の怪物を見やる。怪物は部屋の奥に立っており、微動だにしない。

 怪物は紫色をしており、身体に対して不釣り合いに大きな楕円形の頭部を持っていた。また、両肩には小さなコウモリ型の翼が付いている。体の表面はテカテカしており、不気味な外見だ。

 そして、頭部には大きな目が1つと、その下にある口から出ている、大きな舌。舌の先端には鋭い棘が何本も刺さっており、舐められたら大怪我しそうだ。


 ここでカークが、ある異変に気付いた。

「あれ? あいつ、仮面ついて無くね? 眷属なのか?」

カークは、怪物の顔に仮面らしきものが見当たらないことに気付いた。

「いや。間違いなく、あれが、そう。ほら、あそこ、目の、真ん中」

カークの指摘に対し、アレクシアは怪物の目の中央を指差した。

「目……? あっ、えっ? もしかして、あれが仮面なの?」

アレクシアの指差した方向を見た譲葉は、思わず訝しんだ。

 怪物の目、その中央に、非常に小さい丸い板のようなものが張り付いている。あれが、仮面だというのか?

「あんな小さいのも仮面なのか? アレクシア」

桜散が尋ねると、アレクシアは頷く。

「そうか……。まあいい。とりあえず怪物は発見した。さっさと倒すぞ!」

「おう! 俺がまず前に出るから、3人は援護頼む」

そう言うと、カークは鉄パイプを構え、1歩前に出た。

「分かった。無理はするなよ?」

「頑張って、カーク君」

「……気を付けて」

 3人はそれぞれカークの後方につき、いつでも魔術を打ち込めるよう構えた。


「Ah――――――――!」

 ボン! ボン! ボン!カークは怪物めがけ走りながら、左腕から炎弾3発発射! 

 シュッ、シュッ、シュッ……。仮面の怪物、大きな舌でそれをガード! 無力化!

「てーい!」

次にカークはジャンプし、怪物目がけ鉄パイプを打ち下ろす。が、しかし。

 ブン! カン! 怪物は下を振り回し、彼の一撃を受け止める。鉄パイプが、舌に刺さる棘に引っかかった。そして。

 ブン! そのまま、カークもろとも鉄パイプを振り回した! 

「グワー!」

そのまま吹き飛ばされ、床に叩きつけられるカーク!

「カーク君!」

すかさず譲葉が駆け寄り、彼に治癒魔術を掛けた。


「はぁっ!」

カークの元へ譲葉が駆け寄ったのを確認した桜散は、怪物目がけ水弾を発射した!

 バシャ! 水弾を、怪物は舌で迎撃! またしても無効化される。

「イヤー!」

アレクシア、空気弾発射! 破裂! 無数の竜巻が、怪物に迫る。しかし。

 ゴォン! ゴォン! 怪物は舌を振り回し、竜巻の群れを1つ残らずかき消す! そして、その場に何事も無かったかのように仁王立ちした。

 怪物の大きな一つ目が、ぎょろぎょろと周囲を見回す。


「何なんだあの怪物は! こちらの攻撃、まるで効いてねぇぞ!」

カークは怪物を見やる。怪物は部屋の奥で、相変わらず周囲をきょろきょろしており、何もしてこない。

「あの舌が、こちらの攻撃を防いでいるようだな」

桜散は冷静に、敵の様子を分析した。

「うーん、どうすればいいんだろう……」

譲葉は、手を頬に当てた。


「誰かが、引きつけて、その間に、攻撃する。これで、いけるんじゃない? かしら」

悩む3人を前に、アレクシアはこう切り出した。

「つまり、1人が奴の注意を引き、その間に3人が舌の死角から攻撃するってことか。良いんじゃねぇか? 俺は賛成」

カークは、アレクシアの提案に賛成した。

「……奴はあの場から、ほとんど動かないみたいだな。向きを変えるくらいなら、危険も少ないだろう。一度やってみよう」

桜散も、彼女の提案に賛成した。

「私も賛成。それじゃあ、誰が引きつけ役やる?」

譲葉は、3人に尋ねた。

「私が、やる。いざとなったら、風で逃げられる、から」

一番に名乗りを上げたのは、アレクシアであった。

「分かった。気をつけろよ?」

桜散は彼女に注意を促した。

「もちろん。あなたも、へま、しないで、ね?」

桜散の忠告に対し、アレクシアは張り合うように言った。

「無論」

桜散は簡潔に返した。


「それじゃ、作戦開始だね」

「おう、行くぜ!」

 カーク達とアレクシアは2手に分かれ、仮面の怪物へと近づいた。

「……」

まずアレクシアが、怪物の左側に接近! そして無言で左手から突風発射! 怪物の顔に当てる。

「ムゥゥゥゥゥゥ……」

怪物はうなり声をあげ、アレクシアの方を向いた。

「イヤー!」

そしてアレクシアはシャウト! 突風の勢いを上げ、顔に当て続ける。

「ムゥー! ムゥー!」

 怪物は嫌がるように舌を動かし、風を防ごうとしている。


「よし! 良いぞ。攻撃開始だ!」

桜散の合図とともに、残り3人が怪物の背後に接近! そして。

「それ!」

まず譲葉が、怪物の頭上に氷柱召喚! 

 ベコ! 頭部に命中! すると、怪物の足取りがふらふらし始めた。

「ふんっ!」

パン! その隙を見逃さず、桜散! フライパンで後頭部を殴打! 

「ムゥー!」

怪物が呻き声をあげた。

「うりゃ!」

ゴッ! そして最後に、カークは鉄パイプで、怪物の後頭部向けてジャンプしながら殴打! そして。

「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

「オラ! オラ! オラ! オラ! オラ!」

桜散とカーク、そのまま怪物の後頭部を、何度も殴り続ける! 

「ムゥー! ムゥー! ムゥー!」

怪物は両手で頭を抱え始めた。

「いいぞ! 効いてる」

桜散はフライパンを叩きつけながら、作戦の成功を確信した。

「ちょっとかわいそうな気もするけど、まあ仕方ないよね!」

ベコ! ベコ! 殴る2人から少し離れた後ろで、譲葉は怪物へ、氷柱の追加攻撃!


 パン! ベコ! ゴッ! 

 ベコ! パン! ゴッ!  

 ゴッ! ベコ! パン! 大部屋に、氷柱、フライパン、そして鉄パイプの殴打音が鳴り響く!

 このとき、誰もが作戦の成功を確信していた。そう、疑わなかった。……だが。


「ムォォォォォォォ!」

仮面の怪物が突如咆哮! 周囲に衝撃波が発生!

「うわっ!」

「きゃっ!」

「ぐわっ!」

「……くっ!」

 怪物の予期せぬ攻撃に、転倒する4人。

「ムォォォ! ムォォォ!」

怪物は更に咆哮! 同時に、目の色が黄色から赤に、体色が、紫色から赤色へと変わっていく。

「ちょっとちょっと! これってもしかして、怒りモードってやつじゃない!?」

豹変する怪物の様子を見て、譲葉は叫んだ。

「おいおい! まじかよ。こりゃいったん離れ」

カークが起き上がろうとした、その時だった。

「ムン!」

怪物が、それまで見せなかったような俊敏な動きで方向転換! そして。

「あっ?」

 ザッ! カークの隣、先に立ち上がっていた桜散を、怪物は舌で横殴り! 彼女の左腹部に、先端の棘が何本も突き刺さった! そして舌は桜散を突き刺したまま、カークの頭上をかすめるように通過した。

ドン! ドサ…… 遠心力で吹き飛ばされた桜散は、壁面に衝突! そのまま床へと落ちた。壁には、赤い血の色が。


「さっちゃ……おい! さっちゃ!」

「桜散ちゃん!」

カークと譲葉は、急いで彼女に駆け寄ろうとする。しかし。

「ムォォォォォ!」

怪物が咆哮! 周囲に爆音が響いた。

「ぐっ!」

「くぅ!」

2人は両耳を手で塞ぐ。

 シュン! シュン! 直後、怪物の周囲に、目玉に翼が生えたような敵が2体出現!

「これは、この怪物の眷属か?」

耳塞ぎから回復したカークは呟く。

 ビュン! ビュン! そのとき! 一つ目の眷属が、カーク達目がけ飛来! 目玉の下には、鋭い鉤爪!

 ガシッ! ガシッ!

「うわぁ!」

「きゃっ!」

カークと譲葉は、そのまま眷属に掴み掛られ、空中へ連れ去られてた!


「Shit! 離せ、この! 離しやがれ!」

ガシッ! ガシッ! カークは自由に動かせる左腕で、自分を捕えた眷属に殴りかかる。しかし、まったく離そうとする気配が無い。

「待ってカーク君! 今離されたら、地面に真っ逆さまだよ!?」

譲葉は、カークに注意する。

 2人は今、地上から5mの高さに持ち上げられている。今不完全な姿勢で落とされれば、例え魔術があったとしても、受け身は困難ないし不可能。

 そのまま顔面から地面に叩きつけられ、一巻の終わりである。

「でも! さっちゃが! あっ、そうだ! おーい! アレクシアー! おーい……!?」

 カークは地上のアレクシアに、桜散を助けてもらうべく叫んだ。が、しかし。彼の目には無常な光景が映る。


「アレ、クシア?」

怪物の背後、桜散の反対側の壁の下に、アレクシアは倒れていた。

 カーク達は気づかなかったが、怪物が舌による薙ぎ払いを繰り出したとき、彼女も巻き込まれていたのだ! 

 幸いアレクシアは咄嗟の判断で棘を回避! しかし彼女は受け身に失敗、壁に背中を強打してしまったのである。

「……」

 一見傷は桜散より軽いようだが、彼女はうつ伏せで倒れたまま、動かない。そうこうして居る内に、桜散の倒れている床には、赤いシミが広がり始めた。

「うわー! さっちゃー!」

桜散の様子を見て、思わず錯乱するカーク! しかも悪いことに、怪物は桜散の方へと歩き出す。

「桜散ちゃん……!」

身動きが取れず、黙って見ているしかない状態に、譲葉は思わず目をつむった。

「Damn! ちくしょう、ちくしょう!」

 カークは、桜散の方へと手を伸ばす。無論、届かないことなど分かっている。それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。

 そして、怪物は桜散のそばに到達!

「ムン!」

舌による無情な一撃が、少女にとどめを刺そうとした、そのときだった。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 ドーン! 怪物の側面に、何かが勢いよくぶつかった! 突然の殴打に、怪物の身体は横にぶれ、舌による一撃が逸れる。

「ムゥゥゥゥゥ……」

攻撃を受けた方へ、怪物は振り向く。

「なっ! あれは!」

「総一郎君!」

空中の2人は叫ぶ。


 怪物が向いた方には、両手で金属製の椅子を持つ、総一郎の姿があった。

「ムォォォォォ!」

怪物は、総一郎に狙いを変え、舌による攻撃を繰り出した!

「危ない! 総一郎!」

カークが叫ぶ! すると。


「アアァァ――――――――!」

総一郎は椅子をその場に置き、右腕を怪物に向けシャウト! 

 タタタタタタタタ! 彼の右手から何発もの石片が、機関銃の如く乱射された! そして。

 ドドドドドドドド! 怪物の舌、ではなく、その上、巨大な目玉に多段命中!

「ムァァァァァァ!」

 怪物の目から、黒い液体が勢いよく噴出! 怪物は悲鳴を上げて両手で目を抑え込み、動きを止めた! そして、その隙を見逃さない総一郎! 

「フン!」

 ヒュン! ザシュ! まず右手で、譲葉を捕える眷属目がけ、石片を発射! その目玉に命中させる! 直後、眷属は爆発四散! 譲葉が落下する。

「きゃー!」

落下する譲葉! それを見た総一郎、走る!

 ボサッ! 間に合った! 総一郎! 譲葉を見事キャッチ!

「ありがとう、総一郎君」

彼の腕の中で、お礼を言う譲葉。

「いいですよ。それより、早く桜散さんを!」

「っ! 分かった!」

譲葉はすぐ総一郎から離れ、桜散へと駆け寄る。

「桜散ちゃん!」

「……」

桜散の元へ着いた譲葉は、すぐに治癒魔術をかけ始めた。


「フン!」

 ヒュン! ザシュ! 今度はカークを捕える眷属目がけ、総一郎は石片を発射! 落下したカークは火炎放射を使って落下エネルギーを軽減! ストンと着地した。

 その様子を見た総一郎、今度はアレクシアの元へ向かう!

「アレクシアさん! アレクシアさん!」

「……うっ」

総一郎の呼び声に、アレクシアは目を覚ました。

「大丈夫ですか? アレクシアさん」

「貴方は……総一郎? っ!」

目を覚ましたアレクシアは直後、痛みを感じて蹲る。

「ああっ! 待っててください。今治します」

そう言うと、総一郎は両手を彼女に当て、力を込める。

 白い光がまばゆく輝くと同時に、彼女の傷を、痛みを癒した。

「あ、ありが、とう。もう、大丈夫」

そういうと、アレクシアは立ち上がった。

「良かった。……行きましょう」

「ええ」

総一郎とアレクシアは、カークの元へと走った!


「ムゥゥゥゥゥゥ!」

目を抑え込む仮面の怪物。しかしやがて両手を離し、カークの元へと向かい始めた。

「うわっ!」

慌てて逃げるカーク! しかし、怪物の動きが速い! どんどん距離が縮まっていく! 

 ブン! ブン!

「うわわわわわわ!」

怪物が舌を振り回す度に、カークのすぐ後ろを薙ぎ払う!

「ちくしょう!」

カークは叫びながら走る。しかし。

「ぐわっ!」

突如足をひねり、転倒してしまう。

「ムゥゥゥゥゥゥ!」

倒れるカークに、怪物が迫ろうとする!


「てーい!」

 その様子を見た総一郎は、咄嗟に床に両手を置き、力を込めた! すると。

 ゴゴッ! 怪物直下の床が、突如陥没! 怪物は崩れた床にはまって動けなくなった! 舌のリーチは、あと一歩のところでカークに届かない!

「おお、動きが止まった……ありがとう! 総一郎!」

カークは立ち上がり、ねん挫した足を引きずりながら、総一郎の元へ向かった。


「無事だったんだな、総一郎」

カークは総一郎に声を掛けた。

「ええ、何とか。……この力のおかげですよ」

総一郎はそう言うと、両手を見つめた。

「……っ!」

アレクシアは、そんな彼の右腕を見て、何かに気付いたようだったが、何も言わなかった。


「とにかく、詳しい事情は後にしましょう。それよりも」

総一郎は、床にはまって動けない怪物を見た。

「ああ、そうだな! さっさと終わらせよう!」

「ええ」

そして3人は、怪物を取り囲んだ。


「イヤー!」

ザクッ! アレクシア、大型六角レンチの先端を怪物の後頭部に突き立てる!

「ハァー!」

ドドドドドド! 総一郎、怪物の目玉に石片乱射!

「うりゃー!」

ゴッ! そしてカーク! 怪物の側頭部目がけ、鉄パイプを打ち下ろした!


 ザクッ! ゴッ! ザクッ! ゴッ! 殴打! 殴打! 殴るのを止めない!

「ムゥー! ムゥー! ムゥゥゥゥゥゥ!!!」

 ドドドドドドドド! ブシャーッ! 飛び散る黒の飛沫! しかし3人は、打ちこむのを止めない!


「MUhhhh――――――――!」

 断末魔と共に、怪物の頭部がゴム風船の如く破裂! そしておびただしい量の黒い液体が飛散! 同時に、怪物の身体がボロボロと崩れていく。

「「うわぁー!」」

「「きゃー!」」

「っ!!」

黒の直撃を受け、思わず悲鳴を上げるカーク達。

 黒い液体は、怪物が消滅すると同時に消えた。


――――――――――――異空間 最深部(屋敷)。

「桜散ちゃん! しっかり!」

「さっちゃ!」

桜散の周囲に集まるカーク達。

 周囲の景色は、主を失ったことで徐々に歪み始めている。しかし、周囲に解き放たれた膨大な魔力が空間の維持に寄与し、その消滅にタイムラグを発生させていた。

「どうしよう! 傷が塞がらないよ!」

 桜散に治癒魔術を掛けながら、譲葉は叫んだ。彼女はずっと桜散に治癒魔術をかけ続けているが、1人の力では、桜散の身体に生じた傷を治し切れていなかった。

「そんな……」

呆然と立ち尽くすカーク。何もできない自分が憎らしかった。

「桜散……」

心配そうな面持ちで見つめるアレクシア。


「僕も、力を貸します!」

そんな最中、総一郎は桜散の身体に両手を合わせ、力を込めた。すると、彼の両手から白い光が放出される。

「これは……!」

その光を見て、譲葉は驚いた。

「まじか! お前も、治癒魔術を」

総一郎の更なる魔術を見て、カークは目を見張った。

 総一郎の力が加わったことで、それまで塞ぎきらなかった桜散の傷が、見る見るうちに塞がっていき……そして。

「う、うぅ……」

桜散が、か細い声を上げた。その様子を見て、譲葉と総一郎は更に力を込める。

「っ! さっちゃ!」

カークは桜散の左手を固く握る。すると、彼女は弱々しく握り返してきた。


「「ハァァァァァァ!」」

 2人のシャウトが共鳴した途端、世界は白変した――――――――。


――――――――――――夕方。

 カークが気付いたとき、彼は図書館の入口近くに座り込んでいた。彼の右手の先には、静かな息遣いで眠る桜散の姿が。彼女の服はあちこちに穴が空き、赤黒い染みができていた。

 そしてそのそばには、力を使い果たし膝をつく譲葉と、その体を支えるアレクシアの姿が。

 カークは周囲を見回したが、総一郎の姿は何処にもなかった。以前理正が言っていた通り、最初に異空間に入った場所へ戻ったのだろう。


「さっちゃ! さっちゃ!」

カークはしゃがみ、桜散の身体を起こした。

「う、うーん……」

すると、桜散はゆっくり目を開け、カークの方を見た。

「大丈夫か? さっちゃ」

カークが声を掛けると。

「あ、カーク、か?」

桜散はそう言い、両手で体のあちこちを探った。

「……傷は何処にもない。大丈夫、だ」

彼女はそう言うと、身体をだらりとたらし、目を閉じた。


「あっ!? おい、さっちゃ! しっかりしろ!」

カークは驚き、彼女の身体を揺さぶった。

「表面の傷は治ったかもしれないけど、中は治ってるかなぁ?」

譲葉はふらふらになりながら、桜散とカークに近づく。

「何!? おいおい、本当に大丈夫なんだろうな?」

「分からな、いよ……」

譲葉はそこまで言うと、どさりと倒れ込んでしまった。

「あぁっ、ゆーずぅまで! ど、どうしよう! アレクシア!」

カークは気が動転し、アレクシアに助けを求めた。

「……救急車、呼ぼう、か?」

「あ、ああ。頼む」

カークの返事を聞いたアレクシアは、119番通報を始めた。


「もしもし、私、アレクシア、といいます。救急車を、お願いします。意識不明の女性が、2名。場所は、井尾釜市中央図書館前……」


――――――――――――夜。

 桜散と譲葉はその後、救急車で近くの病院へと搬送された。

譲葉の方は疲労が原因ということもあり、栄養剤の点滴であっさり回復した。

 一方桜散は、搬送直後の精密検査で体のどこにも損傷が無いことが判明。彼女の治療を担当した医師も、この検査結果に思わず困惑。

 結局、気絶の原因は貧血であるとされた。

 譲葉同様点滴を受けると、桜散の意識は回復した。しかし1晩、大事を取って入院することになった。


 病室。桜散は疲れたのか、すやすやと眠っている。

「血塗れで運ばれた、って聞いたときは、頭が真っ白になったけど……一体、何があったの?」

桜散の眠るベッドのそばで、李緒はカークに尋ねた。

「あ、いや、その……俺の方が逆に聞きたいというか……」

「はぁ?」

要領を得ない、カークの説明に、李緒は訝しんだ。

「何か気が付いたら、桜散が血まみれで倒れてて、それで譲葉も倒れちゃって……」

彼は異空間と魔術のことを必死で李緒に隠す。


「……まあ、いいわ。桜散ちゃんも譲葉ちゃんも無事だったわけだし」

李緒は彼の様子を見て何かを察したのか、追求を止めた。

「……」

カークは黙る。

「でも、譲葉ちゃんに何かあったら、ご両親に何て言うつもりだったの?」

李緒はカークを責めた。

「それは……」

カークは彼女の追及に、答えられず言いよどんだ。

「それに、桜散ちゃんだって……」

「まあまあ、李緒さん。このくらいにしておきませんか? ここは病室、それにもう夜ですよ? 他の患者さんの、迷惑になります」

「そうですよ。総一郎君の言う通り。病室では、静かにしないと」

説教を始めようとした李緒を、総一郎と譲葉が宥めた。

「そ、そうね……。ごめんなさいね、総一郎君、譲葉ちゃん」

「いえいえ」

「大丈夫ですよ、李緒さん」


「それじゃあ私は先に帰ってるから、カークも、早く帰ってらっしゃい」

そう言うと、李緒は一足先に家へと帰った。

「そういや、総一郎は大丈夫だったのか?」

カークは総一郎に尋ねた。彼も相当治癒魔術で体力を消耗したはずなのだが……。

「あ、いえ。大丈夫でしたよ? こっちに戻ってきたときに、ちょっとだけぼぅーっとしましたがね」

彼はあの後、カークに連絡し、病院まで駆けつけてくれたのである。

「本当にすまねぇな。……ゆーずぅの家族の方にも、連絡してくれたんだろ?」

 総一郎は病院へ向かう途中、譲葉の両親に事情を説明してきていた。 

 彼の状況判断が無ければ、きっと今頃譲葉の家族や警察が病院に現れ、大騒ぎになっていたに違いない。

「いえいえ、当然のことをしただけですよ。……魔術のことも、秘密、でしょう?」

「あっ! さ、さっきもありがとう。ほんと、お前は頼りになるよ、総一郎」

カークは、何度も自分を助けてくれた総一郎に、感謝の気持ちでいっぱいだった。

「大丈夫ですよ。気にしなくても。それよりも」

そう言うと、総一郎はベッドで眠る桜散の方を向いた。

「正直、カーク君達に会うまではの自分は、碌な奴じゃなかったと思っていました。家に籠ってゲームばかりで……。

 それに小学校の頃は、お金持ちの子供というだけで周囲から変な目で見られたこともありました。

 自分の立場を、憎らしいと思ったことさえありました」

総一郎は話を続けた。

「でも、カーク君達と出会って、こんな自分でも、誰かの役に立てる。誰かを助けることが出来るんだって思って……」

「総一郎君……」

彼の話を、2人は黙って聞いていた。

「本当に、君達に出会えてよかった。……ありがとう。本当に、ありがとう」

そう言うと、総一郎は2人に頭を下げた。

 顔を上げた彼の目からは、一筋の光がこぼれていた……。


――――――――――――深夜。

 その後、カークは譲葉達と別れ、家路についた。

「こんばんは、カーク」

その道中で、彼はアレクシアと出会った。

「桜散と譲葉は?」

 アレクシアは、桜散の容態を尋ねた。彼女は救急車を呼び、桜散達が運ばれていくのを見送った後、一度家に帰っていたのである。

「ゆーずぅの方はもう大丈夫。さっちゃも傷は完全に治ってたんだけど、念のため一晩入院になった」

「……そう」

アレクシアはそう呟くと、星空を見つめた。

「ありがとうな、救急車呼んでくれて」

 カークは彼女に、動転した自分に代わって119番通報してくれたことについてのお礼を言った。

「……譲葉は、私の友達、だから」

アレクシアはぽつりとつぶやく。

「桜散も、か?」

カークは尋ねた。すると。

「もちろん。桜散も私の、友達、だから」

アレクシアは即答した。その顔は、どこか晴れ晴れとしていた。

「そうか」

彼女の良い顔を見て、カークの顔にも笑みがこぼれた。


「それじゃ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。アレクシア」

カークはアレクシアと別れ、家へと戻った。


 家に帰ったカークは、ちょっとした夜食を取った後、自室のベッドに転がった。

(さっちゃ、大丈夫だよな……)

桜散のことを案じる。

(そういや、総一郎も、魔術を使えるようになったんだよな。石の欠片を飛ばす魔術、地面を陥没させる魔術、そして治癒魔術)

地面を陥没させる魔術は、以前理正も使っていたのを、彼は見ていた。あれと同系統の魔術ということは。

(あいつは地属性。かな? 俺が火、さっちゃとゆーずぅが水、アレクシアが風だから、これで基本の4属性が揃ったという訳か……面白くなってきたな)

 カークが思い出したのは、古代ギリシャの4元素説だ。全ての万物が「火・水・土・風」の4つで構成されているとされるあれだ。本当はこれに第5の元素「空」(エーテル)を加えて5元素とするとか何とか。

 そうこうしているうちに、彼の意識は薄らいでいった。


『 こうして私と彼は、真の意味で仲間になったと、彼は言っていた。例え世界が違えども、人の繋がりは変わらないということか。

  もちろん、変わる世界もあるだろう……。だが、私は運命の出会いという物を信じている。いや、信じたい。

  彼との出会いは、間違いなく私の人生における転機だったのだから。

                                                   『回顧録』 序章より引用』


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