90 外伝15 白猫
彼女は死にかけていた。
野良猫にとって、それが寿命だと判っていた。
彼女の親も、そのまた親も、従容としてそれを受け止めて死んでいったに違いないのに・・・・。
それでも、彼女は足掻いた。
死にたくなかった。
彼女の年齢は5歳。
野良としては長生きした方だ。
劣悪な環境、粗末な食糧。
たまに、公園などで親切な人が食べ物をくれる。
彼女は器量良しだったから人に可愛がられ、若い頃は人を怖い物だなんて思わなかった。
拾ってくれる人も何人か居たが、外猫だからいつの間にか飼い主の家を遠く離れて帰れなくなった事が何度も。
そのまま迷子にならずに飼われていたらもっと幸せな最後が迎えられたかもしれない。
もっと長生きできたかも。
いくつの時だろう。
人が恐ろしい物だと思うようになったのは。
恐ろしいその少年達は、恐れも知らず近づいた彼女を弄り、長くて美しかった尾を半分に切り落とした。
片目を潰され、腕も切り落とされようとした時反撃した彼女の鋭い爪が少年達の腕を切り裂き、怯んだ少年達からやっと逃げる事が出来たのだ。
それから、人から逃げ隠れして暮らしていた。
片目では嘗ての様にスズメなどを狩る事もできない。
公園に餌を持って来てくれる人頼りの情けない生活。
それも、もう終わる。
死に場所として選んだのは川の河川敷。
冬枯れした丈高い草の蔭。
辛い生活だったけれど、死を間際に思うのだ。
ああ、死にたくない。
5歳だけれど、彼女は一度も子供を産んでいない。
野良としては珍しい事だ。
何度もアプローチは仕掛けられていたが、いつだって彼女は逃げていたから。
だけど、今は思う。
沢山の仔猫を産んで育てておけば良かったと。
そうで無ければ、何も残す事の無かった自分が惨めすぎる。
けれど、殆ど本能ばかりで生きている他の猫の子供など産みたくなかったのも確かだった。
彼女はとても賢い猫だった。
人に傷つけられてからはさらに賢くなった気がする。
彼女は知恵を望み、そして猫としては異常なまでの賢さを身につけていた。
人の言葉はほぼ理解していた。
人の使う道具も何となくだが理解出来ている。
文字さえ少しなら読める。
母親に連れられた幼児が看板を指さしながらそこに書かれた字を読んでいるのを見て覚えた。
だから、彼女は公園の看板なら全部読める。
字を読もうしている我が子に母親が協力するのは当たり前。
だから、漢字さえいくつか知っている。
そんな彼女だったけれど、野良の過酷な生活に伴う寿命には勝てなかった。
死にたくない、と再び思う。
今は汚らしく汚れ、黄ばんでしまっていたが、元の様に白い綺麗な毛に戻りたかった。
潰されてしまった目を取り戻したかった。
そして尻尾。
長くて綺麗で、バランスを取るのに欠かせなかった半分失われた尻尾。
ああ、私の美しい尻尾。
体が段々と冷たくなる。
ああ、死にたくないのに。
ふと、目が覚める。
眠ったつもりは無かったのに。
不思議と体が軽い。
はっと彼女は目を見張る。
目がとてもよく見える。
片目を潰されて遠近感の取り難かった目が元の様に、いや元以上に見える。
鮮やかに色彩のあふれた世界。
以前見ていた世界がいかに色あせていたかはっきり判る。
立ち上がれば真っ白な美しい毛並み。
元気だった頃以上に力のあふれた体。
私の尻尾!
振り返ればフッサリと体毛より少し長めの毛に覆われた長い尻尾が見える。
元の長さの美しい尻尾が2本・・・。
2本!?
2本も要らないのに。
ちゃんとバランスが取れるか心配になった。
すると、二つの尻尾は寄り添うように一つになった。
前より太いけれどこれなら大丈夫と彼女は思う。
若くて美しい身体。
何故、こうなったのかなんて考えない。
賢くても彼女は猫だから。
彼女が心から強く望む事により魔法が働いた事も知らないし判らない。
そう彼女は猫なのだから。




