2話 『モリビト』
カナン王とエリス王妃を乗せた馬車はゆっくりと森を進んでいきます。右手の木々は赤や黄色の鮮やかな色に染まっています。一方、左手の木々からはけたたましい蝉の鳴き声が聞こえてくるのでした。
「あなたはいつから『モリビト』なのですか?」
先程までうたた寝をしていたカナン王が、突然に手綱を握る男に尋ねます。
「さて、いつからだったでしょうか? 随分と昔からの気もしますし、昨日のことのような気もいたします。数千の季節の巡りを経て、数万の旅人を案内してきましたが」
「そうすると、あなたは一体おいくつなのですか?」
「さあ、数百、数千歳かもしれません。いえ、数歳の可能性もありますが」
手綱を引く男はどうやら『モリビト』と呼ばれているようです。それにしても先程から話す内容が曖昧模糊としています。カナン王は少し苛立っているようです。
「自分の歳が分からないということはないでしょう」
「歳も言葉に過ぎないのです。ところでカナン王には私が見えますか?」
カナン王の言葉に対して、『モリビト』は質問を投げかけます。
「目の前にいるではないですか」
「私の顔が、私の服装が、私の姿形が分かりますか?」
「何を言って……」
カナン王は『モリビト』の質問に答えようとしましたが、言葉が出てきません。確かに目の前で手綱を引いているのです。しかし、それ以上のことは認識できません。目の前で手綱を引いている『存在』でしかありませんでした。
「『モリビト』とは一体何なのですか?」
隣でじっと話を聞いていたエリス王妃が尋ねました。
「さあ、何なのでしょうか。私自身にもよく分からないのです。気付けばここにいて、デントとルーテルを移動する旅人の案内をしていたものですから」
『モリビト』は少し困ったように笑います。いや、そのように認識できたといった方が正しいのかもしれません。何しろ顔が分からないのですから。ルーテルは、東の森を抜けたところにあるデントの隣国です。
「どうして私たちが『モリビト』と呼ばれるかご存知ですか?」
今度は『モリビト』が質問します。
「森の人と書いて『森人』、旅人を守る人と書いて『守り人』と言う人もいます」
「有名な説ですね。最近では、現実から漏れた人と書いて『漏れ人』と呼んでいたのが訛って『モリビト』になったと言う人もいます」
「結局答えは何なのですか?」
「答えは分かりません。気付けば『モリビト』と呼ばれていたものですから」
「遥か昔には、デントとルーテルの間には森などなかったというお話はご存知ですか?」
「幼い頃、神話の授業で聞いたことがあります」
『モリビト』の再びの質問にカナン王が答えます。
「かつてこの辺りには魔法が溢れていたと言います」
「今でも魔法はございます。私も火を起こしたりできますもの」
エリス王妃が答えます。デントやルーテルには少数ですが、何もないところで火を起こしたり、夏の日差しの下で氷を生み出したりできる人々がいるのです。
何もないところから火や光を生み出せることが、デントでの自給自足を可能にしている理由の一つでもあります。
「ええ、私も少しだけですが木々や動物の声を聞いたりできます。ただ、森ができる以前は、魔法はもっとありふれたもので、規模も桁違いだったと言います」
『モリビト』も簡単な魔法が使えるようです。
「どんな魔法だったのかしら?」
エリス王妃は『モリビト』のお話に興味を持ったようです。
「森を抜けるまではまだ長いですので、暫く昔話に付き合っていただきましょうか。デントとルーテルを巡る悲しい物語です。また私たちに伝わる『モリビト』の由来に関する物語です」