3等地区
パラト暦 215年 3月某日(異世界滞在1日目 午後)
都市国家アトネス 南側3等地区
オレは女神パラスに謁見する為、この地区にあるパラス教の聖堂を目指していた。
「君も物好きだよねぇ。お城でもよかったのに、平民の聖堂で洗礼を受けたい、なんて」
隣には、城を出る時につけられた案内役兼護衛(兼見張り役)の女騎士、イリアスがいる。
彼女とは再開して早々、なんやかんやがあって、互いにタメ口で話すようになっていた。
「理由を聞いても良い?」
「・・・祖父さまから教わった言葉に、『国を視るときは、底を視ろ』ってのが有ってね。
スラムや貧民街の規模とか生活水準とか、それがその国を評価する一番の基準になるんだって」
元はドストエフスキーという作家の
「The degree of civilization in a society can be judged by entering its prisons.
(ある社会の文明の程度は、そこの刑務所に入れば判断できる)」
という言葉で、祖父さんなりに噛み砕いて教えてくれた。
これの説明は、「世界がもし100人の村だったら」という有名な例えを応用すれば、簡単にできる。
「人口が100人の村」が2つあったとする。
国民の持つ資産の総額は、A村が1000万円、B村は2000万円とする。
そして両方とも、生きていくのに必要な金額は2万円と設定する。
A村では、全員が均等に、資産10万円を保有している。
しかしB村では、10人だけが182万円ずつの資産を保有し、残る90人はそれぞれ2万円ずつしか保有していない。
さて、どちらの村が『豊か』だろうか?
「なるほどねぇ。村という単位で見れば、B村の方が豊かに見えるけど、民一人一人の財産をみれば・・・。その『マンエン』って通貨がパラト金貨でどれ程か判らないけど、わたしならA村に住みたいかな?私はこの3等地区の生まれだから、B村じゃ生きていくのにギリギリな額しか持てないだろうし。だったら、余裕がある方に住みたいなぁ」
「オレも同じ。やっぱり生きていくなら、誰かが苦しむ姿を見て自分だけ笑っているより、いっしょに笑う姿を見ながらが良い」
例えば街で買い食いをするとき、ボロボロで今にも餓死寸前な子供が隣に居る状態で、友達と談笑しながらソレを食べられるだろうか?
オレは無理だ。お金を恵むなどという『上から』な行動はできないが、少なくとも同じ場所では食べられない。
そんな、雑談にしては重苦しい話をしながら、オレは3等地区の街並みを見渡していく。
2等地区はパルディオナ城だけなので比較のしようはないが、貴族や豪商がほとんどの2等地区と比べれば、やはり街の景観に差が見えてくる。
2等地区の建物は全て、費用が潤沢だったのか装飾が細かいところまで施され、また人の出入りが少ない為か、閑静な雰囲気が漂っていた。
だが、石壁1枚で区切られた向こう側に移動すると、空気が一変する。
太陽が西へ大きく傾いている時間帯。鍛冶屋か大工だろうか、あちらこちらで鎚を振るう音が響き、それに負けないほどの喧騒が、街を包んでいる。
建物はどれも、よく言えば質素、悪く言えば安上がりな造り。ただし装飾の代わりに、そこが何の店なのかを示す看板が、ちょっと凝った造りで、でかでかと掲げられている。
どちらかと言えば、こちらの方が『RPGの街』という感じだ。
・・・と、何やら良い匂いが漂ってくる。
穀物と野菜、そして酪農品の焦げた、それでいて食欲をそそられるこの香りは・・・。
「もしかして、ピザ?」
辺りを見渡すと、小さな屋台に目が止まる。
木の骨組みに布を張っただけの、簡素な屋台のテーブルに、ソレは10個ほど並べられていた。
「・・・ジェイルくん?」
「イリアス。アレ、なんていう料理?」
「アレ?・・・ああ、『ピットア』っていうアトネスの庶民料理よ。小麦粉を練って平たくした生地に、トメートやオニオ、チーズを刻んで散らして、高温の窯で焼くの。アレは屋台用に小さく作ってあるけど、大皿にドーンってサイズが一般的ね」
「大皿に・・ドーン・・・」
説明を聴いているうちに、空腹感と唾液がこみ上げてくる。
そう言えばオレ、朝以降何も食べていなかった。
「・・・食べたい?」
オレの反応をみたイリアスは、小悪魔っぽい笑みを浮かべ、誘ってくる。
「いや、でも・・・」
オレはまだ、こちらの通貨を持っていない。
恥ずかしながら、今になってようやく、自分が無一文だという事を思い出したのだ。
さらに気づいたことだが、オレは『ピットア』なるピザもどきの値段が解らない。
というより、この世界の文字が全て読むことができないのだ。
街のあちこちに見られる文字は、アルファベットっぽい文章を単語単位で一筆書きにしたような物。
アメリカに留学経験があるオレだが、これほど崩れた文体は見たことが無い。
話している言葉が通じていたし、アラバマの地図は英語表記だった為、油断していた。
「(何でこんな面倒くさい縛りがあるんだ?)」
そんなことを考えながら、オレの心は『ピットア』を諦める方へ向かっていたのだが、思わぬ所から助け舟が現れた。
「・・・お金の心配ならしなくていいよ?あなたの案内は任務の内だから、記録さえ残せば、騎士団の経費から落ちる。どうする?ジェイルくん」
腰のポーチから羽ペンとメモ帳を取り出しながら尋ねてくる彼女に、オレは即答する。
「お願いします、イリアスさん!」
・・・うん。人間は3大欲求、空腹と眠気と収集癖には、絶対に勝てないのである。
羽ペンの先っぽに唾液を染ませ墨を溶かし、『ピットア』の代金を書き込む騎士様を見つめながら、オレは人間の心理を悟った。
*****
暫く後
3等地区 教会前
ちゃっかり己の分も買ったイリアスと共に『ピットア』を美味しく頂いた後、オレ達は目的地であるパラスの聖堂へとたどり着いた。
大通りを外れて弧状の細道を進んだ先、2等地区との境目である障壁に沿う形で、聖堂は立っている。
一見、扇形を描くように遠回りな道のりを歩いてきたかに思えるが、区画の事情で壁伝いに来られる道がなかったのだ。
ちなみに、『ピットア』の値段は1食=銅貨1枚と半銅貨1枚、つまり銅貨1枚半だった。
遅い昼食のついでに教えてもらったことをまとめると、この世界の通貨は、時代ごとに種類や価値が変動し、これまでに3度の大改編があったらしい。現在は4代目のパラト通貨で種類は4。
一般に広く使われるのは、銅貨と半銅貨。簡単に説明すれば10円玉と5円玉だ。
ただしその価値は、元の世界でいう100円と50円に相当する。
総菜パンが銅貨1枚半・・・うん、適正価格かな?
次が銀貨、銅貨10枚で銀1枚に交換され、主に武具や食器、食材のまとめ買いなどで使われる。
イリアスら騎士の給金も、銀貨で支払われるそうだ。
そして最後が金貨。一応、世間では銀貨5枚で金貨1枚というレートだが、一般市民が金貨を目にすることはあまりないという。使用するのは、王族、貴族、豪商、冒険者、そして両替商だ。
冒険者が入っているのは、まぁRPG経験者なら察せる事で、山賊やモンスターの討伐に対する報奨金が、金貨で支払われる為だ。
『だから一般市民みたいな風貌の奴が、金貨を見せて仕事の誘いをしてきたら気を付けて。それ、確実に偽物だから』
・・・という、イリアス先生の忠告でもって、貨幣講座は終了し、今に至る。
「来るのは久しぶりだなぁ。ここ半月ほどは、使節団の受け入れ準備で城に缶詰だったから」
石造りの建物を、イリアスは懐かしげに見上げる。
一方のオレはというと、本日二回目の神との対面に、今更ながら胃が締め付けられてきた。
「ここがパラス聖堂・・・普通に入っていけばいいのかな?」
「う~ん、どうだろう?聖堂は誰でも出入りできるけど。パラス様と直にお会いしたなんて話、説法ぐらいでしか聞いたことないなぁ」
まぁ、そうだろうな。異世界から来た神の使いなんて、この世界での1年前にミスター・アラバマ達が来たのが最初で、オレもまだ第2陣なのだから。
「とりあえず、司祭様に会ってみま・・・あっ、噂をすれば。司祭様ぁ!」
突然、聖堂から出てきた法衣姿の男性に、イリアスは笑顔で近づいて行った。
「おや、これはこれは。イリアス、久しいですね。お城で使節の方々を出迎える仕事は、もういいので?」
「まだご滞在中ですけど、別件で来たんです。こちらのジェイルくんが・・・」
「ジェイルと申します、司祭様。初めまして。女神アテナ・・・アトネーの遣い、<グルゥクス>に選ばれた者、らしいです」
開口一番、本題に入る。ミスター・アラバマに対する皆の反応を見て、これが一番手っ取り早いと判断したからだ。
そして結果は、予想通り。
「あなたが!?・・・なるほど、イルマ様の帰還を出迎えた者たちが噂していた通りの容姿。賊からたった一人で姫様を助けたのは、あなた様ですね。<グルゥクス>に選ばれる程の御仁ならば、納得が出来ます」
驚きつつも合点がいったという風に、司祭様は頷いた。
「お褒め頂き、ありがとうございます。それで、女神パラスとの謁見というのは、どうすれば?」
しかしこの質問には、困った、という表情が返ってくる。
「・・・申し訳ない。私も詳しい事は判らないのです。昨年、2等地区の聖堂で行われたというのは聞き及んでいますが、委細は・・・。とりあえず、中の祠までご案内します」
戸惑いながらも、司祭様は俺達を聖堂に招き入れてくれた。
*****
聖堂内 中央通路~礼拝の間
聖堂の内部は「山」型に通路が伸びており、中央の通路を奥へ行くとギリシャ風の彫像が一体、ステンドガラスから差し込む昼下がりの日光に照らされていた。
「奥に見えるのがパラス様の像です。基本的に毎朝と太陽の日のお昼に礼拝を行っています。向かって右側は診療所。怪我人や病人を、聖堂に所属する治癒師達が聖魔法で治療を施します」
「・・・聖魔法、『光魔法』の事か?」
2人に聞こえないほどの声で、オレは呟いた。
EFOで魔法は、スキルとは別に存在した。だが誰でも使えたわけではない。
ゲームでは、魔法職と物理攻撃職は完全に別物となっており、最初のキャラメイクでどちらかを選択すれば、他方へ切り替えることは不可能。
オレは物理職<サムライ>を選択した為、魔法は使えない。
・・・と思いきや、イリアスが興味深い事を語った。
「私も、簡単な怪我や風邪程度なら治せるよ。だから、非番の日はなるべくここに来て、子供たちを診ているの」
「え!?イリアスって騎士、だよね?」
「そうだけど?・・・騎士が庶民を助けちゃいけないなんて法律、アトネスにはないよ?」
イリアスはこちらを、彼女の上司並におっかない目つきで睨んできた。
あ、やばい。勘違いされた。
「いやいやいやいや。オレ、生まれ育ちで差別とかしないから。オレが言いたかったのは、騎士でもひかr・・じゃなくて聖魔法が使えるのか?、て事。オレがいた世界じゃ、騎士は<ナイト>っていう、成ったら魔法が使えない職業だったんだよ」
「・・・ホント?」
必死に弁解するオレに、イリアスは念を押すように問うてくる。
「本当だって。オレの信条の一つは『人の生まれに貴賎なし。あるのは行いの貴賎だけ』だ。ちなみに賎しい行いってのは、『故意の犯罪』限定な」
例えるなら、犬ネコなどの動物を、遊びで殺すのは許されないが、交通事故死や食用の屠殺などは許される、と言うことである。
「・・・そもそも、差別主義掲げるようなアホウを、女神が遣いに選ぶか?」
「・・・それもそうね、ごめんなさい」
イリアスの眼から、怒気が消える。どうにか納得してくれたようだ。
すると、傍で静観していた司祭様が口を開いた。
「ジェイル殿が、人の道を心得ている方と解って安心しました。なるほど、アナタならこの世界に福音をもたらすでしょう」
満足げに微笑むと、司祭様は案内を再開する。
「さて、次は左側の部屋でしたね。こちらは生活用水の浄化を行っております。原理は傷病者の治療と同じです」
「生活用水・・・」
そのキーワードが気にかかったが、司祭様に詳細を聞く前に、オレ達はパラスの像まで来てしまった。
「こちらがパラス、戦いと家事を司り、アトネーと並び『パルターナン』を守護する女神様です」
槍と糸巻きを持ち、天を仰ぐ彫像の前で、3人は佇む。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
が、数分経ち・・・
「なにも起きないね・・・」
オレの方を見ずに、イリアスが呟いた。
うん、何考えているか解りますよ~。
こういう場面って、普通は到着してすぐ、像が光ったり周囲の時間が止まったりして、女神様の声が脳内に響く、ってのがお約束だよね。
コレがゲームだったら、進行不能の不具合を疑って電源を切るところだよ。
・・・いや、ひょっとするとイベントの発生条件が満たされていなかったり?
「(・・・とりあえずGMコールしてみよっかな?)」
人目につかない場所へこっそり隠れる算段を立てながら、オレはポーチから糸無しの糸電話、現世との通信機を取り出す。隣で首をかしげている司祭様とイリアスには、背中越しなので見えていない。
すると突然、頭の中に声が響いた。
『・・・アートちゃんの、・・・気配』
「!?」
次の瞬間、オレの視界は真っ白に染まった。




