番外編 『注:円盤でも湯煙は晴れません』
異世界滞在6日目 夜
姫様の『ジェイルは男である』という誤解を解く機会は、あっけなく訪れた。
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パルディオナ城内
王族用浴場
それは、城下での汚水垂れ流し状態が解消され、『下水道整備計画』が正式スタートした日の夜。自粛していた浴場の使用が解禁された直後の出来事であった。
一昔前、実写映画が大ヒットしたマンガの題材とされたように、ギリシャ世界では古代(日本の弥生時代の頃)から既に、公衆浴場など高度な風呂文化があった。
それは異世界パルターナンにも反映されており、サウナ併設の浴場が、城内や街の複数個所に公営で設けられている。
だが、水が貴重な世界である為、開場されるのは数日に一度。そして、オレが異世界に来て最初の風呂の日は、件の汚水流出の日だった。
結果、水浴びや温タオルという代替え手段はあったものの、オレは一週間近く、まともに身体を洗えていなかった。異世界での冒険、かつ男装ロールプレイ中であるとは言えど、これは女として、いや知性ある生物として許容しがたいものであった。
なので、「グルゥクスは王族と同等の地位であるから、城の浴場を使ってもOK」と、王妃様から許可を頂いた次の瞬間には、オレは研ぎ澄まされた「たっぷりのお湯」への物欲を開放し、勘だけで城の地下階に設けられたその場所へたどり着いた。
「ここが・・・、バスルーム・・・」
湿気対策か、壁も床も木材で作られている区画にある、隙間から湯気が漏れる扉の前で、オレは感動の涙を目じりに浮かべていた。
「あの、<グルゥクス>ジェイル殿?」
そんなオレに、扉の前に立っていた侍女が、若干引き気味に声をかけてきて、ハット我に返る。
「おっと、お目汚し失礼。・・・国王陛下から許可を頂いたので、こちらの浴場を使いたいのですが?」
「はぁ・・・陛下のお許しがあるのなら構いませんが・・・。もうしばらくするとプレシア様とイルマ様がいらっしゃいますよ?」
「っ、王妃様と姫さんが!?・・・コレは絶好のチャンス!」
浴場内であれば、公然と姫さんにオレの身体を見せて、女である事を伝えられる!
「あの、王族の方は<グルゥクス>と一緒に入浴してはいけない、なんて法律、アトネスに有りますか?」
「は、はぁ?・・・そのような法はございませんし、我々も時折、王妃様にお誘いを受けてご一緒しますが・・・。貴方様は・・・」
こちらを変態を見るような目でみる侍女さん。・・・あ、この人もそうなのか。
「あの、オレ・・じゃなくて私はですね・・・」
「あ、居た!・・・ジェイル、<グルゥクス>だからって勝手にうろつかないでよぉ」
声のした方を振り向くと、イリアスが息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくるところだった。
「丁度良かった、イリアス。証人になって欲しいんだ!」
「はぁ、はぁ、証人?・・・あぁ、なるほどね」
侍女さんの顔色から、事情を察してくれたイリアスは、姿勢を正して説明してくれた。
「近衛騎士の職を賭して証言します。<グルゥクス>ジェイル殿は、まごう事なき女性であります」
「えっ、本当ですか!?・・・確かによく見れば、わずかに膨らみが・・・」
「わずかじゃないです!Bカップは絶対にありますよ!」
「「ほんとにぃ~」」
なぜかイリアスからも疑いの目を向けられた。・・・絶対あるもん。
「とにかく、王族との混浴が違法でない限り、オレもここを利用したいんですけど。姫さんの誤解を解くために!」
「ああ、そう言えば貴方s・・・失礼、貴女様は姫様とご婚約を・・・あらあら」
「あ~、説明がややこしいから、その件については追及しないで。大事なのは、オレが女である事をちゃんと伝えたいんです。できれば穏便に・・・」
イリアスにも、まもなく姫さんが入浴する事を伝える。
すると彼女は、意外な提案をしてきた。
「じゃあ、ジェイルが中にいる事を秘密にした方が良いかも。姫様が来た時、入る前に君がいるって知ったら、引き返しちゃうかもしれないし」
「そうでございますね。では騎士イリアス殿、ジェイル殿の御召し物を、しばしお預かり願えますか?」
脱衣場にオレの衣服があるのもまずいということで、オレはイリアスと一緒に中へ入ると、脱いだ衣服をかごに入れて、イリアスに渡した。
ちなみに・・・
「・・・昼間はあんまり気にならなかったけど、これ・・・」
「皆まで言うな、イリアス。こちとら1週間ぶりのまともな風呂なんだから」
というやり取りがあったのだが、ミンナニハ内緒ダヨ。
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数分後
浴場内は、一言で言うと室内プール(短水路)という様子だった。中央に目測で縦25m横幅10mの浴槽が掘られ、中央の女神像が持った水瓶からお湯が沸き出ている。
その手前に掛け湯用の井戸があり、左右の壁際には、腰かけられる形のくぼみが複数、ここが体を洗う場所との事で、脇にはヘチマたわしのような物と小瓶がいくつか、桶に入れられ置かれている。いわゆるヒップバスというスタイルだ。浴場の奥にはサウナ室もあるらしい。
侍女さんから一通りの説明を受けた後、オレはつま先から肩まで掛け湯をし、ヒップバスで身体を洗った。
ヘチマたわしのような植物繊維の塊は、柔軟性と弾力に富み、また小瓶の中の、仄かにコーヒーのような香りがする液体石鹸は、元の世界で売れば流行間違い無しという泡立ちで、適度に6日分の垢を擦り落してくれた。
そして、丁寧に隅々まで洗い終わったころ、くぼみの上部から自動でお湯のシャワーが降って来た。
「おおぅ、魔法ってすげぇな!」
特定の動作で起動する術式が組み込んであるというハイテクな洗い場に感心した後、お待たせしました今回のメイン!
水深20cm程度の腰湯という感じながら、久方ぶりの『お湯の風呂』へと、オレはゆっくり身を沈めていった。
「うふぅ・・・極楽ですなぁ・・・」
と、そのときだった。
「ああ、待ち焦がれましたわ。ね、お母様」
「まぁ、イルマったら。こっそり厨房から片手鍋でお湯を拝借していたくせに・・・」
湯気のカーテンの向こうから、姫さんと王妃様が並んで現れる。
今がチャンス!
ジャバァ・・・
「・・・え?」
「あら・・・」
オレが湯船から立ち上がったのは、2人が掛け湯用の手桶を持った直後だった。
湯気がかなり立ち上っているが、互いの顔を視認できる程度。
なのでオレは、さも2人が入ってくることを今知ったという体裁で、声をかけた。
「あ、どうも失礼。お2人が来るとは、しr・・・」
「きゃぁ―――!ジェイル様の変態ぃぃ!!」
カコォォン
鹿威しの如く、透き通った音が浴場に響く。と同時に、オレの顔面から一瞬、あらゆる感覚が消える。
重さ50gの木材が、全く受け身を取っていない状態でもろに直撃した。その結果、オレの身体は直立姿勢で湯舟へ倒れ・・・。
ドボォォォン
半分失神状態で脱力しているおかげか、オレは仰向けでぷかぷかと水面に浮かぶ。
それを見た王妃様が一言、
「あら?・・・イルマ!かれ・・いえ彼女のごらんなさい・・・」
「え?・・・あったり、・・・なかったり?・・・・っ!ジェイル様ぁ!?」
・・・とまぁ、最後は誤解が解けましたとさ。