佐村庵と<サムライ>・ジェイル
私-佐村庵-は、特段自分が女である事を否定したいわけじゃない。
日常生活では普通にスカートを履くし、友達の男女比もふつう。
ただ、現実世界の私は、頭はいいけど人付き合いは苦手な、「賢いバカ」な人間なのだ。
クラスでは、いじめられるほどではないけど、ちょっと変わり者と認識されていて、それが悩みの種だった。
慇懃無礼で自分に素直なジェイルとは、似ても似つかない女の子。
そんな私が、ジェイルの仮面をつけるようになったきっかけは、あるトラウマだ。
*****
数年前 とある夏の日の夜
佐村家 庵の自室
「・・・ん?」
その日、いつもと変わらない生活を過ごし、普通に就寝したはずだった。
だが深夜、日付が変わって暫くという時間に、ふと目が覚めた。
布団の中、腰から膝にかけて、妙な気持ち悪さを感じたから。
熱帯夜だった為、寝汗を掻いたのかと思った私は、無造作に布団をめくった。
そして、窓から差し込む月の明かりに照らされた、真っ赤な血の海を見てしまったのだ。
「い・・・いやぁぁぁぁぁ!」
叫び声で飛び起きた家族が部屋に飛び込んでくるまで、私はその場から動けなかった。
原因は、携帯端末だった。親に隠して、布団の中でいじっているうちに寝てしまった挙句、寝返りをうった拍子に押しつぶしてしまった。
運の悪いことに、私は下着と薄いシャツ一枚という恰好。丸出しの肌に割れた破片が刺さり、その結果があの血の海。
実際の量はそんなに多くなかっただろうけど、寝ぼけ眼に飛び込んできた光景だからか、かなり大げさに見えたのだろう。
油断していた。あれほど母に注意されていたのに、私はただの小言としか受け取らず、聞き流していた。
でも母は、そんな私を責めずに、ただ抱きしめてくれた。
父も姉も、私を安心させる言葉ばかりを投げかけて、文句なく後始末をしてくれた。
私は、家族の事を避けていたというのに・・・。
自分の事が恥ずかしく、嫌になった。リセットしたいって思った。
そんな時に、私はネットゲームに出会った。
きっかけは、祖父の友人と名乗っていた男の人。
私も幼いころから何度も顔を合わせていて、ちょっと憧れていたりした人だ。
事件からしばらく後、祖父の誕生日にふらりと現れたあの人は、私の様子に気付いた。自分では、家族の前ではいつも通りに振る舞っていられたつもりだったのに・・・。
―どうした?この世から消え去りたい、って顔に出ちまってるぞ?
驚く私に、彼は深く詮索せず、ただ自分のリュックからノートパソコンを取り出して見せた。
-新しい自分になりたいなら、コレを試してみなよ。
慣れた手つきで、彼はとあるMMORPGを機動させ、私に触らせてくれた。
新しい自分、成りたい自分。
具体的な形が思い浮かばなかったから、その時は自動作成を選んだ。
コンピューターが勝手にパーツを選んで創ったそのキャラクターは、日本の侍みたいだった。
-へぇ・・・初めて使うにはいいキャラだな。
次にキャラネームを決めてみな。
キャラネーム・・・新しい自分の名前。
目の前の侍を睨みながら、一生懸命に考えた。
「侍・・・サムライ・・・サムライオリ・・・サムライ・オリ。
オリ・・・檻、“ジェイル”」
ジェイル、<サムライ>のジェイル。それが新しい私、・・・いや、
「これが、新しい“オレ”か」
MMORPGの世界で、私は新しい自分を育ててった。
自分の事を『オレ』と呼び、誰にも気軽に話しかけ、戦いでは真っ向勝負が苦手な分、死角に回り込んでの不意打ちを得意技とする策士。
今のジェイルができるまで、そう時間はかからなかった。
佐村庵としての自分も、不思議と再出発することができた。
オンラインゲームで、顔の見えない誰かと話していたおかげで耐性が付いたのか、学校での人脈が増えた。
MMOになじんできた5年前、そのゲームはサービスを終了してしまったが、そのすぐ後に、あの色んな意味での問題作、『EFO』が世に出てきた。
真っ先に飛びついて、そこでは自分が求めたジェイルを作った。
私にきっかけをくれた、子どもが悪戯を考えている時のような無邪気な笑みが特徴的な、あの人。
いつの間にか、私の中では彼がジェイルのお手本になっていた。
そこから先は、説明不要かな?
『魔の1時間』を生き延び、最古参組と一緒に村を造り、現実では、とある大学の法学部に入って・・・。
そして、そこで得た法知識を基に、グレープレイヤーへの合法的制裁をやっているうちに、『ナスティ・ジェイル』なんて二つ名で有名になっちゃって、それで女神に目を付けられ、異世界に来る羽目になった。
そう言えば、ジェイルのトレードマーク、黒地に朱と金で焔があしらわれた鎧も、彼が時折着ていた着物の柄とお揃いだったから採用した。
超難関レイドボス由来の希少素材や、レアドロップアイテムが必要だったが、情報交換チャットのカタログであのデザインを見た瞬間から、無我夢中で頑張って、3日間の徹夜プレイの末、手に入れた。
出来ればあの鎧も、コッチの世界に持ってきたかったなぉ・・・・。
・・・とにかく、そんな経緯で誕生し、私を現実世界でのストレスから救ってくれていた存在、それが<ナスティ>ジェイルだ。
*****
現在
異世界『パルターナン』 女神パラスの領域
「・・・まぁ、貴方の事情なんてどうでもいいわ。
大事なのは、アートちゃんや私の役に立てるかどうか」
面倒くさそうにパラスは呟くと、再びイスとテーブルを出現させて腰かけた。
マイペースだなぁ、この女神。
オレは呆れ半分でパラスを見つめ、髪を結い直しながら尋ねる。
「もう『グルゥクス』の洗礼は終わったんだろう?次はどうすればいい?」
「さぁ?好きにすればいいんじゃない?私たちの目的は、この世界を滅亡しない程度にかき混ぜる事だけ。ミスター・アラバマみたく、どこかの国で食客やるなり、冒険者として各地を巡るなり。方法は何でも良いわよ。本当にたった一つ、世界を滅ぼさないように気をつければ、ね」
世界滅亡って・・・異世界人の一人か二人で、そんな事・・・・。創作の世界じゃあるまいに。
だが・・・
「好きに行動、か。要するにオープンワールドのRPGって事か」
「そういう事。あ、ちなみにいくつか道標をあげるね。騎士団に入りたいのなら、レオネイオスに頼みなさい。冒険者ギルドは、南の3等地区の大通りの一番奥にあるわ。噂では東の3等地区には、盗賊ギルドの隠れ家があるらしいわ。『ネズミのしっぽ亭』という酒場がキナ臭いわね」
わ~お、サブストーリーのフラグがてんこ盛りだ。
「・・・了解した。それじゃあ、オレは戻らせてもらうよ」
「どうぞ~。私はアートちゃんの作った糸電話で遊びたいから、さっさとカエレー!」
オレの方を見ずに、パラスは「あっち行けしっし」、と手を振った。
途端に、オレの身体はここへ来た時と同じように、光に包まれ始める。
「(・・・っておい、百合っ娘女神。通信機を腕輪に変えたのは、糸電話を横取りする為か!?)」
そう叫ぼうとしたものの、猛烈な輝きで目がくらみ、一瞬意識が弾けた。
*****
パラト暦 215年 3月某日(異世界滞在1日目 夜)
都市国家 アトネス 3等地区 パラス聖堂内
気が付くと、元の居た聖堂の彫像前に立っていた。
ただ、ステンドグラスから光は差しておらず、その向こうは青い暗闇となっていた。
「・・・どれぐらい、あそこに居たんだ?」
ピザもどきをイリアスと食べた時、太陽は中天から斜めに傾いていた。
聖堂に着いた時、ステンドグラスからは、ややオレンジ色をした光がさしていた。
そして今は、もう日が沈んでしまっている。
・・・2時間は居たのだろうか?
ふと、司祭様とイリアスの事を思い出し、周囲を見渡す。
するとオレの背後、聖堂の中央付近で、10名近い男女が動きを止め、こちらを驚いた形相で見つめていた。
「あの・・・どうも」
オレは反射的に頭を下げながら、彼らを見渡す。
半分は司祭様と同じような古代ギリシャのトーガみたいなのを纏った人たち。おそらく聖堂で働いている神官か僧たちだろう。
残りは街で見かけたような、簡単に言えば町人Aとか冒険者その1、みたいな服装の人たち。
オレが声をかけても、彼らはポカンと固まったままだ。
そりゃ、どこからともなく人間が突然現れたら、ねぇ・・・。
とりあえず、彼らの中にイリアスも司祭様も見当たらないので、探しに行こう。
そう考ていたら、探し人は向こうからやってきた。
「あれ?皆どうし・・・ジェイル!」
向かって左側の通路、確か診療所になっていたところから、白衣姿のイリアスが駆け寄ってきた。
「イリアス・・・えっと、ただいま?」
「もう、ただいまじゃないよ!突然光って消えちゃって。司祭様はパラス様に呼ばれたって言っていたけど、一刻も帰ってこなかったから、ちょっと心配してたんだよ!」
一刻・・・約2時間程か。オレは20分ぐらいしか居なかったと感じていたけど、こちらとあの領域とは、時間の流れが違うらしい。・・・と、イリアスの後ろから、司祭様も現れた。
「ジェイル殿、お戻りになられましたか。・・・どうやら『グルゥクス』の洗礼も無事に終わったようですね。どことなく、神の加護を感じます」
「ええ、パラスとお会いして、新しい力も授かりました」
聖堂を見渡せば、『診療所はこちら』など、さっきまでは記号にしか見えなかった文章が、普通に読めるようになっていた。
-おおおーーー
離れたところに居る一般人の皆様方が感嘆の声を上げた。
傍にいる2人も、感心した様子でオレを見ている。
「それで?女神様にどういう言葉を賜ったの?」
イリアスが興味津々といった様子で訊いてくる。
ごめんなさい、そんな大層なことはありませんでした。
「この世界の文字が読めるようになったり、魔法が使えるようになったぐらいだよ。
あとは、この世界に・・・えっと、・・・新しい風を吹き込め、って言われた」
「新しい・・・風?」
イリアスも司祭様も、首をかしげる。
だって「世界をかき混ぜろ」って原文のまま言ったら、悪の化身みたいに思われるじゃん。
「とりあえず、魔法とか新しい力に慣れないと、何ができるのかわからない。だからこのアトネスで、人助けをする所から始めたいなぁって。冒険者って仕事があるって聞いたんだけど・・・」
「そっか、じゃあ冒険者ギルドに行ってみる?あそこに登録しておけば、依頼をこなして生活資金を稼ぐことができるよ。個人でも引き受けることができるけど、報酬の確実性はギルド仲介の方が圧倒的ね。
あと、宿や道具屋で割引が効くし、他の国へ行った時の身分保障にもなるの」
ほう、冒険者ってそれなりに信頼される職業なのか。
パラスの助言にも含まれていたし、活動資金を稼ぐためにも、ギルドに登録しておいた方がいいだろう。
司祭様も、イリアスの提案を薦めてくる。
「私も賛成です。『グルゥクス』としての役目を考えれば、情報収集という面でも、ギルドは役に立ちますよ。冒険者ギルドは、アトネスと同じように、いかなる国においても中立の立場ですから。まぁ、モンスターの襲撃や他国への主権侵害行為を除いて、ですが」
「司祭様、お詳しいんですね」
「来た時にも説明したとおり、聖堂では傷病者の手当てを行っております。その一番の利用者は、冒険者の方々でして・・・」
なるほど、自然と強い結びつきが出来ているのか。
もしかしたら聖堂の方からも、何か依頼を出したりしているのかもしれない。
「色々と教えていただき、ありがとうございます。じゃあさっそく、冒険者ギルドへ行ってみます。場所はパラスが教えてくださったので」
今日中にやれる事をやっておきたい、オレはそう考えていたのだが、イリアスに止められた。
「そんなに急がなくてもいいじゃない。あなた、今日この世界に来たばかりでしょう?自分の身体の状態に、もっと気を付けたほうがいいよ・・っと」
「・・おぅわっと!?(ドシンッ!)」
彼女に軽く肩を小突かれただけなのに、オレは糸が切れた人形のように、崩れ落ちてしまった。気づかぬうちに、足腰の筋肉が悲鳴を上げていて、女騎士殿はそれを見抜いていたようだ。
幸い、小突いてすぐに腕を掴まれたおかげで、背中や頭を床に打ちつける事はなかった。
それでも、身体はまるで泥沼の中にいるように重く、自力では起きられない。
「ほらね?今日はもう休みなさい。私の実家、この近くだから泊めてあげる♪」
オレを支え起しながら、イリアスはニッコリと笑顔を向けてくる。
「・・・それじゃあ、お言葉に甘えて」
どうにか自分の足で立てたオレは、自分の不甲斐なさに苦笑しつつ返した。
それから、オレ達二人は司祭様に礼を告げた後、すっかり夜の闇が広がった中、イリアスの実家へと向かった。