オリエンテーリング
パラト暦 215年 5月15日 日没から少し後
都市国家アトネス 東側城壁
大きく欠けた月が、地中海性気候の晴れた空から、地上の狂気を見下ろしている。
高さ7y(約20m)の城壁とその外側のぬかるんだ平野を戦場に、激しい攻防戦が繰り広げられているのである。
平野より来たるは満身創痍の、しかし獣のような覇気を放っていう兵団。その総数およそ千五百。その内三割ほどは、既に城壁の周りに躯をさらしていた。
それでも、壁の守り手が絶え間なく矢を射かけている中を、襲い来る兵たちは勢いを落とすことなく迫ってくる。
そして・・・
「伝令!第3波の後方より、重装兵多数!!」
敵兵からの狙撃を防ぐ為に、明かりがほとんどない城壁の上。既にハリネズミの背中になっている盾で身を守りながら、壁の外側を窺った兵士が叫ぶ。
彼の見た光景、それは闇の中からこちらにゆっくりとはい出てきた、全身を鋼鉄で覆った数百人の侵略者。
ソレが近づくガシャガシャという金属音の輪唱に、城壁の内側にいる守り手の兵士たちは皆一様に、変形しあるいは血のりにまみれた己の武器を握り直し、不安と緊張で顔を更に強ばらせる。
そして、恐怖に耐えるその視線が、城壁の中央へと、縋るように集中する。
そこには、夜の闇を払おうとするように、黒地にきらびやかな焔をあしらった衣装を纏い、ただ一人不敵な笑みを浮かべる人物がいた。
「-----、-----」
「・・はっ、はい!」
レンガ造りの城壁に、中世風な西洋鎧姿の兵士が身を寄せ合う中で、ただ一人和風な陣羽織を纏うその者は、報告に来た兵士に何かを言付けると、自分はタイミングを計るように、敵の軍勢を睨む。
窮地の中とは思えぬその様子を、傍らにいる獅子の風貌をした男が、怪訝そうに見つめる。
まとっている鎧から、彼がこの場における指揮官だと解る。そんな彼を差し置いて、黒衣の異邦人は兵士たちへ号令を出しているのだった。
「3,2・・・今!」
そして、敵の先陣が城壁から50メートル地点まで迫ると、異邦人は片手を振り上げる。
「一斉射、てーーー」
それを合図に、城壁の上から一斉に火矢が射掛けられる。
しかし、直角に近い角度で放たれたそれらは勢いが弱く、重装兵の列に届くどころか、わずが25メートル先の地面に突き刺さり、雑草を焼くのみであった。
―アッハハハハ・・・・・
元より矢では貫けぬ程の分厚い装甲を纏っていた重装兵達は、敵前にも関わらず、大きく嘲笑の声をあげる。
しかし異邦人は、大胆にも城壁の縁に立ち上がると、敵味方双方へ届くほどに、声を張り上げる。
「大地よ!その怒りを、然るべき者へ向けよ!」
つぎの瞬間、その声に応えるかの如く、地面が弾けた。
ドドドドドドdddd・・・・
それはまさしく大地が激怒したかの如く。火矢が刺さった場所を起点に、土砂が巻き上げられ、炎が吹き出し、そして陥没してゆく。その崩壊は地響きを伴い、津波のように横一直線に平野を地中から耕していき、遂には重装兵達に襲いかかった。
「な、なにごtぅおあ!?」
「さ、さがれぇ、ぎゃぁ!?」
慌てて引き返そうにも、重い鎧を身に着けた敵兵たちは、逃げる間も与えられずに、土砂と炎の津波に呑み込まれていった。
僅か5秒ほど後、約300人の歩兵部隊は残らず、地面にその半身を埋めていた。
前衛が一瞬で壊滅した様を、城壁から100メートル離れた林より目撃した敵将は、驚きと恐れの混じった声を、か細く紡ぐ。
「ば、ばかな!あやつは人の姿をした魔物か!?」
前方から重装兵達が助けを求めてくる中、それを打ち消すほどの大声が、再び城壁から届く。
「あー、メドゥ帝国軍の兵士達に告ぐ!直ちに武器を捨て投降するなら、命だけは取らないでやろう。しかし!まだ歯向かうようならもう一発、大地の怒りを発動させる!!」
それを証明するように、耕された地面から、もう一度炎が吹き出した。
それから数秒後、敵の大将から上がった降伏の声を聴きながら、<グルゥクス>ジェイル、本名佐村庵は、その大げさな身なりに不釣り合いな弱音を、心中で呟く。
「(・・・うぅ、本当にヤッチャッタ~!)」
穴が空きそうな程の胃痛に堪えながら、22歳の異世界人は、つい先日までの“日常”に思いを馳せつつ、そそくさとその場から立ち去った。