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わくらば(邂逅)

作者: 白桔梗




「人の生き様はその外見に現れる。父を見ていて、ずっとそう思っていました。中でも瞳は生気の有無を如実に見せつける。そう感じています。ですから、人体で、一番きれいな箇所は眼だと思うんです。そう思うようになったきっかけが貴女です。


 私は感情がそのまま表情に出てしまうらしい。特に目に顕著に現れるんでしょうね? 

 貴女は気持を隠すのがとても上手な方でした。常に冷静で表情を見ても何を考えているのか、推し量れない人でした。

 入社後慣れない日々に忙殺されていた頃です。貴女に『あなたは目で話をする人ね』そう言われました。私は『なるほどな』と得心したんですよ。同時にね、貴女の観察力というか、その例え方にも感心したんです。そのせいですかね? 以来、貴女は『尊敬したい先輩』になったんです。だから、あなたの前だと私はちょっと緊張していたんですよ。


 あの時もそうだったんです。

 ほら、あの日。突然の雨に玄関で一緒に立ち往生した――。

 ええ、思い出してくれました? 

 ――ああ、降り出した……小雨なら駅まで走るか、通り雨ならデスクに戻って少し待つか――。

 そんな軽い気分で玄関のドアを押したんですよ、私は。

 けど、あれはそんな優しい雨じゃありませんでした。

 エントランスの先は、たとえ傘を手にしていても、一歩踏み出すことを躊躇ってしまう。見る見るうちにそんな勢いに変ってしまいました。おまけに雷光と同時に雷鳴が響いた刹那、驚いた貴女は私の片腕にしがみつきました。

 私はその事にちょっと驚きました。貴女でも吃驚したり、咄嗟に行動してしまう、そんな事もあるのだ、と。

 内心では、こんなふうに言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、可愛い……そう思ったんですよ。

 ですが、それも一瞬のことで、貴女はすぐ腕を離し、いつもの冷静さを纏ってしまった。


 いえ、別に笑っているわけではないんです。ですから顔を上げてください。

 まあ、私がこの一番奥の席を選んだのは、そういった反応を多少は懸念したというのも、一つの理由ではありますがね。

 どうですか? 私が選んだそのお茶は? それは良かった。好みじゃないって言われないかと、内心びくびくしてたんです。こう見えて私は小心者ですから。

 社に近い喫茶店ここは結構重役たちも利用してましてね、マスターとは古くからの顔なじみらしいです。



 ああ、すみません。話を戻しましょう。あの日のことでしたね。

 結局私と貴女は豪雨に躊躇い、10分程玄関に立ちつくしましたね。雨雲を二つに切り分けるような雷光に、私は外へ出るのを諦めエレベーターへ向かおうとしました。背後から小さなリボンがついた黒いパンプスの、カツンという音が響いた時、実は小躍りしたい気分だったんです。貴女も私と同じ選択をしたんだと、パーテーションで仕切られたあの空間へ一緒に戻るんだと、そう思ったんですよ。正直胸内で早まっていく鼓動が聞こえやしないかと、バカみたいなことを気にかけていましたよ。

 私はね、もうしばらく貴女と過ごせると思ったんです。後一時間ほど雑談でもした後なら、夕食に誘っても不自然じゃない時間になる。食事くらいなら構わないだろう? ってね。


 振り向くと貴女はゆっくりとショルダーバックの肩紐を外し、片手に持ちました。

 街路樹がね? 強風に激しく揺れる街路樹と、貴女の落ち着いた動きが対照的で。静と動が共存する瞬間っていうのでしょうか? そんなね、なんとも形容し難い場面を目にして、私は見惚れたんです。貴女の動き一つ一つがとても美しいものに映ったんです。だからですかね? 寒いのかと心配になったんです。そう、あの時貴女は小刻みに震えていました。


 出がけの空はあんな天候の変化を一切告げていませんでしたし、貴女は薄手のサマーセーター一枚でした。

 私もポロ一枚にハーフパンツなんていう格好で。私はある事を済ますために、短時間のつもりで家を出たんですよ。喫茶店ここに、モーニングランチっていう便利なメニューがあるんです。昼近くに起きた私はそれで空腹を満たし会社へ行ったんです。


 おっと、話が横道に逸れてしまいました。つまりです。あの日私は自分以外の誰かが出社しているとは思っていなかったんです。

 すでに開いている部署のセキュリティを解除しようとして、いらなく手間取り、おやっ? と思ったんですよ。自分のデスクに着いてしばらく思案していたら、パーテーションの向こうに人の気配がしました。反射的に立ち上がりパーテーションの中を覗き込んだ時は、同僚の“T”か“K”だろうと当たりをつけていたんです。そこに貴女の姿を見つけるとは思っていませんでした。


 人って思いがけない状況に遭遇した時は、驚くのが普通の反応でしょ? ただ、あの日の私は貴女がそこにいた事以上に、自分がそこに居るのを貴女に知られた事。そっちの反応が先に顔に出てしまったのでしょう。私にも羞恥心というか、ちっぽけでもプライドはありましたからね?

 ですから、あの時私の目が泳いでいたと言うなら、そういう事です。


 同僚が全てを知っているだろうとはわかっていました。私の些細なミスで大きな商談がなし崩し的に流れてしまったんです。損失の大きさは私が一番よく理解していました。あの商談は社の下期予算に大きく影響したはずなんです。にも関わらず室長から責めの言葉一つなく、同僚も誰一人としてそれに触れませんでした。そんな日々が二週間も続いていたんです。

 先ほども言いましたが、私は案外小心者でしてね。無言の圧力とか疎外感っていうんでしょうか。そんな空気をね? 勝手に感じてしまったんですよ。

 まあ、普段から若干意識はしていました。それはしかたないんです。私は親の縁故入社だと陰で言われているのを知っていましたから。


 ああ、すいません。こんな女々しい話をしてしまって。けど、やはり貴女には話しておこうと思ったんですよ。


 実はあの日、私はデスクの引き出しに入れた辞表を、室長のデスクに置くために出社したんです。

 私は室長と正面から向き合う気になれなかったんですよ。せめて、一言でも責めの言葉があれば、私もあそこまで思いつめる事はなかったかもしれません。


 覗きこんだパーテーションで囲まれた外来者用の応接セット。そこに平日と同じタイトなスカート姿の貴女が、書類を手に足を綺麗に組んで座っていたんです。驚きと同時に恥ずかしさが顔に出たとしても、当然でしょう? こっちは普段着でこそこそと辞表を出しに――。

 ね? いい大人がみっともないったらないでしょ?

 でも貴女は流石やり手の異名を持つ人でした。表情一つ変えず『こんな日にどうしたの?』なんて問いかけたんですから。




 あの時、『こんな日にどうしたの?』そう貴女は言いました。私は言葉に詰まりました。実は辞表を出しに――なんて答えることが、私には出来ませんでした。

 ですから、『明日提出する書類がまだでして』そう言ったんですよ。でね、そう言ってしまった以上、辞表を室長のデスクに置く事が出来なくなったんです。もうあれは最悪のタイミングとしか呼べませんでしたね。

 結局私はすごすごと自分のデスクに着きました。本当は残した仕事なんてありませんでした。翌日から出社しないつもりで、出来る事はやり終えていたんです。あの時は一人で手がけていた案件はなかったし、私物も整理し終えてあったんです。一番下の引き出しにすぐ持ち帰れるばかりになった紙袋が二つ。

 ですが、それらを持って貴女より先に帰ることを、私の最後に残ったちっぽけなプライドが拒否しました。なので、私は紙袋から用済みとなった個人資料を引っ張り出し、読むともなく目を通し始めたんです。


 無造作に束ねた書類の間から、一枚のメモが床に落ちました。

 拾い上げて見た瞬間、なんだってこんな時にこれなんだっ! 思わずそう叫びたくなりましたよ。

 

 【7、17、P13 P・H ラウンジ】


 書きなぐると右斜め上がりになる癖、自分だけに通じる略文。私の書いたメモで辞表を書くに至った元凶でした。

 あの商談の日、私は3時に遅れないよう砕身の思いで作った資料を持って社を出ました。大きな仕事を単独で任されたという自負もありました。まさかすでに2時間も遅れているなんて思ってもいなかった。どこに13時と3時を勘違いするバカがいますか? いえ、実際ここに居るんですけどね。

 

 その日の事が、メモを見た時甦りました。

 待ちぼうけを食らったと思い込み、ラウンジで呆然とし、電話で先方や室長と散々やり取りして、自分の失態に気づき――回り灯篭のようにって言えばわかりますか? 本当にね、同じ場面がグルグル頭の中で暴れまわるんです。取り返しのつかない落胆と、自己嫌悪、そういう心境と一緒に、電話で発した焦った自分の言葉の一文一文が、はっきりと思い浮かんだんです。


 ですから、あの時の私に、貴女がパーテーションの向こうで何をしていたかなんて、気にする余裕は皆無でした。



 『荒れてきそうよ』貴女に声をかけられて、見上げた窓外は真っ黒な雨雲に覆われていました。ポツポツと硝子についていく雫後。それを見て慌しく帰り支度をしたんでした。結局私は辞表を置く事もできず、引き出しに突っ込んで貴女の後を追うように部屋を出ました。

 貴女は普段の赤い書類ケースではなく、小ぶりの洒落たバックを肩から提げて、そのままエレベーターに乗りましたよね。


 そして玄関で――寸差で私たちは豪雨に遭遇してしまった。私の思惑は見事に外れ、貴女は受付にあった電話でタクシーを呼びました。私たちは一緒にそれに乗って、改札口へ行きました。

 さらに、貴女は降りませんでしたよね。『この雨だからこのまま帰るわ』そう言ってタクシーに乗ったまま行ってしまいました。

 懸命な選択でした。中はね、人でごった返していましたよ。


 電車を待っているうちに、不思議な事に気づきました。ホームで目にした人たちなんですが、殆んどが傘を持っていたんです。フードの着いたパーカー姿も結構目に付きました。あれほどの豪雨でしょ? 皆天気予報くらいは見てそれなりに準備していたんでしょうね。私は起きてからどころか、その前日もテレビすら見ていません。もうどうしようもない人間だな、と呆れましたよ。


 その時、あれっ? と、思ったんです。貴女は天候が変る事を知っていたんじゃないか、私がいなければ早々と帰社するはずだったんじゃないかってね? 

 貴女が聞いた『こんな日に――』の、こんな、はそういう意味だったのかな? と思いました。いつもの貴女なら休日に、と思ったなら『休みの日に――』そう言うと思うんですよ。そっちの方が自然じゃないですか。そしたら、『荒れてきそうよ』という言葉も不自然かなってね? 『降ってきそうよ』が妥当じゃないかと思ったんです。


 今思えば、貴女を見て、驚いたのは私の方だけだったんですよね? 私がドアセキュリティに手こずっている間、貴女は誰か来たと気づけたんです。

 私が引き出しから辞表を取り出し、一人勝手に思案をしていた時間、貴女は心の準備することが出来ましたよね?

 

 あっと、すいません。こんな確認をする前にお礼を言わなくてはいけないのに。今日お誘いしたのは、それが一番の目的なのに。


 まあね、そうしたら考えますよ。じゃあ、貴女はこんな日に何しに会社に居たんだろう、とね? しかも傘もコートの準備もなしなんて、全く貴女らしくない。そう思い至った時、肌寒さを感じました。思わずポケットに手を入れたら、あのメモが触れたんですよ。無意識に突っ込んでしまったんでしょうね。私は再びそれを見つめました。流石に二度目は人目もありましたし、落ち着いてまじまじと。そうしたらね? 気がついたんです。【13】の【1】がね? 私の字じゃないような気がしました。字というか、線の太さがね? ペンの種類が微妙に違ってるような、そんな気がしたんです。


 踵を返して向かったタクシー乗り場はやはり人でごった返していました。列に割り込むのには勇気というか、余程の度胸がなければ出来ません。

 私の前で老人がうろうろしていましてね。よく見れば両手に提げた大きな紙包みと袋は、一つはビニールも掛かっていず、片方の角下が破れかけていたんです。咄嗟にね、名案が浮かびました。

『うわ、大変そうですね』

 そう言いながら破れている方の袋を抱えて、老人の隣に並びました。

『すみませ~ん、譲って頂けますか?』

 そう叫んで老人の背を押して列に分け入りました。

 あそこまであからさまに言われたら、案外人は内心で舌打ちしても、正面切って文句は言わないんですね。私は列の最前列まで進み、タクシーに老人と一緒に乗り込みました。

 老人――おじいさんだったんですけどね、ちょっと驚いた目で私を見ました。私はにこやかに軽い調子で、『すぐそこまでなのでご一緒させてください』とお願いし、貴女の言葉を借りれば目で笑いかけたんです。タクシーはドアが閉まると同時に動きだしていたし、運転手に行き先を告げ、老人に軽く会釈をすると、相手は頷いてくれました。案外人は、意識的に目で話す事も可能なんですね?


 社の玄関前で降りた私は、エントランスの端、柱の影に隠れる一面ガラス横にあるイスに座りました。外から見上げた部署の窓に明かりがついていたからです。予想通り貴女は部署へ戻っている。そうして私に知られたくなかった事を行っている。そう確信しました。

 問い詰めよう――その決心を挫けさせたのは、一筋のヘッドライトでした。

 玄関に黒い車が横付けした時、思わず私は身を屈めました。雨の勢いはずいぶん止んでいて、貴女は普段使いの赤い書類ケースを持って車に駆け込むように乗りました。隠れるように座る私の前を横切りながら気づく事なくです。 


 目に焼きついて消えませんでした。頬を高潮させ、目を輝かせた貴女の横顔が。運転席の“T”に耳打ちし二人で笑顔を交し合っていたその様が。


 私はあの後部署に戻りませんでした。行ったところで何をしたか、見ただけでわかるような事をする貴女じゃないですしね?

 なによりも、“T”と一緒の貴女があまりに別人過ぎて、私は――萎えたんです。辞表も何もかも、もうどうでもよくなってしまったんです。

 幻滅って言うんですか? ずっと貴女に抱いていたイメージがね、破砕していく音が聞こえるようでした。しばらくその場に留まっていましたが、後はもう投げやりな気分で――雨に濡れながら帰ったんですよ。


 翌日、私はいつも通り出社しました。そして夕方、出張から社へ直行して来た室長に、辞表を直接渡す事ができたんです。

 こそこそじゃなく正面切って渡せたんです。そのお礼をね? 貴女にだけは言っておこうと思いました。



 

 あの頃の私は、自分が勤め人に向かないと思い、父が倒れたのを機に退職する事にしたんですが、石を投げられて逃げる負け犬のような気持を、どこかで引きずっていたんでしょう。


 あの朝、机に置かれた花束と小さな包みを見て私は呆然としました。自分の愚かさ、矮小さを思い知らされました。

 まさか、部署の皆が私の誕生祝いを企てていたなんて思いませんでした。「こんな日に――」の、こんなが、「誕生日に――」だったなんてね? 

 

 自分でも忘れていた誕生日を部署の皆が覚えていた。いえ、貴女が覚えていて提案してくれたと後で“T”から聞きました。彼ね、最近良く来てくれるんです。

 貴女の話も彼から聞いています。もうすぐ産休に入られるそうですね? 室長と貴女は本当にお似合いのご夫婦でしたから、聞いた時は私も自分事のように嬉しかったんです。

 一瞬でも“T”との不倫を疑った私は、あの時、本当に余裕がなかったんでしょう。

 思い込みって怖いですね。ありもしない事が、絶対に間違いない事になってしまう。

 

 

 今の私ですか? 父の後を継いで喫茶店ここで、皆さんの話を聞く生活もいいもんだと思っています。 

 貴女が言ってくれたように、目で会話が出来るなら、聞き役に徹しようかなとね、そう決めたんです。


 その香草茶、私のオリジナルブレンド1号です。妊婦にも安心な香草茶としてネットでも、徐々に売れ出してきているんです。

 ああ、ようやく笑ってくれましたね? 

 あの時期、私を気にかけてくれた貴女に、ぜひ、プレゼントしたくて。室長も間もなく来られるはずです。気に入ったなら今後もご贔屓にお願いします」


 (おしまい)


 

 

「わくらば」には偶然(邂逅)と、病葉という意味を含ませてみました。

集団の中でちょっと病んでいたお間抜けな「私」と、様々な偶然の積み重ね。

ご都合主義満載な小噺でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 邂逅ですね。淡々とあの日の自分を振り返る……。 淡々とした中に切なさがにじんでいます。 [気になる点] 一方で、見ようによって女々しい愚痴。 女の腐った奴(女性は腐りませんよ)です。 自分…
[一言] 執筆お疲れさまでした。 私も『人称』はよく分からなくて……そうか、これが二人称か。と思いました。 アザとーさんの作品で一人称などを面白く説明したものがいくつか有りますよ(^^)
[良い点] ・題名の通りの「わらくば」感 病的なにおいをヒシヒシと感じる語り口は迫力すら感じる。 [一言] シチュエーションは好みなのですが、多少状況把握に手間取った感はあります。私の読解力が問題なの…
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