馬の耳に粘物
『馬の耳に念仏』——何を言っても聞き流す頑固な愛馬・黒王に、村の長老・与作は頭を悩ませていた。
そんなある日、村の薬師が「どんな言いつけも素直に聞くようになる」という怪しげな秘薬を携えてやってくる。藁にもすがる思いで試した与作だったが、それが村中を巻き込む大騒動の幕開けになるとは知る由もなかった。
「馬の耳に念仏」ならぬ、『馬の耳に粘物』。
村の長老である与作は、生まれつき一言もしゃべらない愛馬「黒王」の頑固さに悩んでいた。何を言い聞かせても、耳をパタパタと動かすだけで、まるで念仏を聞く馬のように聞き流してしまうのだ。
「まったく、この馬の耳に念仏とはよく言ったもんだ。いくら言っても無駄じゃ」
ある日、村の薬師が不思議な噂を聞きつけて与作の家を訪れた。
「与作さん、念仏じゃ効かんが、物なら効くかもしれんぞ。いま『なんでも素直に聞くようになる』という秘伝の粘り気のある物体——『粘物』を持ってきたんじゃ」
薬師が取り出したのは、緑色でドロドロとした、強烈な納豆のような匂いを放つ謎のジェル状の物体だった。
「これを黒王の耳に塗るんじゃ。そうすれば耳の穴から脳に粘り強く成分が浸透して、どんな言い付けも素直に聞くようになる」
与作は半信半疑のまま、黒王の大きな耳の穴へ、その『粘物』を容赦なくぐにゅりと流し込んだ。
黒王の目が「な、なにすんだ!?」と言わんばかりにカッと見開かれた。プルプルと頭を振るが、粘物は耳の奥にしっかり張り付いて離れない。
「さあ黒王、わしの言葉を聞くんだ!『右へ曲がれ』!」
与作が叫ぶと、黒王は気持ち悪そうに耳をヒクヒクさせながら、渋々右へ曲がった。効果はてきめんだった。耳の中にへばりついた不快な『粘物』をどうにかして振り払おうと、与作の指示した方向へ全力で頭を動かすのだ。
「おお! すごいぞ! 本当に『馬の耳に粘物』で動いた!」
調子に乗った与作は、次々と指示を出した。
「次は左へ曲がれ!」
「もっと速く走れ!」
「その場で一回転しろ!」
しかし、あまりに粘物を気に病んだ黒王の動きは次第にエスカレートしていった。耳の中のドロドロを追い出したい一心で、狂ったように首を振り回し、前足でタップダンスを踊り、しまいには二足歩行でバックステップを踏み始めた。
「ちょ、ちょっと待て黒王! 急にそんなテクニカルな動きをされても乗っていらん……うわああぁぁ!」
与作を背中に乗せたまま、黒王はウインドミル(ブレイクダンスの技)のような回転を始め、最後はロケットのように村の溜め池へとダイブした。
ザブーン!
豪快な水煙が上がり、2人は池から這い上がった。
水で綺麗に『粘物』が洗い流された黒王は、すっきりした表情で「ヒヒーン(あーさっぱりした)」と晴れやかに鳴いた。
与作はびしょ濡れのまま、ハッと息をのんだ。
「……黒王、お前いま、生まれて初めて鳴いたか!?」
黒王は与作の顔をじっと見つめると、ゆっくりと口を開き、ぬるりと喋り出した。
「当たり前だろジジイ。耳にあんな不快なもの詰め込まれたら、誰だって声が出ちまうわ」
「喋ったー!?」
「いいか、今度あんな粘っこいもん耳に入れやがったら、次は俺がお前を溜め池に叩き込むからな」
こうして、馬の耳に粘物を入れた結果、馬は素直になるどころか、めちゃくちゃ口の悪い毒舌馬になったのだった。
【了】
本文
「馬の耳に念仏」ならぬ、『馬の耳に粘物』。
村の長老である与作は、生まれつき一言もしゃべらない愛馬「黒王」の頑固さに悩んでいた。何を言い聞かせても、耳をパタパタと動かすだけで、まるで念仏を聞く馬のように聞き流してしまうのだ。
「まったく、この馬の耳に念仏とはよく言ったもんだ。いくら言っても無駄じゃ」
ある日、村の薬師が不思議な噂を聞きつけて与作の家を訪れた。
「与作さん、念仏じゃ効かんが、物なら効くかもしれんぞ。いま『なんでも素直に聞くようになる』という秘伝の粘り気のある物体——『粘物ねんぶつ』を持ってきたんじゃ」
薬師が取り出したのは、緑色でドロドロとした、強烈な納豆のような匂いを放つ謎のジェル状の物体だった。
「これを黒王の耳に塗るんじゃ。そうすれば耳の穴から脳に粘り強く成分が浸透して、どんな言い付けも素直に聞くようになる」
与作は半信半疑のまま、黒王の大きな耳の穴へ、その『粘物』を容赦なくぐにゅりと流し込んだ。
黒王の目が「な、なにすんだ!?」と言わんばかりにカッと見開かれた。プルプルと頭を振るが、粘物は耳の奥にしっかり張り付いて離れない。
「さあ黒王、わしの言葉を聞くんだ!『右へ曲がれ』!」
与作が叫ぶと、黒王は気持ち悪そうに耳をヒクヒクさせながら、渋々右へ曲がった。効果はてきめんだった。耳の中にへばりついた不快な『粘物』をどうにかして振り払おうと、与作の指示した方向へ全力で頭を動かすのだ。
「おお! すごいぞ! 本当に『馬の耳に粘物』で動いた!」
調子に乗った与作は、次々と指示を出した。
「次は左へ曲がれ!」
「もっと速く走れ!」
「その場で一回転しろ!」
しかし、あまりに粘物を気に病んだ黒王の動きは次第にエスカレートしていった。耳の中のドロドロを追い出したい一心で、狂ったように首を振り回し、前足でタップダンスを踊り、しまいには二足歩行でバックステップを踏み始めた。
「ちょ、ちょっと待て黒王! 急にそんなテクニカルな動きをされても乗っていらん……うわああぁぁ!」
与作を背中に乗せたまま、黒王はウインドミル(ブレイクダンスの技)のような回転を始め、最後はロケットのように村の溜め池へとダイブした。
ザブーン!
豪快な水煙が上がり、2人は池から這い上がった。
水で綺麗に『粘物』が洗い流された黒王は、すっきりした表情で「ヒヒーン(あーさっぱりした)」と晴れやかに鳴いた。
与作はびしょ濡れのまま、ハッと息をのんだ。
「……黒王、お前いま、生まれて初めて鳴いたか!?」
黒王は与作の顔をじっと見つめると、ゆっくりと口を開き、ぬるりと喋り出した。
「当たり前だろジジイ。耳にあんな不快なもの詰め込まれたら、誰だって声が出ちまうわ」
「喋ったー!?」
「いいか、今度あんな粘っこいもん耳に入れやがったら、次は俺がお前を溜め池に叩き込むからな」
こうして、馬の耳に粘物を入れた結果、馬は素直になるどころか、めちゃくちゃ口の悪い毒舌馬になったのだった。




