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レッドタイズ-新東京府公安委員会-  作者: ガリアンデル
Phase:1
6/8

首吊り兎⑥

 その空間は、巨大な時計の墓場だった。

 ドーム状のホールの壁、床、そして天井に至るまで、大小様々な時計が埋め尽くしている。



 チクタク、チクタク。



 数千、数万の秒針が刻む音が、耳鳴りのように重なり合って轟いていた。



 その中心に、〈首吊り兎〉はいた。



 五メートルの巨躯を小刻みに震わせ、ホール内に吊り下げられた無数の時計を、眼球のないのっぺらぼうの顔面で凝視して回っている。



「……ン、あ、あ。コンマ5秒のズレ。許されない。修正、修正、修正修正シュウセイ……ッ!」

 兎の口から、テープの早回しのような声が漏れ出す。

 それは呪詛であり、同時に媚びへつらうような謝罪の言葉だった。



「申し訳ありません、直ちに! 昨日は出来ます、明日は終わってます! 私の睡眠時間を削れば、命を削れば、まだ間に合う! まだリテイクできる! だから首は、首だけはぁアアッ!!」



 怪物の絶叫と共に、一つの時計の針が〝12時〟に達した。



 ゴーン、と鐘が鳴る。



 同時に、漆黒の闇が広がる天井から、ズルリと「何か」が落ちてきた。


 首にロープを巻かれた、黒い人影だ。


 影はビクリと痙攣し、そのまま動かなくなる。


 それが一つではない。


 12時を迎えた時計の数だけ、ボト、ボト、ボトと、使い潰された社員(ゴミ)を捨てるように、首吊り死体が降り注ぐ。



「……なるほどね」

 アリスが冷めた目で見上げ、つぶやいた。



「この人、きっと『納期』か『締め切り』に殺されたんだね。遅れたら死ぬ。間に合わなければ殺される。そんな強迫観念が、自分の時間を永遠に監視させてるんだ」



 最上は、兎の顔面に埋め込まれた巨大な時計盤を見た。



 針は、11時59分50秒を指している。

 あと10秒足らずで、奴自身も時間切れ(・・・・)を迎える。



 現実世界が消し飛ぶまでのカウントダウンと同期しているのだ。



「――ッ! 貴様らァア!!」

 侵入者に気づいた〈首吊り兎〉が、ばちり、と顔面の時計の針を二人に向けて固定した。



「泥棒だ! 時間泥棒だ! 私の『秒針』を盗みに来たな!? 返せ! その無駄に脈打つ心臓を止めて、私の余命(スケジュール)に還元しろぉオオオ!!」



 長い耳が鞭のようにしなり、空間そのものを切り裂きながら襲いかかってくる。



 梁人は反射的に横へ飛び、『ヴォーパル・カリキュラス』を構えた。



 狙いは奴の顔面、時計の中心にある核。



 だが――



「速いッ!」



 兎がブレるように加速した。



 巨体に似合わぬ俊敏さで、梁人の射線から逃れる。



 本能的に悟っているのだ。あの銃口から放たれる「論理」こそが、自分の存在を否定する猛毒であると。



「アリス! 動きを止めろ!」



「やーだ」

 アリスはふわりと空中に退避し、くすくすと笑った。



「だって、必死に走ってるウサギさんを転ばせるなんて可哀想じゃん。それに、梁人の『アレ』……久しぶりに見たいな」



 こいつ。

 梁人は奥歯を噛み締めた。



 彼女は協力者ではない。あくまで観測者だ。



 秒針が進む。兎の時計が12時に近づく。



 狙いが定まらないまま撃てば外す。外せば次弾装填の時間はない。



(……やるしかないか)



 最上は覚悟を決め、銃を握っていない左手を虚空にかざした。



 精神の最深部、漂白されても決して消えない彼自身の「本質」を引き抜く。



「――〈死神の鎌の柄ワンズ・オブ・ハーミット〉」



 ズズッ、と空間が歪んだ。



 最上の左手に、漆黒の「棒」が出現する。



 長さは1メートルほど。材質は木でも鉄でもなく、光を一切反射しない暗黒物質。



 表面には、人間の視覚では理解不能な幾何学模様がびっしりと刻まれている。



 それは、この精神世界においても異物。



 最上梁人という人間にのみ許された、他者に〈死〉という概念を強制執行する権能の具現化。



 彼は鎌の「刃」を持たない。振るうのは「柄」だけ。



 だが、それで十分だ。



 最上は、暴れまわる兎を〈死神の鎌の柄〉で指し示した。



 そして、厳かに〈警告(エピグラム)〉を宣告する。



「汝が死を忘れても、死は汝を忘れないだろう」



 ピタリ、と。

 世界から音が消えた。



 高速で動き回っていた〈首吊り兎〉が、空中で凍りついたように静止する。



 物理的な拘束ではない。



 「死」という絶対的な終焉を突きつけられ、その恐怖と認識によって、精神活動そのものが停止させられたのだ。



 完全に無防備になった怪物の目の前に、最上は躍り出た。



 右手の『ヴォーパル・カリキュラス』の銃口を、動けない兎の顔面(時計)に押し当てる。



 銃身が眩い光を放ち、シリンダー内の全弾薬(ロジック)が融合し、臨界点へ達する。



「証明、終了」

 引き金を引いた。



 積分砲撃(インテグラル)



 カィィィィンッ――!!



 高周波の音と共に、青白い光の奔流が怪物を貫いた。



 肉が弾けるのではない。



 怪物の存在を構成する数式が「0」へと収束し、ガラス細工のように粉々に砕け散っていく。



 時計も、ロープも、落ちてくる死体も、全てが光の粒子となって霧散した。



 静寂が戻る。



 最上は荒い息を吐きながら、掲示板のカウントダウンを見上げた。



 赤く明滅する数字が、そこで止まっていた。



 『残り 01』



 ギリギリの生還。



 最上の手から〈死神の鎌の柄〉が黒い霧となって消え、彼はその場に膝をついた。

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