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レッドタイズ-新東京府公安委員会-  作者: ガリアンデル
Phase:1
4/8

首吊り兎④

 そこは、迷宮の「中心」だった。

 新宿副都心の中でも最も高く、そして最も病的なビル。



 外壁が見えないほど無数のロープが巻き付き、まるで巨大な繭のようになっているその建物へ、最上とアリスは足を踏み入れた。



「うわぁ。めちゃくちゃ」

 アリスが楽しげに呟く。



 エントランスを抜けた先、アトリウムの空間構造は完全に破綻していた。



 エッシャーの騙し絵の如く、階段が天井に向かって伸び、廊下が垂直に交差している。

 上下左右のパラダイムが消失した空間。

 重力は区画ごとにデタラメに働き、天井を歩く「影」たちのスカートやネクタイが、あべこべの方向へ垂れ下がっている。



「……吐き気がするな」

 最上は三半規管を襲う眩暈を、精神的なタフネスだけでねじ伏せた。



 靴底の感触を頼りに、壁面――いや、今の彼にとっては床となっている側面を走る。



 チャキ、と金属音が響く。



 最上は走りながら『ヴォーパル・カリキュラス』のシリンダーを確認した。



 装填されているのは、道中で回収した三発の〈論理断片〉。



(最大装填数六発に対し、現在三発。……半分だ)


 〈積分砲撃(インテグラル)〉を放つには、弾丸が足りない。



 だが、これ以上探索に時間を割けば、ジリ貧になるのは目に見えていた。



 二人は、ビルの大動脈と思しき長い通路へと出た。



 そこは、壁一面が金融街のような電光掲示板で埋め尽くされた回廊だった。



 本来なら株価やニュースが流れるはずのLED画面に、意味不明な文字列が高速で流れている。



 『死にたくない』『誰か見て』『私はここにいる』



 〈首吊り兎〉の元となった人間の、承認欲求と恐怖の残滓だ。



 その時だった。



 ザザザッ! と激しいノイズが走り、すべての掲示板の文字が、赤一色に塗り替えられた。



 『急げ』

 『ゆりかご崩壊まで、あと120秒』

 『新宿消失』

 『仕事をしろ、能無し』



 無機質なデジタルフォントの羅列。

 だが、その文面には明確な〝意志〟と、聞き覚えのある冷徹な響きが宿っていた。



「……天村か」

 最上は忌々しげに舌打ちをした。



 現実世界からの通信が、この精神世界にあるオブジェクトへ干渉し、視覚情報として変換されているのだ。



 あの上司は、部下の夢の中にまで命令を出してくるらしい。



「あはは! 眼鏡のおじさんが怒ってるよ! 『あとひゃくにじゅうびょう』だって!」

 重力無視で宙を泳ぐアリスが、掲示板を指差して笑う。



「ねえ梁人。百二十秒過ぎたらどうなるの? ここ、消えちゃう?」



「ああ。現実の肉体が原子レベルで分解されれば、俺たちの意識も帰る場所を失う。……永遠にこのクソ溜めに閉じ込められるってわけだ」



 最上は足を止めず、加速した。



 慎重な索敵はここまでだ。

 なりふり構っている時間はない。



「アリス、先行しろ! 一番『深い』場所へ案内しろ!」



「りょーかい! ジェットコースターみたいにしてあげる!」



 アリスが空中で一回転し、通路の奥へ向かって矢のように直進する。



 最上もまた、全速力でその後を追った。



 行く手を阻むように、通路の壁から無数の「白い腕」が生え、巨大な兎の耳のような触手が襲いかかってくる。



 だが、最上は止まらない。



「邪魔だッ!」

 躊躇なく引き金を引く。



 一発目。

 『ヴォーパル・カリキュラス』から放たれた幾何学的な平面波が、迫りくる触手の群れを豆腐のように切断し、道を抉じ開ける。



(残り二発。……足りない分は、核から奪い取る!)



 掲示板のカウントダウンが、無慈悲に減っていく。



 『残り 110』

 『残り 109』



 赤く染まる電脳回廊を、黒いスーツの死神と白い幽霊が駆け抜ける。



 目指すは最上階――あるいは最下層。



 この狂った時計仕掛けの迷宮の、心臓部だ。

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