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レッドタイズ-新東京府公安委員会-  作者: ガリアンデル
Phase:1
3/8

首吊り兎③

 新東京府公安局、地下司令室〈ラビリンス・ゲート〉。



 無機質な電子音と、張り詰めた怒号が飛び交うその場所で、一人の男だけが彫像のように静止していた。



 特務課課長、〈天村〉。

 白髪交じりの髪をオールバックに撫で付け、神経質そうな縁なし眼鏡をかけた中年男だ。



 彼は腕を組み、眼前の巨大モニターに映し出される地獄(・・)を見上げている。



『D班、全滅! フィルター反応ありません! 全員、即死です!』



『新宿中央公園の重力歪曲域、拡大! 避難誘導が間に合いません、このままでは民間人が……ッ!』



『〈犯人〉の進行ルート上に、高層マンションがあります!』



 オペレーターたちの報告は、報告というよりも悲鳴に近かった。



 天村は眉一つ動かさず、指揮杖のように指を一振りした。



「D班の生存信号(バイタル)を切れ。モニターの無駄だ。E班を前に出せ」



「し、しかしE班は現着したばかりで……!」



「だからだ。フィルターが新品(フル)の肉壁が必要だ。行かせろ」



「……ッ、了解!」



 冷徹な命令。

 天村にとって、現場で戦う機動隊員〈サイコフィジター〉たちは、人間ではなく「耐久値」を持った消耗品に過ぎない。



 彼の仕事は、予算を管理するように、部下の命を適切にすり潰して時間を稼ぐことだ。



 天村の視線が、モニターの隅、ワイプ画面に向けられる。



 そこには、現実世界で暴れる〈首吊り兎〉の姿があった。



 全長五メートルの巨大な兎の縫いぐるみ。その顔の時計盤が、不気味に回転している。



 怪物が腕を振るうたび、周囲の重力が反転し、建物が引き千切られ、人間が空へと「落下」していく。空中で首をへし折られ、見えない紐で吊るされた死体が、ビルの谷間にシャンデリアのように増えていく。



「……趣味が悪い。相変わらず、精神犯罪者の無意識というのは反吐が出るな」

 天村は独りごちて、手元のコンソールを操作した。



 表示させたのは、司令室の中央で眠る二人のバイタルデータだ。



 接続椅子に拘束された特務捜査官・最上梁人と、クローンのアリス。



 【潜行深度: レベル3 - 深層】

 【精神汚染度: 低】



「最上の様子は?」

 天村が短く問う。



 専属の医療オペレーターが、脂汗を浮かべながら答えた。



「現時点では安定しています。ただ、心拍数が異常に高い。……おそらく、ダイブ直後から『戦闘』に入っています」



弾丸(リソース)が無い状態での接敵か。相変わらず綱渡りだな」



「課長、これ以上の長期戦は危険です。最上の精神は、前回の漂白(ブリーチ)の影響で、これ以上削れる余地がありません。もし汚染が臨界を超えれば、彼は帰って来られなくなります」



 帰って来られない。

 それは死を意味しない。



 最上梁人という強力な捜査官が、新たな「怪物」へと変貌し、この司令室の真ん中で覚醒することを意味する。



「構わん」

 天村は冷たく言い放った。



「彼が壊れたら、廃棄して次を作るだけだ。……もっとも、あの『アリス』を御せる適合者が、そう簡単に見つかるとは思えんがな」



 天村は眼鏡の位置を直しながら、ガラス越しに眠る最上の横顔を見下ろした。



 かつて優秀な捜査官だった青年。

 今は復讐心だけで動く、精巧な殺人機械。



 それを作り上げたのは、他ならぬ天村自身であり、この公安局というシステムそのものだ。



『――ッ! 課長! 現場より緊急入電!』



 オペレーターの絶叫が、天村の思考を遮った。



 メインモニターの映像が赤く明滅する。



『〈犯人〉の挙動が変化! 重力波の周波数が変わります! こ、これは……広域殲滅振動!?』



『推定被害範囲、半径二キロメートル! 新宿が消し飛びます!』



 画面の中で、〈首吊り兎〉がその長い耳を天に突き上げ、顔面の時計の針を高速で逆回転させ始めた。



「……奴は時限爆弾だったという事か」

 天村は画面に映る兎の顔面の時計を見て呟く。



 周囲の空間がガラスのようにひび割れていく。

 物理攻撃無効の怪物による、タメ動作なしの大技。



 現場のサイコフィジター部隊では止められない。

 止められるのは、精神世界からの干渉だけだ。



 天村はマイクのスイッチを入れた。



 その声は、相変わらず氷のように冷静だったが、わずかに熱を帯びていた。



「最上、聞こえているか。……急げ。お前の『ゆりかご』が吹き飛ぶまで、あと百二十秒だ」



 彼は知っている。

 精神世界にいる最上には、この現実の声が「天候の変化」や「直感」として届くことを。



 天村は、懐中時計を取り出し、秒針を見つめた。



「時間を計るぞ。――始めろ」

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