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第14話 聖環への道



 アストリアを発ってから、三日が経った。

 廃都の影は遠ざかり、見渡す限りの草原が広がっていた。

 朝霧が薄く漂い、陽が昇るたびに、世界が少しずつ色を取り戻していく。


 ルゥは背中の荷を整え、アインに歩調を合わせた。

「ねえ、聖環セイカンって、どんな場所なの?」

 アインは少し考え込んだ後、首を横に振る。

「正直、わからない。でも父さんが“世界の核に近い場所”って言ってた。

 神々が掟を刻んだ地……進化の封印が始まった場所らしい」


 風が吹き抜ける。

 草原の波が、光に揺れている。


「そこに、父さんの答えがある」

「……でも危険だよね」

「ああ。きっと“神の使徒”が守ってる」


 ルゥは唇を噛んだ。

 拒絶体でも監視者でもない、神に直接仕える存在。

 それが“使徒”と呼ばれる者たちだ。


「ねぇアイン」

「ん?」

「セリウム……もう一度会えると思う?」

 その問いに、アインは少し歩みを止めた。


「たぶん、会える。

 でも、戦うことになるかもしれない」

「……それでも、いい。だって、あの人、泣いてたから」


 ルゥの言葉に、アインははっとした。

 あの夜の光景が脳裏によみがえる。

 廃都の空の下、セリウムの仮面の奥を流れた一筋の涙――あれは確かに、人のものだった。


「もしかしたら、父さんが言ってた“選択”って、セリウムのことなのかもしれない」

「うん。……神と人の間にいる、誰かの選択」


 二人は黙って歩いた。

 空にはまだ雲が多く、陽光は薄い。

 けれどその下を進む彼らの影だけは、確かに未来へ伸びていた。


 ――その頃。


 黒い空間の中で、セリウムは静かに膝をついていた。

 周囲に浮かぶ無数の光の輪。それは“観測領域”と呼ばれる、神々の監視空間だった。


 彼の背後に、無機質な声が響く。


『セリウム第零号、報告を』


 セリウムは目を開けた。

 仮面の奥の瞳が、淡く銀色に光る。


「対象アイン・レーヴァン、活動再開。

 進化因子の制御は未完成。暴走率37%。

 同行者ルゥ=ベラ族、情動抑制により安定。現在、南方へ移動中」


『了解。追跡を続けよ』


 ――だが、その声には、かすかな濁りがあった。


『セリウム。君の観測ログに“感情干渉”が確認されている』

「否定する」

『否定は不要だ。記録は真実を示す。

 君の神経網には“共感反応”が発生している。なぜだ?』


 セリウムは沈黙した。

 指先が微かに震える。

 それを悟られまいと、拳を握りしめた。


「……理解不能。観測の誤差だ」

『誤差ではない。君は人間の記憶を保持している』

「記憶など――もうない」


 だが、その言葉の裏で、彼の中に映像が揺れた。

 光の中で、青年と肩を並べて笑っていた記憶。

 父、レイ・レーヴァン。


 あの日、彼を処理した瞬間の記憶が、今も脳裏にこびりついている。


『セリウム。君は“再進化”の兆候を示している』

「進化……?」

『監視者の理から外れつつある。

 もしそれが事実なら、君もまた“掟の敵”だ』


 空間の光が一瞬、鋭く閃いた。

 警告音が響く。


 セリウムは目を伏せ、静かに立ち上がる。

「……掟に従う」

『では、アイン・レーヴァンを排除せよ。

 彼が進化の連鎖を起こす前に』


 沈黙。

 次の瞬間、セリウムは翼を広げた。

 銀の羽が空間に散り、光が弾ける。


 その瞳に、かすかな痛みが宿っていた。


「レイ……。

 もし、お前の言葉が真実なら――

 私は、なぜ涙を流す?」


 その言葉は誰にも届かない。

 ただ、虚空に散る光の羽だけが、答えるように揺れた。


 ――一方その頃、アインたちは山間の小道に差しかかっていた。


 緑深い渓谷を抜け、苔むした石橋を渡る。

 鳥の声と、水の音が交じる。

 長旅の疲れが少しずつ滲んでいた。


「ねえアイン、ちょっと休もうよ」

「うん……そうだな」


 二人は橋の袂に腰を下ろした。

 ルゥが背中の袋を開け、干し果実を取り出す。


「……ねぇ、これ、父さんが作ったんでしょ?」

「そう。旅の保存食」

「優しい人だったんだね」

 アインは黙って頷いた。


「父さんは、いつも言ってた。

 “世界は変えようとしなければ、変わらない。

 でも、変えようとする者が必ずしも正しいとは限らない”って」


 ルゥはしばらく考えて、微笑んだ。

「だからアインは、ちゃんと考える人なんだね」


 その言葉に、アインは少し照れたように笑う。

 だがその笑みの奥には、不安が隠せなかった。


(俺は……正しいのか?)


 風がまた吹く。

 その風の中で、かすかな羽音が混じった。

 ルゥが顔を上げる。


「……聞こえた?」

「ああ」


 空を見上げると、雲の切れ間に、銀の光がひとつ。

 それは、まるで鳥のように旋回しながら、遠くで消えていった。


 アインの胸の奥がざわめく。

 それは恐怖ではなかった。

 懐かしさにも似た、奇妙な感覚だった。


「セリウム……」

 小さく呟く。

 ルゥが不安そうに見上げた。


「追ってきてるのかな」

「……かもしれない」

「でも、もう逃げないよね」

「ああ。逃げない」


 アインは立ち上がり、まっすぐ前を見た。

 山の向こうに、巨大な光の柱が見える。

 天と地を貫くような、蒼白い光。


「――あれが、聖環だ」


 その光景を前にして、二人の旅は新たな段階へと踏み出す。

 だがその背後で、銀の羽がひとつ、音もなく落ちていった。

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