第2章 ラゼルの魔法【3】
いつも通りの穏やかな昼下がり。ラゼルとアラベルは相変わらず書籍室でのんびりと過ごしていた。ラゼルにも、こうしている時間が一番に落ち着くようだった。同席するジークハイドも、相変わらずシベリアの空気を纏っているのだが。
「魔力回路を意識してみるといいかもしれないよ」
ラゼルが魔法について助言を求めると、アラベルは考えるようにしながた言った。
「魔力回路?」
「人間の中には、血管のように魔力が流れて張り巡らされているんだ。それが魔力回路だよ」
妹の設定語りでは聞いたことがない単語だ。妹が重要視していなかったのかもしれないが、ゲーム上では明記されていない設定もあるのかもしれない。制作陣内では存在した設定、というような話もよく聞くことだ。
「魔力回路すら知らないとは」
ジークハイドは冷ややかな視線をラゼルに向ける。おそらく、魔法を使う者にとっては当然の知識なのだろう。ラゼルは苦笑いを浮かべつつ、アラベルに続きを促した。
「魔力の流れを意識すれば、放出量を調整できるよ。自分の中の魔力の流れを掴むところからかもしれないね」
「なるほど……。意識したことないけど、できるかな」
ラゼルは“意識したことない”どころか、以前は魔力すら持っていなかった。当然、魔法を使った経験などない。ラゼルが特訓で毎度、爆発的な魔法を生み出している。それもそのはず。ラゼルの前世の世界には魔法など存在しなかったのだ。
「魔力は集中すれば感じ取れると思う。血流とは違う流れが体の中にあるはずだよ」
「そっか……。やってみるよ。ありがとう」
アラベルの微笑みは警戒心が薄くなったように見える。ラゼルがアラベルを虐げることはないと、確信し始めているのかもしれない。ラゼルはそれに合わせて、ジークハイドも徐々に警戒心を解き始めているような気がしていた。まだ心を開くには程遠いのだろうが。
湯浴みを済ませベッドに入ると、ラゼルは仰向けになって自分の体の中に意識を集中させた。なんとなく、血流とは違う温かいものが流れているように感じる。ラゼル・キールストラには魔法の知識はあるはずで、自身の魔力を感じ取るくらいの能力はあるようだ。
(このまま目を閉じていると、そのまま寝てしまう、なんて古典的な展開があるわけ……――)
(あるんだよな、これが)
気付いたときには朝陽が昇り、カーテンの隙間から広い室内を照らしている。魔力回路の存在が掴めたかどうか、その結果すらわからないという中途半端な結末となった。
朝食の席に着くと、ラゼルはさっそく白状するつもりでアラベルに言った。
「寝る前に魔力の流れを探ってみたよ」
「どうだった?」
「快眠だった……」
「……そっか……」
アラベルはなんとも言えない表情をしている。そうなることがわかりきっていたような、はたまた呆れたような。きっとどちらもだとラゼルは思う。そうなると思っていたが本当にそうなるとは、といったところだろう。
「魔力の調整は、魔法を使っていくうちに掴めるよ。練習すれば身に付くと思う」
「そう……。頑張るよ」
優秀な魔法使い一族の名門キールストラ公爵家の血筋である以上、おそらくアラベルもラゼルより魔法が上手く使えるだろう。それは当然と言える。ラゼルは魔法を使ったことがないし、ラゼルは授業をボイコットしてまで魔法を使わないようにしていた。アラベルより未熟であることは間違いないだろう。せめてラゼル・キールストラが練習だけでもしてくれていれば話は変わったはずなのだが。
朝食を終えると、ラゼルはさっそく練習場に出た。もうすぐ王立魔道学院での生活が再開される。授業には真面目に出なければならない。魔力の調整くらいできるようになっておかなければついて行けないだろう。
ひとまず魔力の流れを掴むところからだ。魔力の存在はなんとなく感知することもできたし、あとは魔力の比重を意識するだけである。
五十メートル先の的を見据えつつ、体の中の魔力を感じながら目を瞑る。魔力の流れを意識して、それを放出する際のイメージを頭に浮かべた。
見知った景色で例え、川が下流に向かうほど細くなっていく光景を思い浮かべる。水流は細くならなければ水門を通れない。水門と魔法を置き換え、集中させた魔力を最適な量で放出する――。
「いたっ」
左肩に手刀が落とされるので、ラゼルは思わず声を上げた。何事かと振り向くと、ジークハイドが小さな攻撃をして来たようだ。
「なんですか!?」
「隙だらけだな」
「練習中なんだから隙だらけで当たり前じゃないですか!」
これが実戦であれば危険な隙になるが、練習中は集中せざるを得ない。そうしなければ、ラゼルはまだ魔力を操作できないのだ。
それにしても、とラゼルは考える。こうしてジークハイドが邪魔をして来るとは思っていなかった。ラゼルにはまったく関心がないと思っていたが、そうではなかったらしい。
「まさかそこまでできないとはな。できないからサボっていたのか?」
「サボるからできなくなったんです。血筋としてはもっと上手くできるはずなんですから」
生粋のキールストラ公爵家の血筋であるジークハイドとアラベルには敵わないだろうが、ラゼルにも半分はその血が流れている。ラゼルとしては申し訳ないことに、実母の血筋がどれほどの魔法使いだったかは覚えていない。それでも、半分でもキールストラ公爵家の血が流れていれば、本来ならもっと巧みに魔力を操れたはずだ。
ラゼルがまた練習に戻ろうとすると、ジークハイドがラゼルの左肩に手を置く。その手のひらから、何か温かいものが体の中に流れ込んで来るのを感じた。
「魔力の流れを感じ取れ」
ジークハイドの手を介して、ラゼルの体内を魔力が循環する。意識を集中させると、流れの規則性が見えてきたような気がした。
「魔法を放出する寸前、出力を抑えることをイメージすればいい」
「ホースで水を撒くときに口を指で窄める感じですね」
「まあそれでもいいが」
ジークハイドが何を不服に思っているのかはわからないが、ラゼルにはそうイメージするとなんとなくわかりやすい。ジークハイドのサポートを頼りに氷槍を発動する。地面を抉るほどの威力は出なくなったが、まだ的を大破させてしまうほどの激しい一撃だった。
「まだ出力が高いな。いまので五割程度だ」
「これで五割……」
いまでもかなり抑制したつもりだったのだが、とラゼルは考える。操作感がまったく足りていないらしい。前世の世界には魔法どころか「魔法に似たもの」すらなかった。体から自発的に放出するもので、目に見えない念とはまた話が違う。魔法は到達した瞬間に物理的な力となる。同じ物理でも打撃とはまったく異なるのだから、ラゼルにはこの短期間で掴むのは不可能ではないかとすら思ってしまう。
「だが、これである程度はわかっただろ。あとは勝手にやってくれ」
「はい。忙しいのにありがとうございます」
ラゼルが微笑みかけると、ジークハイドの眉が微かに震えた気がした。
「屋敷を破壊されても困るからだ」
素っ気なく言い放ち、ジークハイドは屋敷へ戻って行く。
(案外、ツンデレタイプなのかもしれないなあ)
ジークハイドがどう思っているとしても、助言してもらえるのはラゼルにはありがたいことだ。そうでなければ、五割にすら到達しなかっただろう。魔力の絞り方はなんとなくわかったような気がする。あとはひたすら練習するしかないだろう。
それにしても、とラゼルは溜め息を落とす。ラゼル・キールストラの肉体を使っているのにここまでできないとは。いまは精神が違うが、体に染みついた感覚でもっと使えると思っていた。ラゼルが魔法を上手く扱えなくてもジークハイドとアラベルが怪しむ様子はない。ラゼルはよほど魔法を嫌っていたようだ。
ラゼルはキールストラ家を嫌っていたように思う。なんとなくその感覚が残っている。だから魔法を使わなかったのかもしれない。その鬱憤を晴らすためにアラベルを虐げていたのではないだろうか。将来的に父と義母を殺すのも、何か恨みのような気持ちがあるのだろうか。
ジークハイドはそれに気付いていたのかもしれない。警戒していたのは、そのためだったのだろう。その通りだとすれば勘が鋭すぎるように思えるが、あの洞察力の高そうな視線はなんでも見抜いてしまうような、そんな気がした。




