第2章 ラゼルの魔法【2】
そろそろ昼食に呼ばれようかという頃、ラゼルの私室のドアがノックされた。どうぞ、とラゼルが声をかけると、メイソンが顔を出す。
「ラゼル様。お手紙が届いております」
「手紙?」
メイソンが差し出したのは、ピンク色を基調にした花の模様が書かれた可愛らしい封筒だった。送り主を見ると丸文字で「オースティン伯爵領 首都三番街 リーネ・トライトン」と書かれている。
(リーネ・トライトン……って、誰だっけ? 名前からして女の人だろうけど、まったく心当たりがないな……)
首を傾げつつ、封を開く。一般的な便箋に可愛らしい字で残暑の挨拶が書かれている。夏の休暇をどう過ごしているか、それから、休暇明けに会えるのを楽しみにしている、という旨の文章が記されていた。王立魔道学院の生徒のようだが、名前にまったく覚えがない。ラゼル・キールストラには興味がなかったのだろう。
(もしかして……ヒロイン?)
入学式から夏季休暇に入るまでのあいだ、学年の違うジークハイドとアラベルにも認識されるほど絡まれていたらしい。やはりラゼル・キールストラを攻略しようとしているのだろうか、とラゼルは首を捻る。どう考えると、ラゼルと同じ転生者である可能性が高くなったように思う。そうでなければ、ラゼル・キールストラが攻略対象のひとりだと知らないはずだ。ラゼルは二年生で、ヒロインは入学したての一年生。入学してすぐ一目惚れしたとしても、夏季休暇までのあいだにそんなに頻繁に絡むのは積極的すぎる。ラゼルにはそういう女性を否定するつもりはないが、大胆すぎるように思えた。
ラゼルには、自分を攻略する目的はよくわからなかった。ラゼル・キールストラは呪いの悪役令息で、攻略したとしても破滅の結末を迎えることは変わりない。転生者だとしたら、ラゼルを破滅させない方法を知っているのだろうか。それとも、隠し攻略対象を攻略した満足感のためだけなのだろうか。
リーネ・トライトン、と考えてみても、顔がまったく思い浮かばない。ラゼル・キールストラは本当に心から興味がなかったようだ。夏の休暇が終わるまで気になり続けるしかないようだ。
* * *
夏季休暇もそろそろ終わりを迎えようとしている。他の攻略対象とヒロインに会う機会が学院に戻ることで増えれば、いまのラゼルが本当に悪役令息ラゼル・キールストラと別人になったという確信を持てるようになるのかもしれない。
秋の空気が混ざりつつある風の中、ラゼルは屋敷の裏庭に立った。アラベルとともに魔法学の勉強を続けていたが、まだラゼルの魔法を試していなかった。王立魔道学院に戻る前に、自分の魔法の力を確認しておく必要があった。
キールストラ公爵邸の裏には小さな演習場があり、簡単な魔法の練習ができる。魔法一族として成り立って来たからこその構造だ。
演習場には的が設置されている。今回、試してみようと考えているのは攻撃魔法「氷槍」だ。その名の通り、氷を槍にして攻撃する魔法で、難易度はそれほど高くない。まずは簡単な魔法から試していくのが安全だろう。
的から五十メートルほど離れ、頭の中で氷の槍を降らせるイメージを固める。そうして振り上げた手に合わせて降り注いだ槍が、爆音とともに地面を抉った。
さすが破滅を招く呪いの悪役令息、とラゼルは自分で引いていた。キールストラ家の血筋も相俟って、凄まじく膨大な魔力量だ。この魔力の調整が上手くいかないうちは、全力で魔法を使用するのはかなり危険のようだ。
「何をしているんだ」
呆れた声に振り向くと、ジークハイドが裏庭に出て来るところだった。先ほどの轟音を聞いて様子を見に来たようだ。
「学院生活が再開される前に、自分の魔法の力を試しておきたかったんです」
素直に話したラゼルに、ジークハイドは目を細める。
「お前は魔法実習の授業もサボるくらい魔法を使っていないからな。魔法を極力、使わないようにしていただろう。だから魔力調整が下手でもおかしくはないな」
ゲームでは授業の詳細は語られていなかったが、どうやらラゼルはサボり魔だったようだ。優秀な血筋を持っていたとしても、魔法は訓練しなければ上達しない。極力、魔法を使わないようにしていたのなら、確かにジークハイドの言う通り、魔法がまともに使えなくてもおかしくはないだろう。
「そんな調子では怪我人を出す。自分の中の魔力をすべて集中させるからそうなるんだ」
「確かに、全力で打ってました……」
「お前の魔力量なら、三割程度の出力でもいいくらいだ」
そもそもラゼルは、自分の魔力値を把握していない。三割程度と言われても想像がつかなかった。まずは自分の能力値を確認するところから始めなければならないようだ。
「……僕は、呪いの子という陰口を実力で黙らせようとは思っていないんです」
「そうだろうな。言われても気にしてないだろ」
陰口や悪口は「言いたいやつには言わせとけ」の精神でいるため、言われていたとしてもあまり気にしていない。ラゼルの「呪いの子」は、境遇と外見によって囁かれる陰口でしかない。現時点で破滅を招くことはないのだから、言われていても特に弊害はないだろう。
「でも、僕がまともに魔法を使わなければ、陰口は『キールストラ家の呪いの子は魔法をまともに使えない出来損ない』に発展します。キールストラ家にとって最悪の陰口です」
キールストラ公爵家は優秀な魔法使いの血筋だ。それを活かすことで成り立ってきた。しかし、ラゼルが魔法をまともに使えないとなると、その歴史に傷ができることになる。庶子であることは言い訳にはならない。キールストラ家の人間である以上、完璧とまでは言わずとも、魔法を使えるようにならなければいけないのだ。
「だから、魔法の練習を頑張ってみようと思うんです。家名のために」
胡散臭かったかな、と考えていると、ジークハイドは小さく息をつく。
「被害を出さないために見張らせてもらう。怪我人を出されたり屋敷を破壊されたりしたら困る」
ラゼルにとっては意外な言葉だったが、もしかしたらこれをきっかけにジークハイドと仲良くなる好機かもしれない。ジークハイドは優秀な魔法使いに違いない。見張りついでに教えてもらえば、良好な関係を築く第一歩になるかもしれない。ジークハイドが教えようという気になるかはわからないが、接点を増やすことが大切だ。アラベルをいじめなくなったことで、ほんの少しだけ警戒心が薄くなったようにも感じている。ラゼルには、この機会を逃す手はなかった。
「魔力の出力を三割に抑えてやってみろ」
ジークハイドの言葉に従い、ラゼルはまた指先に意識を集中させる。この時間も短縮できれば、いざというとき魔法を放つのが早くなるだろう。そうなるのが理想的である。
とにかくいまは、魔力の出力を抑えることだ。ジークハイドに見張られていることで少し緊張はするが、慣れたら気にならなくなるはずだ。
ラゼルは意識の集中を解き、的に向けて氷槍を発動する。しかしそれはまた爆発的な威力となり、地面を深く抉った。それでも、さっきよりはまともになった気がする。
「魔法のセンスがないようだ。実習をサボって正解かもしれないな」
ジークハイドが冷たく言い放った。そんなに言わなくてもいいのに、と心の中で呟いた。しょんぼりと肩を落とすラゼルも、ジークハイドは意に介さない。でも、とラゼルは顔を上げる。
「でも、いずれ必要になるときがあるはずです。自分の身を守るためにも……」
もしかしたら、ヒロインがラゼルを破滅させるために攻略しようとして来ることもあるかもしれない。ラゼルには破滅の運命しか存在していない。それを楽しむヒロインの可能性もまったくないとは言えないだろう。
「身を守るため?」
ジークハイドが眉をひそめる。ラゼルはハッとして首を振った。独り言のようなものだったが、ジークハイドには伝わらない話した。
「いえ、なんでもないです」
平和で治安の良いこの街で、身を守る手段が必要になるほど危険な目に遭うことはそうそうない。それこそ、破滅の運命にある人間でなければ。だが、いまはまだ、その芽は出ていない。だが、その時は必ず来る。その理由は隠しておく必要があるが、魔法を完全なものにすることが、いまのラゼルには必要だった。




