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第1章 物語の始まり【2】

 朝食を終えると、ラゼルはアラベルとともに一階の端に向かった。キールストラ公爵邸には書籍室の他に書庫とそれぞれの書斎がある。書庫は古い本や資料を保管しておく場所で、それぞれの書斎は仕事に使われているらしい。ラゼルとアラベルには書斎はないようだ。

 アラベルの案内で書籍室に足を踏み入れたラゼルは、あまりの広さに絶句してしまう。想像していた書籍室の三倍は広く、整然と立ち並んだ本棚には端から端まで本が詰め込まれている。図書館のようにインデックスになっていればよかったのだが、公爵邸とは言え個人の所有する書籍室。そんな親切設計にはなっていないようだ。

「この中から探さなくちゃならないのか……」

 溜め息とともに呟いたラゼルに、アラベルが遠慮がちに口を開く。

「えっと、何を探してるの……?」

「魔法学の参考書を読みたいんだ。そうだ、よかったらアラベルのおすすめを教えてもらえない?」

 我ながら良い案だとラゼルは思う。オタクは推しを問われると活き活きと語り始めるものである。アラベルも魔法学を熟知しているのなら、きっと良い一冊を選び出してくれるはずだ。

「わかった……ちょっと待ってて」

 アラベルは足早に書籍室の奥に入って行く。魔法学の参考書がある場所を把握しているようだ。

 そこでふと、僅かに残ったラゼル・キールストラの記憶から、ある魔法が思い浮かんだ。この世界には「報せ鳥」という、魔力を消費せずに使用できる伝達魔法がある。伝書鳩のようなもので、離れた場所から言付けを出すことができるのだ。

(アラベルがジークハイドに助けを求めるのは簡単なことなんだよな……)

 ジークハイドは、ラゼル・キールストラの狂気性に気付いている。アラベルからの救助要請を受け取れば、きっと飛んで来ることだろう。

 微かに感じていた不安は、数分で消え去った。数冊の本を抱えたアラベルが、ほんの少しだけ頬を紅潮して戻って来る。三冊の参考書が机に並べられた。

「これが基礎の参考書で、これが通説の参考書。こっちが新説の参考書だよ」

 アラベルはこの短時間で渾身の三冊を選んだらしい。どれも分厚く、ラゼルの好奇心を充分に満たしてくれそうだ。

「通説と新説があるんだね。魔法学研究も日々進展してるってことか……」

「研究に使う機材が進化していってるから……。魔法学の進歩は、ほとんど計測器の進歩に付随するかな……」

「なるほど。空気中のマナを正確に計測できれば、マナが何にどんな影響を及ぼすかも正確にわかるってことか」

 彼が居た世界には物質「マナ」のことは、妹から聞きかじった知識だ。魔法学という特殊な学問の作りが精巧で、いちから学んでみたいと思っていた。

「あとは……研究員が感知系のスキルや魔法を研磨することでも魔法学の発展に繋がったりするんだ」

「時代の変化とともに魔法学研究も進歩しているんだね」

 科学についてはどの世界でも共通のはずだ。その内訳は世界によって変わるかもしれないが、進展の仕組みはどんな学問でも同じ。人材や機材が進歩することで発展するのは、どの世界でも通ずることだろう。

「魔法学研究を進めることで、魔道具にも活用することができそうだね。便利な魔道具が増えるのかな」

「そうだね……。この国は魔法大国だから、魔法学の進展は他の国より早いかもしれないね……」

 こうして和やかに会話しているように思えても、アラベルは気を張っているように見える。おそらくラゼル・キールストラは、アラベルが気を抜いた瞬間を狙って嫌がらせをしていたのだろう。いつ攻撃を仕掛けて来るかと怯えているのだ。もうその警戒は必要ないということを、時間をかけて伝えていければいいとラゼルは考えていた。

 ラゼルがアラベル推薦の三冊を読み込んでいるあいだ、アラベルは窓際のソファで別の本を読んでいた。そうしていると、アラベルも緊張せずに過ごせているようだ。ラゼルは元々、本に熱中しやすいのかもしれない。

 ラゼルはと言うと、魔法学を通じてアラベルと良い関係を築けると確信を持っていた。ラゼルの心が別人になったことは打ち明けないとしても、夏季休暇前までのラゼルとは違うことを少しずつでもわかってもらえればいい。せっかく兄弟になれたのだから、仲良くしたいとラゼルは考えている。そのすべてが自分にかかっていることも自覚していた。

「失礼します。昼食のご用意ができました」

 呼びかける声に顔を上げると、執事のメイソンが恭しく辞儀をする。読書に熱中するあまり、ラゼルもアラベルも時間を見ていなかった。午前中いっぱい、読書に費やしてしまったようだ。

 ラゼルは、いま行くよ、とメイソンを下がらせつつ、アラベルの手を借りて参考書を元の場所に戻す。出しっぱなしは厳禁だとアラベルが教えてくれた。

「ありがとう、アラベル。おかげで有意義な時間を過ごせたよ」

「うん……それならよかった」

 アラベルは柔らかく微笑む。ラゼルが本心からそう思っていることが伝わったようだ。

(魔法学……思っていた以上に面白い学問だ……)

 ラゼルは心の中でつくづくと呟く。マナや魔力を解析することで、魔法を科学的に捉えている。残念ながら、マナの成分を正確に解析することは人間には不可能だとされているらしい。それでも、魔法学を知ることで魔法の腕を上げることは充分に可能だろう。

 深く考えていなかったが、いまのラゼルには念願の魔法が使える。すべてのオタクが憧れるあの“魔法”を。ラゼル・キールストラがどの程度の魔法使いだったかは現時点ではわからないが、近いうちに試してみようと思うと、オタクの血が騒いで仕方がなかった。



 ダイニングに行くと、すでに義母とジークハイドの姿があった。ラゼルとアラベルがテーブルに着くのを認め、使用人が料理を運び始める。ジークハイドと義母を少し待たせてしまったようだ。

「ずっと書籍室にいたの?」

 おかしそうに微笑みながら義母が言う。ラゼルとアラベルが仲良くすることを喜んでいるのだろう。ラゼルの狂気性を知らない義母は、ラゼルが純粋にアラベルと良好な関係を築いていると思っているのだ。

「つい熱中してしまいました……」

 ラゼルは苦笑いを浮かべる。その向かいでアラベルは申し訳なさそうに小さくなっていた。ジークハイドは相変わらず冷ややかな視線をラゼルに向けている。この居心地の悪さも改善されるといい、とラゼルは祈らずにはいられなかった。

「熱中できることがあるのは良いことだわ。休暇も残り少ないし、思う存分に熱中するといいわ」

「はい」

 しかし、ラゼルにはのんびりしている暇もない。この夏季休暇中に、アラベルと良好な関係を築かなければならない。ジークハイドとの関係を修繕するには、それが最初の一歩なのだ。アラベルとは学院寮が同室であるため、せめて怯えずに済むようにしてやりたい。魔法学には強い興味を惹かれるが、アラベルと仲良くなるための努力を怠るわけにはいかないだろう。



   *  *  *



 湯浴みを終えると、ラゼルは寝室でまた読書に耽った。彼は自室に本がうずたかく積まれるほどの本好きで、読み切るまでに何年かかるかわからない書籍室は魅惑の部屋だった。特にラノベを好んでいたため、物語の本があるならそれも読んでみたい。その点でアラベルを頼れば、良好な関係を築くための良いきっかけになるかもしれない。

 コンコンコン、と静かなノックが聞こえて顔を上げる。眼鏡をかけ直してドアを開けると、アラベルが応対を待っていた。

「アラベル、どうしたの?」

「これ……魔法学の面白い参考書だから、貸そうと思って……」

 アラベルが差し出して来たのは、傷みつつも大事に扱われて来たことがよくわかる重厚な本だった。しっかり見なくても、アラベルの気に入りで大事な一冊であることが明白だ。もしかしたら、元来のラゼルだったら良い笑顔で燃やしていたかもしれない。

「ありがとう。もっと魔法学を勉強したいと思ってたんだ」

「うん……それならよかった」

 アラベルは安堵したように微笑む。それはご機嫌取りとは違う笑みだった。

 なんて良い子なんだ、とラゼルは心の中で叫ぶ。散々虐げられていたというのに、こうしてラゼルに親切にする。こんな可愛い弟に嫌がらせをしていたラゼル・キールストラがあまりに残酷であることもよくわかった。

 魔法学という共通の目標ができたことで、アラベルとの心の距離はほんの少しだけ縮まったような気がする。唯一の問題点を挙げるとすれば、ラゼルが魔法学の魅力に取りつかれそうになっているということだろう。目的は、あくまでアラベルと良好な関係を築くことなのだ。

 魔法を科学で捉える学問というものは、きっとすべてのオタクを喜ばせることだろう。せっかく面白い学問のある世界に転生したのだから、心行くまで勉強したいと思っている。

 アラベルの警戒心がほんの少しだけ薄くなったと感じるのも確かだ。畏怖の念を懐くラゼルが魔法学に興味を持ったことを喜んでいるところを見るに、とても素直な少年なのだろう。ラゼルは、あの笑顔を裏切るようなことは絶対にないと断言できる。もしそんなことがあれば、断罪されるとしても受け入れる。アラベルの参考書を手に、そんな決意を固めた。



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