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第1章 物語の始まり【1】

 翌朝。リリベスが髪の手当てをしているあいだ、まずは異母弟アラベル・キールストラとの関係を見直すところから始めよう、とラゼルは考える。アラベルとの関係性を改善することがジークハイドのマイナスから始まった好感度が少しでも真面になるかもしれない。

 アラベルはとても内気で気弱な少年で、狂気性を持つラゼルの恰好のおもちゃだった。アラベルが誰にも打ち明けられないとわかっていて虐げているのである。なんで非道なんだ、といまのラゼルは思う。ラゼルに向けられるアラベルの視線には、恐怖に近い感情が見受けられる。それでもジークハイド以外の家族に気付いてもらえないのだから、その心情は察するに余りある。

(とりあえず、アラベルへの干渉を必要最低限まで下げよう。そうすれば、きっと程好い距離感が探れるよな)

 関心を失くしたと思われることは避けたほうがいいだろう。ラゼルは家族と良好な関係を築きたいと思っている。そのためには家族に対する関心が必要だ。こちらが感心を失えば、家族もラゼルに対して距離を取ることもあるかもしれない。特にジークハイドはラゼルがアラベルへの関心を失えば、ラゼルと接触することもなくなるだろう。ジークハイドとも良好な関係を築きたい。すべては破滅を阻止するために。

「ラゼル様、なんだかぼんやりなさっていますね」

 鏡を覗き込んだリリベスが言うので、アラベルは意識を現在に戻す。

「まだ少し眠くて……」

「また夜更かしされたのですか?」

 ふふ、とリリベスは笑う。リリベスがこうして笑いかけてくれるのも、ラゼルのアラベルに対する悪行を信じていないからだろう。ラゼルの表向きは好青年なのだ。

「さ、終わりましたよ」

 リリベスが櫛を通した黒髪はツヤがあり、癖のないさらりとした毛質だ。母譲りのこの真っ黒な頭髪が、ラゼルの「呪いの子」という根拠のない噂話に現実味を持たせる。

 身支度を終え、寝室を出る。この世界に来て二日目になるが、昨日はあまり家族と接する時間がなかった。ラゼルは妹が語っていたこの世界のことを整理して、ずっと私室にこもっていた。夕食は家族と揃って取ったが、ラゼルは気もそぞろであった。何を話したかすら覚えていない。

 ダイニングへ向かいながら、ラゼルは家族と良好な関係を築く方法を考えていた。表向きは好青年だったため、父と義母との関係はさほど悪くない。父と義母は、ラゼルの狂気性に気付いていなかった。ラゼルがアラベルを虐げていることを知らないのだ。ジークハイドの訴えが信じてもらえないのは、ラゼルの外面が良かったためである。

 アラベルとヒロインの馴れ初めはわかりやすく、ラゼルによって傷付けられた心を癒されることだ。ジークハイドと同じで、もう出会いは済んでいるはず。オープニングが入学式だったと考えると、他の攻略対象についても同じはずだ。

(うーん……どうしてもヒロインのことが思い出せない……。ラゼルは興味のないものにはとことん興味がないんだな……)

 そもそもラゼル・キールストラ自身の記憶が薄い。何某かの意味があって転生したのなら、記憶も引き継がせてもらいたかったものだ。

(確か、アラベルは魔法学研究に打ち込んでるって設定だったよな……)

 妹の熱弁をなんとなくだが覚えている。魔法を科学として捉える学問なのだとか。彼はそもそも魔法の存在しない世界の住人だったため、とても面白そうな学問だと思う。ゲームには魔法学について学ぶことでステータスが上がる場面があったようで、勉強してみたい、と妹が切望していた。アラベルに干渉するかどうかはともかく、がり勉の血が騒ぐというものだ。もしかしたら、アラベルから教わることで仲良くなれることもあるかもしれない。それはそれで楽しみのような気がした。

 ダイニングの前に辿り着いたとき、廊下の角からアラベルが出て来た。ラゼルに気付くと、途端にアラベルの表情が曇る。アラベルを怖がらせないため、ラゼルは努めて優しい笑みを浮かべた。

「おはよう、アラベル。良い朝だね」

「あ、うん……お、おはよう……」

 アラベルは怯えつつも挨拶を返す。ここで無視してはラゼルがどんな行動に出るかわからない。アラベルはなるべくラゼルを刺激しないようにしているのだ。

 アラベルは母親譲りの綺麗な金髪を、眉毛が完全に隠れるほど長めに垂らしている。それが気弱さを際立たせているようだった。緑色の瞳が綺麗で、可愛い顔立ちをしている。体の線は細めで、身長はラゼルとそう変わらない。自信なく背中を丸めており、運動より勉学を好む性質のように見えた。

 ダイニングには、父と義母、ジークハイドの姿がすでにあった。ジークハイドの視線は相変わらず冷たく、そんな極寒の右隣に座らなければならないのが冷え性には辛い。ラゼルが冷え性なのかどうかは知らないが。とは言え、ジークハイドはアラベルのことがなければラゼルに無干渉だっただろう。関心があるわけではないのだろうが。

 ジークハイドは父親似の美形で、吊り上がった青色の瞳とスッと通る鼻筋がクールさを演出している。アラベルとは対照的に気の強さが感じられた。アラベルは母親似だ。

「ラゼルとアラベルは、今日は何をするの?」

 公爵夫人が朗らかに問いかける。庶子であるラゼルにも優しく接するのは、実に愛情深い女性である。

 ジークハイドは父の手伝いがあるようだが、ラゼルとアラベルは休暇中であるためほとんどの時間が自由だ。ラゼルはすでにやることを決めている。

「今日は書籍室で本を読もうと思っています」

 微かに残るラゼルの記憶によれば、キールストラ公爵邸の書籍室は様々な本が大量に取り揃えられているらしい。読書家としては見逃せない場所だ。

「あら、それならアラベルと一緒に行ったらどう? アラベルはいつも書籍室にいるから」

 ラゼルがアラベルを虐げているなどとはつゆ知らず、公爵夫人は穏やかに微笑んで言う。アラベルからすれば地獄の誘いだろう。

「いえ、邪魔をしたら悪いですし、僕は僕で行きますよ」

「そう?」

「邪魔なんかじゃないよ……! い、一緒に行こうよ」

 アラベルが慌てた様子で言った。その表情は相変わらず怯えた色を湛えており、仲良くしようと思って言ったのではない。ラゼルの機嫌を損ねないようにしているのだ。

 それでも、わざわざ意地悪なことを言う必要はないだろう。

「そう? じゃあご一緒しようかな」

 アラベルは安堵したように薄く微笑む。ラゼルの加虐性に機嫌は関係ないように思うが、こうして顔色を窺いながら接し続けているのだとすれば不憫だ。ジークハイドの冷ややかな横目がそれを物語っている。ラゼルは男の兄弟が欲しいとずっと思っていた。最初の任務は、兄弟となったアラベルをただただ甘やかすことだ。



 キールストラ家の食事会は、食後のお茶まで同席して締められる。だが、ラゼルが最後まで席に着いていることは、微かに残った記憶によれば滅多にないことだったらしい。ラゼルは家族に対する愛情はなかった。食後のお茶をともにすることを馬鹿馬鹿しく思っていたのだ。いまのラゼルは、家族と過ごす時間を大切にしたかった。それが破滅を防ぐことに繋がるのではないかと考えているのと同時に、これからともに生きていくことになる家族を大事にしたかった。

(……たぶん、ラゼルはこの席に座ってるのが嫌だったんだな)

 紅茶を啜りながらそんなことを考える。左隣のジークハイドも優雅にティーカップを傾けているが、その雰囲気は空気だけで人を殺せそうだと思えるほど寒い。本来のラゼルが怯むようなことはないだろうが、とにかく居心地が悪かった。

「今日はラゼルものんびりとお茶を飲む時間があるのだな」

 父が朗らかに言う。その斜交いで義母も穏やかに微笑んでいる。ラゼルの左半身が冷え切っていることを知らない表情だ。

「家族の時間は大事ですから」

 ラゼルは努めてにこやかに言う。父と義母はラゼルの狂気性に気付いていない。この言葉と笑みが本物であると思っていることだろう。現在のラゼルにとっては本物なのだが、ジークハイドは冷ややかで、アラベルは俯いている。これが本物であることは、これから時間をかけて伝えていくしかないだろう。

「休暇が明けたら寮生活だし」と、義母。「この時間を大事にしてくれるのは嬉しいわ」

 そのとき、アラベルが喉に詰まらせたように小さく咳き込んだ。そこで、そういえば、とラゼルは考える。学院寮ではラゼルとアラベルは同室だったはずだ。まさに地獄の日々。アラベルとしては学院に戻りたくないことだろう。学院寮に戻るまでのあいだに、アラベルとの関係を修繕しなければならない。

(改心したことをジークハイドにもわかってもらわないといけないよな……)

 先は長いように思えたが、破滅を防ぐためにはエンディングまで駆け抜ける必要がある。ヒロインのことをまったく覚えていない現状、学院に戻ったときにどうなるかはわからない。この貴重な時間を有効活用しなければならないだろう。

(せめてお茶くらいゆったり飲めるようになりたいな……)

 アラベルはラゼルに怯え、ラゼルはまた、ジークハイドに怯えていた。



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