第3章 リーネ・トライトン【2】
よく晴れた残暑の日。夏季休暇が明け、王立魔道学院に再び生徒たちが集った。日に焼けている生徒もいれば、痩身に成功したと喜ぶ生徒もいる。休み明けを嘆く生徒や、解放感に満ちた表情の生徒も見られた。夏休み明けの学校は悲喜交々である。
王立魔道学院の夏季休暇明けには始業式のような慣習はなく、各教室でオリエンテーションが行われる。ラゼルはぼんやりとした記憶を頼りに、二年生の教室がある二階へ上がった。
ラゼルが教室に入った途端、複数の生徒の視線が彼に注がれた。ひそひそと囁き合う生徒までいる。それも当然のことだ、とラゼルは考える。ラゼル・キールストラは元平民の上にサボり魔。授業にも不真面目だったと考えると、よからぬ感情を懐く生徒もいるだろう。
ラゼルはそれを特に気に留めることもなく、窓際の端の席に着く。ガキ大将的な生徒に絡まれたらどうしよう、とは考えていたが、いまのラゼルはキールストラ公爵家の一員。元平民と言えど、身分は格段に上がった。さすがに学園内トップクラスの身分の者に気軽に絡める生徒はいないらしい。
ラゼル・キールストラの記憶があったとしても、元から友達はいないだろうと思っていた。その認識は間違いなかったようで、話しかけて来る生徒はいなかった。
オリエンテーションが終わるまでは。
「ラゼル様」
可愛らしく呼び掛ける声に顔を上げると、長い金髪と紫色の瞳の女子生徒がラゼルに微笑みかけている。清楚さを感じる雰囲気の少女だ。
「やっと夏休みが終わりましたね。楽しくお過ごしになられましたか?」
少女は親しげな笑みで問いかける。しかしラゼルには、この少女に関する記憶がなかった。ラゼル・キールストラの記憶がないせいか、元々記憶していないのかはわからない。どちらにせよ、適当に流すより正直に訊いてしまったほうがいいだろう、とラゼルは口を開く。
「えーと……きみは?」
「えっ……リーネ・トライトン、ですけど……」
少女は心底から驚いた表情になる。そんな顔をされると可哀想な気がしてくるな、とラゼルは心の中で呟いた。
リーネ・トライトンと言えば、ジークハイドとアラベルに認識されるほどラゼルに絡んでいた、光の魔法を持つ平民の女の子だ。おそらく「希望の雫と星の乙女」のヒロインだと思われるが、いかんせん記憶にないし、ピンとこない。なにせゲームは一人称視点だ。ボイスもないから声も知らない。もしラゼルの前にセリフウインドウがあれば「ヒロイン(?)」となっていたことだろう。
「改めまして、仲良くしてくださると嬉しいです」
「なぜ?」
「な、なぜ……?」
思わず訊き返してしまったラゼルに、リーネはたじろいだ。この数居る生徒の中、リーネはわざわざラゼルと接触しようとしている。それも、他の生徒から冷たい視線を向けられるラゼルに、だ。その理由を問いたくなるのは当然のことだろう、とラゼルは考える。
「私たちは境遇がよく似ていると思うんです。私は平民だから浮いてしまっていますし……。いまだに友達がひとりもいないんです」
リーネ・トライトンは「光の魔法を持つ平民の女の子」で、ラゼルは「元平民の公爵家の庶子」である。確かにラゼルは少々特殊な身分だ。リーネ・トライトンも平民でありながら魔法の力を持ち、貴族社会の王立魔道学院に通うという特殊な設定だ。しかし、親近感が湧くほどだとはラゼルには思えなかった。王立魔道学院の貴族社会の中で、平民という身分の低い者同士とも言えるのも確かだ。だがラゼルには、リーネにはやはり別の目的があるように思えた。
「でも生徒会に入るんでしょ? 王太子殿下とジェマ殿が気に掛けてくれてるんじゃないの?」
「そ、それはそうですが……。私は友達が欲しいんです。他に仲良くしてくれようとする人はいないみたいですから……」
「ふーん……。僕は別に友達はいらないかな」
リーネは絶望に打ちひしがれたような表情になる。冷たくするのは可哀想だが、ヒロインである可能性があり目的がわからない以上、下手に親しくするのは危険なように思えた。選択肢を誤れば破滅の危機が生じるかもしれない。ラゼルには、バッドエンドを迎えることだけは勘弁願いたかった。
「ラゼル」
呼び掛ける声に視線を向けると、ジークハイドが教室の入り口に顔を覗かせていた。生徒会メンバーであり底抜けの美形とあって、女子生徒たちの視線を集めている。リーネがヒロインだとしたら、本来はジークハイドに話し掛けに行くだろう。
ラゼルがジークハイドに駆け寄ると、視線は冷ややかなものに変わりそれぞれのもとへ戻っていく。ラゼルがジークハイドに近付くことをよく思わないのだとしても、いまは兄弟なのだから致し方ない。
「お前に生徒会入りの打診があった」
「リーネさんの推薦ですか?」
「ああ。お前にも生徒会の肩書きを与えて保護するそうだ。お前も特殊な身分だからな」
本来のラゼル・キールストラは、彼の記憶が正しければ、確か生徒会入りはしない。生徒会はヒロインが攻略対象と親密度を上げるための要素。悪役令息が踏み込む場所ではないだろう。悪役令嬢であれば、王太子の婚約者である場合が多いため生徒会入りしただろうが。
「お前の場合、生徒会に入れば見張るのにちょうどいい。問題児であることに変わりはないからな」
生徒会メンバーともなると、模範的な学院生活が要求される。ラゼル・キールストラはサボり魔であるため、模範的とは程遠い。ラゼルの生活態度を改めるには、生徒会入りは絶好の機会と言えるだろう。
「リーネ・トライトンと関わりたくないのであれば断っても構わない」
意外な言葉に、ラゼルはきょとんと目を丸くした。ジークハイドがラゼルに気遣いを見せるとは思っていなかった。だが、ラゼルは特に関わりたくないと考えているわけではない。むしろ、生徒会はリーネ・トライトンの目的を探るのにちょうどいいかもしれない。
「ぜひお受けします。学院のために役に立てるなら良いことだと思います」
「胡散臭いやつだ」
「ええ……」
確かに胡散臭いとは思うが何も本人の目を見据えながら言わなくても、とラゼルは苦笑いを浮かべる。この態度のおかげで、陰口を叩くことはないという安心感はあるのだが。
「だが、アラベルにも打診が来ているからちょうどいい」
「アラベルは引っ込み思案で、人見知りもしますから。僕と一緒だと安心するかもしれませんね」
「お前が本性を現わさなければな。不当な扱いをしていたらクビにするからな」
「はは……及第点ですもんね」
アラベルと良好な関係を築くための試用期間は、延長を認められただけで合格をもらったわけではない。ラゼルはこれからも、アラベルを陥れることはないと証明し続けなければならない。そのためにも、生徒会はちょうどいいのかもしれない。
「生徒会を通して、合格をもらえるように頑張ります」
「その胡散臭さもどうにかなるといいな」
「そんな……」
ラゼルが何を言っても、ジークハイドから見ればなんでも胡散臭く見えるのではないだろうか。ラゼル・キールストラは「表向きは好青年」であるため致し方がない。ジークハイドは、ラゼルの見えない部分も見抜いているのだから。せめてその評価が良い方向に変わるよう、ラゼルは努力しなければならないだろう。
ジークハイドを見送り、ラゼルはリーネ・トライトンに視線を戻す。リーネはしょんぼりとした表情で教本をまとめている。本当にただ友達が欲しくて似たような特殊な境遇のラゼルを選んでいるのだとしたら申し訳ないが、ラゼルにはまだしばらく様子見の時間が必要だった。ラゼルを破滅ルートに導く可能性が消せない以上、気を抜くことはできない。ラゼルの破滅は周囲の人々を巻き込む。万がいちにもそんなことになるわけにはいかない。その可能性がなくなれば、仲良くできることもあるかもしれない。転生者でもなく、そんなつもりも一切ないのだとしたら、ラゼルは謝罪しなければならない。それでも、ラゼルは慎重にならなければならない。ラゼルは破滅を招く悪役令息なのだから。




