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プロローグ【1】

 その横顔を真紅に染めるのは、炎か、命か、黄昏か。

 悍ましい光景の中、少年は心から楽しむように笑っていた。

 その姿に息を呑み、ただ悔恨で手が震える。

 ――呪われた子どもは、やはり破滅を招くのだ。






   プロローグ






 不思議な夢を見た。

 夕焼けより深く、燃えるような赤の中、両手を血に染めた少年が高笑いしていた。なぜか、その少年になんとなく見覚えがあった。どこで見掛けたのかは寝惚けた頭では思い出せないが、何度も見たことがあるような気がする。

 ぼんやりとそう考えながら、布団の温もりを噛み締める。この瞬間だけが生きていることに感謝できる。ゆったりとした微睡まどろみの中、いつまでもこうしていたいとすら思える。

 そのとき、コンコンコン、と控え気味なノックの音が聞こえた。

(誰だろう……こんな上品なノックをする人が、うちにいたかな……)

 まだはっきりしない頭でそう考えていると、音を抑えるようにしながらドアが開かれる。淑やかな足音が聞こえた。

「おはようございます。……あら? ふふ、お寝坊さんですね。休暇だからって、また夜更かしされていたのですか?」

 聞き覚えのない女性の声に、彼は慌てて飛び起きる。その途端、思わず硬直する。

(なんだ、このキラキラした部屋は……)

 彼が寝ていたベッドは少なくともセミダブルはあり、天蓋まで付いている。天井には質素ながら細やかな装飾が施されたシャンデリアが吊るされ、壁際に置かれている棚はどれも、慣れ親しんだボロではない。何より、部屋そのものが驚くほど広かった。

 ふと横に目を向けると、視界がぼんやりと滲んでいる。いくらなんでも眠気眼が過ぎる、と思いながら目を擦る。また視線を巡らせても、視界はぼやけていた。

「どうなさいましたか、ラゼル様」

 白と紺で構成された服を身に纏った女性が、彼に何かを差し出した。思わず肩を震わせてしまったが、それは丸眼鏡だった。彼は首を傾げる。自慢ではないが、自分の視力が野球部員並みだと自信を持っている。そう思いつつ、丸眼鏡を恐々と耳にかけた。その途端、視界は鮮明になる。どうやらこの丸眼鏡は彼の物のようだ。

 顔を上げると、金髪をキャップで纏めた若い女性が微笑んでいる。その白と紺で構成された服は、エプロンドレスのメイド服のようだ。それも、喫茶店で接客してくれるような姿ではない。本物の「侍女」である。

(……ん? この人、さっきなんて言った?)

 その瞬間、彼の中で点と点が繋がった。愛しの布団から飛び出し、鏡台を覗き込む。映し出された顔は彼の顔であり、彼の顔ではなかった。

 短く整えられたツヤのある黒髪。深い紺色の瞳。そして丸眼鏡。あの血塗れで愉快そうに笑っていた少年……ラゼル・キールストラ公爵令息だ。

(……そんな、まさか……)

 この顔に見覚えがあるのも納得できる。ラゼル・キールストラ公爵令息は、オタクの妹が好きだった乙女ゲーム「希望の雫と星の乙女」の悪役令息だ。リビングで遊んでいたため、大画面に映し出された美形たちを何度も目にしたことがある。

 どうやら異世界転生したらしい。それも、よりによって破滅を招く呪いの悪役令息に転生してしまった。それも、バッドエンドしか存在しない隠し攻略対象だ。妹が最推しだと言っていた気がする。だが、いまはそんなことはどうでもいい。

 あの夢は、遠くない未来のラゼル・キールストラだ。物語はラゼルが父と義母を惨殺することでエンディングに向かう。現時点が物語のどの段階であるかによって、彼の運命は大きく変わることになる。

「どうなさいましたか、ラゼル様。ご気分が優れないのですか?」

 侍女が優しく彼を覗き込む。この女性は確か、リリベスという名前だ。

「ううん、大丈夫」

 彼はどうにかそう答え、曖昧に微笑んで見せた。笑い事ではない。一大事だ。

 リリベスはもちろん、彼がそんなことを考えているとは知らない。慣れた手付きで彼の着替えを手伝い、気恥ずかしい気分になる彼を他所に身支度が整う。リリベスは仕上げに、鏡台の前に彼を座らせて髪を丁寧に櫛で梳いた。

 優しく髪を梳く指の心地良さで、ようやく落ち着きを取り戻す。なんにしても、隠し攻略対象というだけあって美少年だ。これが自分だと思うと、なんとも奇妙な気分だった。

 リリベスは「休暇」と言っていた。肌に感じる気温から考えて、いまはおそらく夏の休暇中だ。乙女ゲーム「希望の雫と星の乙女」で主人公がステータスを上げるための期間だったと記憶している。妹が、限られた日数をどう効率良く使うか、と真剣な顔をしていたのをよく憶えている。

 ラゼル・キールストラは表向きは好青年で、ずば抜けて優秀だが「呪いの子」と称されている。父の侍女であった平民の母親が謎の死を遂げ、それによりキールストラ公爵家に引き取られて来たためだ。真っ黒な頭髪がより真実みを醸し出すのかもしれない。ラゼルからすれば、ただの母譲りの髪色なのだが。ラゼルはその悪評により絶望を溜め、闇の魔法に手を出し、この国を滅ぼそうとする。最終的に、ヒロインと攻略対象にそれまでの罪を命を以って償わされるという悲運だ。ラゼルルートではヒロインと結ばれることはなく、ただバッドエンドが待つのみ。妹が嘆いたのでそれはよく覚えている。

 問題はラゼル・キールストラの狂気性だ。ラゼルはあくまで“表向きは好青年”。心の中が絶望で満たされているため、人を陥れることに喜びを覚える性質だ。彼自身はどちらかと言うと真面目な人間で、まさか国を滅ぼそうなどという発想は少しも湧かない。ラゼル・キールストラはなんと言っても腹黒だ。彼は「お兄ちゃんの腹は白すぎて眩しいくらいだよ」と妹に揶揄されていた。自分でもその通りだと思っている。

 そんな自分がラゼル・キールストラになって何をどうしろと言うのか、と彼は考える。悪役令息などという言葉は、自分に最も似合わない。なぜ自分がこの世界にラゼル・キールストラとして生まれたのか、ただそれだけが疑問だった。

「朝食のご用意ができておりますわ」

 リリベスが晴れやかな笑顔で残酷なことを言う。ダイニングへどうぞ、ということである。つまり、ラゼル・キールストラの家族のもとへ。だが、諦めるしかないようだ。

 寝室を出たラゼルは、ふとあることを考え付いた。なぜ悪役令嬢ではなく悪役令息だったのだろう、と。それから、隠し攻略対象にしたかっただけだ、と結論を出した。

 重い足取りと裏腹な夏の眩しい陽射しがラゼルを照らしている。意を決してダイニングに入って行くと、四人の家族がすでにテーブルに揃っていた。

「おはよう、ラゼル。そんな暗い顔をして、また夜更かしをしていたようだな」

 朗らかに笑うのが、父であるキールストラ公爵。その斜交はすかいにいるのが義母である正妻の公爵夫人。その左隣が異母弟のアラベル・キールストラ。逆の斜交いにいるのが、異母兄のジークハイド・キールストラだ。全員が綺麗な金髪で、ラゼルの異様さが浮き彫りになるようだった。

「おはようございます。少し寝坊してしまいました」

 曖昧に笑いながら、ラゼルは異母兄ジークハイドの右隣に腰を下ろす。左側から注がれる視線があまりに鋭すぎて、逃げ出したくなるのを必死で堪えた。

 ラゼル・キールストラの設定を思い出せば、ジークハイドの視線も納得である。

 ラゼル・キールストラは、異母弟のアラベルを虐げている。アラベルは気弱で、それを誰にも打ち明けることができない。卑劣なことに、ラゼルの悪行は誰も見えないところで行われる。それに唯一、気付いているのがジークハイドで、両親に訴えても信じてもらえないらしい。というのも、妹が勝手に語りかけて来たのを覚えているだけである。ラゼルに注がれるジークハイドの視線には、憎しみのような感情も読み取れる。アラベルから感じるのは怯えだ。その表情が、自分がラゼル・キールストラに転生した事実を現実だと思い知らせて来るようだった。

 朝食会は和やかであり、和やかでない。ラゼルはと言うと、気が気でなく、美味しそうな料理も味がしなかった。度々話しかけられたが、適当に笑って誤魔化す。何せ、ラゼル・キールストラとしての記憶がかなり薄い。転生させるなら記憶も引き継がせてほしかった、と誰に対してかわからない恨み言を心の中で呟いた。

(でも、僕が両親を殺さなければ、バッドエンドには向かわないってことだよね……)

 いまのラゼルには、そんなつもりは毛頭ない。あんな血塗れで高笑いするような人間ではないからだ。

 惜しむらくは、現時点でヒロインが登場しているかどうかわからないところだ。夏の休暇中にレベリングをしていたことを考えるとすでに登場しているはずだが、ちっとも思い出せない。まだ悪役令息との接点はないのだろうか。

「ラゼル、なんだか顔色が悪いわ」

 公爵夫人が案ずるように言うので、ラゼルは顔を上げた。いつの間にか食事の手が止まるくらい考えに集中していたらしい。

「具合が悪いの?」

「いえ、大丈夫です。なんでもないです」

 ラゼルは曖昧に笑いながら「お兄ちゃんって誤魔化すの下手だよね」と呆れていた妹のことを思い出していた。いまさらになって、その通りなのだと思い知った。




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