私がミニスカートで般若心経を叫んだ日
「絶対に嫌だ!」
控室に声が響いた。
古びたライブハウス、機材の熱気とホコリが充満する空間。
ステージまであと30分。
その真ん中で、私は腕組みをしたまま、ベースの遥を睨んでいた。
遥はため息をついて、言った。
「……あんた、脚キレイじゃん。ミニスカ穿いてさ、煩悩のひとつでも呼び込んでよ」
私は一瞬、言葉を失った。
そして、ゆっくり首を振った。
「私は音で勝負するって言ってるでしょ。意味で、構造で。脚なんか関係ない」
「脚、関係あるよ。だって、あんたのは武器になるんだってば」
遥の笑い方は軽い。でも、その奥には本気があった。
分かってる。
今夜の予約数は、たったの5名。
うち3人がバンド関係者。
こんな地方のライブハウスで、デスメタルと般若心経を混ぜた音楽なんて、理解されるわけがない。
それでも。
「私は脱がない。観客の煩悩を撫でるために叫んでるんじゃない」
「頼むよー」
「い・や・だ!」
――30分後。
ステージに立つと、照明が容赦なく脚を照らした。
短い……このスカートは想像以上に短かった。
最前列の男が、目を逸らさずにこちらを凝視している。
マイクを握る手が、汗で湿っていた。
バンド名は「Kūdo(空度)」。
仏教を否定して実家であるお寺を飛び出した私が、なぜ般若心経を歌っているのか。
それはもう分からない。
ただひとつ言えるのは――
構造だけが、私を世界に繋ぎとめている。
「……いくよ」
ベースが重く唸り出す。ドラムがブラストビートで空気を裂く。
私は深く息を吸った。
「照見ッ――五蘊――皆空ゥゥゥッッ!!」
グロウルが喉を駆け抜ける。
声じゃない。叫びでもない。
これは“骨格”だ。
背後のスクリーンに、幼い頃の映像が流れる。
坊主頭の私が、真面目な顔で読経している。
「まーかー、はんにゃー、はーらーみーたー……」
私は目を閉じ、次のセクションに備える。
息を整え、
全身を震わせ、
マイクに向かって――
「ギャァァァァアアアアアアア!!!!!!」
スクリーム。
叫びが天井を突き抜ける。
脚が震えている。でも、もう観客の目なんて気にならなかった。
意味はない。だが、構造はある。
「羯諦――羯諦――波羅羯諦――波羅僧羯諦――菩提薩婆訶ァァア!!」
ラストはピッグスクイール。
狂ったような奇声が、スモークと共に空間に溶ける。
映像の中の少女が、最後にカメラを見て笑った。
私はスカートの裾を押さえながら、ゆっくりとステージを降りた。
控室の鏡に映る自分を見て、ぼそりとつぶやく。
「……構造さえあれば、意味なんて後からついてくる」
その脚が晒された夜に、私はようやく、“空”を鳴らした気がした。
(続く……かもしれない)