序
「えっと……」
「あなた!」
「は、はい!?」
私は慌てて上体を起こす。どうやら机に突っ伏して、気を失ってしまっていたようだ。
「新入りの癖に居眠りだなんて良い度胸していらっしゃいますわね……」
新入り? どういうことだ、私は『甘味処やよい』というペンネームで大人気……もとい、そこそこ人気のある漫画家だ。女性漫画誌を中心に、多くの連載を抱えている者だ。そんな私が新入りとはどういう了見だろう。
「……」
私は薄赤色の縁の眼鏡をしっかりとかけ直して、周囲を観察する。周囲に何名かいる女性は皆、私と同世代か、ちょっと上くらいであろうか。皆が黒く長い髪をセンター分けにし、おでこを出している。さらに驚くべきことは女性たちの恰好である。あでやかな色の衣を上に羽織り、その下に五枚ほど衣を着て、腰に巻きスカートのようなものを着けている。ははっ、なんだ、お嬢さんがた、それではまるで平安時代の十二単ではないか。いや……
「へ、平安の都だ!?」
私が驚きのあまり、ガバッと立ち上がる。私の足元の裾もやや乱れる。私も十二単デビューしているじゃん……周囲が驚いた様子で見つめてくる。
「えっと……」
「……痛い」
私は自らのほっぺたをぎゅっとつねってみる。痛かった。やはりこれは夢ではないようだ。私は頭をフル回転させて、わりと早く――正しいとは言い切れないが、恐らくもっとも可能性の高い――結論にたどり着く……令和の時代の激務がたたり、過労死してしまった私は平安時代の宮中に転生しちゃったのだろう。とりあえずそう考えるのが自然だ。
「はあ、まったく、どうしてここには、こういう女子しかやってこないのであろうか……」
私たちよりは年齢を重ねた女性が嘆きながら顔を険しくさせる。なんか怖そうだ。お局さんと呼ぼう。
「……ここ?」
私は座り直しながら首を傾げる。お局さんの嘆きは止まらない。
「帝が『一帝三后』のかたちを取られてはや数年……皇后一人に中宮二人が併存するというまことに奇妙な状態が続いてしまっている。恐れ多いことではあるが、この状態が続くことは好ましくない……!」
え……? 一条天皇が皇后定子さまの他に中宮彰子さまも正室とされて、『一帝二后』という形式を取ったのは知っている。退屈だった歴史の授業でも平安時代についてはよく勉強した方だからね。しかし、三后って……もう一人は誰?
「す、すみません、今は何年ですか?」
私は小声で隣に座る女性に尋ねる。女性は戸惑い気味に答える。
「えっ……長弘五年ですが……」
……知らない元号だ、たしか定子さまと彰子さまが入内されたのは、長保年間のころのはずだ。これはもしや……。お局さんが話を続ける。
「こちらの甘子さまと交流を深めてもらわなければなりません。その為には帝の興味を引くことが肝要……」
「甘子さまっていうのは……あなた、どなたのお子さまかちゃんと分かっていらっしゃる?」
私は隣の女性に小声で話しかける。女性はややムッとした様子で答える。
「藤原道景さまの娘さまでございます」
「みちかげ……?」
首を捻る私に対し、女性が問い返してくる。
「まさか、ご存知ないのですか?」
「……定子さまのお父上が藤原道隆さま、彰子さまのお父上が藤原道長さま。道景さまはその二人の弟君にあたる方……」
「なんだ、ちゃんとご存知ではありませんか」
良かった、当てずっぽうだったが、当たったようだ。しかし、甘子さまも、藤原道景さまも、全然聞いたことが無い……。これはつまり……
「平安時代のパラレルワールドに転生してしまった……?」
小声で呟いた後、私は額を大げさに抑える。それにお局さんが気付く。
「そういえば、あなた……」
「は、はい……!」
お局さんに扇子でビシっと指し示され、私は顔を上げる。
「皆への紹介がまだだったわね。名は……?」
「ええっと……」
まさかペンネームを答えるわけにはいかない。ここは本名か?いや、個人情報の流出はできれば避けたい……。名前だけ答えておくとするか……。
「どうしたの?」
「名はやよいと言いまして……」
「!」
「ちょ、ちょっと!」
私の発言にお局さんたちは大いに慌てる。私は首を傾げる。
「え?」
「女子の諱を公にするのは避けねばならないことでしょう!」
「あ、ああ~」
そういえばそうだったか。しかし、別の呼び名なんて……。覚えていないんだけど……どうしようか……。私はフリーズしてしまう。見かねたお局さんが助け舟を出してくれる。
「……初めての宮仕えですもの、緊張しているのね」
「あ、は、はい……」
お局さん、結構良い人かも。それでも名前が思い付かない。お局さんがため息をひとつついてから口を開く。
「皆さん、こちらは……」
お局さんが私を指し示しながら、周りに話そうとする。なんだ、知っててくれてんじゃん。さて、どんな雅な名前だろうか。わくわく……。
「鬼神兵庫さんです、よろしく」
「な、名前厳つ!?」
私は派手にずっこけそうになる。お局さんが話を続ける。
「鬼神家のご出身で、お父上が兵庫寮の頭を務めておられている。極めて妥当な女房名です」
「ははっ……」
甘味処やよいから鬼神兵庫か……力強さは感じさせるけれど……。
「さて、話は戻りますが、甘子さまの周囲をなんとか盛り立てていかなければなりません。現状はほとんど誰も、こちらには寄り付きません」
ああ、いわゆる『後宮サロン』ってやつね。ここでの社交的活動、文学的活動の活発さによって、主催者の皇后、中宮の評価が大きく変わると……。
「……」
皆が黙っているなか、一人の女房が言い辛そうに口を開く。
「定子さまには清少納言さま、彰子さまには紫式部さまがついておられます。いずれも評判の才女・賢女……対抗するのはなかなか厳しいかと……」
へえ、あの二人が揃って宮仕えしているんだ。実は面識が無かったんじゃないかって聞いたことあるけど……。やはりパラレルワールドのようね……。
「それがなんだと言うのです。このまま指をくわえて黙ってみておいでのおつもりですか? 誰か、我こそは才女・賢女らを凌駕してみせるぞという気概の方はおられませんか!?」
お局さんの呼びかけに、女房連中は揃って顔を逸らす。逸らし損ねた私とお局さんの目がばっちりと合ってしまった。お局さんがふっと笑う。
「兵庫、自信がおありのようで……」
「いや、自信はないですが……パラレルワールドならひょっとしたらワンチャンあるんじゃないかなって思って……」
「は? パ、パラ……? ワンチャ……?」
「筆と紙をお貸しください……」
「え……?」
「才女、賢女には、『腐女子』で対抗する他ないかと……」
「は、はあ……?」
私の言葉に周囲がざわつく。
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