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第九話 命がけの出産

本日二度目の投稿です。前話をまだご覧になっていない方は、ぜひそちらもお読みください。

 長く苦しめられていたつわりがようやく収まり、オリヴィアの体調は少しずつ安定を取り戻していた。しかし、その束の間の安らぎは、激しい痛みによって打ち砕かれる。

 ついに出産の時が訪れたのだ――。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 オリヴィアはベッドの上で、汗にまみれながら荒い息を繰り返している。

 産室には医師と助産師、そして二名の魔法士が集まっている。闇属性の男性魔法士は結界と封印魔法の準備を整え、水属性の女性魔法士は止血の魔法を施していた。ウィンターガルド公爵家は王家の分家であり、高い魔力を持つ子が生まれる可能性がある。そのため、万が一に備えて魔法士を立ち会わせるのが通例となっていた。


 ローランドは産室のすぐ外の廊下で、壁に背を預けて目を閉じていた。陣痛が始まってから、すでに二十四時間が経過している。極度の不安と緊張で眠気はないが、オリヴィアを心配するあまり頭痛と吐き気が込み上げていた。


 産室では、緊迫した状況が続いていた。オリヴィアの子宮口はまだ完全には開いていない。青白くなった顔には汗が滲み、衰弱した体が震えている。耐えようとしても、痛みの波が容赦なく押し寄せてくる。


「が……ああああああああ!!!」


(痛い!痛い!こんな痛み初めて……!)


 初めての痛みにオリヴィアはパニックになりながらも必死に耐えた。数分おきに陣痛があり、まともに睡眠もとれない。産室内では、闇魔法士が 眉をひそめて集中している。


「……これは」

「どうした!?」


 医師が慌てて視線を向ける。闇魔法士は目を閉じたまま、低く言った。


「胎児の魔力が……強すぎます。このままでは母体が耐えきれない……!」

「なんだと!」


 オリヴィアの体は震えが止まらなかった。陣痛の痛みとは違う、腹の奥から何かが押し寄せてくるような圧力を感じた。目はかすみ、息は乱れ、全身に力が入りすぎてしまう。


「お腹の中の子が……暴れている……」


 オリヴィアが絞り出すように呟いた。まるでお腹の中に留まりたいとでも言うように、赤子の魔力が抵抗している。そして次の瞬間――。


 産室全体がぐらりと揺れた。空気中に見えない波動のような魔力の衝撃が広がる。産室で悲鳴が上がった。ローランドはその衝撃を廊下で感じ取り、壁に手をついて耐えた。出産が終わるまでは産室に立ち入ることは許されない。だが、扉の向こうから漏れ聞こえる悲鳴と叫び声が、オリヴィアの状況が決して楽観視できないものだと告げていた。


「腹に魔力を緩和する水性バリアを張った! 今のうちに!」

「先生! 子宮口がようやく全開になりました!」

「よし、分娩を開始する!」


 オリヴィアの叫び声が再び響き渡る。その声には今までにないほどの痛みと苦しみが込められていた。


「う……ああああああああああ!!!」


 産室の中で、オリヴィアは 全身の力を振り絞る。

 そして、しばらくしてから赤子の泣き声が響き渡った。


「おめでとうございます。元気な男の子です!」


(……良かった……私の……赤ちゃん……)


 安堵する間もなく、オリヴィアの瞼は重く閉じられていく。全身の力が抜け、声を出すこともできない。助産師が赤子を抱き上げると、小さな体から力強い泣き声が部屋いっぱいに広がった。

 だがその瞬間、空気が張り詰めた。


「……あれは……?」


 闇魔法士が目を見開く。泣く赤子の体から、青白い光のような魔力の波動が放たれている。泣き声が一層大きくなるたび、その波動もさらに強まっていった。そして、先ほどより強烈に空間が揺れた。


「魔力の暴走だ……! 早く止めろ!」


 医師が叫ぶと同時に闇魔法士が封印の術を発動。闇の鎖が赤子の周りに絡みつき、魔力を抑え込んでいく。すぐに水魔法士が赤子に魔法を施す。水膜が柔らかな光を放ちながら赤子の体を覆う。だが、顔の部分だけは空洞が保たれ、呼吸が確保される。

 さらに、水魔法士が手をかざし、水膜の内側に微細な揺らぎを与える。そのリズムは、まるで母親の心臓の鼓動のようだった。水がドクン、ドクンと静かに脈動し、温もりとともに赤子の体に伝わっていく。まるでお腹にいた時と同じような安心感に赤子が泣き止み、すやすやと眠り始めた。


「……危なかった……」


 闇魔法士の荒い息が、静寂の中に響いた。医師が額の汗を拭う。だが――。


「オリヴィアは!? オリヴィアは無事なのか!?」


 産室の扉が勢いよく開き、ローランドが駆け込んできた。ベッドで眠る赤子には目もくれず、助産師の肩を掴んで詰め寄る。助産師の顔が曇った。


「出血が止まりません……!」

「ふざけるな! 全力を尽くせ!!」


 怒鳴り声が産室に響き渡る。

 その中で、オリヴィアの意識はゆっくりと薄れていった。



***



 何も見えない白い空間に、オリヴィアはひとり佇んでいた。


「……母上、早く起きてください」


 振り向くと、金髪碧眼の少年が立っている。顔立ちがローランドにそっくりだった。けれど、雰囲気が違う。いつもにこやかなローランドと違い、少年は不機嫌そうな顔をしていた。けれど、少しだけ涙ぐんでいた。


「でも、もう疲れたの」


「何言ってるんですか。母上がいないと、父上が暴君になってしまいますよ。わがまま言わないで早く起きてください」


 ――そうだ。この子は、私の息子。

 なんで忘れていたんだろう。そう、名前はレイモンド。

 私の可愛い息子。不器用で、でも優しい、愛しい子。


「レイモンド、あなた、お母様になんてこと言うの」


「父上が、泣いてます」


 オリヴィアは眉をひそめ、ため息をついた。


「……本当にあの人は、仕方のない人ね。私がいないとダメなんだから」


「ぼくも、母上に会いたいです」


「ふふ、そうね。私も、あなたを抱きしめたいわ」


 レイモンドがそっと手を差し出す。

 彼女はその手を取った。


「ほら、行きますよ」


 白い世界の奥に、温かい光が差し込んでいた。



***



 翌日。暗い部屋の中には、静寂だけが満ちている。オリヴィアは、重たい瞼をゆっくりと開けた。


(……ここは……?)


 視界がぼやける中、真っ先に目に入ったのは、ローランドの顔だった。彼は彼女の手を力なく握りしめ、彼女の顔をじっと見つめていた。その瞳は赤く充血し、目の下には深いクマができていた。


「……ローランド?」


 か細い声で名を呼ぶと、ローランドの瞳が大きく見開かれた。わずかに潤んだ瞳が揺れ、彼女を見つめ返す。


「……オリヴィア……! 生きていてくれた……」


 彼は感極まった声で呟いた。ローランドは両手で、オリヴィアの手をぎゅっと包み込む。


「何とか……君は一命をとりとめたんだ……」

 震える手でオリヴィアの手を強く握りしめ、ローランドはまるでその命を確かめるかのように抱き寄せた。


「……赤ちゃんは?」

「ここにいる。元気だ。君が……命がけで産んでくれた」


 オリヴィアは隣のベビーベッドに目をやり、かすかに微笑む。そこには、静かに眠る赤子の姿があった。だが、その笑顔を見たローランドは、さらに手に力を込める。


「もう無理はしなくていい……。二度と産まなくていい。これ以上、君が苦しむのは見たくない」


 彼の瞳には、深い恐怖と執着が渦巻いていた。オリヴィアは、そんなローランドの顔をじっと見つめる。


「でも、公爵家に嫁いだからには、あと一人は……」

「だめだ!」


 彼の声が鋭く響く。その目は強い光を宿していた。


「君に、もしものことがあれば、私が狂う。どちらが民のためになるか、考えたら一目瞭然だ」

「あなた……いつも民を人質にとるのね……」


 オリヴィアは小さく笑った。ローランドも、ようやく肩の力を抜き、彼女の手の甲に唇を落とす。


「君より大切なものなんて、ない……」


 震える声が消え入りそうに響く。彼の瞳には涙が溢れ、ポタポタとオリヴィアの手の甲に落ちる。オリヴィアは、そんな夫の顔を見上げて、小さく息を吐いた。今は、何を言っても無駄だと話題を変えることにした。


「ねえ、この子の名前、なんだけれど」

 オリヴィアは赤子を見つめながら、優しく口元をゆるめた。

「……レイモンド。レイモンドなんてどうかしら? あなたと同じ響きで素敵だわ。でも、この国では短すぎるかしら?」


 レグナス王国には、嫡子ほど名前が長いという習わしがある。期待されている子ほど名前を長くするという昔からの習慣だ。逆に、末っ子になるほどに名前が短くなる傾向がある。ローランドの名前は公爵夫人がつけたものだが、彼女は伝統に囚われない性格だったため、公爵家嫡男にしては少し短かった。


「レイモンドにしよう。いい名前だ。君が良いなら、それでいい」

「もう、あなたったら本当に……」


 婚約を承諾してからというもの、ローランドはずっと、甘く、優しかった。ローランドから離れない限りはオリヴィアがどんなわがままを言っても許すだろう。むしろ、嬉々として叶えようとするかもしれない。彼は優しくオリヴィアの髪を撫でた。その指はまだ微かに震えている。


「オリヴィア、そろそろ寝た方が良い。君は長生きするのが何より大事なんだから」

「そうね……でも、レイモンドの顔を、もっと見ていたいわ。可愛い子」


 オリヴィアは、隣にいる赤子の小さな手をそっと握りしめた。


「少しだけ……抱いてもいいかしら?」

「まずは寝ないと」

「お願い、ローランド」

「……短時間だけなら」


 ローランドがしぶしぶ頷き、ベビーベッドから赤子をそっと抱き上げ、オリヴィアの腕の中に優しく乗せる。

 赤子は軽く身を動かしただけで、またすやすやと眠り始めた。


 オリヴィアは、小さな体をそっと胸元に引き寄せた。

 その温もりが、確かに腕の中にある。


「……夢の中でね、あなたに会ったのよ。抱きしめたいって思ってたの」


 彼女の声はかすれていたが、やわらかな笑みを浮かべていた。


 ローランドは二人の姿を見つめながら、安堵の息を吐いた。オリヴィアの唇には、穏やかな微笑みが浮かんでいる。


 (愛しい我が子……あなたの人生が、光に包まれたものでありますように……)


 静寂が部屋を包む中、三人の絆は、静かに結ばれていくのだった――。


オリヴィア視点は、ここまでです。

次は、ローランド視点の物語が始まります。


涼しい顔の裏で必死だった彼の恋と執着を、今度は彼自身の言葉で綴っていきます。

どうぞ、お楽しみに。


この物語を楽しんでいただけたら、評価や感想をいただけると嬉しいです。

皆様の反応やアクセスが、いつも本当に大きな励みになっています。

心より感謝申し上げます。

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