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第四話 愛の言葉とその裏側

※今回のお話には、少し狂気じみた執着表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。それに合わせてタグを一部変更・追加しました。

 翌朝、迎賓館の広間に陽光が差し込み、花の香りがほのかに漂っている。いつも通り朝食を取りに来たオリヴィアを待っていたのはローランドだった。普段は先に着席している彼だが、いまは一輪の赤いバラを手に、オリヴィアの前に立っていた。その青い瞳は真剣そのもので、まっすぐにオリヴィアを見つめている。


「おはようござ……」

「君の瞳は、星々よりも美しい」

「え?」


 甘く、低い声が響く。オリヴィアの心臓が、一瞬、止まったように感じた。


「君の声は、春のそよ風のように心地よい」


 愛の言葉一つ言わなかった彼が、今、こんな熱い言葉を囁くなんて、オリヴィアは信じられなかった。


 (……な、なにこの台詞!?急にどうしたの!?)


「君を初めて見た瞬間から、君のことばかり考えている。君のすべてが、私を狂わせる」


 一歩、距離を詰めるローランド。その瞳は真剣で、まるで彼女を逃さないと言わんばかりの強い視線。彼の頬が、わずかに赤く染まっているのが見えた。そして、無言のまま、オリヴィアの手に一輪の赤いバラを握らせた。オリヴィアは戸惑いながら、その赤いバラを見つめる。


 (一本の赤いバラ……たしか、この意味って……)


 『一目惚れ』


 脳裏に浮かんだ言葉に、オリヴィアの心臓がさらに高鳴る。


「……なっ……な、なにその口説き文句!?」


 オリヴィアは思わず顔を真っ赤にして後ずさる。心臓がバクバクと鼓動を打ち、頭の中は混乱の渦。だが、ローランドは何も言わず、スッと背を向けると、去っていった。その後ろ姿はどこか切なく見えた。


 (え!?何!?どういうこと?)


 オリヴィアは一本のバラが握ったまま、しばらく立ち尽くしていた。




 翌日、再び広間に現れたローランドは、今度は三本のバラを手にしていた。赤く染まった頬を隠すように、目を伏せながら彼は言う。


「愛しています、オリヴィア」


 その声はかすかに震えている。普段、冷静沈着で余裕すら感じさせる彼が、今は照れくさそうに目を逸らしている。その仕草につられて、オリヴィアの頬も熱を帯びた。そして、三本のバラをそっとオリヴィアの手に押し付けるように渡した。


「えっ!?」


 三本の赤いバラの意味は『愛しています』。オリヴィアの顔も真っ赤に染まる。この状況が信じられない――。彼が、本気でこんな台詞を言っているなんて……!けれども、また彼はスッとどこかに消えていった。


 (一体何なの!?まさか、私が言ったから愛の言葉の努力してるってこと……!?)



 それからというもの、オリヴィアは恋愛小説を手に取ることもできず、頭の中はローランドの言葉でいっぱいになっていた。彼の声が何度も蘇る。あの甘い囁き、少し赤みを帯びた頬、照れた目。


(今まで愛を囁いてこなかった彼が、こんなにも真剣に……私のために?)


 そう考えるたびに、オリヴィアの胸は高鳴った。その後も――。十本、十二本、二十四本、三十六本。日に日に増えていく赤いバラ。その一輪一輪が、彼の想いの強さを物語っているようで、オリヴィアの胸はさらに熱を帯びた。


『あなたは完璧』

『私の恋人になってください』

『一日中思っています』

『心から愛しています』


 オリヴィアは恋愛小説を読むのが趣味だ。赤いバラの本数によって意味が変わることを知っている。贈られる本数が増えるごとに、彼の愛が強まっていることを痛感せずにはいられなかった。


 そして――。


 迎賓館の中庭。初夏の陽光に照らされ、赤いバラが咲き誇っている。その中央に、ローランドが立っていた。手には、百八本のバラが抱えられている。その意味は『結婚してください』だ。彼の瞳は真剣で、青い瞳はまっすぐにオリヴィアを見つめている。オリヴィアの胸は高鳴った。


(きっと今からプロポーズされる。私は、なんて返事をしたらいいの……?)


 最近のローランドは言葉を尽くしてくれていた。彼の照れた様子が努力を物語っていて、好感を持つようになっていた。オリヴィアの心は揺らぎ始めていた。けれど、結婚という決断を下すには、あと一歩が踏み出せなかった。


 ローランドが深く息を吸い込む。その青い瞳が、オリヴィアをまっすぐに見つめる。オリヴィアの心臓が一瞬止まったように感じた。


「オリヴィア。私は――」


 そう言いかけた瞬間、威厳のある低い声が穏やかに響いた。


「ローランド! その後調子はどうだ? 花街(はながい)の効果はあったか?」


 ウィンターガルド公爵が軽やかな足取りで中庭に現れた。その口元には、どこか余裕のある笑みが浮かんでいる。ローランドの顔が強張る。


「父上。まさに今、その効果を試しているところです」


「おお、それはすまなかったな。オリヴィア嬢、ローランドは貴女のために努力している。しっかりと見極められ――」


 公爵が言い終わる前に、オリヴィアの目が鋭く光った。


花街(はながい)って何よおぉぉぉ!!!????」


 オリヴィアは貴族令嬢とは思えぬ勢いでローランドの腕を掴んでいた。花街はながいとは、夜ごと華やかな衣装を纏った女性たちが客をもてなす店が立ち並ぶ街のことだ。オリヴィアにとっては、いかがわしいことをする場所、という印象が強い。勢い余って腕を掴んだ拍子に、彼が抱えていた百八本のバラの花束が床に落ちた。赤い花弁がぱらぱらと舞い散り、足元に散らばった。


「え? いや、父上が――」

「私が、商売女と同じってこと!? バラを渡して愛を囁いてれば簡単に口説けると思ったの!?」

「そんなことは――」

「許せない!! 二度と私に顔を見せないで!!!」


 オリヴィアはローランドを突き放すように腕を離し、そのまま自室へ駆け込んでいった。呆然と立ち尽くすローランド。彼の足元に無造作に散らばったバラの花弁と、百八本のバラの花束が転がっていた。



 ずいぶん住み慣れた客室で、オリヴィアはベッドに突っ伏していた。瞳は涙で赤く滲んでいる。頬には涙の跡がまだ残っていた。ローランドに少しでも心を許してしまった自分が、今はただ情けなく、悔しかった。


 (バカみたい……!彼の言葉を信じた私が……!)


 その時、扉の向こうから、低い声が響いた。


「オリヴィア……」


 ローランドの声だ。オリヴィアはぎゅっと目をつぶり、涙を堪える。何度も名前を呼ぶ彼の声が、胸に突き刺さるように響いた。その声は、掠れてどこか頼りなかった。いつも鷹揚としていた彼の弱々しい声に、オリヴィアは体を起こし、じっと扉を見つめた。


「オリヴィア……話がしたい」


 (今さら何を言うのよ……)


 オリヴィアは唇を噛みしめながらも、意を決して扉を開けた。ローランドが立っていた。その両手には、くしゃくしゃになったバラの花束が抱えられている。オリヴィアの胸がギュッと痛んだ。けれど、その痛みに気づかないふりをした。まるで感情を振り払うように、声を張り上げる。


花街はながいに行くなんて、不潔だわ! 二度と私に触らないで!」


 ローランドは目を瞬かせ、静かに首を傾げた。


「……何をそんなに怒っているのか分からないんだ。花街はながいには行ったが、それがダメだったのか?」


 オリヴィアの顔が真っ赤になる。拳を握りしめ、喉の奥が熱くなる。


「当り前じゃない!! よくもまあ私を口説きながら花街(はながい)なんかに!!」

「父上に連れていかれたんだ。愛の言葉を学ばせてやるって。君が嫌ならもう行かない」

「汚らわしいわ!! 嘘の口説き文句なんて、聞きたくもないわ!」


 オリヴィアは彼を睨みつけた。


「……嘘じゃない」

「え?」


 ローランドは俯き、ぎゅっと花束を握りしめた。だが、その青い瞳はどこか不安げに揺れている。


「君への想いを、どう伝えればいいのか……分からなかったから、マダムたちに相談したんだ。……そのままじゃ怖がられるって言われたんだ。だから、きれいな言葉だけを言えと教わった」


 (マダムたちに相談?花街はながいで?)

 胸の奥がざわつく。


「……話をしただけなの?」

「もちろんだ」

「それでも……私への想いを他人に話されるのは嫌だわ」


 ローランドは唇を噛み、視線を逸らす。その顔には、迷いと葛藤が浮かんでいた。


「……でも、本当のことを言ったら……君に嫌われる……と思って」

「嫌わないから、言ってみなさいよ」


 オリヴィアは少し顔を赤らめながらも、強気に言い放った。ローランドの瞳が一瞬だけ見開かれ、喉が上下に動く。そして、意を決したように大きく息を吸い込んだ。


「……君と、ずっと一緒にいたい」


 オリヴィアの胸がドクンと跳ねた。その言葉には、彼の真剣な感情が宿っていた。


「……それだけ?」


 オリヴィアは平静を装いながらも、内心は激しく動揺していた。胸が高鳴る。彼の本音をもっと聞きたいと思った。ローランドは目を伏せ、花束を握りしめる。


「……君の笑顔が見たい。君の声をもっと聞きたい。君の隣に、私の居場所があってほしい」


 ローランドは一歩近づき、オリヴィアの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳の中には、どこか焦燥感のような色が宿っている。オリヴィアは心が震えるのを感じた。


 (――この人、こんなに真剣な顔をするんだ……)


 その瞬間、ローランドの瞳が僅かに揺れた。彼の唇が震え、目がすがるようにオリヴィアを見つめる。


「……君が誰かのものになるなんて……考えられない」

「……え?」

「君が他の誰かの隣で笑っているところなんて、見たくない」

「……」

「だから、君が私を嫌うくらいなら……いっそのこと、逃げられないように――」


 ローランドは言葉を詰まらせ、さらに花束を握りしめる。その瞳は苦しそうに歪んでいる。


「――四肢を縛ってでも傍に置きたい」

「……えっ……!?」


 オリヴィアの背筋がゾクリと震える。


「私の元を離れられないようにしたい……」


 ローランドの声は淡々としているのに、その瞳だけが異様に熱を帯びていた。オリヴィアの胸の鼓動が先ほどとは違う意味で早鐘のように打ち鳴らされる。


「こ、怖い怖い怖い怖い!!!」


 オリヴィアは後ずさりをした。その顔は真っ青だ。だが、ローランドは動かない。彼はただじっと彼女を見下ろし、瞳孔が開いた目で静かに言葉を続けた。


「君を失うくらいなら、私は……君の自由を奪ってでも、傍に置いておきたい。――嫌わない約束、だろ?」


 その言葉に、オリヴィアの背中に冷たい汗が伝う。


 (ああ、この人、本当にヤバい――)


 本音を語れば語るほど、その狂気が露わになる。でも、目を逸らせない。彼の目の奥にある孤独と執着が、オリヴィアの心を捉えて離さない。オリヴィアは乾いた喉を鳴らし、震える声で言う。


「……嫌わない、って言ったけど……」


 喉が乾く。唇を湿らせてから、意を決して続ける。


「……あなた、本当に……私を……愛してるの?」


 ローランドの瞳がわずかに揺れる。

 一瞬の沈黙――。


「……私は、君を愛している。誰よりも。君がどこにも行かないように何だってする。君の隣にずっといられるように」


 ローランドは、涙をこぼした。涙がくしゃくしゃになったバラの花束に落ちる。


「こんな気持ち、初めてなんだ。君しかいないんだ。君を愛してる」


 その言葉に、オリヴィアの心が締め付けられる。彼の言葉には狂気が滲んでいる。だが、それ以上に真剣で、切実で、どうしようもないほどの本気が込められていた。

 オリヴィアは息を呑んだ。


 (これ、逃げられないやつでは?)


 視線をそらし、そっと額の汗を拭う。


 (断ったらどこまでヤバくなるかわからないし……それならいっそ主導権を握った方が……)


 オリヴィアは瞬時に思考を巡らせた。抵抗し続けて、本当に縛られたらたまらない。自由は死守したい。


 (まだ今なら交渉の余地があるかも?)


 じっとりと彼に見つめられて息が浅くなる。恐怖と焦りの中で、オリヴィアは今まで学んできた外交官の交渉術を必死に思い返した。そして今が、最大の利益を引き出せる最後のチャンスだと確信した。大げさに肩を落とし、天井を仰いで大きく息を吐いた。


「……はぁー、もういいわ! 結婚してあげる! でも、その代わり――」


「その代わり?」

「私の自由は絶対に奪わないこと! それから、私を縛らないこと! わかった?」


 ローランドは目を瞬かせて、まっすぐ頷く。そして、百八本のバラの花束をオリヴィアの手に握らせた。その重さが腕に食い込み、オリヴィアは思わず顔をしかめる。


「ありがとう、オリヴィア……」


 ローランドは目を細め、爽やかな笑顔で囁いた。


「……でも、足だけでも縛るのはダメかな?」

「ダメに決まってるでしょおおおお!!!」


 オリヴィアは全力でローランドの胸に花束を押し返す。


「重いのよ! あと、怖い発言禁止!!」


 ローランドはうっとりとした表情で呟いた。


「……オリヴィアのその拒絶も、可愛い……」

「もうヤダー!!!」


 オリヴィアの絶叫はどこまでも響いたのであった。



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