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第二話 閉ざされた航路

 朝の光が差し込む迎賓館の客室で、オリヴィアはぼんやりと昨夜の出来事を反芻していた。ダンスのあと、突然片膝をついてのプロポーズ。


 (意味が分からないわ。なにあれ、どういうことなの?)


 それに対して、即座に「お断りします」と答えた――はずだった。にもかかわらず、朝食の席に向かうと、広間にはローランド・ウィンターガルドが当然のように座っていた。ここには使節団と使用人しかいないはずなのに。


「おはようございます、オリヴィア嬢。今朝はよく眠れましたか?」


 笑顔とともに告げられたその挨拶に、オリヴィアはほんのわずかに眉をひそめた。彼の態度は決して無礼ではない。だが、ここに彼がいること自体が、異様だった。


「……はい。あの、なぜここに?」

「親睦を深めるために朝食をご一緒しようと思いましてね」


 にこやかに答える彼を前に、オリヴィアは胸の奥でじわじわと不安を感じ始めていた。


 (……何しに来たのよ。まさか毎朝、来るつもりじゃないわよね?)

 

 そのまさかは、現実になった。


 ***


 使節団は公爵領内の迎賓館に滞在していた。建物は格式高く、設備も申し分ない。オリヴィアとしても、不満はなかった――彼の訪問を除いては。


「オリヴィア嬢。本日のご予定を伺っても?」


 翌日の朝食の席にも、ローランドが当然のように現れていた。本邸からわざわざ足を運んでいるのだという。使節団員たちが集まる朝食会の席で、ローランドは当然のようにオリヴィアの隣に座っていた。


「今日は、昼食をご一緒できると嬉しいのですが」

「申し訳ありませんが、外交文書の確認がありますので」

「おや、では今夜の晩餐は?」


 返答に窮しているオリヴィアを見ながら、ローランドは微笑んでコーヒーを口にした。その態度は、まるですでに内定済みの婚約者に向けられるもののようだった。


 (……私、きっぱりと断ったわよね……?)


***


 毎日、ローランドからの誘いは続いた。ついに予定がなかった日、逃げきれずに昼食を共にすることに。どんな口説き文句が飛び出すのかと身構えた。だが、彼が始めたのはレグナス王国におけるウィンターガルド公爵家の財力と、その夫人の地位の高さを説くプレゼンテーションだった。広大な敷地と魔鉱石の鉱山。王国一の交易港、筆頭公爵家としての地位。晩餐会では王族の隣に座る名誉、そして最高級のドレスと宝石――。


「王家を除けば、社交界であなたに逆らえる者などいない。話題の中心は常にあなた――それがウィンターガルド公爵夫人の立場だ」


 一通り言い終えた彼の言葉は、まるで一流の商品カタログのようだった。昼食会の終わりに「序列や権力に興味はございません」と告げると、彼は目を丸くした。

 

 だが、それで懲りる様子もなく、翌日もまた誘いは続いた。使節団の仲間たちは、気まずそうにオリヴィアを見送りながら、どこか憐れむような視線を向けてきた。その日は、「結婚のメリット」を延々と語るプレゼンテーションだった。公爵夫人になれば与えられる予算、潤沢な財源、不要なら社交はしなくていいという自由――。

 「贅沢と怠惰にまみれた日々をお約束しますよ」と言わんばかりだった。「贅沢や怠惰に興味はございません」と言い切ると、彼は呆気に取られていた。


 オリヴィアは薄々気づいていた。

 この男は、一見器用な貴公子に見えて、その実、女性の扱いが致命的に下手なのだと。

 女性を口説いているというより、まるで商談でも持ち込んでいるかのようだった。

 

 そうして、滞在から一週間が過ぎた。朝食の席に現れるローランドに、オリヴィアは「またか――」と内心でため息をつく。彼は毎日変わらず、あの柔らかな笑顔を浮かべている。しかし、オリヴィアの心は日に日に重くなるばかりだった。帰国の日を、一日、一日と指折り数えるのが、彼女の心の拠り所になっていた。


***


 そしてついに帰国の日。


「欠航?」


 最後になるはずの朝食会で執事から知らされたのは、信じられない言葉だった。空は青く、風は穏やか。天候に何の問題もない。にもかかわらず、船は出ないという。使節団内に動揺が走る中、責任者が港湾管理局からの通達文を読み上げた。


「嵐の兆候が観測されたため、当面の出航を見合わせる、だと……?」


 使節団の責任者が通達文を握りしめていた。港湾管理局の印章に加えて、そこには――ウィンターガルド家の紋章が並んでいた。ふと隣を見れば、ローランドが当然のように座っていた。口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。


「それは残念だね。こちらとしては、いつまででも、いてくれていいのだけれど」


 その瞳は仄暗く、底が知れなかった。


 (もしかして……いいえ、まさかそんなはずは……)


***


 結局、その日は船を出せず、使節団は引き続き迎賓館に滞在することになった。建物も食事も快適。だが、心はひとつも休まらない。


「おはようございます、オリヴィア嬢。本日のご予定を伺っても?」


 翌朝も朝食の席に現れたローランドは、変わらぬ笑顔を浮かべていた。


 (……本当に、何を考えているのよ)


 予定なんてあるはずがない。任務は終わったのだから、あとは帰るだけのはずだった。だが、今日も出航の許可は下りない。胸の奥に、じわじわと不安が広がっていく。

 事態の説明を求める使節団に対し、ローランドはあくまで穏やかに、礼儀正しく応対していた。


「今日も船を出せないのですか?」

「我が領では、一定以上の気象異常が観測された場合、安全を最優先し、航行を制限する慣習がございます」

「では、いつ出航できるのですか?」

「それは……自然のご機嫌次第、というところでしょうか」


 まるで気まぐれな天候のように、彼は言葉を濁した。



 数時間後、使節団の責任者が私に告げた。


「……オリヴィア嬢、残念ながらあなたの帰国は延期となった。公爵家から申し出があってね、なんでも、交渉を継続するにあたり、あなたに残ってほしいそうだ」

「……は?」

「安心してほしい。あなたの父君にも、公爵家から正式に婚約の報告がされるらしい。魔鉱石の交易に関しても、婚約者の実家との関係ならば、定期的な提供が可能だと……」


 思考が、一瞬で真っ白になった。


 (婚約?そんなもの、了承してない。してないのに、私の父に報告?取引材料にされたの?)


 オリヴィアは、口を開いた。


「その話は、お断りしました!  私は帰国します!」


 責任者は困ったように目を伏せた。


「だが……オリヴィア嬢。本国との関係を考えると……」

「こんなの横暴です! 我が伯爵家が許すはずありません!  私は皆さんと一緒に帰ります!!」

「……しかし、公爵家が本邸に、その……あなたのための部屋が……」

「部屋なんていらない!  私は帰るわ!  荷造りしてきます!」


 オリヴィアは意地でもその場を動かず、詰め寄った。責任者は諦めたように息をつき、明日の昼に出発予定だと告げた。公爵家にはなんとか話を通すから、一緒に帰ろうと言ってくれた。

 だが、その夜――


***


 翌朝、迎賓館の廊下にオリヴィアの足音だけが響く。前日までなら、この時間には朝食に向かう使節団員たちの足音で賑わっていたはずだ。だが、今は静寂だけが広がっている。


(まさか、まさかそんなはずは――。だって、責任者の方が約束してくれたもの。一緒に帰ろうって)


 自分に言い聞かせるように、早足になる。背中を冷たい汗が流れ落ちた。廊下には誰の姿もない。オリヴィアの慌てた足音だけが響いていた。


(きっと、今日はみんな早起きなだけ……。出航の日だから、もう広間で朝食をとっているんだわ。きっとそう。そうに決まってる)


 祈るような気持ちで朝食の広間の扉を開ける。

 だが――。


 前日まで騒がしかった広間が、信じられないほどの静寂に包まれていた。広いテーブルの中央には、一人分の席が整えられ、白い皿とカトラリー、折りたたまれたナプキンが静かに置かれていた。オリヴィアはその場に立ち尽くした。


 (……誰もいない)


 迎賓館にいた使節団員たちは、一晩のうちに姿を消していた。すぐに執事から聞かされた言葉は、「全員、出発しました。すでに港を出た後です」というもので――


「なんなのこれーーー!!!」


 (置き去りにされた!?噓でしょ!?これ、絶対に夢だわ。夢でなければ困る)


「夢よね!? 誰かこれ、夢だって言って!!!」


 思わず叫んだが、返事はなかった。


この責任者には、番外編でちゃんとざまあしますので、ご安心くださいませ。

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