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縛りたい理由

 穏やかな春風が吹くある日。


 オリヴィアは執務の合間に、図書室で本を探していた。

 恋愛小説はもう読み尽くしてしまったので、代わりに面白そうな本を探していた。


 図書室の奥――人目の届かぬ本棚の影で、ふと一冊の本が目に留まった。

 分厚く、古びた装丁。表紙の文字は、エルセリア王国の公用語で綴られている。

 懐かしさに誘われるように、オリヴィアはその本の背をつかみ、そっと引き抜いた。


 その瞬間、『コトリ』と乾いた音が響いた。

 棚の奥にかすかな振動を感じて、思わずのぞき込んだ。すると、背板がわずかにずれ、隙間が現れる。

 周りの本を移動し、奥をのぞくと、薄闇に包まれた小さな空間が隠されていた。


「え? 隠し棚?」


 そこには、長く眠っていたかのような三冊の薄い本が並んでいた。

 その中でも、ひときわ刺激的な雰囲気をまとった一冊に、思わず手が伸びる。


 上質な紙を使った簡素な綴じ本だった。

 背表紙もなく、どこか手作り感のある、妙に薄い一冊。

 その表紙には、上半身裸の男が二人、互いに絡み合うように鎖を巻きつけられた姿のイラストが描かれていた。

 作者名は『スロートン・クピウィーズ』。


 (これって、まさか……)


 オリヴィアはパラパラとページをめくり、思わず夢中で読みふけっていた。

 立ったままだということさえ、すっかり忘れていた。


 (……やっぱり、間違いないわ)


 流麗な文体、美しい風景描写、キャラクターの繊細な心理。


 (これは、これは……!)


 興奮に震えていたオリヴィアは、背後からの声にびくりと身をすくめた。


「オリヴィア? こんなところで何をしているんだい?」


 声の主は、休憩に来たローランドだった。

 彼は日に何度も、オリヴィアに会うために休憩を取っていた。

 いつもは椅子に腰かけて本を読むはずのオリヴィアが、棚の前で夢中になっているのを見て、ローランドは訝しげに眉をひそめた。


「ローランド!! これ、見て! 隠し棚に、こんなものが……!」

「うん?」


 ひょいと覗き込んだローランドは懐かしそうに頬をほころばせた。


「こんなところにあったのか……懐かしいな」

「この本を知っていたの!?」

「ああ、幼少の頃に偶然見つけてな。だが母上に取り上げられて、それ以降、見当たらなかったんだ。こんなところにあったのか」

「つまり……お義母様の本なの!?」

「ああ、おそらく?」


 そんな話をしていると、ものすごい足音がして扉が大きな音を立てて開かれた。


「なにしてるのーーっ!?」


 ローランドの母である前ウィンターガルド公爵夫人のナタリー・ウィンターガルドが顔を真っ赤にして駆け込んできた。


「お義母様! これは何ですか!?」

「きゃああぁぁ!! 見ないでえええ!!」


 ナタリーはすごい勢いで本を回収した。


「読んだ!? 中身を読んだの!?」

「読みました……!」


 きりりとした顔でオリヴィアは答えた。

 ナタリーは顔を真っ赤にして震えながら、言葉を失っていた。


「お義母様っ! これ……まさか、ピンクローズ・スウィート先生の幻の別名作品じゃありませんか!?」


 興奮のあまり、オリヴィアはナタリーの袖をぎゅっと掴んでいた。


 オリヴィアが敬愛してやまないピンクローズは、二十年来の恋愛小説界の巨匠である。

 そんな先生には、長年囁かれ続けているある噂があった。


 ある時期に別名で活動していて、発禁処分となった幻の本が数冊あると――。


 ピンクローズの大ファンであるオリヴィアは、公爵夫人の権限を使ってでも、その書籍を手に入れようとしたが、無理だった。もともと、一部の熱心なファンに向けて、ごく限られた場所で、わずかな部数だけ手売りされたという。

 今では、その現物の所在すら不明。

 噂によれば、内容があまりにも過激だったため、王国風紀監察庁が介入し、即時回収されたという。しかし、一部の本は所在が分からず未回収のまま、行方不明になっている。

 今や黒バラ本と呼ばれ、熱心なファンの間では半ば神話のように語り継がれている。


 その噂の中にある別名についてだが、黒バラ本を読んだことがある婦人は、かつてこう語ったという。


 「『ピンクローズ・スウィート』を入れ替えたような名前だった」と。


 『スロートン・クピウィーズ』――この文字を見た瞬間、オリヴィアはピンときた。


「ほら……文字を入れ替えると……ピンクローズ・スウィートになるのよ!? スロートン・クピウィーズは、ピンクローズ先生の別名じゃないかしら!?」


 あの幻の黒バラ本なのでは、とオリヴィアの胸は高鳴った。


「なんだって?」


 驚いた顔をしたのはローランドだった。


「待ってロー……」


 ナタリーが止めに入るより先に、ローランドの口から思わず言葉がこぼれた。


「ピンクローズは母上のペンネームではないか?」


 ローランドは訝しげに眉をひそめ、ぽつりと呟いた。

 空気が凍りつくような沈黙が落ちた。


「……え?」

「ということは、これを書いたのは母上だと?」

「いやあああああ」


 四十をとうに過ぎたナタリーには、年齢にとらわれない可愛さがあった。そんな彼女が、顔に右手を当て、まるで乙女のように身を震わせた。ちなみに、左手にはしっかりと回収した本を抱えていた。


 オリヴィアは驚きながら、記憶の断片を次々と手繰り寄せていく。

 図書室に全巻そろっているピンクローズの作品。書店よりも早く届く新刊。

 ローランドと喧嘩した夜に届いた、あの手書きの未発表作品。

 今ならわかる。

 ――全部、繋がっていた。


「ナタリー! どうした!?」


 前公爵でありローランドの父、グレゴリオス・ウィンターガルドが慌てた様子で駆け付けた。

 そこには、顔を真っ赤にして涙目で震えるナタリーがいた。

 グレゴリオスは一瞬ナタリーを見てから、険しい目でローランドを問い詰めた。


「どういうことだ、ローランド。ナタリーに何をした」

「? 私は何をしたんでしょう? ただ、この本について聞いただけですが」


 ローランドは首をかしげながら、ナタリーが持っている本を指さした。

 ナタリーは、表紙が見えるように本をそっと持ち上げた。


「これは……」


 それを見た途端、グレゴリオスは動揺していた。

 その後ろにいた執事長が「ゴフッ!」とむせた。


「オリヴィアが、この書籍はピンクローズの書いたものだというので、では母上が書いたのかと確認したんです」

「な、なんと……」


 グレゴリオスは痛ましいものを見る目つきでナタリーを見た。

 ナタリーはもう本を脇に抱えて、顔全体を手で覆い隠していた。耳まで真っ赤である。


「なぜ、そんなに恥ずかしがるのです? これは、この国の最上級の愛情表現を描いた、愛の指南書ではないのですか?」


 ローランドは心底分からないという表情でまっすぐ母親を見ていた。


「「「ええええ!?」」」


 その場にいた誰もが驚いた。


「母上はおっしゃったじゃないですか。これは、愛の本だと。最上級の愛情表現と」


 そう。ローランドがまだ幼い頃、たまたまこの本を図書館で見つけて母に尋ねたことがあった。

 難しい文字は読めなかったが、「愛」や「縛りたい」「離さない」といった言葉は理解できた。

 そして、ページからあふれるような熱気と、どこか鬼気迫る雰囲気に、幼心ながら強い衝撃を受けたのを覚えている。


 すぐに本はナタリーに取り上げられ、「これは……愛の本よ。あなたにはまだ早いわ」とだけ言われて、隠し場所を変えられてしまった。


 それを聞いたローランドは、「きっと大人の愛の表現なのだろう」と納得した。

 以来、彼の心の奥には、縛ることこそが、最上の愛情表現だという印象が、深く刻まれてしまった。


 オリヴィアを束縛したいという衝動は、ずっとローランドの中にあった。

 彼はそれを自覚しているが、彼女が他国出身であるため、無理はさせまいとその気持ちはできるだけ抑えている。


 グレゴリオスは不憫なものを見る目でローランドを見やり、図書室の扉をそっと閉めるよう、執事に目で合図した。


「これは、ナタリーが若い頃に、趣味で書いた本だ。オリヴィア君にはまだ伝えていなかったが、彼女は周りに秘密で小説家をしていてね。君がナタリーのファンということは聞いていたが、なかなか言えなくて悪かったね」


「ほ、本当にお義母様が、ピンクローズ先生なんですか!?」

「うう……オリヴィアちゃんに、ピンクローズのことは……いつか話そうと思ってたのよ……。でも、この本まで知られてしまうなんて……っ」


 ナタリーは顔を両手で覆い、震えていた。


「……お義母様。いえ、先生」

「!」


 オリヴィアはナタリーの腕を優しく包んだ。


「尊敬しています!!」

「オリヴィアちゃん……!!」


 ナタリーとオリヴィアは手を握り合った。


「サインください! あと、ここにある本も全部読ませてください!」

「ええ!? いや、それはちょっと……っ」

「お願いします! 愛の種類は違えど、ピンクローズ先生の繊細な表現は、どれも感動的でした!」

「……わ、わかってくれるのね……! 秘密にしていてごめんなさいね。あなたの小説の感想をこっそり聞くのが楽しみで、素直な感想を聞きたくなっちゃって……これからも忌憚ない意見を聞かせてね!」

「はい!!」


 二人は手を取り合い、何かを囁きあいながら深くうなずいていた。


 それを横で見ていたローランドは、そっと息をついた。


 (オリヴィアも、やっと――この国の愛情表現を受け入れられるようになったのかもしれない)


 今まで、オリヴィアとは文化の違いがあったため、ローランドは束縛表現を遠慮していた。


 (だが、オリヴィアの理解も得られたし、これからは――)



 その夜、ローランドはとりあえず、愛情表現でオリヴィアに手枷を贈ってみた。

 怖がったオリヴィアの訴えにより、翌日には両親が呼び出された。この本が特殊な本であると説明を受けたローランドは、ただただ驚愕するばかりだった。


 そして、静かに問いかけた。


「……じゃあ、縛るのが愛情表現じゃないのなら、これは一体何の本なんですか?」


 誰も何も答えなかった。


※この後、手枷は倉庫の奥に、ひっそりとしまわれたそうです。


黒バラ本の執筆秘話を書こうとしたら、ナタリーのキャラがあまりに面白すぎて、つい短期連載を書いてしまいました!

現在、第一話を公開中です。よかったら覗いてみてください。


ローランドの両親――ナタリーとグレゴリオスが出会い、結婚するまでの物語です。

ちょっと変わった文学少女ナタリーと、誠実でちょっと不憫な公爵令息グレゴリオスのラブコメディ。


タイトルは『世界一素敵なゴリラと結婚します』。

毎日投稿予定です。本文は完結まで執筆済みですが、あとから加筆したくなるかもしれないので、全話数はまだ未定です(とはいえ、長すぎることはありません!)。


本編完結後になりますが、ナタリーが黒バラ本を執筆する過程も描けたらいいな……と考えています。

もし実現した際には、その時もぜひお付き合いいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ナタリーの方から先に読みました。途中で、ローランドがあのナタリーとゴリラの息子だとわかって、あの思考はナタリーのせいか!と(笑) とても楽しく読了しました。ほかの作品も見に行ってきます!
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