2.野望に取り組む
留夏 主人公
亜里沙 ぽわんとしている。陽キャだが優しい。
由衣 見た目ギャルのしっかり者
翔 留夏が神社で出会う青年
自分の部屋から一番大きなF3のスケッチブックを取りだす。
それから鉛筆に消しゴム。あとは水彩絵の具と筆にバケツ。台所でペットボトルに水を汲み、ボトルには母が作ったアイスティーをいれる。
「あら、どっか行くの?」
「近所。いってきまーす」
どこに行くとは言わない。本当に近所だったし。それを言うことで「え?」とか「何で?」とか聞かれるのがめんどくさかった。
「夏の日差しって乱暴だわー」
口にだしてから、なんか自分が大人になったな……と思う。子どもの頃は太陽の熱さもまぶしさも気にしていなかったのに。
子どもなのに、もう子どもには戻れない。
それなのに未成年。なんて中途半端なんだろう。
今この瞬間にも、手からこぼれ落ちる砂のように、子どもでいる時間は失われていくのに。
私たちは自然に大人になって、そして恋をして……由衣みたいに。私は乱暴にスケッチブックを持ち変えた。角が硬いスケッチブックは凶器だと思う。
友達に彼氏ができたのが面白くないとかじゃない、大好きな由衣には笑っててほしい。
(ああ、でもやっぱ……ちょっと面白くないのかな)
なんとなく亜里沙と由衣と、三人でつるんで過ごすんだと思っていた。
由衣はああ見えて家の手伝いもして忙しくって、それでいてお菓子作りも得意なんだ。
「味見して」
……って食べさせてくれるクッキーの順番が、二番目になるかもしれないなんて、そんなことでふてくされている自分自身が嫌だ。
「南に嫉妬するとか……意味わかんない。自分でもサイテー……」
口に出すことでホッとする自分がいる。親友に彼氏ができて遠くなったと思うのに、由衣が悩んでも笑っても、それはやっぱり共有したい。
「由衣に彼氏ができた。それだけでアタシまで成長しないといけないのですよ」
そう、大人へ。
私はふぅ、と息をつく。
生理が来るようになって、女の体を持て余すようになった。体が重く、ただ気持ち悪いだけ。大人の男から寄せられる、変な視線もイヤ。気のせいだと言ってしまえば、それまでだけど。
汗ばんだ腕で、スケッチブックをキュッと握りしめる。そして画材をいれたトートバッグを持って、私は炎天下を歩いて行く。行く先はすぐそこだった。
大きなヒノキは樹齢四百年だと聞いたことがある。子どもの頃はそこに登って、無邪気に木の股に腰かけていた。
日陰で蝉しぐれを聞きながら、私は座る場所を探した。
手頃な石を見つけたらスケッチブックを開いて、真っ白な画用紙に線を引いていく。まずは鳥居を、そして奥にある社殿へと続く石段を。
(学校で見た構図は、これと同じ……)
高校の大掃除でふだんは入らない、美術室に入った。準備室には石膏像や卒業生の作品が乱雑に置かれていて、そこで私は一枚の絵を見つけたのだ。
青い空をバックに、苔むした鳥居と神社が描かれた絵。
ひと目見てすぐに、家の近所にある神社だと気がついた。
たぶんもう、とうの昔に卒業してしまった誰かが、これを書いたのだろう。
紙の裏には知らない名前が書いてあった。
誰はわからないけれど、私たちと同じように廊下を歩き、学食で注文したうどんを食べたかもしれない。学食のメニューではうどんが一番安いのだ。かけ放題の七味を、バッサバサ振る男子がたまにいる。
(あの絵を描いたのが、そんなヤツだったら面白いのに)
私は持ってきたアイスティーをこくりと飲み、また右手を動かした。
クスノキの木陰は、アスファルトに照りつける日差しの中を歩いてきた身には、そこそこ涼しい。ミンミンと降りそそぐ蝉しぐれのおまけつきで、私の周囲からは何もなくなる。
シャッ、シャッと線を引き、細部を描きこんでいく。石段、鳥居の奥に立つ石灯籠に石畳、掃き清められているとはいえない地面に落ちた葉と、ぽつねんと置かれた賽銭箱。
すぐに詰まった。
「ん~むむ……」
自分の描いた絵が気にいらない。学校で見たあの絵には、すぐに心を奪われたのに。
「同じ建物だし。構図だって変わんないのに!」
描いたばかりの絵を、色を載せる前に破り捨てたくなる。描いた世界ごとグシャグシャにして丸めて、ポイっと。そしてコミックでも読んで忘れればいい。そう思うのに私は4Bの鉛筆を握りしめる。
「野望。変なの選んじゃった……」
いまさら反省する。由衣にも亜里沙にも、きっと笑われる。大掃除で見かけた神社の絵に対抗心を燃やして、わざわざ描きに来たなんて。
もっと上手い絵が描きたいとか、そんなんじゃなくて。
(あんなふうに世界を切り取れたら……そう思えちゃったから)
誰もいない神社の境内、だから選んだのだけど。
消しゴムで描いたばかりの線を消し、どうにかこうにかアウトラインを作りあげる。そうして私は絵の具を取りだした。
「ここからが本番なのですよ」
地面の色はどんな色?
黄土色……それとも茶色?
ううん、もっと沈んだ色。
木の緑はこんなにも深く濃い。そして影の色は青?
それとも……。
「黒じゃない」
灰色でもない。
けれどしっくりくる影を描き足さないと、この絵は完成しない。
私たちをあわいに引きずりこみそうな影を描きたい。
「いっそ紫とか?ううーん……」
首をひねっていると、にぎやかに鳴いていた蝉の声がピタリとやんだ。
かわりにコツコツと、石段をのぼる足音が聞こえてくる。
私は顔をあげなかった。お参りの人か散歩の人か……とにかく気にせず通り過ぎてほしい。そして早く私だけの世界をとり戻したい。
緊張しながら近づいてくる足音を全身で感じていると、コツコツと同じリズムで聞こえていた音が、私のすぐそばでピタリと止まる。
「…………」
私は顔をあげなかった。とにかく歩きだしてほしい。けれども音の主は動かない。
顔をあげて目が合ったら、愛想笑いでもする?それとも警戒する?
武器になるもの……と考えて、絵筆と鉛筆しかないのに気がついた。
(鉛筆の方がいいか……)
「そこ」
鉛筆を握りなおした瞬間、低い声が降ってくる。男だとわかった。
「青がいい」
「えっ?」
私は思わず顔をあげる。けれど目が合うこともなく、相手は描きかけの絵を一心に見つめていた。
「それにそっちは白をのせる」
「あ、はい」
与えられた情報に従って手を動かす。ひとりからふたりになったのに、私は相手の存在が気にならなくなり、しばらく無心に手を動かした。
目の前にあるのは一枚の紙。そこに私は世界を創りだす。
画用紙がどんどん色で埋まっていく。あるていど時間がたってから絵筆を置き、少し遠くから絵を眺めた。
「ホントだ。ぐっと良くなった……」
アドバイス通りに色をのせたところに、パッと目が行く。青と白が主張するように視線を呼びこんでいる。誘うような色使い……でもこれを描いたのは私だけど、私じゃない。
唇をかんでちらりと見あげると、絵を見ていたはずの男と、初めて視線がカチリとぶつかる。
「仲間がいるとは思わなかった」
「仲間?」
意味がわからなくて、相手をにらみつけた私に、彼はもう少しわかりやすく言い直した。
「こんなところで絵を描くヤツが、俺以外にいるとは思わなかった」
「こんなところで……って」
言いながら私の頭に一枚の絵が浮かぶ。美術室で見かけた絵。大掃除で見つけたほったらかしの絵。なのにひと目で近所の神社だとわかった。
「あーっ!あんた斎藤翔!?」
「えっ……」
いきなりすっくと立ちあがって、私が自分を指さしたものだから、斎藤翔は目を丸くする。
「知りあいだっけ?」
初対面なのにいきなりフルネームで呼び捨て。この瞬間、不審人物になったのは私の方だ。
絵の裏に描いてあった名前なんて、わりとどうでもよかったのに。
見たときはただの符号にしか思えなかった三文字が、いきなり立体化して目の前に立っている。
「たぶん近所……?」
なんともしまらない返事をして、私たちはおたがい見つめ合った。
翔くん登場。そしてポカーン( ゜д゜)