飽食時代
……謎現象が起き始めたのは、五年程前の事だ。
いきなり、何の前兆もなく、人が消えるようになった。
有名人も、一般人も、まんべんなく消えた。
ごく普通に生活をしている中で、人だけが減っていった。
少しづつ、しかし確実に、人は消えていった。
明らかに異常事態が起きているのに、人々はパニックにならなかった。
なぜならば、ごく普通に日常を過ごしていくうえで、自分の知らない誰かだけが消える現象は…別段問題がなかったのだ。
なんとなく人の数が減った、どこそこ店が空いている、並ばなくてもモノが買えるようになった…、謎現象をありがたがる人は少なくなかった。
学校に向かう見知らぬ子供の数が減り。
駅に向かう見知らぬ大人の数が減り。
買物をする見知らぬ主婦の数が減り。
人は、どんどん、どんどん…数を減らしていった。
コンビニは無人になり。
公共の乗物が無人運転になり。
スーパーから店員がいなくなり。
病院はAI診察と自動処方になり。
理髪店は軒並み閉店し。
電話はすべて自動音声応答になり。
テレビから人の姿が消え。
道路からバス以外の車が消え。
明らかに異常事態なのに、危機感がなかった。
なぜならば……、誰もいないのにスーパーは開いていて、電気は今まで通りに使えて、水道だって出て、ネットもつながって…不便なことは何一つなかったのである。
おそらく、人は、親しい知人というつながりで、まるっと消えているのだろう。
親しい知人がいないこともあって、人の消失で不安を覚えることは、なかった。
おそらく、人の知らない何らかのシステムが働いて、日常が持続しているのだろう。
不可思議な現象にツッコミを入れるような気概はないので、受け入れる事しかできなかった。
誰もいない会社に向かい、いつも通りに画像処理の仕事をし、無人コンビニで飯を買い、誰もいない食堂で食べて、ダストボックスにゴミを入れて、仕事の続きをして、定時に帰宅した。
毎日いつものように働いて、土日は休んで。
たまに散歩に出かけて、カラオケに行って、ゲームセンターに行って、金を下ろして、外食をして、風呂屋に行って、居酒屋に行って。
のほほんと過ごしていたら……、いつの間にか、他人の姿を見かけることがなくなっていた。
誰も写っていない生番組を見て、誰もいないスーパーで買い物をして、どこの誰が書き込んだかわからないSNSを見て少しほっとして、AIとコミュニケーションをとりながら、いつもと変わらない暮らしを続けた。
たった一人で変わらぬ日々を送っていたある日、ふと気が付いた。
スーパーに人の姿は、ない。
会社に人の姿は、ない。
あたりに人の姿は、ない。
……働かなくても、いいのでは?
……金を払わなくても、いいのでは?
働かなくても、問題はなかった。
金を払わなくても、問題はなかった。
だが……。
何もしないで、ぼんやりと寝ていると。
延々と、ショート動画を見続けていると。
黙々と、食いたいものを口に入れ続けていると。
たまらなく……居た堪れない気持ちになった。
こんなにも、ごく普通に暮らせるというのに、明らかに…異質。
こんなにも、何一つ心配しないで生きていけるというのに、明らかに…不安。
ひどく体調を崩すこともなく。
何か困ったことが起きるわけでもなく。
そういえば……、もうずいぶん長い間、髪を切っていない。
それなのに……、自分の髪は、スッキリとしたスポーツ刈りのままだ。
もしかしたら、時間が流れていないのかもしれない。
だが…、腹は減るし、飯も食うし、排せつもする。
ひげも剃るし、汗もかく。
働けばそれなりに疲れるし、寝れば疲れも取れる。
わからないことだらけだが、真実を知ろうとは思えない。
今さら足掻いたところで、どうにかなるとも思えない。
知ったところで、だからどうしたとしか思えない。
いずれ自分も消えるはずだ…、そう思いながら、異常事態が起きている世界を生きている。
いつか消えるのだから…、そう思いながら、何一つ不自由のない生活を続けている。
自分一人しかいないこの世界には……、呆れかえるほど、食べるものがあふれている。
弁当、総菜、パン、缶詰、果物、刺身、お菓子、スイーツ、高級食材、酒……。
どれだけ食べても、次の日には補充がされているし、たまに値引きされている事だってある。
金は払ってもいいし、払わなくても誰も捕まえには来ない。
いつになったら消えるのかはわからないが……、今日も自分は、消えていない。
いつも通りに腹が減り、いつも通りにスーパーへ出向き、いつも通りに食いたいものを選んで、いつも通りに飯を食う。
スーパーのお総菜コーナーにずらりと並ぶ弁当は、どれもこれも、とびきり…ウマい。
美味くて、ウマくて……涙が、出てくる。
涙が、出て……くる………。