路地裏のアン・クルート
ここは、とある路地裏にひっそり構えているお店。
このお店の場所は誰も知らないけれど、求めている人がいたら、何処からでも来ることができる不思議なお店。
今日もアン・クルートの店主は、のんびりと客を待っていた。
お店には出ておらず、裏でふかふかなソファにゆったりと腰をかけて、先ほど淹れたインスタントコーヒーをすすって、猫舌ゆえに火傷をしつつ、客を待つ。
――カラン、カラン
少しだけ高めの金属音が鳴り、店主の耳に届く。
彼女は口角をキュッと上げて、ソファから立ち上がる。
店に入ってきたのは高校生くらいの女の子2人。
「あ、あれ?」
「なんかちがくね?」
不思議そうな顔をして辺りを見回す女の子たちに、店主は笑顔で近づく。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお求めですか?」
「あれ? ここ、どこ?」
「エオンのショップじゃない??」
どうやら彼女たちはショッピングモールにいたようだ。
時折迷い込む客なので、店主は慣れたもの、と思いながら、再び口を開く。
「ここは、アン・クルート。女の子のためのお店よ」
店内は見渡す限り、女性が素肌に身につけるアイテムで溢れている。平たくいうとランジェリーショップだ。
と、いってもそこまで広くはないが。
「んー、まぁ、いいんじゃない? 探してたじゃん、ブラ」
「え、でも、エオンじゃないよね、ここ。こんなお店見たことないよ」
片方の子は、セミロングの髪の毛をアイロンで軽く巻いて、化粧をしている子で、ハキハキしゃべっている。
もう片方は、ボブヘアーでスッピンな大人しそうな印象の子だ。
「で、でも、こういうお店って、その、高いんじゃない? ほら、なんか大人っぽいやつ多いし……」
「大丈夫だって。た、多分」
コソコソと喋っているが、店主の耳にもしっかり届いている。
「ブラを探しているようだけど、今の時期なら修学旅行かしら?」
「あっ、そうです!」
巻き髪セミロングの女子が、パッと目を合わせて答える。
ここは下着屋だ。ショーツのサイズは普段履いているからなんとなくわかるけれど、ブラジャーのサイズは、実はお母さんが勝手に買ってくるものを、黙ってつけている人も多い。
お母さんが、きちんとサイズについて教えてくれなければ、大人になってもテキトーにつけているという人だっているのだ。
「ちなみに、測った事あるかしら?」
「え? は、測る? あたし155センチだから、SサイズがMサイズだと……」
ボブ髪の女子は遠慮がちに答えてくれる。
チラチラと見ては逸らすを繰り返す。下着のサイズという恥ずかしさと、人見知り両方から挙動不審になっているようだ。
スポーツブラと呼ばれるものならば、そのサイズで良いだろうが、ブラジャーは違うのだ。
乳房を覆うカップ部分と、その下に接地されている肌をぐるりと回し締めるアンダー部分、その2箇所のサイズが用意されている。
「あ、私測った事ありますー! でも、もう一回測って欲しいです! 最近なんかサイズ合わないのでっ!」
先に測る様子を見れば、ボブ髪の子の警戒も解けるだろうと、巻き髪の子が気を利かせたかたちに、店主はにっこり笑う。
そして2人とも奥の試着室へ連れてゆく。
試着室は両手を広げてもまだ壁に手が届かない、相当ゆったり広く作られた場所だ。
服を脱ぎ着して動くのだから、十二分にスペース確保したいと、店主がこだわったエリアのひとつだ。
デパートの試着室と比べても倍以上あり、広く作られている。
そこにある小椅子にボブ髪の子を座らせて、巻き髪の子の下着サイズを測る様子を見せる。
巻き髪の子は慣れたように、上に着ている下着以外の服を脱いで、カゴの中に入れると、店主に向かい合う。
「お願いしまーす」
「はーい。失礼しますね」
直接客の肌に触れないよう白手袋を装着して、メジャーを手早く当てていく。
「ふんふん。数値上はBの70でもいいけど、Cの65の方がいいわよ」
店主はそう言って、該当サイズのものを持ってくる。
そして、試着室の中にあるカーテンを閉めると、巻き髪の子は試着を始める。
装着が終わると、慣れているのか、下着1枚な上半身ながらも仁王立ちをしているかのように、堂々とカーテンを開ける。
「失礼しますね」
店主はそう言って肩紐の調節をして、アンダー部分の位置も少し下げる。
そのあと、ブラジャーカップに手を突っ込んで胸をわし掴むようにもちあげる。
「ひゃっ?!」
その様子に、ボブ髪の子は少しびっくりして声を漏らす。
知らない人が友達の胸を掴むのだ。恐怖が少し出てしまう。
「何ビビってんの、おっぱいの基本は寄せて上げるじゃん!」
「え、よせて……あげる??」
胸を盛るというのは、詰め物をして物理的に盛るわけでは無い。そういう場合もあるが、きちんと形のあった下着をつけると、体のラインがキレイ・すっきりに見えるのだ、と店主は説明する。
「……はぇーー」
初めて体験する下着屋で、圧倒されっぱなしなボブ髪の子は、ぽかーんとした顔のままだった。
「あっ、谷間できてんじゃん!」
胸の位置を整えれば、わずかに出来た谷間に巻き髪の子が喜びの声をあげる。
「アンダー落としてカップ上げても、前のと同じってわけじゃ無いのよ。それに、このブラだいぶアンダー部分伸びてるわ……」
ちょっとだけくたびれている、今まで着けていた下着。
「お洗濯の後、アンダー部分を洗濯バサミで挟んで、だらーんとぶら下げていたでしょ」
「なっ、なんで?!」
干し方まで当てられてビックリする。
「タグの劣化具合とアンダー部分の劣化具合が合わないのよ」
流石は下着のプロだ。と、巻き髪の子は舌を出して笑う。
「ブラはハンガーにかけるなら、ハンガーの下の部分に真ん中から乗せる。ピンチハンガーならカップの下部分を二箇所洗濯バサミで止める。こうすれば、生地の伸びは少なくて済むのよ」
「マジですか! お母さんもアンダー部分から洗濯バサミでぶらーんだった!」
下着についてのイロハは、お母さんから大抵教わる。というより、お母さんの行動が「そうするものだ」とインプットされてしまうのだ。間違った行動だとしても、間違いを知らない場合そうなってしまう。
「ブラって……難しそう」
思わずボブ髪の子が、ぽつりと言葉を漏らしてしまう。
「下着はね、肌につけるデリケートなドレスなのよ。だから扱いが悪いと、体型が崩れて見えちゃうアイテムになるの」
オシャレ着だって、オシャレ着専用洗剤とか、手洗い指定などがある。それと一緒で、扱い方を覚えて実践すれば長持ちするし、長持ちするということは、崩れも少ないのだ。
「え……」
巻き髪の子が目を見開いている。そしてさらに口を開く。
「うちは洗濯機で、がーーっ……」
「下着屋の私から言わせれば、言語道断よ!」
でもね、と眉を下げて店主は言葉を続ける。
「めんどくっっっさいのよね。私だって普段使いのやつはネットに入れて洗濯機だもの。本当はオシャレ着洗いモードがいいけれど、わざわざ分けるのも億劫よ……」
「「ネット……?」」
高校生くらいなら、もしかしたらお母さんがぜんぶやっているか、と店主も納得する。
「洗濯ネットって検索したら出てくるから、それに下着を入れて洗濯機に入れるのよ。きっとお母さんが使っているはず」
「……みたことない。へー、ブラ用なんてのもあるんだ。みたことある?」
「洗濯物休みの日とか干すけど、見たことないよ」
早速スマホで検索したが、家で見た事がないという。
「じゃあ、今度からデイソーのでもいいから、使うと良いわよ」
小話はこのくらいにして、次はボブ髪の子の下着合わせだ。その前に、巻き髪の子の試着を終了させよう。と、店主は彼女をみて、言葉を出す。
「今はCカップでアンダー65だけど、全ての下着が同じ形で作られているわけじゃないから、なんか合わないなって思ったらBの70も、試してみてね」
カップが下がってアンダーが上がるのは、胸が痩せて胴が太ったような気分になるようで、すこし微妙そうな顔を浮かべる巻き髪の女の子。
「えっとね、ブラのホック3つあるでしょ? アンダーサイズ65だと真ん中が65で、外側が67.5なのよ。んで70の場合、内側が67.5になるのよ」
「へ?」
「ブラの表記数字で、こっちは大きい、こっちは小さいって気分になると思うけど、止める場所によっては一緒になるのよね」
店主は、アンダーサイズのアジャスターホックについて教えてあげると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる女子2人。
数値でアンダーが大きく感じてしまうかもしれないけれど、ホックの位置と数値を知っていれば、なんてことはない気分になるはずだ、と店主が笑うと、2人も釣られて笑う。
「厳密な数値は違うけど、似たようなサイズになるのよ。アンダーが大きい方がカップも大きくなるからね」
なので、カップ数で胸が大きい小さいは一概に決める事が出来ない、とも教えてくれる。
「男子はスリーサイズの数値を見て、トップバスト90って見たらでかいーって騒ぐかもしれないけれど、アンダーが80あったらAカップなのよ」
女子2人は、教えてくれる店主にぽかーんとしっぱなしだ。
「知らなかった……」
「すごいね……」
「あと、ブラのコンセプト次第でも、作りが違うから、きちんと試着がおすすめよ」
「はーい。これ、買います! 色違いで同じのも!」
「ありがとうございます」
売り上げよりも、きちんとサイズを見て選んでくれる姿勢が嬉しくて、店主は笑顔を出す。
「で、あなたは試着する?」
「…………しますっ!」
それから少しして2人は笑顔で店を出た。
店を出ると、見慣れたショッピングモールの中にいた。
「あれ? あたしたち……」
「確か、下着屋さん探してて……」
探していたけれど、手には紙袋が握られている。
「あれ、いつ買ったっけ??」
「いつだっけ……」
下着を買ったことは覚えているが、いつどのように買ったかの記憶がぼんやりとモヤがかかっていて、思い出せない。
「ま、いっか。ステバで新作のやつ飲もー」
「そうだね。あ、その前にデイソーで洗濯ネット買おう!」
「それな!」
そんな彼女たちの手には、アン・クルートと書かれた紙袋があった。
店主はご機嫌に鼻歌を歌いながら裏へ戻ると、黒猫があくびをしながら待っていた。
「いつまデ続けるノ? どうせあの子たちモ、君のこと忘れちゃうのニ」
猫が人間の言葉を喋る。
「それは仕方ないわ、でも私淋しがりやだから、一時でも繋がりたいのよ。あの子たちは忘れても、私は忘れないもの」
店主は少し淋しそうに眉を下げて答える。
「さ、今日は可愛い女の子とおしゃべり出来たから、気分もいいし、パテアンクルートとワインにするわー」
店を閉めて、奥の部屋から繋がる家に戻る。
「うちノ魔女さまハ、人間が好きすぎル……。困ったもんだネ」
独りごちた黒猫は、店主の後をついて行って、今日の夕飯『肉のパイ包みを一緒に食べようと、少し駆ける。
自分は店主を忘れることなどないのだから。
「お店の名前だっテ、好物のパイ包みじゃなク、自分の紹介デ忘却の魔女にしとけバ、少しは覚えてもらえそうな気もするのにねエ」
店主のことは忘れてしまっても、教えたことまでは忘れないので、こうして店主は女の子が笑顔になれるよう、お店を開いて、時折迷い込む人間を歓迎するのだ。
翌日もそのまた翌日も、いつも店を開けて、客を待つ。
一時の会話を楽しんで、また忘れられるはずだ。
求めている人のために、忘れられても繋がりたい淋しがり屋な魔女の店、アンクルートは今日もどこかの路地裏にひっそりと店を構え、あなたを待っている。




