君と最期の日を過ごす
理不尽な空は、この街を暗黒に包んだ。
それは一瞬……と言うほど早くはなかったけど、その光景を窓からただ見つめることしか出来なかった私にとっては、刹那のように感じた。
そして、地面を水が叩き始める。
そう、これは雨だ。あまりにも唐突で、あまりにも残酷な自然の恵み。
私は窓に近づき、ザーッという音で溢れかえっている外に向かって小さな声で呟く。
あなたも、泣いているの?
・・・
懐かしい夢を見ていた気分だった。そう、あれは今から5年くらい前の記憶。たった2人しかいない親友の1人……彼女のお葬式の日の記憶だ。
「……そっか。もう、5年も経つんだ」
体を起こした私は、すぐ近くにある窓から外を眺めながら呟いた。外は、これでもかと言うほど晴れている。
「起っきな〜。朝だよ〜……って、なんだ起きてんじゃん。珍しいね」
「そんなことないでしょ。って言うか、夏休みなのになんで来たの?」
「ねぇ、せっかく起こしに来てくれた幼なじみに対して酷くない?まぁでも?ボクってば優しいし?今日お買い物に付き合ってくれたら許してあげないこともないよ」
「はぁ……どうせそれが目的でしょ?」
「てへっ?」
私が布団から出ると、桜奈がテンション高めに私を急かし始めた。桜奈がいるといつもこんな感じ。振り回されるがままに振り回されて、なんだかんだで楽しんでしまう。なんというか、時間を忘れさせてくれるような、少し不思議な感じ。
「よしっ!これでばっちりだね!それじゃ、出発しよう!」
「いやいや、せめて朝ごはんくらい食べさせてよ」
「そんなのカフェで一緒に食べようよ〜!私もまだだし!」
「おか……」
「お金なら大丈夫!朝ごはんくらい奢るよ!」
「いや、それはなんかもうし……」
「いいのいいの!私が無理やり誘ってるんだからそれくらいは払わせて!ね??」
「うっ……分かった。じゃあ、ご馳走になります」
「うむうむ!苦しゅうない」
完全に桜奈のペースに飲み込まれながら、私はお出かけの準備を終えた。
「あら?桜奈ちゃん来てたのね。おはよう」
「あ!おばさん、おはようございます!今日は──」
「あぁ、いいのいいの。渚結なら好きなだけ連れ回しちゃって大丈夫だから」
「え?!ちょっ、お母さんそれど──」
「ありがとうございます!それじゃ行こっか!」
「私の話を聞けーー!!!」
「まぁまぁ。理由はカフェで話すから。それじゃあおばさん!行ってきます!」
「はい。行ってらっしゃい」
半ば逃げ出すかのように、桜奈に腕を引っ張られて家の外に出た。ドアが閉まる前、お母さんが何か言っていたような気がしたけど多分気のせいだろう。
家を出た私たちは、「なんか家出みたいだね」と笑い合い、本当に他愛のない話を重ねながら徒歩15分程度の場所にあるカフェへと向かうのだった。
・・・
「……悔いのないようにね……」
騒々しく出ていった2人を見ながら、明紀はそう呟いていた。
明紀が今日のことについて聞いたのは、去年の夢咲の命日だった。
その日、ずっと仏壇の前で手を合わせていた渚結を置いて、桜奈、紗代子、明紀の3人で外で話をしていた。
「……うん。ここなら、誰にも聞かれないと思う」
「誰にもって……本当にそんな大切なことなの?」
「……そうね。大切なことよ。私達にとっても、渚結ちゃんにとっても」
「渚結に……とっても?」
「はい」
桜奈は、見せたことがないほど真剣な顔で、明紀の顔をじっと見つめた。明紀は少し驚きつつ、桜奈と紗代子の話を聞く覚悟を決めた。
「……わかった。話してもらえる?」
「ありがとうございます。どこから話せばいいのか……そうですね……では、単刀直入に言います」
桜奈は1度深呼吸をし、胸に手を当てた。そして、木々のざわめきが止むのを待ち、真実を述べた。
「私と渚結は……来年の8月12日に、その世界から消えます」
「世界から……消える?それって、どういうことなの……?」
「そうですね……原因は、少し前の話になります。私たち3人は下校中、連れ去られました。このことは、まだ記憶に新しいと思います」
「うん……それで、捜索願を出して、次の日に犯人が捕まって……」
明紀は、犯人が捕まった日のことを思い返した。その中で桜奈が言った言葉の意味を察し、顔から血の気が少しずつ引いていった。
「……もしかして、あの話は本当だったの?」
「はい……ですが恐らく、部分的な話しか聞いてないと思うので、私からあの日の一部始終を話します」
「……桜奈、大丈夫?話せそう?」
「うん。大丈夫だよ。ありがとう、お母さん」
さっきより強く胸を抑え、服を強く握りながらも、桜奈はしっかりと自分の意思で、恐怖に染った記憶を話し始めた。
「あの日……目が覚めた私たちは、真っ暗な部屋に閉じ込められていました。窓も無くて、この部屋に出入りする扉がどこにあるかも分かりませんでした。その上、全身が縛られていて、身動きが取れない状態でした。最初の感想は、何が起きたか分からない。だったと思います」
桜奈の顔が歪む。まるで、自分の中の恐怖と戦っているかのように。
「少ししたら、どこからか光が部屋の中に入ってきました。同時に、私たちを連れ去った犯人も。犯人は、『俺は魔術師だから、お前たちの願いを1つだけ叶えてやる』と言いました。私たちは、『私たち3人で一緒に生き続けられること』を望みました。でも犯人は、『時間制限付きならその願いを叶えてやろう』と言いました。そして、手に持っていた刃物で渚結の心臓を……渚結が生きたまま、取り出したんです」
凄惨。その言葉でしか言い表せないような話を、桜奈は震える足で何とか立ちながら続けた。
「その後、渚結は動かなくなりました。犯人は次に私の方に来ました。それで、渚結と同じように刃物で体を切られて……その後の記憶は、無いんです。恐らく、私も夢咲も……同じように殺されたのでしょう。気がついた時には、大きな円形の模様が書かれた紙の上に居たんです。それで、私がそこからどけられて次に夢咲が……その時に、警察が助けに来たんです」
桜奈は乱れきった息を少しづつ整えながら、長い長い話を終わりへと繋げた。
「警察は犯人を直ぐに押さえて、そのまま連れて行きました。その時犯人に言われたんです。『タイムリミットは、5年後の8月12日だ』と。このことは、渚結も知っていますが、おそらく信じていないでしょう。だからこうやって、私がおばさんに話しました」
「そう……だったのね」
明紀は悲しげにそう言うと、泣き崩れてしまった。
「……そうよね……わかるわよ。やっぱり、悲しいわよね」
「はい……もう…………」
「大丈夫よ。私がついてるから。それに、千香だっているわ。皆で、少しずつ乗り越えましょう」
・・・
「いらっしゃいませ〜」
「すみません、2人でお願いします。あ、出来れば奥の方の席をお願いしたいのですが……」
「かしこまりました。では、あちらの席にご案内致します」
「ありがとうございます」
カフェに着いた私たちは、カフェのモーニングセットを頼んだ。店内に私たち以外のお客さんは居ないみたいだった。
「さて……理由を話してくれる?」
「そうだったね。それじゃ、今日の日付は?」
「8月12日だけど……それが何?」
「それが答えだよ。5年前のこと。もう忘れたの?」
「5年前って……いやいや。あんなのは本当に……」
5年前で8月12日。忘れるはずがなかった。確かにあいつは私たちのタイムリミットがそこだと言った。でも、今もそんな兆候は無いし、あいつの魔術だって偽物だったって警察の人も言ってたし……
「私ね、あの魔術が本物だって知ってるの。だって渚結は、私の目の前で殺されてたんだよ?でも今こうやって生きてる。だから私は、あのタイムリミットを信じた。そのために渚結を色んなところに連れて行ったし、こうやって色んな場所で美味しいもの食べてるんだよ?」
「……もしかして、いつも私を無理やり連れ回してたのって」
「そうだよ。だからおばさんも許してくれてたし、今日だって、送り出してくれたんだよ」
「そう……だったんだ……」
私は、今までの桜奈の行動の意味をやっと理解した。ほとんど毎日のようにどこかに行き、その度に何か形になる物を残そうとしていた、その理由が。
「今日の夜、私たちは元々の形に戻る。心臓を抜かれた死体に。だから、このカフェを出てからお買い物しよって誘ったの。お母さんに、最後の感謝を伝えるために」
「……もしかしなくても、ずっと1人で背負わせちゃってたかな?」
「そうだよ。もう……ほんと、大変だったんだから。でも、ごめんは無しだよ。黙ってたのも事実だしね」
「あはは。相変わらず強いね、桜奈は」
「えへへ。もっと褒めてくれていいんだよ?」
「お待たせいたしました。モーニングセットです」
「あ、ありがとうございます」
「あとこちら、店長からです」
私たちの前にモーニングセットが置かれた後、別の店員さんが手紙とクッキーが入った小さな袋と、ケーキを1切れ持ってきてくれた。
「いいんですか?!」
「はい!いつも来ていただいているので、我々からの感謝の気持ちです」
「わぁ!ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「喜んでいただけて嬉しいです!では、ごゆっくりと」
店員さんにお礼を言った後、カウンター席の所にいた店長らしき人を見ると、少し寂しそうな顔で私たちのことを見ていた。もしかして、今の話聞かれちゃってたのかな。
「あはは……いつもの恩返しのつもりでここを選んだんだけど、逆に恩返しされちゃったね」
「でも、最後の朝ごはんがこの場所で良かった。またいつか、来れたらいいね」
「そうだね。それじゃ、食べよっか」
私たちはこれまでの事とこれからの事を話しながら、ゆっくりと食事を楽しんだ。
少しびっくりしたのは、お会計の時に店長が「もうお別れなのかぁぁ……!」って握手しながらめちゃくちゃ泣いてたこと。少し怖い人だなって印象だったから、意外な一面って感じだった。
「いや〜、おなかいっぱいだね」
「うん!それじゃあ、お買い物に行っきましょ〜!」
「お買い物って言っても、桜奈は何買うとか決めてるの?」
「ううん。でも、見るだけで私を思い出してくれるようなものを買おうかなって思ってる」
「いいねそれ。賛成!」
カフェから出た私たちは、歩いてすぐ近くの場所にある大型ショッピングモールに向かった。
ショッピングモールに着き、入口を通ってから不思議な感覚に襲われた。それは、昨日も来たはずなのに、何故か昨日とは違って少し悲しさを覚えるような、そんな感覚に。
「さて、どこから行く?」
「そうだね〜。渚結はどこから見たいとかある?」
「え?桜奈からでいいよ。私はまだ決まってないから」
「むしろ私は最後でいいよ。もう決めてるからさ」
「へぇ〜。ちなみに、何を買うの?」
「手紙。ちょっとしたサプライズ的な感じにし……」
「私も、それにする」
「え?本当にいいの?私はもう色々とお母さんに恩返しで色々と渡してるけど、渚結何もしてなかったんじゃない?」
「失礼な!毎日お手伝いとかちゃんとしてますぅ!いや、まぁそれは置いといて……多分お母さん、物よりも気持ちの方が嬉しいと思うからさ。それに、桜奈と一緒なの、少し嬉しいし」
「わかった。それじゃあさ、手紙一緒に書こ?その方が、きっと後悔しない贈り物を作れるし」
「うん!」
その後、文房具が置いてある場所を探して、2人で良さそうだと思った手紙のセットを買って、人気のないフードコートで手紙を書き始めた。
「そういえば、今日なんでこんなに人がいないの?」
「え?あ〜……」
その途中、私はなんとなく気になったことを桜奈に聞いてみた。この私の質問に、桜奈は少し気まずそうに答えた。
「実は今日、あのカフェの朝の時間と、このショッピングモールのお昼から夕方の時間は貸切にしてもらったんだ。ちょっと無理してお願いした感じなんだけどね」
「あはは。なんか、桜奈っぽいね。でも、ありがとう。お陰で気兼ねなく楽しめそう」
「なら良かった。それじゃ、書き切っちゃおっか」
「うん」
とは言ったものの、いざ自分の人生が終わるってなると何を書いたらいいのか分からない。あまりにも筆が進まないから、目の前で集中して手紙を書いている桜奈の顔を眺めていた。
いつもと変わらない顔。テスト中、早く解き終わりすぎて暇な時に眺めていた表情と同じ。でも、何かから解放されてるみたいな、どことなく清々しそうな、それでいて寂しそうな……そんな表情をしてる。
そうだよね。あの日からずっと、1人で抱え込んで背負い込んで……それでも「いつも通り」を頑張ってたんだもんね。ごめんね。本当は、私も一緒に背負うべきだったのにね。
「……お〜い、渚結。私の顔を見ても、何も書いてないよ」
「え?あ、ごめん」
「時間も限られてるんだし、私の顔見るよりも手を動かした方がいいよ」
「あはは……桜奈は手厳しいな〜」
「まぁね〜。こんな時でも、少しくらいは厳しくしないと。後悔はしたくないでしょ?」
「うん。ありがとう」
「いえいえ」
そう言うと、桜奈は自分の手紙に集中し始めた。
私は、そんな桜奈を見ながら、こっそりと新しい紙を取り出した。
宛名は、「大好きな親友、桜奈へ」。
・・・
「いや〜、思いのほか時間かかっちゃったね」
「ね〜。でも……」
ショッピングモールからの帰り道、真っ赤に染まる空を見ながら、私たちはゆっくりと歩を進めていた。
「あれ?どうしたの?」
「ちょっとね……もう今日で本当に終わりなんだって実感があまりわかなくて。少し不思議な気分」
「あ〜、それはわかるな〜。もしかしたら、またいつも通りに明日が来るかもしれないって、心のどこかで思っちゃってるのかもね」
「うん。今まで、それが当たり前だったからね」
「でも……なんとなくだけど、終わる予感もある。だから、もし明日会えたらさ、今日までのことを笑い話にしたいよね」
「そうだね。もしそうなら……」
桜奈と別れるT字路に差し掛かる時、私は桜奈の正面に回り込んで、さっき書いていた手紙の入った封筒を渡した。
「……この手紙も、読み返して笑って欲しいな」
「え?でもこれ……」
桜奈は渡された封筒をまじまじと眺め、ため息を1つついた。その後、今にも泣き出しそうな顔で、笑った。
「もう……ほんと渚結はずるいんだから」
そう言いながら、桜奈も鞄の中から手紙の入った封筒を取り出して私に渡した。私宛の手紙。多分、さっき書いていたのだろう。全く気づかなかった。
「はぁ……せっかくサプライズで渡そうと思ってたのに。もう……」
「でも、お互い考えてる事は同じだったってことだね」
「うん……なんかもう、嬉しいのかムカつくのか寂しいのかわかんないや」
「そっか。それじゃあ……また、会える日まで」
「うん。さよなら」
「さよならじゃないよ、桜奈……それじゃ、またね!」
「……っ!うん!またね!」
そして私たちは、それぞれの家に帰る。と言っても、お互い別れて数分の位置に家があるのだけど。
家に帰ると、玄関でお母さんが笑顔で迎えてくれた。お母さんは、私の顔を見てどこか安心したような表情で、私を食卓があるリビングの方へ誘導した。
リビングには、今まで見た事がないような豪華な食事と、数年間仕事で家に帰ってきていなかったお父さんがいた。私を見たお父さんは、少し寂しそうな顔をしていた。
「お、帰ってきたか。久しぶりだな」
「ほんとだよ!でも、なんでこんな中途半端な日に帰ってきたの?」
「なんでって……お母さんが、今日が渚結の最期の日だって言うから、会社に無理言って空けてもらったんだ。娘の最期の日くらい、一緒に過ごしたいだろ?」
「そういうことよ。ほら、遠慮しなくてもいいから沢山食べてね!」
本当に久しぶりに家族で囲んだ食卓は、とても幸せで、時間が一瞬にして溶けていくようだった。どの料理も大好きなお母さんの味がして、それを食べながら3人でくだらない話で笑い合ったり、今まで話せなかった分をお父さんとたくさん話したり……本当に、かけがえのない時間だった。
「ふぅ……もうお腹いっぱい」
「そう?でも、本当にたくさん食べてくれたわね。とても嬉しいわ」
「えへへ。だって、これでお母さんの料理を食べれるの最後なんだよ?しっかり味覚えたいじゃん」
「もう……本当に嬉しいこと言ってくれるじゃない。お風呂湧いてるから、落ち着いたら入ってね」
「は〜い」
私は、テレビの前にあるソファに移動し、たれながされているテレビを見た。内容は、なんともないバラエティ番組。さっきちらっと確認した時計は、夜の8時半をさしていた。
そろそろお風呂に入ろうか。そう思ってソファから立ち上がった時、少し意識が遠くなる感覚に襲われた。あぁ、本当に今日で終わるんだ。そう、確信した瞬間だった。
「あれ?渚結どうしたの?」
「ううん。なんでもない。お風呂入ってくるね」
「は〜い、行ってらっしゃい」
「あ、あと……お風呂出たら、そのまま自分の部屋にいるね」
「……わかったわ」
「……あ、そうだ渚結」
「何?お父さん」
「……楽しかったか?」
私は、その質問に満面の笑みで頷いた。そんな私を見て、お父さんは少し安心したような表情になり、お母さんは本当に寂しそうな表情になった。
・・・
部屋に戻った私は、机の上に置いてある時計を確認した。今の時刻は午後9時半。いつもと同じように、1時間程お風呂に入っていたことになる。
自分の部屋に来る途中、リビングで何か話している声が聞こえたけど、それは今は気にしないでおく。
「さてと……お母さんへの手紙を書こう。時間が無いし」
私は、鞄から書きかけのままの手紙を取りだした。その手紙には、まだ「今までありがとう」しか書いてなかった。
「さてと……どうしようかな。でも、もう迷ってる時間は無いもんね」
シャーペンを走らせ、少しずつ文を繋げていく。今までの感謝も、これからを見せられなかった申し訳なさも、何もかもを乗せて。
ショッピングモールで書いていた時は、「今日が最期」って思えなくて、なんか恥ずかしくて書けなかった。でも、今なら書ける。この紙じゃ収まりきらない想いを、言葉に乗せるんだ。
「……よし、書けた。時間は?」
手紙を封筒に入れながらもう一度時計を見る。今の時刻は午後10時55分。あまり、猶予が無さそうだった。
「……桜奈から貰った手紙、まだ読んでないや」
私は、鞄から一通の封筒を取り出す。可愛く飾り付けられたお揃いの封筒から、手紙を取り出して、ゆっくりと読み始める。
『かけがえのない親友、渚結へ』
手紙の始まりには、そう書いてあった。
桜奈の手紙は、2枚に渡って書き綴られていた。今までの思い出を振り返ったり、あの日からのことを思い返してたり……そこにはどこか桜奈らしく前向きで、でもどこか今日で終わることを寂しく感じているような、そんな内容だった。
『また出逢ったら、今までみたいに遊んでください』
手紙の終わりはそう書かれていた。
「あはは……ほんと、桜奈は桜奈だな〜。でも、私も同じようなこと書いちゃったし、本当に似た者同士なのかもね」
時計は午後11時30分をさしている。桜奈が言っていたタイムリミットまで、もう少ししかない。
でも私は、焦らなかった。今日という一日が……それ以上に、これまでの日々が幸せであったと、胸を張ってそう思えるから。だからもう、何も後悔はなかった。
「……もう少し、この手紙を読もう」
私は、時間めいっぱい桜奈からの手紙を読むことにした。そして、時計が8月12日の終わりを告げ、8月13日の始まりを告げた時、私の意識は遥か彼方へと旅立って行った。
・・・
「……これで良かったのかしら……」
「さぁな。答えなんてないだろ」
「でも……!」
「あいつは楽しかったって感じてる。それで十分だろ」
日付が変わった瞬間、とてつもない後悔に襲われた明紀は、手で顔を抑えながら今までの事をぐるぐると考えていた。
本当に渚結は消えるのだろうか。実は桜奈がそう言う偽りの記憶を植え付けられているだけなのではないか。そんなありもしない希望まみれの憶測だけが、明紀の心に引っかかり続けていた。
「……見に行くか?」
「見にって……渚結の部屋を?」
「あぁ。それ以外にどこがあるのさ」
「でも……」
「大丈夫だ……俺も行く。それに、もう我慢はしなくていい」
「……っ!わかったわ……」
明紀は久憲の背中を追うように、渚結の部屋に向かった。その途中に会話は無く、変な静けさが2人に重くのしかかっていた。
「……渚結起きてるか?」
久憲が部屋の扉を叩く。返事は無い。
「……開けるぞ」
ゆっくりと扉を開けると、中は電気が着いていて、渚結は机に突っ伏していた。
「お〜い、渚結。こんなところで寝てると風邪引くぞ……って、あれ?これは……」
「どうしたの……?」
「手紙……だな。1つは渚結のやつだけど……これは、『お母さんへ』って書いてあるな」
「私……に?」
「読むか?」
「……うん」
明紀は久憲に渡された封筒を開け、中に入っていた手紙を読み始めた。
『お母さんへ
今までありがとう。たくさん迷惑をかけてしまったと思います。でも、そんな私をずっと支えてくれたから、今の私がいます。本当は、こんな形で終わりたくなかったんだけど、もうどうしようもないみたい。だから、ありったけの感謝をここに詰めたいと思います。お母さん、今まで本当にありがとう!私は、お母さんの娘になれて幸せです。大好きです。お母さんの作ってくれるご飯も、お母さんの匂いも、全部大好きです!でも、恩返し、あまり出来てなくてごめんなさい。あと、急にお風呂、一緒に入らなくなってごめんなさい。胸についてる傷跡、見せたくなかったからなんだ。それに、私の未来、見せることできなくてごめんね。正直、もっともっと長く生きて、お母さんに恩返ししたかったんだけど……出来ないみたい。でも、今日まで育ててくれたこと、本当に感謝しています。ありがとう。
渚結より』
手紙を読み終わった明紀は、地面に泣き崩れてしまった。渚結が最後に残した手紙。その中には、渚結なりの感謝と謝罪が綴られていた。
「……渚結、本当に…………渚結……」
「明紀……」
手紙を胸に押さえつけながら泣いている明紀に、久憲はそっと寄り添った。溢れ出る涙を必死に堪え、満足そうな笑顔で死んでいる愛娘を見つめながら──
お読みいただきありがとうございました。
九十九疾風です。
最近日常生活が忙しく、あまり執筆ができていなかったので、久しぶりに短編を書こうと思い至りこの作品を書き上げた次第です。
楽しんでいただけましたでしょうか。もしそうであれば、作者冥利に尽きます。