ある麻薬捜査官の物語
麻薬捜査官のクロフォードとマイルズ。バディを組んだ二人の活躍をぜひ、皆様に楽しんでいただきたい。
ぺしん、と気の抜けた音で顔を叩かれ、決して強くはない衝撃に驚いて飛び起きた。
その目の前で紫煙を吐き出しながら笑っている男が居る。
「おはよう、パル」
この数日で見慣れた顔。少し赤みの強い金髪と、ブルーグレイの瞳、きわめて整った顔立ち。ブルーのカラーシャツと紺のパンツ、淡いシルキーベージュがベースのタイは緩められていた。3日前から同じプロジェクトチームに加わった同僚のリース・クロフォードだった。
マイルズは、周囲の様子を見る。窓から差し込む光の様子では、今日も薄曇りらしい。そしてその場が明らかに自分の部屋であることを確認すると、なぜ彼かが居るのかわからずに頭を抱える。脳に霞がかかったように茫洋として、口の中は変な味がしていた。しかも、起き上がった自分はといえば、ベルトは外され、靴は脱いでいたが、昨日着ていた服を着たままだ。
飛び起きたその状況のまま、ぼんやりと自分の顔を見続けるマイルズに、クロフォードは小さくため息をはいた。
「そろそろ起きてくれ。呼び出しは0930、今、0800、あんたが大急ぎで準備できればうまい朝食が取れる。」
それでも動こうとしない相手に、僅かに苛立った声を出し、やや首を傾げてマイルズの目を覗き込む。
「私はファーストフードの朝食も、朝食抜きもご免なんだが?」
ようやく始動の遅いパソコンのように動き出したマイルズを、クロフォードはやれやれという顔で眺め、彼を待つ間ソファーで新聞を広げた。
マイルズが大急ぎで身支度を整え、リビングに戻ると、クロフォードは新聞を置いて立ち上がった。チャリ、とわざとキーを鳴らしながら近づいてきて顔を近づける。
あまりな急接近だったので、マイルズは思わず仰け反った。
相手の動きに構わず、クロフォードは彼の口元まで近づいて、クン、と匂いを嗅ぐ。それからニヤリと笑った。
「何だ?キスされるとでも?」
マイルズが否定できずにいると、クロフォードはさらに笑みを深くした。
「つくづく、面白い男だな、あんた。顔が赤いよ?」
赤い、と言われて更に熱が増したような気がした。それは気ばかりではなかった。クロフォードは笑いでひきつる頬を抑えようとして上擦った声をだしマイルズの顔は更に赤さを増した。
「さて、急ごうか」
クロフォードに急かされて自宅をでる。
歩道を駅の方へ一歩踏み出そうとするマイルズを片手を挙げて制したクロフォードが路上に停められていた車のドアを開けた。その車を見て、マイルズは驚きの表情を一瞬浮かべ、次に眉を顰めた。
ジャギュアのクーペ。地味な色合い、汚れ具合とこの国随一と言っていい高級車とは全く見えなかったが、それでも正真正銘ジャギュアだった。
「・・いい車に乗っているな・・」
微妙な間をどう思ったのか、クロフォードは片眉を少し跳ね上げた。そして発進させながら、のんびりとした口調でつづけた。
「何か言いたそうだな。この間の任務の危険手当でね。役得ってヤツ。買えば多分6万位」
「6万!?役得って・・それをこんなに汚してるか!?」
「・・さっきの間は、そういう意味か」
僅かに悄然としたようで、彼は前をみたまま、舌打ちした。
静まり返った車内とまだ全然親しくないはずの同僚の存在に居たたまれず、マイルズは先ほど押し退けた疑問を持ち出す。
「ところで、どうして君が家にいたんだろうか?」
クロフォードの顔が強張った。
「・・・・あんた・・・・」
絶句した、というのが妥当だろう。彼の言葉は続かず、しばらく固まった後で、脱力したように言う。
「もう、深酒はやめとけ。あれ位で記憶を無くしてるとは思わなかった。割と普通に受け答えしてたし、二日酔いの様子もなかったし」
彼の言葉に、昨夜の記憶が鮮やかに甦った。ただし途中まで。
「そうか・・一緒に飲んでたんだっけ・・」
つぶやきを聞きつけて、彼は助手席の男を一瞥した。
「・・何処まで覚えてる?」
クロフォードは呟きの微妙な声音から、敏感に男の記憶の曖昧さを見て取ったようだ。一方でマイルズの方はその言葉に、もしかすると何かやらかしたかも知れないと血の気が引く。
クロフォードは落ち着いた様子で運転を続けながらマイルズの言葉を待たずに言った。
「あんなに御陽気なタチだとは思わなかったよ。あんた野良犬みたいにあちこちでケンカふっかけるし、
仕方なく家まで送ったら、ゲロぶっかけられるし。ゲロまみれのまま帰れなんて、さすがの酔っぱらいのあんたでも言わなかった。悪いと思ったんだろうな、そのままバスルームに押し込められて、シャワー借りて、バスルームを出たらあんたは沈没、今朝に至る。」
マイルズは一瞬立ち眩みのような眩暈を感じる。・・やらかした、どころではない。
「す、すまん」
「気にするな、割と面白かった。あ、着替えのスーツは持ってたけど、シャツがなかったんで借りた」
よく見れば、確かにそのシャツはマイルズのものだった。僅かに首回りが余っている。
「・・なんでも使ってくれ・・」
頭を抱えたとは、当にこの状況のことだ。同僚といってもクロフォードと組むのは初めてのことで、それどころか彼とは殆ど顔を合わせた事も無かった。
今から一緒に動かないといけない相手にこの大失態。そこまで考えてから彼の言葉が甦ってきた。
「・・そういえば、君、さっき呼び出しって言ってたか?」
クロフォードは大きくため息を吐いた。