ロブフォード侯爵
キャストリカ王のお膝元は、少しずつ活気づいているところだった。少し気の早い貴族の一族が、定宿に荷物を運び込ませている姿がちらほら見受けられる。
独立記念の祝賀会は毎年同じ時期に開かれるため、国の内外から商人が集まり、商人の用心棒が街を闊歩し、治安が悪くなるのもお馴染みの光景だ。
王都の治安維持を担う騎士団にとっての繁忙期といえるだろう。
そんな表の喧騒から少し離れた高級住宅街に、ロブフォード侯爵家の王都滞在用邸宅はあった。
邸宅は、当主一家がゆったりと過ごせて、舞踏会は無理でも友人を招いての晩餐会やお茶会を開けるだけの広さがある。
老いた管理人夫婦だけで静謐な空間を保っていた侯爵邸は、久しぶりに主を迎えて華やいでいた。
先代の美貌を受け継いだ侯爵は、十七歳の朗らかな少年だ。彼は事前に王都入りして邸宅を整えていた使用人を労いつつ、家令に簡単な指示を出しただけで二階の一室に引っ込んだ。
数ヶ月前まで侯爵代理として細々と采配を振るっていた姉君とは違う振る舞いだが、仕えやすい鷹揚な主人振りだと、管理人夫婦は感心した。
先だって少し遅い結婚をしたばかりの姉君が一緒なのは何故か、と首を傾げはしたが、面と向かって訊ねることはことはしなかった。
侯爵は嫁いだばかりの姉を伯爵邸まで迎えに行き、昨年と同じように共に王都入りしたのだった。
ちょうど祝賀会が開かれるころだったので、王都で会いましょうと手紙を送ったところ、侯爵家から付き添わせた侍女から、花婿出奔の旨を記した手紙が返ってきた。どういうことだと直接問いただしに姉の嫁ぎ先まで押し掛け、そのまま王都へ連れて来たのだ。
「いい歳して何をやってるんですか」
侯爵は大きなため息をついた。
伯爵家で打ちひしがれた様子の姉を問いただすことはできず、青い顔をした伯爵を宥めて、とりあえず侯爵家に連れ戻した。王都に着いて話を切り出すと、ぽつりぽつりと喋りだした姉に呆れることになった。
「歳は関係ないでしょ」
「ありますよ。義兄上は僕とひとつしか違わないんでしょう。気を遣うべきは姉上だ」
「……分かってるわよ」
「………………これからどうするんですか。うちに帰ってきますか。結婚一ヶ月で出戻りか。みなが喜んで色んな噂を流してくれるでしょうね」
「嫌な子」
口を尖らせる姉の横顔を眺めて、侯爵はもう一度大きく息を吐き出した。
我が姉ながら綺麗な輪郭だと思う。鼻筋が通っているところは、もうだいぶその面影を忘れてしまった亡き父に似ているらしい。姉弟よく似ていると言われるが、自分ではよく分からない。
どうせなら、女性としては背が高い姉と同じように長身になりたかったと、成長途中であることを差し引いてもやや小柄な侯爵はよく思っている。
「僕が無事ロブフォードを継げたのは、姉上のおかげです。だから姉上には幸せになってほしくて、少し強引だったけど縁談を進めた。僕が間違ってたってことですね」
「……そんなこと」
「幸せになれないなら、帰ってきてください。いつまでもうちにいたらいい。侯爵家はあなたのものだ。みんなそう思ってる」
「そうしてあなたのお嫁さんに煙たがられるの? 嫌よ、そんなの。それくらいなら修道院に行くわ」
いつも自分は後回しの姉。彼女の犠牲によって、今の侯爵家は成り立っている。
「姉上が居られなくなるなら結婚なんてしません」
「……そんなこと許されるわけないでしょう。跡継ぎはどうするのよ」
「じゃあさっさと義兄上のところに行って、誤解を解いてきてください」
むう、と口を噤む姉は、歳相応を通り越して、幼い少女のようにすら見えた。身内にしか見せないその寛いだ姿を、まだ夫には見せていないらしい。
「代わりに僕が言ってきてあげましょうか? 姉上はあなたとの結婚式を、それはそれは楽しみしていたんですよ、と」
侯爵代理改め子爵夫人は、嫌そうに弟に掌を向けた。
「大人をからかわないで」
「大人なら大人らしくしろよ」
感情に任せて姉に手を上げるには、侯爵は大きくなり過ぎていた。性差の分だけ、わずかに姉より背が高くなってしまった身体で感情をぶつける先は、丈夫な椅子にしておいた。
音を立てて椅子を押しやって立ち上がり、上着を手にする。
「そろそろ行きましょうか。王妃殿下に夫婦円満の秘訣でも聞いてくるといい」




