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あのひとは

 ライリーは分からなくなってきた。

 美しい侯爵代理。その名を知る前に、一度だけ会ったことがあるのだ。

 ライリーはまだ従者になったばかりで、主人に付いて王宮を訪れた際に、広大な敷地で迷子になってしまった。

 今でも鮮明に思い出すことができる。

 小さな騎士さん。

 彼女は微笑んで、ライリーの口に甘い砂糖菓子を放り込んだ。ライリーよりも小さくて、白いすべらかな手だった。

 恋を始めるには、彼女は大人すぎた。母よりは若いだろうと、十三の子どもにはそのくらいしか分からなかった。淡い初恋がはじまる前に、気持ちに蓋をした。

 従騎士として王宮に詰めるようになると、時折見かけるようになって、そこで初めて侯爵夫人の噂を聞いた。

 美しい社交界の華。爵位を預かる、前例のない女傑。優美で優雅な恋多き貴婦人。令嬢と言うには貫禄がありすぎると、未婚の身でありながら夫人と呼ばれている。

 国王陛下の覚えもめでたく、国を代表する公爵は、美しい義理の姪に夢中らしい。

 どの噂話も、見習いの少年が気後れするには充分なものだった。気後れしながらも夢のような出会いを忘れることはできず、遠くからその姿を見ては励みにしていた。

 縁談の話を聞いたときは、あの邂逅を覚えていたのかと胸が躍った。適当な嫁ぎ先を探すときに、騎士になったライリーのことを思い出して申し入れてくれたのかと、冷静な顔をしながらひとりで盛り上がっていた。

 どんな理由でもいい。自分を選んでくれたなら、従者のようにかしずいて暮らすくらいなんでもない。これからの人生を心穏やかに暮らせるよう、守って差し上げるのだ。

 そんな都合のいい話ではなかった。彼女はそんな瑣末な出来事など覚えていなかった。弟に爵位を継がせるために、自分の新しい身分が欲しかっただけだったのだ。たまたま条件が合致したのがライリーだっただけ。

「あのひとは別に悪いことなんかしてない。最初からそういう話だと分かってたはずなのに、俺がひとりで盛り上がってしまって」

「庇うのか。だからって初夜を拒否する花嫁なんて聞いたことないぞ」

「……体調が悪いと。熱が出てしまったから、今夜はひとりにしてくれって彼女の侍女が」

 ライリーは自分が何を言いたいのか分からなくなってきた。具合が悪いなら仕方ない、と兄が言うのを、そんなわけがないと否定したのは自分だ。

「あ?」

 怪訝な顔をしてエベラルドは足を止めた。

「だから、寝室に行ったら侍女が出てきて、体調が悪いから今夜は寝室をひとりで使わせてほしい、って」

「で?」

「そういうことかと思って、……翌朝黙って出てきました」

 エベラルドは黙って、肩に掴まるライリーを地面に落とした。

「って……」

「痛えじゃねえよ。何やってんだおまえ。それで次の日に様子も見ないまんま逃げてきたのか」

「だ、だって、ついさっきまでドレスでピシッとしてた女性が、具合悪いって仮病以外考えられない」

「ガキが知った口利いてんなよ。女には色々あるんだよ。結婚したからって男と同衾できない理由なんかいくらでも思いつくだろうが」

「…………えええ」

「どうでもいい相手だったんならともかく、初恋が実るとこだったんだろ。黙って引き下がって、次の日見舞いに行くぐらいしろよ」

「ええと……」

「あああああ腹立つ心配して損した。さっきの飲み代おまえの分返せよ。馬鹿に奢る金はねえ」

 ライリーはなんとか立ち上がったところを思い切り殴られて、また道端に倒れた。

「自分で勝手に帰って来いよ。俺はもう知らん」

 夜道を帰路につく酔客や夜の店の店員が歩く往来に、ライリーはひとり取り残された。

「…………え?」

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