初恋は
「おいライリー、そのくらいにしとけ」
「隊長、が、好きなだけ飲めっ、て、言ったんじゃ、ないですか」
ライリーは空になった麦酒の杯を卓に置くと、思うように動かない舌に違和感を覚えながら、エべラルドをねめつけた。
休暇明けの鍛錬から数日後、明日は非番だという日の夕刻に、ライリーは同じ隊の騎士に連れられて城下に来ていた。城下と言っても、だいぶ外れの裏路地にある酒場だ。
酒場は一日の仕事を終えた男達で満席だった。ライリーがいつも行く表通りの酒場よりも退廃的な空気が漂っているし、給仕をする女達はやたらと肌を露出しているしで、あまり居心地のいい場所ではない。
「なんでこいつ麦酒で酔ってんだよ」
「さっき間違えて蒸留酒がぶ飲みしたからだろ」
「今日は上に行くんじゃなかったのかよ。潰れてどうするんだ」
これまでは子ども扱いで、「坊やにはまだ早い」娼館に連れて行かれたことはなかったが、今日は有無を言わさず引き摺られて来た。一階が酒場、気に入った女給がいれば交渉して二階の部屋に行く、先輩騎士曰く初心者向けの店だ。
ライリーも興味がなかったわけではないが、騎士団の仕事は激務で、夜は泥のように眠るのが常だった。そのうち連れてってやる、と言われている間に縁談が舞い込んだ。相手が有名なロブフォード侯爵夫人だったために、婚礼までは品行方正にしとけと家と職場両方から厳命がくだり、今日に至るまで女性とは無縁の生活を送ってきた。
今日だって別に頼んでない。なぜ私生活まで管理されねばならないのだ。
ライリーは歳上の騎士達に座らされた酒場の椅子で、憮然として麦酒を煽った。
緊張の糸は、婚礼の日に切れてしまったままだ。もう今更、商売女相手にあれこれ考える気力はない。先輩騎士に逆らうのも面倒だから、適当に選んで適当に済ませて帰ればいいか。
「ずっと憧れてたのに。浮かれてたのが馬鹿みたいだ」
うっかり飲み過ぎた自覚はあった。さっきから、口から溢れる心が止まらない。
ずっと胸に秘めていた本心を隠しておくのがしんどい。全部吐き出して、今日この場に捨ててしまいたい。
「侯爵夫人にか?」
「夫人じゃない! あの方は侯爵令嬢だった。綺麗で優しい、俺の女神だったのに」
ライリーを引き摺ってきた騎士達は顔を見合わせた。何を言ってるんだこいつは。
「いや、そりゃおまえの夫人だけど。女神て……あれか、おまえ侯爵代理の信奉者だったのか」
美しい侯爵代理に憧れる者は、男女問わずたくさんいる。エベラルドは、ライリーもそのひとりだったのかと問うた。
「そんなんじゃない。ずっと歳上だからどうにかなるなんて思ってなかったし、ましてや結婚なんて考えたことなかった」
ただずっと、心の奥底に存在していた。時折遠目に見かけては、温かい気持ちになった。辛い鍛錬に挫けそうになったときは、眼裏に浮かぶ笑顔が気持ちを奮い立たせてくれた。
「初恋かあ……」
いかつい男達が遠い目をした。
ライリーは伯爵令息だ。社交界で言葉を交わす機会でもあったのかもしれない。そこで逆上せてしまったのだろう、初心な少年にはありがちなことだ。
「実っちまったと思ったら、冷たくあしらわれたってことか」
「そりゃあ腐りもするわな。分かった。やっぱ今日は上行って忘れさせてもらえよ。どの女がいいんだ。夫人と同じ金髪か」
「いや無理だろ。この様子だと、もうすぐ吐いて寝るぞこいつ」
誰かが担いで帰らなければならない。明日が非番の騎士達は目線で押し付け合い、最終的にはエベラルドがライリーを背負って官舎に帰ることになった。
「くそっあいつら、こんなときだけ歳上風吹かせやがって」
俺は上官だぞ、とぶつぶつ言いながら、騎士団最年少の小隊長はずり落ちそうになった配下を背負い直した。
管を巻きながら浴びるように酒を飲んだライリーは、案の定潰れてしまった。入団当初の彼は線の細い少年だったが、この三年で他の騎士と比べても見劣りしないだけの体格になってしまった。深酒をした身で同じような体重の男を負ぶうのは、日頃鍛えている騎士でも辛い。
エベラルドは耳元の小さな唸り声を聞き逃さず、ライリーを背中から降ろした。
「起きたなら自分で歩け」
「…………はい」
よたよたと歩くライリーに、エベラルドが肩を貸す。
「しっかりしろよ。おまえはまだ若いんだし、見栄えも悪くない。伯爵家のお坊ちゃんだってのに騎士になって真面目にやってる。侯爵夫人なんかよりもっといい女がいるはずだ。妻っつっても一緒に暮らすわけじゃないんなら、愛人のひとりやふたりこしらえても文句は言われないだろ」
「……そんなもの」
「つくれよ。向こうから結婚してくれって言っといて、夫婦になるつもりはなかったなんて馬鹿にしすぎだ。おまえはもっと怒っていいはずだ。侯爵家だかなんだか知らないが、もうおまえの妻なんだ。向こうにだけ好き勝手させるなよ」
「あのひとは」




