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婚礼の翌朝

 婚礼の翌朝は、伯爵の怒号から始まった。

 温厚な性格で知られる伯爵は、珍しく青筋を浮かべて息子を怒鳴りつけた。

「何をやっていたんだおまえは! 夫人はどうした!」

「……ちちうえ、うるさい……」

 厨房で朱に染まって横たわるライリーは、誰が見ても死体だった。

 彼は力なく床に倒れており、その上半身は血の色に染まっていたのだ。不吉な色は彼の身体を染めるだけでは飽き足らず、周囲の床にも広がっていた。

 第一発見者である下男は、運び込んだ食材を降ろした直後に腰を抜かした。叫び声を上げる前に、いびきに気づく。

 分かりやすく生きていた。鉄臭さはない。これは葡萄酒だ。泥酔しているようだ。

 下男は自身の腰を励ましつつ、主人の息子をそっと揺り起こそうと試みたが、途中で諦めて従僕の部屋によたよたと走った。起こされた従僕は急いで身支度を整えてから侍女を呼びに行き、次に厨房に走った。侍女は慌てて執事を起こしてから伯爵夫妻の寝室の扉を叩いた。

 教育の行き届いた使用人達の見事な連携により屋敷中の人間が目を覚ましても、ライリーは子どものように安らかな寝息をたてていた。

 伯爵が来る前にと気を利かせた従僕が揺さぶっても、焦る余りに叩いてしまっても、彼は夢から醒めなかった。

 とうとう伯爵が到着し、息子の胸倉を掴んで揺さぶる事態にまでなった。

 初めて見る伯爵の姿に、使用人達は驚いた。彼らの主人は鷹揚な貴族で、武張ったところのない優しい人柄だった。使用人の粗相も、息子達が喧嘩をしても多少羽目を外しても、大抵のことは笑って済ませてしまう人だった。

 この度の婚姻に、よほど心労が嵩んでいたのだろう。

 侯爵家と一口に言っても、公爵と親しく、王家とも深い付き合いのある花嫁は、正直なところ負担でしかなかった。息子の嫁の機嫌を損ねれば、これまで築いてきたものが全て吹き飛んでしまう。

 胃が痛くなる思いで準備した結婚式も披露宴も無事終わって一息ついたところで、花婿が花嫁を放って泥酔していたのだ。この馬鹿息子が!

 そんな父親の珍しい姿に、ライリーは顔をしかめて唸った。

「あたま、いたい」

「なんでおまえが、こんなところにいるんだと訊いている!」

 温厚な父だが、子どもの頃はそれなりに叱られたこともある。使用人達よりは耐性があった。

 ライリーは胸倉を掴む手を振り払って吐き捨てた。

「……行くところがなかったからです。花嫁に追い出された」

 息を呑んだ一同をかき分け、ライリーは葡萄酒にまみれたままふらふらと厨房を出て行った。

 体は無傷だが、その心と見た目は完全に重傷者だった。


「……兄上、寝室借ります」

 息子のその様子に、伯爵は怒りの矛先を失ってしまった。

 夫婦の寝室に変えた息子の部屋を、占領してしまった義理の娘には向けられない。

 その義娘を畏れての怒りだ。

 普通の夫婦になれるとは思っていなかったが、まさか初夜まで拒否するとは。

 何か失態があっただろうか。婚礼は恙無く終えた。花嫁だって微笑んでいるように見えた。

 昨夜、寝室で息子が無礼を働いたか。いや、入るなと言われたのか。では、元よりそのつもりで? 侯爵家が弟のものとなったため、自分は婚家の主となるのが目的の縁談だったか。

 あの佳人は義理の娘などではない。伯爵家を乗っ取りにきた侵略者だ!

 伯爵は目を瞑って数秒壁にもたれかかってから、息を深く吸って長く吐いた。

「皆、騒がせて悪かった。お泊まりのお客様がいらっしゃる。起きて来られた方に朝食の用意を。昨夜は遅かったから、おやすみの方は起こさないよう静かに動くようにな」


 ライリーがよたよたと廊下を歩いていると、兄が追いかけてきた。

「ライリー! ……昨夜、何があったんだ?」

「……さっき言ったでしょう。侯爵夫人様に拒絶された」

「なぜ?そんなことをするような方じゃないはずだ」

「知るかよ。作法通りノックしたら、あの侯爵家の侍女が出てきて、体調を崩したからひとりにしてくれ、と。顔も見てないんだから、無礼の働きようもない」

「具合が悪かったなら、」

「ついさっきまで元気だった女の体調不良、が断るときの常套句だってことくらい俺だって知ってる」

「ライリー」

「兄上達は言わなかったけど、噂は本当だったってことだ。あの女は陛下だか公爵だかの愛人で、俺はただの従者ってわけ。愛人の警護役に選ばれたってことでしょう?」

 修繕が終わったら引越す予定の子爵邸の主は、ホークラム子爵でなく、名ばかりの子爵夫人というわけだ。

 ホークラム子爵ライリーは妻の元に愛人が通ってくるのを黙って見ていろ、むしろその間警護役をしていろと、そういう意図の縁談だったのだ。

 ライリーは赤毛に手を突っ込み、自嘲して小さく笑った。

 だったら最初からそう命じればよかったのに。屈辱的な立場になっても、王の命令なら喜んで従った。騎士に任命されたときに誓ったからだ。

 守って差し上げようなんて考えていた自分はとんだ道化だ。儀式のくちづけにのぼせ上がった様子を、参列した公爵はどんな目で見ていたのだろう。

「そんなわけないだろう。落ち着け」

「……兄上ごめん。飲み過ぎて頭痛いんだ。しばらく寝かせて」

 ライリーは汚れた夜着を脱ぎ散らかして寝台に横たわった。

 すぐに寝息をたて始めた彼は、兄が部屋を出た後、いつの間にか姿を消していた。

 数日後、王宮にて休暇明けの勤務に普段通り現れたと一報が入る。

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