終
「貴族の結婚は政略無しにはあり得ないって、ライリーは本気で気づいてないのかな」
侯爵は馬車に揺られながら、いつもは姉にべったりの侍女に問いかけた。
「お気づきでないようですね」
「恋は盲目ってこういうのを言うんだね」
やっぱり僕にはまだ必要ないかなあ、と呟く主を見て、アンナは唇の端を上げた。
いいえ、坊ちゃん。やっぱりあのおふたりは、政治の思惑とは関係ないところで、恋で結ばれたご夫婦です。
ライリーは自分の価値を分かっていない。伯爵家の次男という身分を持ちながら、貴族の子弟で構成される近衛騎士団でなく、実戦を担う王立騎士団に所属するというのがどういうことか、彼は気づいていないのだ。
元々の身分の差から、近衛騎士団が上のような扱いを受けているが、騎士団長まで昇り詰めれば話は違ってくる。
武官の最高峰たる騎士団長は、国の守りの要だ。家柄だけの騎士には到底務まらない。
だが、実力と家柄を兼ね備えた人材がいたら?
国の要職は、上流階級の人間で占めたい貴族達からすれば、ライリーは願ってもない存在なのだ。
現在の団長は、地方男爵家出身の三十五歳。十年後はまだ現役かもしれないが、二十年後には確実にその座を退いている。次期団長として目されているがために、ティンバートン伯爵令息の王立騎士団入団は成ったのだ。
従者として付いていた騎士が、推薦状を書いた先が王立騎士団だったから入団したんだ。まあ近衛騎士団に入ったら鍛錬は楽かもしれないけど、儀式での見栄えが良くないといけないからな。俺には向かないと判断されたみたいだ。
本気の口調でそうぼやくライリーに、ウィルフレッドは内心驚いていた。
推薦状を書いた騎士の元に、ライリーの身辺調査に行った侯爵家の使者が聞いてきた暴露話がある。
「もちろん最初は近衛騎士団に入れるつもりだった。だがあいつは従者になってすぐの頃に会った佳人にぽーっとなってな。それが有名な侯爵夫人だ。それ以来熱心に稽古に励む。筋がいいし、ああ見えてそれなりの家の出だから、抵抗なく人の上に立つこともできる。侯爵夫人は未婚だっていうし、万一の将来のために、騎士団長を目指させるのも面白いかと思ったんだ」
本人は分かっていないようだが、将来性込みで考えられた、釣り合いのとれた縁談だったのだ。
ライリーとハリエットの恋は、五年前に出会ったときからもうはじまっていた。出会いがお互いの行動を変え、影響し合い、偶然と幸運が重なった結果、両家の御膳立てという形をとって実を結んだ。
これが運命の恋でなくてなんだというのだろう。
「僕が宰相で義兄上は騎士団長。二十年後、この国はロブフォードのものになるよ。どうせなら周りの土地を片っ端からうちの物にして、独立国家にしてしまおうか。二十年後だと今の陛下はこの世にいないかな。王家を潰してやるのもいいかもしれないね。一番王様の素質があるのは姉上なんだろうけど、女王になる気なんてないだろうな」
姉には幸せになってほしい。けれど、だからこそ何者にもなれない男の元に、好きだという理由だけで嫁がせる気はなかった。
何者にもなれない男の妻は、不幸になる。
小国が興っては衰退し、また新たな国が誕生する時代だ。
ほんの五十年前に建国がなされたキャストリカも例外ではない。今は近隣諸国との均衡を保っているこの国も歴史の波に呑まれ、おそらく後世に名を残すことすらできないだろう。
ウィルフレッドは、その程度の王室に捧げる忠誠など持っていなかった。
今の王家は、ウィルフレッド達に両親の死の原因を追及する暇も与えず、爵位をエサに姉を縛った。
王の組織に所属し、王の御為にと御題目を唱えるのが仕事の義兄ですら、王と妻を天秤に架けたら、迷いなく妻の手を取るだろう。あのひとはそういう人だ。
ウィルフレッドだって、自分を守り慈しんでくれた姉が女王になると言うのなら、喜んで御前で膝を折ることができる。
「悪ぶらなくてもいいんですよ、坊ちゃん」
「……アンナも姉上に付いてライリーの子爵家に行きなよ。姉の乳姉妹も一緒に片付いたら清々する」
「そうですね、姉君が心配ですものね。承りました」
ハリエットには幸せになる権利がある。
彼女は、命令ではなくその行いによって周囲を動かした。
彼女の周りに集まる人間は、みな彼女の力になりたいと思った。彼女には、そう思わせる力があった。
それはこの時代の王者にこそ相応しい素質だったが、彼女はもっと重要で、ちいさくてささやかな幸せを望んだ。
幼い頃に憧れた、素敵な騎士との恋と結婚。
それが、彼女が今自らの手で握りしめている幸せだ。
子爵は後にその働きを認められ、生家と同じ伯爵の位を賜った。
高潔な騎士として広く知られ、戦場だけでなく、平時に於ける行いも模範とされた。
だが彼は、その評価を聞いても、伯爵位を賜わるときですら、大きな喜びを見せなかった。
むしろ困っているようですらあった、と後に身近な人々は語った。
彼のその行いは、すべてその妻のためだけにあった。
彼は妻を愛し、妻の喜びのためにすべてを行った。
その姿は生涯、姫君に仕える騎士のごとく人々の目に映った。
子爵夫妻は世俗に大きな関心を寄せず、互いを慈しみひっそりと暮らすことを望んだ。
激動の人生であった。と言う人もいた。
伯爵家に生まれながらも、兄があったために子爵位を継ぎ、騎士として士官した。身分違いの恋に落ちて侯爵の姉を妻とし、そのための苦労も多くあったという。有能な人であった。武に秀でたための任官であったが、文官の才もあり、政にもたずさわった。騎士団をまとめ、政治家との架け橋も巧くあった。
祖国が失われた後も、彼は自分の為すべきことを為した。
新しい王もそんな彼を重用し、騎士の模範と称えた。
表でのそうした働きとは裏腹に、彼は実に質素な生活を好んだ。
使用人は最小限に抑え、家族との時間を最も大事にした。
彼はよく口にしていたという。
「余生は楽しく送りたいからね」
歳若い彼のその言葉は、彼なりの冗談だろうとみなが笑った。
彼のその言葉は、美しい妻を得てから聞かれるようになった。
妻の余生の楽しみのためにしていることだから。
ここで一旦完結となります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2022.03.08 続編『余生をわたしに』始めました。
2022.04.15 番外編集『王国挿話』始めました。
2022.07.25 完結編『余生をあなたに』始めました。
引き続きお読みいただけましたら幸いです。




