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騎士と侯爵

 なかなか上手く凄めたと思う。

 侯爵がにっこり笑って馬車の中を覗き込むと、ライリーが慌てて飛び出してきた。

 ハリエットに手を貸すのは自分でいいのかと悩むライリーの様子が馬鹿らしくて、侯爵はひとりでさっさと屋敷に向かった。

 玄関の前で振り返ると、俯きがちの姉が夫に手を取られてしおらしく歩いているところだった。

 屋敷は、領地にある本宅よりだいぶ小規模なものだ。中に入ってすぐの広間で声を張り上げるだけで、屋敷中に意思がとおる。

「ホークラム子爵が姉上を迎えに来てくださったよ!」

 奥からわあっと声が上がる。姉の様子に気を揉んでいた使用人達だ。

 ハリエットと並んで立つライリーが驚いて、制止するように手を伸ばしてきた。

「侯爵……! あの、お話が」

「はい。そのつもりです。姉上はどうします? とりあえず顔を冷やしてきたほうがいいんじゃないかな」

 家に帰ってきて、いくらか気持ちが落ち着いたようだ。ハリエットは相変わらず手巾で顔を隠してはいるものの、しっかりした足取りで二階の私室に上がった。

 ライリーはと言うと、初めての妻の実家訪問に緊張しているのか、固まってしまっている。ということにしておいてあげよう。体格のいい騎士が、家格が上なだけの歳下の少年にビビっているなんて、情けない話だ。

 応接室に案内するつもりだったが、開放的な広間の長椅子を勧めることにする。

「さて、義兄上。何の話からしましょうか」


 ライリーは、自分がこんなに小心者だったとは思ってもみなかった。

 近衛とは違い、一歩間違えれば荒くれ者集団と変わらない騎士団に飛び込んでも割と上手くやってきた。従騎士のうちに初陣は済ませたし、そのときだってここまでガチガチになったりしなかった。

 ロブフォード侯爵はライリーと同じ年頃の、線の細い少年だ。姉に似た美貌が、時折少女のようにも見える。

 どう見ても自分のほうが強い。負けるわけがないとは思うのだが、今は腕っ節の話をしていない。

 正式に侯爵位を継いだ彼は、家長なのだ。ハリエットの身の処し方は、彼に決める権利がある。

 もう結婚誓約書に署名は済ませた。ライリーとハリエットは、正式な夫婦と国に認められている。

 だが、ライリーは一度ハリエットの存在を否定した。妻を置いて逃げ出した夫が、妻の実家でどんな顔をすればいいのか。どの面下げて、姉君を求める許可を求めればいいのだ。

「…………ロブフォード侯爵」

 勧められた椅子には腰掛けず、ライリーは床に直接片膝を突いた。右掌を胸に当て、深く頭を下げる。

 最大限の謝罪の形。男の前でこの礼を取るのは、国王を除いて初めてだ。

「姉君に対する数々の非礼を、お詫びいたします」

 侯爵は頭を上げるよう言わなかった。笑顔の裏で、憤っていたのは分かっていた。

「……うん。…………そうですね。あなたが姉を捨て置くことは想定していなかった」

 淡々とした言葉が下げた頭の上に投げられる。彼の言葉のひとつひとつがひんやりと冷たく、ライリーの差し出した首筋を撫で下ろした。

「弁解しようが、ございません」

 ますます深く頭を下げると、侯爵がまとう空気から冷たさがふっと消えた。

 侯爵がはあっと大きな溜め息をついて、どかっと音をたてて椅子の背凭れに寄りかかる気配がする。

「弁解してくださいよ。話は聞いてます。僕は、姉だって悪かったと思ってます」

「……いえ、私が」

「顔を上げて。座ってください。ほら、お茶の用意ができたみたいです」

 見上げると、侯爵は冷たくも温かくもない、友人に接するような自然な仕草で向かいの椅子を示した。

 ライリーがおずおずと立ち上がって椅子に腰を下ろすと、侯爵は手ずから淹れた紅茶をライリーの前に置いた。

「…………いただきます」

「本当なら姉がもてなすべきなんでしょうけど。あのひと、今日はもう部屋から出てこないと思うので」

「え」

 どこか具合でも悪かったのだろうか。側にいたのに気づけなかった。普段周りにいるのは武骨な男ばかりなせいで、女性の繊細な変化に疎くて困る。

「ああ。気にしないでください。うちの者は泣き虫姫の泣き顔なんて見慣れてるんですが、あなたに見られたら死んでしまうと思ってるらしくて」

「はあ」

「ライリー様はぶっさいくな泣き顔を見ても幻滅したりしないよとは言ってるんですがね。だってそうでしょう?」

「も、もちろん」

 慌ててこくこくと首を縦に振る。

 不細工なんてとんでもない。涙が一筋流れた頬は、一幅の絵画のようですらあった。

「女ゴコロ、らしいですよ。姉は昔から、気が強いくせに一度泣き出すと止まらなくて。子どもの頃なら泣き虫姫なんて呼ばれても可愛いものですが、結婚式の夜にもやらかしたんです」

 やらかした? やらかしたのはライリーだ。勝手に勘違いして傷付いて、花婿の義務を放棄して逃げ出した。

「姉は結婚式を楽しみにしてました。楽しみにしすぎて当日熱を出して。そのせいで普段は気にしないような噂話が恐ろしいもののように思えて、泣き出したらしいです」

「うわさ?」

 侯爵は一瞬口籠もってライリーを見たが、気を取り直して話を続けた。

「身内のこんな話をするのもどうかと思いますが。色々と侯爵夫人の噂はお聞きでしょうけど、姉は、なんというか割と普通の令嬢なんです。男性からの誘いを躱すのは得意だけど、受け入れた経験がない」

「………………」

「披露宴で、経験豊富な夫人に任せておけ、と言っているご友人の言葉が聞こえたらしく、発熱もあって混乱して泣いてしまったんです。こんなひどい顔見せられないと、直接あなたに謝罪することもできず、侍女に対応させてしまった」

 なんだその真相は。やっぱり、自分のことばかり考えていた自分が悪いんじゃないか。

 好き勝手な助言を寄越してくる上司も親族も、殴ってやればよかった。妻を侮辱するなと言って、謝罪させるべきだったんだ。そうすれば、ハリエットは苦しまずにすんだ。

「子どものようなことをした、姉も悪かったんです。申し訳ありません」

「悪いのは私です。……ハリエット様に、謝らせてください」

「……ありがとうございます。泣けば周りがなんとかしてくれる歳じゃないことは、本人も分かってるんです。だから、あなたとの結婚式の夜が五年振りなんです。両親を亡くして以来、涙をなくした泣き虫姫が泣いたと聞いて、僕は嬉しかった。姉にはあなたしかいないと思いました」

 今日は落ち着くまでそっとしておいてやってほしい。泊まる部屋も用意するので、夕食をご一緒しましょう。その後で見舞ってやってください、と侯爵に言われ、ライリーは明日の予定を考えた。

 朝一で辞去させていただけば、隊務には間に合う。

 ハリエットは自室で夕食を摂ることにしたらしい。

 侯爵とふたりで食卓を囲めば、歳が近いこともあって、思いの外会話が弾んだ。

 ライリーが騎士団の日常を語ると侯爵は目を輝かせて聴いてくれたし、笑ってくれた。侯爵の語るハリエットの過去の話は興味深いものだったが、果たして自分が聞いてもいいものかと悩んだりもした。それを見て侯爵はまた笑った。

 成人と同時に爵位を継いだ侯爵は、上流貴族の子息に多い退廃的享楽的ところがなく、一家の主として歳に似合わない落ち着きを持っていた。それと同時に少年らしい砕けた振る舞いをしても楽しそうで、落ち着きと無邪気さを無理なく兼ね備えているように見えた。

 両親亡き後、姉のハリエットが慈しんで育てたのだろう。厳しくも、愛されて育った少年だ。

 使用人達は主人姉弟を大事に思って心から仕えているのが見て取れた。主のひととなりが窺える。

 ここが、ハリエットの育ったところなのか。

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