伯爵領から王都へ
伯爵領から馬を乗り継いで、ライリーはなんとか城門が閉まる直前に駆け込むことに成功した。
酷使してしまった愛馬の世話をしてから、官舎にある自室の寝台に倒れこむ。酷使したのは自分の身体もだ。二日続けて馬を駆り続けた下半身が悲鳴を上げている。普通どれだけ急いでも三日はかかるはずの行程を、馬を乗り継ぐことによって無理矢理二日の強行軍にしたのだ。
それなのに、夫人に会うことはできず、目的を達成しないままただ無駄に往復しただけになってしまった。
休暇は残り一日。明後日の朝にはまた通常の隊務に戻らなくてはならない。臀部から内腿にかけての悲鳴を上げている筋肉と、未確認だがもしかしたら破れてしまっているかもしれない皮膚を抱えて、仕事になるのかはなはだ疑問だが。
とにかく明日、王都の侯爵家を訪ねなければならない。夫人だけでなく、侯爵にも頭を下げる必要があるだろう。
ライリーはその日は泥のように眠り、翌朝朝食を済ませてから騎士団の正装を着込んで出かけた。
同じ官舎の同僚は怪訝な顔で見送ったが、名門侯爵家への来意を考えると正装が妥当だろう。
城門をくぐって城下に下りる。
休暇前に見廻りに参加した際よりも、表通りが陽の気に溢れ明るくなったのと同時に、裏路地の影が濃くなったように見える。次回の見廻りでは、表から外れた小路まで目を光らせよう、と心に留めておく。
ロブフォード侯爵邸の正確な住所は知らないが、大貴族の邸宅が並ぶ場所は決まっている。これだけの人出があれば、知っている者に当たるのもすぐだろう。
読みどおり、近くの貴族の使用人らしき男に声をかけると、あっさり教えてもらうことができた。予想はしていたが、実家の伯爵家が毎年借りている長屋型の都市邸宅とは規模が違う。
柵で囲って、ちょっとした庭園まで整えられている。もちろん広大な敷地を持つ領地の本宅よりはかなり小さいのだろうが、直接玄関の扉を叩くことはできず、門番に名乗って取り次ぎを頼むしかなかった。
主人の姉の結婚相手の名まで頭に入っているのか。教育の行き届いた門番に慇懃に侯爵姉弟の不在を告げられた。ついさっき王宮に向かったところだと言う。
また入れ違いか。侯爵家を探して違う路地に入ったときに聞こえた馬車の音がそうだったのだろう。
来客に気づいてか、白髪混じりの家令が中から出てくる。その顔には見覚えがあった。婚礼の日に、侯爵に付き添っていた初老の紳士だ。
「ライリー様。主人は夕刻には戻る予定ですが、中で待たれますか?」
妻となった女性から逃げたのは自分だ。座して待つより、会えるまで追いかけるのが筋というものだろう。例え筋肉痛で下半身が悲鳴をあげていたとしてもだ。
「いや、王宮に戻って探してみます。どこに行かれたか分かりますか」
「王妃殿下をお訪ねすると申しておりました」
……それは邪魔できない。
「ありがとう。では妃殿下の居室までの通り道で待ってみます」
子どもの頃はその複雑さに何度も迷ってしまった王宮だが、平時における騎士団の主な仕事は王宮警護だ。頭の中に完璧な地図が入っている。王族の私室からの帰り道と考えると、自ずと出待ちに最適な場所が弾き出された。
出発したばかりなら、走っても無駄だ。ライリーは下半身の筋肉を騙し騙し元来た道を歩いた。
もう少しであのひとに会える。
つい先月、婚礼の日に接したあのひとは美しかったけれど、常に浮かべていた微笑が仮面を被っているようだと思った。あの仮面を外したら、あのひとはどんな表情をするのだろう。
つくりものじゃない笑顔を見せてくれるだろうか。あなたをお守りしますと伝えたら、疲れたときには昔のように偽らない表情を見せてくれるだろうか。




