九二日目 強制と自由 ②あなたを突き動かすのは?
ようこそ、このエッセイへ。まちかぜレオンです。
今日の模試、ちょっと不安です。
範囲が、休校期間中の課題の内容と被っていて、そこをちゃんとやってこなかった分、苦しいです。
いまさら悔やんでもしかたなので、出せる分は全て出し切ってきます。
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さて、前日の内容では強制と自由の前半について語っていきました。
昨日の結論としては、締め切りという強制力がないとなかなか動けないよね、ということでした。
自発的に行動していくために、要因なしに動けるかどうか考えました。
でも、ようやく出た結論はこうです。
自分を突き動かしてくれるものというのは確実に必要だということ。
人というのは愚かなもので、ルールがなければなかなか動くことができません。
僕は一旦中学の頃を思い出すことにしました。
果たしてあの頃、"自ら"学習をしていた人はどのくらいいたでしょうか。
自分自身は塾に通っていたので、塾の課題に日々追われていました。
テスト対策も塾から配られる教材を中心にやっていたのですがこれは塾という外発的要因があったから、というだけです。
塾や通信教育をとらず、教科書や学校で配られたワークだけでテスト対策を完璧にできるか、といわれたら厳しいものがあると思います。
外発的要因に自分のモチベーションと委ねる事に罪悪感を抱かなくてもよいのではないでしょうか。
今まで出会ってきた人の中で、自分の内発的なモチベーションだけで勉強を自らできていた人というのは、ほんの数名です。
そういった学習姿勢には憧れますが、そのぐらい自分の自主性を高めていける自信は正直ありません。
追求すべきなのは、やらざるを得ないものを確実に終わらせた上で、プラスα"緊急ではないが重要なこと"を取り入れることだと思います。
当たり前のことを当たり前にやる。
ここができるだけでも、違ってきますよね。
自主性に関しては、このレベルを超えない限り難しいものがあるのではないでしょうか。
まずは"緊急かつ重要なこと"でやるべき分は確実に終わらせるを意識したいですね。
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今回は音声入力で半分くらいの内容は打ち込みました。
いつも以上に会話調になっていたとすれば、それが原因でしょう。
強制なしに動くということは、理想でありながら多くの人には不可能だというこが、今回書きながら至った、自分の意見です。
自主的に勉強をしていた人のことを思い出してみると、彼らにとって勉強とは一種の趣味の範疇でした。
勉強を勉強として捉えていなかったので、義務感なしにやれていた、というのはもちろんありました。
勉強が好きすぎてたまらない人以外は、何かしらの強制要因を見つけ出してやった方がいいでしょう。
例えば、試験まであと〇〇日・転職するため・自分の自尊心のため。
何でもいいんです。
他人から強制されてやる、というのだけは避けた方がいいでしょうが。
自分なら仲間内で競走して伸ばしていくのいいかな、なんて思っています。
皆さんも自分を突き動かす"何か"を見出していきましょう。




