九一日目 強制と自由①緊急ではないが重要なこと
どうも、このエッセイへようこそ。
昨日はまさかの寝落ちで連載の更新ができなかったですね。
こういった不測の事態に備えて、書き溜めは作っておかないとですね(早々にストックを切らした人)
模試近いのにこれはキッツい
____強制と自由
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果たして、強制力が働いていなかったら。
自分を制御していけるのでしょうか、ということです。
これは、なかなか難しいことではないでしょうか。
学校の校則で例えてみます。
ひとつはとてもガチガチに固められた校則。
もう一方は、自由放任主義の校則。
後者は、ある程度レベルが高い学校が生徒の"自主性"に任せているから緩い校則、ということが多いでしょう。
レベルが高い学校になると、自主性が高い生徒が多くなるということは、かなり有力な主張ではないでしょうか。
そこで"強制と自由"という二項対立が生まれてきます。
締め切りという強制力がなければ、プロの作家さんは文章を真面目に書かないのか、という話です。
これはあくまで極論ですが、締切まであと1週間で10万字書けといわれるのと、3年間で10万字を書けといわれるのでは、もちろん力の入れ方は変わってきますよね。
前者の方が緊張感を持って原稿を書き進められると思います。
これは原稿だけでなくて、提出課題でも仕事でもなんでもいいわけです。
"重要かつ緊急"のことは多くの人ができるかと思います。
締切という"強制力"があれば誰でも力を入れてそれに取り組みますよね。
では、"重要だけど緊急じゃないこと"って、みずからやれていますか。
『七つの習慣』を読んだ身でありながら、なかなか実践できずにいます。
自主性があれば、やっておいた方がいい予習だとか、問題の二周目・三周目を解くだとかを、誰にいわれなくてもできるのでしょう。
つい目の前で、強制されているからと必死になってやること・その反動でやってしまう暇つぶし(最近はSNSに時間を食われがち)で1日が終わっていってしまいがちです。
いわれていなくてもやれるかどうか。
スケジュールと自己管理ができていないと難しいです。
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いかがだったでしょうか。
何かしらの強制力がないとやっていけないのであれば、強制してくれる誰かがいないとあっという間にやらなくなります。
それを痛感している今日この頃です。
強制してくれる誰かがいたからこその結果があったな、と。
今、自分に対してかなり甘いです。
周りに流されてしまっています。
執筆も、執筆だけやっていたらただの現実逃避です。
勉強や部活などの活動でも結果を出してこそ、執筆は胸を張っていえることになります。
自分の中で最も時間を使ってしまうのが、"突発的にできた5〜15分"と"食事前の1時間"です。
これも積もっていけば2〜3時間ほどの莫大な時間になります。
まとまった時間でなくても軽視しない態度が、"緊急でないけど重要なこと"をやる鍵となるのです。
次回は②自分に強制してくれるモノって?




