五五日目 筆者の"面白い"のセンスが作品に影響するか??
ようこそ、このエッセイへ。
とあるワナビの学生、街風です。
【今回のテーマ】筆者の"面白い"のセンスが作品に影響するか??
__目次
1)"面白い"は多種多様
2)おもんない奴の作品がおもしろいわけないってwww
3)【結論】面白い人でないと面白い作品は書けません
__
1)"面白い"は多種多様
(以後自分語り)
僕は極端に明るいわけではないですが、「明るい」と呼ばれるクラスメイトになんだかんだ絡んでもらえています。
ユーモアはゼロではないらしく、自分の言動で結構周りが明るくなることもあります。
どこの集団にいっても、時間はかかっても、なんだかんだクラスの中心人物たちとも打ち解けられたりしてる気がします。
親しい友達はそういうタイプが少数派なので、「もしかしたら明るいグループに向いてる人間なのか」とか勘違いしていた時期もありました。
ですが、人気のYouTuberを見ていく中で、もしかして自分は、"素材として面白い"奴っていう認識だったのかな、って思ってきたんですね。
立ち位置はいつもいじられるポジションで、誰かが調理してはじめて美味しくなるようなタイプなのかな、という現段階での自己分析。
思い返してみると、ギャップで驚かれて、コンテンツとして消費されてたのかな、という印象が若干あります。
決してすぐに面白いことができるタイプじゃないです。
無茶振りに答える姿が面白かったんですかね。というか笑ってくれてたのも、もしや愛想笑いで……
(・Д・)あっ(察したフリ)
いいんです。少なくとも、こんな僕にだって面白いことはゼロではないということだ!!(無理やりポジティブ発言)
リアクションが面白い人だっています。発言で笑いをとるタイプだっています(もしやこっちよりかも)。一発ギャグが面白い人だっています。トークが面白い人だっています。
一度そんなメンバーにありふれたクラスになったことがあります。
個性しかない最高のメンバーでしたね。
面白いの形は一つじゃないです。
2) おもんない奴の作品がおもしろいわけないってwww
煽りサブタイトルですから。
なんだかんだ、画面の前の皆さんも、気付いていないだけでおもしろいと思われる素質があるかもしれませんよ。
中には、小説とかの文章ではおもしろいんだけど、トークが何も面白くないとかありますよ。
何をしてもつまらない、と思われる人の作品が面白いかどうかなんて、わかるはずがない。
環境が変わる前まではユーモアのある人間だと確信していても、環境が変われば勘違いだって気づくかもしれません。
いま物静かなあの人も、ネットの世界ではすごくおもしろいかもしれない。
誰もがどこかに輝ける場所があると信じています。
何も得意じゃないように見えても、まだ見つかっていないだけかもしれないのですから。
3)【結論】面白い人でないと面白い作品は書けません
これだけ読むと、これまでの主張と食い違っているように見えますが、そうじゃないんです。
言葉を加えるならば、「その分野でのセンスがない、面白いと誰にも思われないことしかできないなら向いてないよね」という話です。
僕の好きなサカナクションは、別に万人受けする音楽を作ってはいないようです。
学校で例えると、クラスの中の大勢に「いいね」思ってもらうより、たった数人に深く突き刺さる音楽をつくるスタンスです。
万人ウケしなくても、一定数に深く"面白い"と思って貰えばいい話です。
センスがなくても、努力でその分野で面白い奴なれる人もいます。
もしかしたら時代を先取りしすぎていているからウケないのかもしれない。
万人受けするものを作れるようになりたいなら、しばらく努力してセンスがあるか見ていいと思います。
僕も書籍化を目指して駆け抜ける間に、センスが果たしてあるのかを確認していきます。
***
いかがだったでしょうか。
"面白い"という言葉もまた、いくらでも突き詰めようのある言葉だと実感します。
こんな感じで、言葉について考察したくなる時がまた来そうです。
言葉深いーーーー




