三四日目 忙しくしよう。“いつか”はこない
どうも、街風怜音です。
このエッセイは毎日更新で頑張っていくつもりですが、果たして400日以上もネタが続くのかが時折不安になります。
まあそのプレッシャーの中に自分を置くと、どうにか題材が浮かんでくるんですね。
自分を追い込むと意外な成果が得られることもあります。
今回のテーマは忙しくしよう。“いつか”はこない、です。
二つの例を挙げて、それぞれ教訓を合わせて書きます。
ではどうぞ。
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①暇な時間が生まれても、目的がなければ何もしないのだというのを休校中に学びました。
ひたすら家にこもり続ける。そんな状況の中、家族とすらあまり話さなくな離ました。
完全に精神が荒れました。自室にこもり続け、まともに運動もせずにいると、体がだるく、頭も働かない。
そして寂しい。誰かと話したい。でも家族と話したくない気分で・・・・
精神衛生上良くなかったです。小説でも書くか、と思っていました(アクションものの前身の作品)が書く気にすらならず。勉強する気も起きず。
あれだけの時間があれば、普通は「アニメみまくるぞ!!」とか「今までできていなかったことをやるぞ」とかなるとばかり思っていたんですがね。
そう簡単にうまくいかないようです。
休校期間が終わってから現在に至るまでで、ようやく精神が安定してきました。
通学のために外に出る名目ができ、クラスメイトとも仲良くなって話しやすくなって。
やはり誰とも話さない・外に出ないは本当にまずかったです。
小説も休校期間が開けてから、アイデアが浮かびました。休校期間中より忙しいはずなのに、休校期間中のとき以上のことをできているんですね。
要は、「忙しいからできない」というのは違う気がするってことです。
暇だとしても、「疲れたから」「またいつか」などと理由をつけて多くの人はやりません。
僕の場合ですが、時間が限られているからこそ、多くのことは頑張れるんだと思います。
時間を作ろために忙しくする、というのは矛盾しているようでその通りなんだと。
②いつか父親を褒めまくる回があったかと思いますが、ここで愚痴を吐きますね。
とてつもなく片付けを嫌っている父は、もういらないだろうというものですらなかなか捨ててくれず、家がモノで溢れてしまうんですよね。
ただ、それを父はわかっていて、危機感も一応はあるみたいなんですよ。
「いつやるの?」とかたまに問いただすんですが、決まってこう答えます。
「時間ができたらやるよ、いつか」と。
今までは父を信じて、いつかやってくれるだろうとばかり思っていましたが、休校期間中の経験を通じて、こう言いたくなりました。
「いや、いつかなんて99%こないって。万が一来たとしても、絶対に理由つけたりしてやらねえからな!!」と。
そうです。「いつか」が残りの1%で来ても、やるはずないんです。いつかは来ません。絶対に。
暇になっても、結局その時間を有効活用することは簡単なことではないんですね。
休校期間が終わってから現在に至るまでで、ようやく精神が安定してきました。
通学のために外に出る名目ができ、クラスメイトとも仲良くなって話しやすくなって。
やはり誰とも話さない・外に出ないは本当にまずかったです。
小説も休校期間が開けてから、アイデアが浮かびました。休校期間中より忙しいはずなのに、休校期間中のとき以上のことをできているんですね。
要は、「いつかやる」で先延ばしにしていたことって、今すぐにでもできるんじゃないんですか、ということです。
「いつか英語がペラペラになりたいな、でも仕事忙しいしな」というのも、出勤時間にイヤホンで音声を聞き流しでやってみるだとか、
「この問題集、いつかはやっておかないとな。でも今は厳しいかな」と思っているなら、毎日三分、眺めることから始めたらいいじゃないですか。
同じ商品の広告が何度も何度も目につくと、その商品が気になるのと同じ原理です。
一日のうち、3分なら作れるはずです。
「いつかやる」と先延ばしにするのは、もうやめませんか?
***
いかがだったでしょうか。
忙しいからできない、暇ならできるというのは幻想です。
忙しいときでも出来て、その上で暇なときはもっとできる、といった方が正確でしょう。
先延ばしにしてしまう心理は、少なからず誰もが持ち合わせているのではないでしょうか。
先延ばしを減らせると、だいぶ楽になります。
とある学生が偉そうに語っておりますが、気分を害された方がいたらすみません。
本の内容の受け売りと、自分の少ない体験談を交えてこのエッセイは構成されているので、そこを理解した上で読んでいただけたら幸いです。
長文失礼しました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
【今日の謎かけ】
良い小説とかけてチンピラととく
その心は・・・
どちらもストーリー(素通り)がいいでしょう
ーーあと430日




