十八日目 学歴の必要性
こんばんは。どうも街風です。
今回は小説のことというより将来の話になります。
嫌な話ですが、学歴の話です。
もしかしたら差し替えることも考えています。
なぜ一見関係なさそうなこの話題を出したのか。
それは作家が副業となったときに、本業で求められるものかもしれないと頭をよぎったからです。
僕は学歴がすべてだとは考えたくありません。これから学歴が重要視されなくなる時代がくるでしょう。
通った学校名より、求められるものも多くあります。
学歴の必要性というタイトルをつけたのは、「勉強を頑張れずして果たして他の事を努力できるのか」といったところです。
断定はできません。何度もいいますが、学校名・学歴がすべてではありません。それに慢心して努力を怠れば、よくはないですね。
ですがひとついいたいのは、可能性を広げるために努力をしないといけないということ。
たまたま周囲を見渡すと有名大学を出ている親戚が少なくありませんでした。
そしてそういった親戚は、いつも輝いて見えていました。
学校がいいから煌めいているというよりも、努力できる人として煌めいて見えていました。
努力できる人は、かっこいいんだと。
ようやく努力の必要性を感じ、ここでの活動を活発にしていっています。
しかし、まだ学生であるため勉強にもっと力を入れていかなければいけません。
前のエッセイでも似たようなことをいっていますが、現在は小説家一本だと厳しいというところがあります。
ゆえに、人生の他の可能性を広げていかなければいけない。
可能性を広げるとなると、学歴が伴う。学歴は関係ないといいましたが、あると有利になることには変わりありません。
確実に僕はいま、勉強から逃げています。少し前までは楽しく勉強ができていました。
休校期間中、いくらでも勉強時間がありました。それなのに、僕はすすんで学習に取り組めませんでした。
宿題がでてはじめてやろうとする、やらなければいけないといわれなければやらない奴だったわけです。
小説家になりたいというのは一種の逃げなのでしょうか。小説やアニメという虚構に浸るのも、逃げでしょうか。
現状、小説は努力しようとしているのに勉強から逃げるのはなぜでしょうか。
自分自身を攻めたくなります。
そんなときだからこそ、「自分ならできる」と信じてみたいものです。
一度、やるべきことを見直していきます。
***
取り留めのない文章ですみません。
学歴至上主義ではありません。本当です。
上位校に行ける人というのは、勉強に関しては努力できるのではないかという意見です。
短い夏休み。勉強も小説も力を入れたいものです。
【今日の一言】
葛藤に苦しんでいるとき、一旦俯瞰した視点でありのままを見てみる。
すると。悩んでいたことの根本が、少しわかった気になれる。
ーーあと447日




